雨宮日記 8月3日(日)の2 歴史の事実と真実は書かないと雲散霧消してしまう
戦争と平和年表と平行して、①ぼくと則子さんの自伝「青い地球とオレンジの花」、②それに附属する客観的浜松の戦後史、を準備しているのですが、たとえば、ぼくたちと対立した人たち、松本澄美子さんとか、袴田忠司とか、ネットで検索してもほとんど出て来ません。
松本さんや、袴田さんの客観的役割はともかく、主観的には、浜松の労災運動史・学習運動史からみれば、正当な評価がきちんとなされていないことは明白です。
彼らが正しかったということではないですよ。詳しく、則子さんやぼくの体験も含めて書きたいと思いますが、そこに没頭した人々の主観的なy役割はきちんと評価したいと思います。
同時に、その客観的な役割、その過去性も、客観的に見つめ直したいと思います。なあなあの。仲間ぼめが多すぎます。
「Aさんを事務局長にしないなら、私は支持できない」と則子さんに玄関で宣言したBさんのリアルな言葉は今でも心に響いています。
なんなんだ、こいつは?!