昨日は、お世話になっている弁護士の先生と飲みに行った。
正月に実家で飲んだが、それ以外では「飲み初め」だ。
その中で、弁護士から「廣田弘毅」の話題が出た。
そうえいば昨年26日、サラリーマン時代(今はなき「日本団体生命保険㈱」)の先輩の会社の忘年会が、昨年最後の忘年会だったが、この際も忘年会主宰者から「廣田弘毅」の話が出された。
本日午前中、昨日の影響からか弊所職員に「廣田弘毅」について語った。
そして本日午後、ご来客から「廣田弘毅」の話題が出た。
なんなのか??
偶然ではあるが、廣田弘毅は私の尊敬する人物の一人である。
廣田弘毅は、麻生首相就任前までは唯一の福岡出身の総理大臣だった。
戦後、東京裁判でA級戦犯として起訴され、唯一文官で死刑宣告されたことで有名。
廣田弘毅の死刑宣告には、裁判官、検察官からの異論も多く、またGHQ統制下の日本国中で署名運動がわき起こったという。
福岡には、廣田弘毅に関するものが身近にある。
まず、天神の旧フタタ裏の細い通りに、「廣田弘毅先生生誕地の碑」がある。
同じく天神のアクロス真向かいの水鏡天満宮の「天満宮」という額は、廣田弘毅が11歳のときの書といわれる(実は17歳のときの書という説が有力)。
大濠公園北側の福岡市美術館の入口には、銅像がある。
つい先日ブログで「誰も感心を持たない」と書いたばかりだ。
廣田弘毅の墓は、あの「扶桑最初禅窟」で有名な博多区の聖福寺にある。
そういえば、昨年12月に廣田弘毅の墓参りに行った際、若い男性が一人、お墓のゴミを拾ったりする奇特な姿があった。
そして廣田弘毅といえば、玄洋社。
玄洋社記念館は残念ながら昨年閉館となったが、舞鶴のNTTdocomoビルの敷地には、「玄洋社跡」の碑が建っている。
赤坂門のマクドナルドの裏の路地には、柔道道場の「明道館」がある。
通常の中学や高校の歴史教科書では、廣田弘毅の名前は出てこないだろう。
今の福岡県民でも、廣田弘毅を知っている人は減少傾向にあるように感じる。
しかし、決して忘れてはならないし、忘れられない大人物だ。
日頃の親子の会話等で、廣田弘毅に限らず日本の先人たちがいかにしてこの国を残してくれたのか、伝えていかなければならない。
また、先人たちが残してくれたこの国を、よりよい国として未来の日本人に残していくよう努める必要がある。