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吉田松陰

2009-06-06 17:49:10 | 社会保険労務士

6月に入って既に1週間経とうとしている。
5月末に労働保険料申告書が各事業所に送付された。
例年は、関与事業所の申告書は社会保険労務士事務所宛に送付されるものだが、今年は申告期間の変更、労災保険率の変更等で間に合わなかったようだ。

労働保険の申告時期は、社会保険労務士業の最も繁忙期といえる。
通常どおりの業務の他に、受託しているすべての事業所の申告手続をしなければならないからだ。
しかし、皆様のご経験がおありと思うが、こういうときに限って何故か突発的に通常あまり発生しないような事項が舞い込んでくるものだ。
それでも、忙しいことはいいことだ。

昨日は、赤坂政経塾が主催する、岡田幹彦先生の講演会に参加した。
タイトルは、「吉田松陰没後150年記念講演」。
吉田松陰の教えは、大きく分けて3つに集約される。

一 皇国の皇国たる所以
一 人倫の人倫たる所以
一 夷狄の悪むべき所以

日本は、皇国、神国等とも称される。
極めて残念なことだが、戦後の日本において「皇国」「神国」という表現は、何故か帝国主義や侵略主義のように誤解している人が多いように感じる。
吉田松陰の時代においては、皇国・神国たる日本は、間違いなく侵略を受けた側だ。
有色人種の国家で、欧米列強に抗し得たのは日本だけだ。
吉田松陰その他の志士が、皇国を脅かす存在に敢然と立ち向かったことが大きい。

人倫とは、人の道、道義である。
人として正しい道のことだ。
松陰のいう人とは、皇国の民としての人であることは言うまでもない。

最後に、夷狄を悪む、というのは、文字そのままの意味ではない。
日本を脅かそうとする外国に対する「攘夷」の念だ。
具体的な内容や方法は変わってきているが、現代においても通じるものがあると感じる。

吉田松陰の松下村塾からは、高杉晋作、久坂玄瑞を「双璧」として後世に多くの人が名を残すことになった。
高杉晋作は、福岡の野村望東尼と親交があり、望東尼の平尾山荘に潜伏していたこともある。
また、望東尼が姫島流刑となったときは、流刑先から助け出している。
久坂玄瑞は、禁門の変で自決するが、禁門の変は久留米藩の真木和泉も中心人物の一人だ。

小職の祖父は明治38年生まれ。
おそらく、祖父のさらに祖父の世代が幕末の志士たちの世代だと思われる。
意外と「遠い昔」でもないように感じる。
先人達が命を懸けて守ってきた日本を、現代の日本人はどう考えているのだろうか。