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超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

「ヘッセの言葉」を読む

2024-10-07 00:03:15 | 無題
『ヘッセの言葉』から、気になったものを幾つか紹介して行く。
〇自分自身の道を歩め
「一体、どこを歩いているんだ。そこは他の人の道じゃないか。だから何だか歩きにくいだろう。
あなた自身の道を歩いて行きなさい。そうすれば遠くまで行ける。」
この点は、大丈夫だと思う。独自路線で今まで来たから。その分の苦労はあるけれど。
〇自分で自分を認めよう
「自分が人生で為したこと、築き上げたこと、行ったことを、誰か立派な人から認めてもらいたいと思う気持ちを棄てなさい。また、世間の基準に照らし合わせて点数をつけるようなこともやめなさい。
自分で為したことについては、自分の個人的な尺度で測りなさい。いつもそうしていれば、人真似ではない自分自身の本当の人生が生きられるようになるから。」
要は、自分軸で生きることだと思うが、承認欲求は、結構、手ごわい。
〇今の自分が本当の自分だ
「きみは不安なのかい。不安なら、今の自分を本当の自分と認めていない証拠だね。いつも本当の自分自身でいるならば、不安など芽生えて来はしない。だから、本当の自分と今の自分が一致できるように生きて行けばいいのさ。」
 ヘッセは、いつも、自分軸で生きることを勧める。だから「わがままこそ最高の美徳」と、言い切ることもできる。これは、目から鱗だった。自分にOKを出していい。ヘッセの傑作は『デミアン』だと思うが、ヘッセは、C・Gユングから強い影響を受けている。いわゆる「個性化のプロセス」である。この二人の出した結論は、よく似ている。自分軸で生きる勧め、である。

〇顔色を見て暮らすのは終わらせて自分の尺度で我が道を行け
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横尾忠則の図録を読む

2024-10-03 00:03:13 | 無題
横尾忠則さんの東京都現代美術館の「原郷の森」展の図録が、友人から
届いた。横尾さんの過去の画業が半数ほど、最近の作品が半数ほど
収録されている。
おもしろいのは、横尾さんの絵の「霊性」を表現しようとして、
学芸員さんが、古今東西の名言を縦横無尽に活用して、
引用しているところだ。
例えば、哲学者の森田良紀先生のトマス・アクゥイナスの論文、
「私は、没後も、薔薇の匂いを嗅いでいたい」とか
「私は、没後も、親しい人の顔を覚えていたい」という
没後の人間に「感覚」は残るのかについて述べた文章を
引用したりしている。
またジム・ジャームッシュ監督の映画『デッドマン』の科白を
引用して、お前はこの世とあの世の中間を、天使のように
彷徨っている、というような話を付け足している。
横尾さんの絵のテーマが、少年探偵団、シャンバラ、瀧の写真、
同窓生、Y字路、涅槃仏、天使、ナポレオン、映画の場面など
独特の奇想天外な展開を見せ、図録を開くと「原郷」が溢れ出て来る。
おもしろくてしょうがない。

Y字路と瀧と異界と探偵を原色で描く魂の絵師
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岡本太郎「挑む」を読む

2024-09-29 00:03:29 | 無題
近年、タロウマンというキャラクターをTVで見掛ける。
岡本太郎の太陽の塔と、ウルトラマンを足した様なヒーローもどきである。
太陽の塔で余りにも有名な岡本太郎だが、実際本人も、絵や彫刻も
キャラクターが際立っていた。
「芸術は、爆発だ!」と叫ぶCMも有名だが、
「グラスの底に顔があっても、いいじゃないか」という特製グラス付きの
ウィスキーのCMも、印象的だった。
その、岡本太郎の自伝を中学の頃、買って読んだ。
それが、この画文集『挑む』である。
この自伝の我の強さが、思春期の心を鷲づかみした。
日本の学校教育に反発し、漫画家の岡本一平、歌人の、かの子という芸術家夫婦に教育された
太郎は、青年期にパリに留学した。
語学の覚え方がまたすごい。小学校低学年のクラスに
入れて貰い、子どもたちと遊びながらフランス語を一年で習得。
パリ大学とソルボンヌ大学の聴講生となり、アレクサンドル・コジェーヴ
の講義に出て、アンドレ・ブルトン、バタイユ、ラカン、カイヨワ、バルテュスらと付き合い、
マルセル・モースから民族学を学ぶという信じられない青春を送る。
パリで前衛画の個展を開き、「ピカソはヨーロッパのオカモトタロウと呼ばれているのか。」
と言ってのけた。これには度肝を抜かれた。絵はヘタでいいんだ、とか人には嫌われるべきだ、
とか、迷ったときは必ず絶望的なほうを選んで来た、などの名言も多い。
今思い出しても強烈な個性が異彩を放っている。反骨精神のエネルギーの塊である。

〇座るのを拒む椅子まで生み出したはみ出し者の燃えるかたまり
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日々の随筆・啄木と寺山

2024-09-27 00:03:29 | 無題
寺山修司著『啄木を読む』は一冊の本にまとめられているが、
実際は、他に、「太宰・中也を読む」や、「鏡花を読む」
「乱歩・織田作之助・夢野久作を読む」「江戸を読む」も
収録されていて、一冊丸ごと啄木論ではない。
そういう、嘘つきなところも含めて、寺山らしいと言える。
この本の中で、一人の歌人で一つの時代の青春を
代表させることができたのは啄木までだった、と説き、そうした意味では、
啄木は「最後の歌人」であり、以降、啄木以上に歌人らしい
歌人は出現しなかったと、寺山は言う。
少年時代の啄木は、「ふるさとを愛しながら、ふるさとにいることが
できない」という矛盾に悩まされていた、と寺山は言う。
その点では「誰か故郷を思わざる」を書いた寺山も同じだった。
都会に出て、改めて思い出す、故郷とはそういうもの、という
寺山の強烈な家出論に通じるふるさと観である。
啄木の「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば
指のあいだより落つ」という歌を挙げて、故郷の柱時計と、
故郷を出てさ迷っている自分の砂時計の対比を連想している。
「大いなる彼の身体が憎かりき その前にゆきて物を言う時」という歌の
大いなる彼の身体とは、やがて来る次の時代を指していると彼は言う。
「われ泣きぬれて 蟹とたわむる」情景を詠んだ啄木は、
自分の悲しみを愛していた。その啄木を、憧れを隠しつつ、寺山は見ていた。

恋人にわれは昭和の啄木と胸張って言う寺山の自負
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日々の随筆・「それから」

2024-09-25 00:03:21 | 無題
漱石で、一番思い出深いのは『それから』だ。
私の学生時代、森田芳光監督で、映画化された。
登場人物は、代助(松田優作)三千代(藤谷美和子)平岡(小林薫)
の三人を中心としている。この三人の関係を描いた恋愛ドラマ。
森田芳光監督の映画には、当時痛く感動し、当然、原作も
読み、面白い昔の言い回しや風情や心境に胸を打たれた。
その当時は明治末を忠実に再現していると思っていたが、
近年、改めてDVDで観ると、化粧や男性の髪型を含め、
どう見ても一九八〇年代を色濃く反映している。
台詞がまた秀逸で、漱石の他の小説から台詞やエピソード
を借りてきて、上手く組み合わせている。
『それから』の最大の山場、代助が三千代に告白する台詞
「僕の存在には、あなたが必要だ。どうしても必要だ。」という
言い回しには、痺れてしまった。人を思うと、脳裡に浮かんで来る。
恥ずかしくて言えないが、名言である。
そんな訳で、漱石の小説はまた現代に映画化してほしい。
出来れば松田龍平さんや松田翔太さんに、主演をお願いしたい。
「僕の存在にはあなたが必要だ。」

代助の台詞回しが繰り返し胸熱くする「それから」の恋
コメント (2)
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