キジが私を正面に向きながら、「ケンケン」と鳴く様子です。
オスキジは背中や尾の羽毛が美しいのです。
ところが正面を向いたときのおなかは、紺や紫がかった黒っぽく気品のある羽毛色をしているのです。
このおなかの羽毛色は光線の当たり具合で、光沢の色彩は異なるのです。
曇った日などは、真っ黒くてカラスと勘違いしますが、頭部の派手な赤色の鶏冠でキジであることが確認できます。
叫んでいるときは、羽毛を広げるために貫禄が感じられます。
私はボーとしていても貫禄では負けません!
キジが私を正面に向きながら、「ケンケン」と鳴く様子です。
オスキジは背中や尾の羽毛が美しいのです。
ところが正面を向いたときのおなかは、紺や紫がかった黒っぽく気品のある羽毛色をしているのです。
このおなかの羽毛色は光線の当たり具合で、光沢の色彩は異なるのです。
曇った日などは、真っ黒くてカラスと勘違いしますが、頭部の派手な赤色の鶏冠でキジであることが確認できます。
叫んでいるときは、羽毛を広げるために貫禄が感じられます。
私はボーとしていても貫禄では負けません!
生き物たちが人を意識しているときは、必ず視線を人に向けている。
写真のように背を向けるなどは、警戒を解いているときか、彼らにとって警戒より重要な仕草をしなければならない時である。
撮影時のキジ君は、私の存在を知りながらのポーズであった。
このポーズを撮ることで、メス鳥の存在を気づかれないようにするための決死のカモフラージュであろう。
このキジ君にはシャッター音も聞こえているはずである。
私にはとてもじゃないが出来ない相談だ。
私は妻を守るために、危険をも顧みず全身でパフォーマンスすることはない。
キジの世界では、妻、つまりメス鳥への意思疎通を示すための鳴き声で有り、妻を守るための人や獣へのカムフラージュのための派手な羽ばたき行う。
その決死ともとれる真剣な行為は、羽毛の美しさを伴い華麗な肢体を優雅に舞ってみせる。
世界中では美しいオス鳥たちが、メス鳥の気をひくためにのラブダンスを舞いメス鳥を射止めるという。
キジの場合は、ラブダンスではない。ファミリーを守るための舞なのである。
感動の舞である。
キジは山奥ではなく人目につくあたりでよく見かける。
つがいが出来れば、畑の周囲に産卵してやがて抱卵のための巣を作る。
巣のある場所は、巣の位置がわかるように彼らにわかる目印を定めて
その一角に巣を作る。周囲の草と種類の違うのがあるとか、周囲より草丈の高い植物があるなどである。
また巣の位置の間近には必ず水飲み場がある。メス鳥が半日近く抱卵して
巣を離れるときは、まず一杯の水なのだ。
素晴らしい環境と安全と安心は人類だけのものではないのだ。
生あるものすべてが、それなりに知恵を絞っていきている。
迷いなく真剣に。
テリトリー内を散策しながらえさ取りをするキジである。
いつでも姿を見せるのはオス鳥で、つがいであるメス鳥はテリトリー内の草むらのどこかで抱卵中である。
抱卵中のメスが姿を現すのは、早朝か夕刻の場合である。
だからオス鳥は、一日中単独で時間をつぶさなければならない。
メスが抱卵中のオス鳥は、意外と警戒心を解いて、メスを守るために少しばかり冒険心で、私に対応しているように見受けられる。
自分に注目を向けさせて、メスの存在を気取られないようにしているからだ。けなげなしいかぎりである。
この写真は私から15m位しか離れていないが、警戒を解いて私の方へ来るそぶりを見せている。
その仕草が私には、絶好のシャッターチャンスでもある。
キジでさえ、己を危険にさらしてまで、彼女を死守する心意気が私に感動を与える。
これが男ちゅうもんだ!
自宅近くで、ケンケン!と鳴き声が聞こえるようになったので、土日の早朝カメラを積み込んで、鳴き声に聞き耳をこらして埋め立て地の原っぱに向かうと
原っぱの北側端っこに日本キジのオス鳥が伸びかけの草原で穂をついばんでいる。その原っぱの北側に沿って2~3m低いところを東西に延びている狭い道路脇に車を停めて
左の車窓越しに原っぱを見上げると、そこにキジがぽつぽつとえさをあさりながらゆっくりと歩を進めている。
概ね、野生動物たちは人影には機敏に警戒するが、車には比較的に鈍感である。車内で、三脚にカメラをセッティングしてウインドウを下げて、レンズを向けて撮ったのが、この写真である。
日本キジの美しい羽毛色の模様や配色の起源に謎は残るが、撮ってみると肉眼で見るより麗しく、さすがにお札の図案になるほどの威厳と目を見張るほどの美しさである。
言うまでもなく「国鳥日本キジ」である。
通勤途中、車の中からデジカメで撮れた国鳥雉の写真です。
ツガイなら格好が付くのですが、オス鳥同志のツーショットです。
アスファルトの上で雉が見られることは、実に珍しいことです。
今のシーズンは猟期なので、以前であれば考えられないポーズでもあります。
最近は、猟銃を使用する猟師が激減していると聞きます。
そのために、このような光景が見られるようになったのでしょうか。
「雉も啼かずば撃たれまい」は今では遠き情景になったを実感しました。
それにしても、国鳥だけあって実に美しい鳥です。
野外で自然に生息している生き物は、その美しさがひときわ光を放しています。
対向車が来てしまい、チャンスは寸時で the end となりました。
今年も冬の使者が私の庭にやってきた。
今年は、餌の栽培がいつもの年より不作であったが、年明けから今でも滞在している。
今冬は未だに降雪があり、それがために、いつもの年より長期に居残っているようである。
シベリア辺りが餌が取れるくらいに気温が上昇しなければ、北帰行出来ないでいるのであろう。
いつもの年であれば、オス鳥が7割程度であるが、今年は半々の割合で訪れてきた。
それにしても、彼らは餌場だけに写真のように和やかムードではない。
常に他を追い回しながら餌を確保している。
孫達には悪いが、彼らは孫みたいなもので、そろそろ旅立つ頃となるが、そのことが心寂しく感じられる今日この頃である。
餌で満腹になれば、バケツの水を飲みに来ます。
この写真は先週末撮りましたが、それ以来彼らを見かけることは無くなりました。
餌を求めて新たな滞在場所へ旅だったのでしょう。
或いは、雪が解けて気候が何とはなしに春めいてきたために、北国へ向かったのかもしれません。
この写真を見ていると、さよならの挨拶のためにポーズをとってくれたのではないだろうかと、私の胸の中にぐーっと来るものを感じてしまいます。
今年の冬か、年明けには美しい翼を広げて訪れてくれることを願いつつ、彼らの旅程が無事であることをひたすら祈らずにはおられません。