NHKの聞き逃しサービスでラジオ深夜便の麿赤児さんの半生記「75歳、倒れても踊り続ける」を聴いた。麿さんらしい語り口で、童顔の唐十郎さんとの風月堂での出会い、腰巻お仙の大ヒット、舞台は面白かったが科白が長くて辞めた話、米の直売で儲けようとしたが、だめだったということ、
土方巽のところの人がスカウトに来て、どてら着て長髪で餅喰うかという土方にみせられ、金粉ショーに担ぎ出されて舞踏をはじめ、自分の周りに男どもが集まってきたから何かやろうと思い、酔っ払って裸で寝ている男たちの姿を見て、これでいい音楽か何かを流したら、これだけで舞台に乗せたら面白くなると思い、
天賦典式と名づけて、この世に生れ出たことを一つの才能とするとして、生きてるだけで個性なんだ、という考えをもとに、おびえる、こごえる、ちじこまる、など埋もれている身振り手振りをプラスもマイナスも含めて採集して、金粉ショーで稼いだ金で、天賦典式の舞踏の公演を繰り返し、
澁澤龍彦や種村季弘や細江英公も見に来て、舞踏集団としては初めてフランスとアメリカで公演して海外で驚きをもって迎えられ、
今また、山海塾と大駱駝艦は今でもBUTOHをやっているらしいということで再発見されている、舞踏とは必死で突っ立った死体であると土方巽は言っていたけれど、体が動かなくても、小指の先は動いているなら、この小指の先を見てくれと言うのも舞踏だ、
新国立劇場で、舞踏家全員集めて半年ぐらい公演したかった、体の衰えも舞台に乗せれば舞踏だ、そういう発見が日々あって嬉しいとお話ししていた。
飄々とした語り口が麿さんらしい。
ちじこまる弱さも含め見逃した身振りを集め芸術と成す