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超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">メシアン、深みの断片</span>

2009-01-19 19:39:40 | 無題

現代音楽はそれほど親しめないという人も、マーラーやショスタコーヴィチに慣れ、さらにバルトークやコダーイに馴染むと、自然と現代音楽を受け入れる余地が生まれる。
08年はオリヴィエ・メシアン生誕100年で、EMIから記念盤が14枚組で廉価盤で出ている。それを聞くとメシアンの広大な音世界の全貌に触れることができる。以前はFMでメシアンが流れてくると難解だなと聞き流していたが、よく聴くとあれこれと寄り道がありつつ、最後は盛大に盛り上がった後消え入るように終わる、などある種の癖があり、慣れてくると面白い。
メシアンは自分の曲作りを、ワーグナーの歌劇のライトモチーフになぞらえている。繰り返されるひとつひとつの旋律に、象徴的な意味が託されている。つまりわからないようでいて、混沌とは異なっている。メシアンの場合、多くは聖書にライトモチーフの意味が求められている。
メシアンの聖書からの引用は極めて詩的である。「幼子イエスにそそぐ二十のまなざし」や「時の終わりのための四重奏曲」などは題だけ見ても詩情は伝わる。彼なりに旋律に宗教的意味を込めて曲作りをしているのだが、出来上がったものは多分に即興音楽的で、現代音楽界のセロニアス・モンクのようである。
彼はいわゆる共感覚の持ち主で、音楽を聴くと音が色として見えるのだという。音を色に、色を音に変換できるのだ。
また彼自身、鳥類学者でもあり、鳥の鳴き声を聞き分けて、採譜して曲に移し変えたりする。そんな彼の醍醐味を一番味わえるのはオルガン曲ではないか。彼はそこで世界の底なしの深さに身を浸していて、その感覚が、同じく教会のオルガン奏者の出身でカトリックの作曲家、ブルックナーの交響曲の感覚とよく似ているのである。メシアンは言う。「遠く隔たり、畏れを覚えさせ、動きを見せず、永遠で、無限である神が私たちのもとに(イエスとして)来られ、私たちの言葉で、私たちの感覚で、私たちの気持ちでご自身を理解できるようにして下さった。それは神性の最も美しい局面である受肉の神秘であり、それゆえに私はクリスチャンなのだ」(「メシアン 創造のクレド」より)。メシアンの音楽もまた受肉の変奏であり、天国の深みから聞き取った光の断片なのである。



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