クリスマスが近くなると輸入CD店の店頭に並ぶ逸品のひとつに、ハイティンク指揮の「マーラー・クリスマスマチネコンサート」がある。あの今では巨匠のハイティンクが、一年に一度クリスマスの昼にマーラーの交響曲を毎年一曲だけライブ録音してきた、その蓄積がこのボックスセットで聞ける。交響曲全曲ではないが、ほとんどが聞ける。私はクリスマスの昼に心ときめかせて厳粛な気持ちでマーラーを聞きに集まってくるヨーロッパの人々を想像するだけでうれしくなってしまう。日本では年末は第九だが、ヨーロッパではマーラーなのか。そういえばマーラーの曲のなかには、聖なる感覚が微妙に混じっている。
ケン・ラッセルの映画『マーラー』を始めとして、マーラーの曲を精神を病んだ男の紡いだ作品のように解釈する人が絶えない。その路線で全集を作ったのがテンシュテットのマーラー全集である。これを聞くとマーラーの躁鬱的な世界が垣間見られてこれはこれで卓見である。私が初めて聞いたマーラー全集がこのテンシュテットの指揮だったので、マーラーって天国と地獄を生きたひとなのだと印象づけられた。ケン・ラッセルの映画が日本で初公開されたとき、私はこの映画を何も知らずに見ていたが、その映画のコピーが「冴えわたる狂気」だったのも思い出される。ブラスバンドのマーチに耳をふさぐマーラーが脳裏に焼きついた。だが、その後ノイマンのボヘミア的なマーラーを聞き、またクーベリックのマーラーも聞き、バーンスタイン、ベルティーニらの正統派の独墺的なマーラーを聞き、ハイティンクのクリスマスマチネを聞くに至って、病的で躁鬱的なマーラー像は一面的な見方だと思うに至った。
ハイティンクの「マーラー・クリスマスマチネコンサート」のマーラーは、背後に静寂な底なしに深い闇を感じさせるマーラーである。底なしの闇から聖なる調べがかすかに聞こえてくる。それに老若男女が集まってきて耳を澄ましている。何と奥ゆかしく微笑ましい光景ではないか。ハイティンクのライブ録音に聞くことができるマーラーは、ヨーロッパの陰影である。私もクリスマスが近くなるとこの「クリスマスマチネ」に静かに聞き入ることが多くなった。一年を振り返りながら、嬉しかったこと、悲しかったことが音の力で清められていくのを感じることができる。奥深いCD集である。