雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史 地名編 2 東区半田町(はんだちょう)

2011年09月16日 23時10分39秒 | 遠州古代史
遠州古代史 地名編 2 東区半田町(はんだちょう)

 『和名抄』の「麁玉郡」に「覇多郷」(はたごう)があります。現在の東区の半田町や「半田山」のことですが、明らかに「覇多郷」は古代氏族の秦(はた)族の居た地帯です。

 秦氏は、古代朝鮮から移住してきた大部族ですが、古代の長岡京や平安京のあたりの水利を整備し,現在の「京都」の基礎を築いた部族です。

 「半田町」「半田山」だけではなくて、「有玉南町の旧村時代の字には東畑屋、西畑屋…などがあった」、「『畑屋』は本字は幡屋なり。昔の神服部の処か。と「風土記伝」に記されている」と加藤鎮毅さん著『あの町この町 遠州地名町名物語 浜松・浜北編』ひくまの出版,1981年、p235)には記されています。

 半田=秦氏=服部ですね。

 さらに服部(はっとり)という機織り部族は、織物技術にたけていたわけですから、浜松の物作り伝統の基礎は、この秦族ということになります。

 笠井地域には、豊町に「服部神社」がありますから、半田町の範囲を超えて。秦氏は分布していることになります。「遠州の遺跡・寺社23 豊町の「服織(はたおり)神社」
2010年08月01日」で紹介しました。

 さらに別の、「豊町羽鳥」の「羽鳥八幡」神社のことは、昨年「遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社」(2010年07月28日)で紹介しました。

 「豊町」は1955年に合併で作られた新しい町名です。

  ☆

 蛇足ですが、耳で「はんだ」と聞いて連想したのは、金属をくっつける「ハンダ」です。ねっとで調べたら「ハンダ」は外来語ではなく、日本語だと言うことなので、古代の技術氏族である秦氏の名前と、もしかして関係があったりしたらおもしろいですね。
 ありえないかな?


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (古代朝鮮人)
2011-10-16 21:05:30
於呂、岐部、貴平町、あかざ、きっと古代朝鮮語なのでしょうね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。