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東京神社めぐり

2013-08-01 00:04:06 | 神社

25.7.25

東京3日間の中日は、特段の予定はない。

午前中は、東京の安藤健一社会保険労務士事務所に出勤し、メールチェック等を行う。

その前に、宿泊しているすぐ近くの神社に参拝する必要があった。

数日前、郷土史家の石瀧豊美先生に東京出張の予定をお話ししたところ、鐵砲洲稲荷神社への参拝を奨めていただいた。

鐵砲洲稲荷神社には、「繆斌(みょうひん)」という人を顕彰する碑が建っている。

繆斌は、緒方竹虎と連携して蒋介石と日本との和平工作を取り持った人。

無残にも、戦後は口封じのため漢奸裁判で死刑第一号となってしまった人だ。

鐵砲洲稲荷神社がどこにあるか調べて驚いた。

小職の宿泊予定のホテルから500メートルくらいしか離れていない。

すごい運命のようなものを感じた。

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日中和平工作を行った時期が、なんと昭和20年3月。

東京大空襲の頃の話しだ。

既に日本の敗戦は確定的となっている頃において、蒋介石の命を受けた繆斌が和平工作をしていた事実は大きい。

そしてわずか5カ月後には、大東亜戦争は敗戦を迎える。

写真右の碑は、「和平神繆斌顕彰碑」。

日分の中に、日本側として、首相小磯国昭、国務相緒方竹虎、中将石原莞爾、そして東久邇宮稔彦殿下の名が見える。

写真左の碑は、東久邇宮稔彦殿下と繆斌の会談の写真、そして会話が刻まれている。

この鐵砲洲稲荷神社、富士山信仰の神社として有名で、境内になんと「富士山」が。

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この後、安藤健一社会保険労務士事務所に出勤し、午前中は事務所を貸してもらった。

昼食は一緒に近くの老舗で。

茅場町の鳥徳という店。

とてもお客さんが多かった。

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午後は、東京神社めぐり。

最初に、愛宕神社。

愛宕神社は、愛宕山という低い山に鎮座。

急階段で有名だ。

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急階段を上から見ると・・・

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次に、乃木希典大将の乃木神社。

旧乃木邸横に鎮座。

参拝時、神職は1名だけだったが、なんと若い女性だった。

大学卒業後、奉職3年目ということだ。

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ちなみに、「乃木坂」はもちろん乃木大将にちなんで名付けられた名称。

乃木坂になる前は「幽霊坂」と言ったらしい。

次に、靖國神社。

一の鳥居、とにかく大きい。

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次に、築土神社。

平将門を御祭神とする神社。

さすが東京、参道が建物の下というなんともいえない構造だ。

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次に、東京の伊勢神宮である東京大神宮。

とにかく若い女性の参拝が目立った。

縁結びとか恋愛とかのおみくじが人気のようだ。

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次に、神田神社。

神田明神と言った方が名が通っているように思える。

立派な楼門、社殿等を有する。

こちらも御祭神に平将門。

ただ、明治天皇が参拝される際に、賊のため御祭神から外された時代を持つことが興味深い。

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最後に、湯島天満宮。

こちらも湯島天神と言った方が名が通っている。

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移動は、地下鉄を主とする公共交通機関。

かなり歩き疲れた。

ホテルに戻り、一風呂浴びて、再度安藤健一事務所に。

その途中、小さな日比谷稲荷神社を発見。

八丁堀駅から茅場駅の途中あたりで、現在は八丁堀三丁目である。

由緒書きによると、このあたりはかつて日比谷町だった。

日比谷は元々江戸海岸の入江で、太田道灌の江戸城築城に際して城外日比谷海岸(現在の日比谷公園)に祀ったのが日比谷稲荷神社の始まり。

徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸城の拡張工事にともなって、神社の場所に江戸城日比谷門が建設されることに。

このため、現在の新橋に日比谷神社、そしてこの地に日比谷稲荷神社が遷座した。

日比谷稲荷神社は、どうしても海岸に祀られなければならない事情があったという。

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さてさて、安藤健一事務所への訪問は、そのまま飲みに行くため。

小職がサラリーマンだったときの同期6人が集まった。

そのうち1人は、わざわざ愛知の豊橋から新幹線で来てくれた。

(そして、2時間くらい同席し、新幹線で帰っていった・・・)

同期6人のうち、そのまま勤続24年目なのが2人。

4人は転職し、2人は会社勤務、2人は小職と安藤健一の社会保険労務士事務所経営だ。

そして、小職を除く同期5人のうち、会うのが小職在職中以来というのが3名!!

うち1人はフェイスブックでつながっているが、残り2名は本当に久しぶり。

しかし、会った次の瞬間は、昔と同じように話しをしているのが、同期の良いところだ。

次回は、福岡で同期会を開催することになった。

本当に開催されるのか、かなり疑問だが。

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