雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

資本論の学習5 「実存する」とは何でしょうか?

2010年03月20日 04時15分49秒 | 人間・生命・宇宙
資本論の学習5 「実存する」とは何でしょうか?

 前回第4回に『資本論』第1章第1節から以下のような引用をしました。ページは新日本新書版第1巻です。
 
 「さらに、2つの商品、たとえば」300リットルの小麦=akgの鉄「この等式は何を意味するか?
 同じ大きさの1つの共通物が、2つの異なった物のなかに、すなわち」300リットルの小麦のなかにも、akg「の鉄のなかにも、実存するということである。」
 「したがって、両者は,それ自体としては、一方でもなければ、他方でもないある第3のものに等しい。」(p63)
 「この共通なもの【第3のもの】は、商品の幾何学的、物理学的、化学的、またはその他の自然的属性ではありえない。・・使用価値としては、諸商品は、なによりもまず相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、1原子の使用価値も含まない。」(p64)
 注)原文の「ブッシェル」では現代の私たちにはぴんとこないし、イメージできないので「300リットルの小麦」という表現をしてみました。

 ここで問題なのは「実存する」というマルクスさんの表現です。
 ドイツ語原文では「existireren」で、その直前の「交換価値は、一般にただ、それとは区別されうるある内実の表現様式、「現象形態」でしかない。」(p62)という「現象形態(Ersheinungsform)」とは明らかに用語が異なっています。

 マルクスさんの用語が異なっていれば、概念も違うというのが特別の理由がない限りは妥当な話だと思います。

 脱線して考えると、たぶん、ここでいう「実存」はフランスのサルトルさんの「実存主義」とは何の関係もないと思います。
 もし関係があったら、ごめんなさい。

 第4回では省略した文章はこうです。

 「両者はどちらも、それが交換価値である限り、この第3のものに還元されうるものでなければならない。簡単な幾何学上の1例がこのことを明らかにするであろう。およそ直線形の面積をはかり、比較するためには、それをいくつかの三角形に分解する。三角形そのものは、その目に見える形とはまったく異なる表現ー 底辺×高さ÷2 ーに還元される。これと同じように、諸商品の交換価値もある共通物に還元されて」(p63)

 つまり、「二つの異なった物のなかに」「実存する」「同じ大きさの1つの共通物」は「その目に見える形【交換価値】とはまったく異なる表現に還元され」ます。

 あとの第3章第1節では、こう述べられています。
 「鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物そのもののうちに実存する」(p162、原書p110)

 とにかく「実存」という概念と「現象」という概念が違うということを今日は学習しました。

 「実存」という概念は、ヘーゲルさんから来ているので、またそっちも含めて縦横斜め、学習を続けます。

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