雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

疑問・考察 日航123便墜落事故30年(1985年8月12日)

2015年09月03日 02時34分21秒 | 人間・生命・宇宙
疑問・考察 日航123便墜落事故30年(1985年8月12日)

 「ピース浜松」で書くとかいたが撤回して、時間ができたら「雨宮ブログ」で書くことにする。

 いまは、基本的な事実・疑問点・推察を列挙するにとどめる。

 1、垂直尾翼のほとんどが破壊された事故の現場は御巣鷹山(墜落現場)ではなく、相模湾上空である
 
 2、乗客の撮影したカメラから窓の外に黒い円形の物体が写っていた。これは後年、発表された。どうしてこういう重要な証拠が事故原因究明に使われなかったのか。後年の技術進歩で「オレンジ色の部分が黒の後ろ」にあるとする著書もある。ただし雨宮はその解明を見ていないので何ともいえない。

 3、「隔壁破壊」仮説ではかならず起きているはずの「急激な減圧」は事実として起きていない。急激な空気の吹き出しや、酸素の不足からの呼吸困難も起きていない。それは生存者の落合さんの証言が証明している。

 4、なぜ、多くの科学者・技術者が一致して批判する「内部隔壁破壊」説がまかり通ったのか。垂直尾翼の破壊は外部からの力で破壊された可能性が何故、追求されなかったのか。

 5,当時、海上自衛隊のミサイル護衛艦「まつゆき」の試運転がおこなわれていた。ミサイルの発射実験と標的機の飛行がなかったかどうか、追求されていない。

 6、火薬の痕跡はないから、ミサイルによる破壊ではありえないという人もいるが、標的機は当然、火薬は積んでいるはずはない。標的機が尾翼に誤射した可能性は、なぜ検討されなかったのか。

 7,ただちに現場の相模湾の海底が捜索されるべきにもかかわらず、後になって、それもおざなりの捜索になったのは何故か。徹底して捜索するべきではないか。

 8、下田の海岸に流れついたオレンジ色の金属が「747の部品ではない」から「無関係」とされたのは何故か。

 9、123便の飛行経路を見ると、あきらかに「横田基地」へ向かっている。それが途中から、北西にそれたのは何故か。機長は「必死の努力で操縦可能だった」とする著書もある。「操縦不能」説は、墜落したことからの結果論ではないのか。少なくとも検討された形跡もない。

 10、「ドーン」という音がしてから、わずか11秒後に、何が起きたか機体後部を調べることもなく、機長が「スコーク77」緊急信号を発信したのはなぜか。コックピットの操縦士達は何が起きたか、知っていたのではないか?

 11、迷走している日航機に、なぜ航空自衛隊は戦闘機を緊急発進させ、事態を観測し、可能なら日航機を誘導しなかったのか?領空に接近する外国軍機には、すべてスクランブルをかけている。即座に発進可能な戦闘機はなければならない。国民の命を守るための軍隊ではないのか。自衛隊の発表では、墜落してから百里基地の戦闘機を発進させている。

 12、墜落後、翌朝まで墜落現場が特定できず、長野県側への謝った憶測がとくに自衛隊や警察から発表され続けたのはなぜか。タカン(位置計測装置)の発表された円形に並んだデータの円の中心に墜落現場があるのは何故か。川上村の墜落を遠くに見た住民が最初に「墜落は群馬県:と電話したのは無視され、誰の電話かわからない「長野県○○村に墜落した」という虚報がテレビで流され続けたのは何故か。

 13,10年後、米軍人の証言で、墜落から2時間後の午後9時5分、米陸軍の座間基地のへりが乗員2名を地上に降ろす寸前だったが、「自衛隊が向かっているので、ただちに厚木に帰還せよ」との命令で、帰ったと。

 14,落合由実さんは「夜間、ヘリの音が聞こえて、手を振った」と証言している。地上に降りる準備をしていた米軍ヘリの可能性は高い。翌朝ではなく、2時間後に到着できていれば、生存者は4人ではなく、もっと増えていた可能性は高い。

 15、深夜に墜落現場や、「ニゼ」墜落現場で、ヘリの飛行や、謎の曳光弾と車の動きなどが目撃されている。深夜から墜落現場に誰かが入っていた可能性もある。

 17,川上慶子さんは「夜、懐中電灯が見えた」と証言していると書いた著書もある。直接まだ見ていません。
 
 18,自衛隊が習志野空挺団が朝8時50分に到着しているが、自衛隊は生存者発見に、一切関係していない。事故の場合、生存者救出・負傷者救護が最大の第1目的であろう。最初の生存者発見は、2時間後の落合さん発見で、長野県警と上野村消防団員による。つまり、自衛隊の指揮官は隊員に「生存者救出・負傷者救護命令」を出していないのだと推定できる。だから、現場で一人ひとりに生存を家訓することもしなかった。「大丈夫ですか」「生きていますか」と呼びかけることもしなかった。それは何故でしょうか。

 19,4人以外の生存者の情報が途中、流されるが、その後、いっさい消えてしまったのは何故でしょうか。「誤報でした」との報道さえない。

 20,夏の朝で、かなり早くから明るくなるのに、なぜ「8時50分」なのか、1分1秒を争うべき時です。午前5時頃に到達しても、おかしくはない。この時刻を命令したのは誰なのか?

 21,北斜面で4人は生き残りました。一方、南斜面から北西斜面は、黒く炭化した遺体が、検視した医師も「二度焼きしたような」「骨の奥まで炭化していた」と表現しています。いったい、ジェット旅客機のガソリンが燃えるだけで、そうなるんでしょうか。ガソリン燃料は、両翼の中に入っています.座席のある胴体にはありません、激突で細かな破片となった機体で、なぜ乗客の遺体がスゲの沢以外では炭化していたのでしょうか。

 21、『天空の星たちへ』を書いた青山道子さんは、ジェット機のガソリン燃料のケロシンは、灯油よりも燃焼性が良いので、炭素のススの発生が少ない、つまり黒くならない、と書いています。深夜の暗闇では、スゲの沢に落下した部品や遺体は発見しにくかったのではないでしょうか。もし発見されていたら‥‥憶測はつつしみましょう。推理は確実な証拠にもとづいてすべきです。なお『自衛隊装備年鑑』によれば陸上自衛隊は「火炎放射器」を保有しています。あ、言っちゃった。

 以下は次回に。

 22、中曽根首相の行動の謎「日航機事故、知らない」
 23,日航幹部の遺族への「北朝鮮のミサイルで撃墜された」暴言の謎
 24,地元の住民の証言「飛行機に流れ星が2つ流れた」「空中で赤い炎・黒煙が出た」
 25,なぜ墜落地点より前にエンジンが落ちているのか
 26,NHKニュースで「命令に反した自衛隊員を射殺」という報道はほんとうか
 27.自衛隊員の「首つり自殺」写真は本物か?

 これを書いて、長年の積み重ねを晴らしたい。もっと詳しい、正確な論文は、時間のあるときに書きます。なんの罪もなく、焼かれた犠牲者です。

 8・12と9・11とシリーズになります。

 8・12の犠牲者と9・11の犠牲者の恨みを晴らしたいと永年、思っていました。

 いや、違う。恨みを無くして、平等の世界を創るんですね。

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