25.7.25
東京3日間の中日は、特段の予定はない。
午前中は、東京の安藤健一社会保険労務士事務所に出勤し、メールチェック等を行う。
その前に、宿泊しているすぐ近くの神社に参拝する必要があった。
数日前、郷土史家の石瀧豊美先生に東京出張の予定をお話ししたところ、鐵砲洲稲荷神社への参拝を奨めていただいた。
鐵砲洲稲荷神社には、「繆斌(みょうひん)」という人を顕彰する碑が建っている。
繆斌は、緒方竹虎と連携して蒋介石と日本との和平工作を取り持った人。
無残にも、戦後は口封じのため漢奸裁判で死刑第一号となってしまった人だ。
鐵砲洲稲荷神社がどこにあるか調べて驚いた。
小職の宿泊予定のホテルから500メートルくらいしか離れていない。
すごい運命のようなものを感じた。
日中和平工作を行った時期が、なんと昭和20年3月。
東京大空襲の頃の話しだ。
既に日本の敗戦は確定的となっている頃において、蒋介石の命を受けた繆斌が和平工作をしていた事実は大きい。
そしてわずか5カ月後には、大東亜戦争は敗戦を迎える。
写真右の碑は、「和平神繆斌顕彰碑」。
日分の中に、日本側として、首相小磯国昭、国務相緒方竹虎、中将石原莞爾、そして東久邇宮稔彦殿下の名が見える。
写真左の碑は、東久邇宮稔彦殿下と繆斌の会談の写真、そして会話が刻まれている。
この鐵砲洲稲荷神社、富士山信仰の神社として有名で、境内になんと「富士山」が。
この後、安藤健一社会保険労務士事務所に出勤し、午前中は事務所を貸してもらった。
昼食は一緒に近くの老舗で。
茅場町の鳥徳という店。
とてもお客さんが多かった。
午後は、東京神社めぐり。
最初に、愛宕神社。
愛宕神社は、愛宕山という低い山に鎮座。
急階段で有名だ。
急階段を上から見ると・・・
次に、乃木希典大将の乃木神社。
旧乃木邸横に鎮座。
参拝時、神職は1名だけだったが、なんと若い女性だった。
大学卒業後、奉職3年目ということだ。
ちなみに、「乃木坂」はもちろん乃木大将にちなんで名付けられた名称。
乃木坂になる前は「幽霊坂」と言ったらしい。
次に、靖國神社。
一の鳥居、とにかく大きい。
次に、築土神社。
平将門を御祭神とする神社。
さすが東京、参道が建物の下というなんともいえない構造だ。
次に、東京の伊勢神宮である東京大神宮。
とにかく若い女性の参拝が目立った。
縁結びとか恋愛とかのおみくじが人気のようだ。
次に、神田神社。
神田明神と言った方が名が通っているように思える。
立派な楼門、社殿等を有する。
こちらも御祭神に平将門。
ただ、明治天皇が参拝される際に、賊のため御祭神から外された時代を持つことが興味深い。
最後に、湯島天満宮。
こちらも湯島天神と言った方が名が通っている。
移動は、地下鉄を主とする公共交通機関。
かなり歩き疲れた。
ホテルに戻り、一風呂浴びて、再度安藤健一事務所に。
その途中、小さな日比谷稲荷神社を発見。
八丁堀駅から茅場駅の途中あたりで、現在は八丁堀三丁目である。
由緒書きによると、このあたりはかつて日比谷町だった。
日比谷は元々江戸海岸の入江で、太田道灌の江戸城築城に際して城外日比谷海岸(現在の日比谷公園)に祀ったのが日比谷稲荷神社の始まり。
徳川家康が征夷大将軍に任じられ、江戸城の拡張工事にともなって、神社の場所に江戸城日比谷門が建設されることに。
このため、現在の新橋に日比谷神社、そしてこの地に日比谷稲荷神社が遷座した。
日比谷稲荷神社は、どうしても海岸に祀られなければならない事情があったという。
さてさて、安藤健一事務所への訪問は、そのまま飲みに行くため。
小職がサラリーマンだったときの同期6人が集まった。
そのうち1人は、わざわざ愛知の豊橋から新幹線で来てくれた。
(そして、2時間くらい同席し、新幹線で帰っていった・・・)
同期6人のうち、そのまま勤続24年目なのが2人。
4人は転職し、2人は会社勤務、2人は小職と安藤健一の社会保険労務士事務所経営だ。
そして、小職を除く同期5人のうち、会うのが小職在職中以来というのが3名!!
うち1人はフェイスブックでつながっているが、残り2名は本当に久しぶり。
しかし、会った次の瞬間は、昔と同じように話しをしているのが、同期の良いところだ。
次回は、福岡で同期会を開催することになった。
本当に開催されるのか、かなり疑問だが。