雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮智彦古代史メモリー 31 20200519 遠州古代史 3 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖 20100329

2020年05月19日 14時32分15秒 | 遠州古代史



雨宮智彦古代史メモリー 31 20200519 遠州古代史 3 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖 20100329


「遠州古代史 3 銅鐸・さなぎ・猿投・佐鳴湖
2010年03月29日 20時50分29秒 | 遠州古代史

 日本の古代「弥生時代」には、祭りや政治で使われた金属器に、銅鐸・銅矛・銅剣などがありました。
 問題はこの銅鐸です。
 当初は九州などの西日本で出現しますが,次第に東へ移動して、出雲や近畿地方・東海地方で主に出土します。

 出雲の加茂岩倉遺跡でいっきょに39個の銅鐸が出土して、出雲は50個、奈良県は16個ですから、数だけで言えば銅鐸の分布の中心は出雲ということになりますが、簡単には言えません。

 近年では関東地方でも出土し始めたので、関東も銅鐸圏にしないといけないですね。

 弥生時代後期に、遠州地方でも多数出土し、とくに都田川下流域は「銅鐸の谷」とも呼ばれています。

 この銅鐸を「さなぎ」「猿投(さなげ)」との説があります。

 「さなぎ」はもちろん昆虫の蛹(さなぎ)です。
 蛹と銅鐸は形が似ているでしょうか?どうでしょうか?

 前回のイザナギさん・イザナミさんの夫婦神=クジラ説からいくと、
 クジラ=蛹=銅鐸となるんですが、無理なような気もしますが。どうでしょうか。

 愛知県には猿投山(さなげやま)という標高629mの山があって、巨石信仰でも知られています。 

 浜松市最大の淡水湖である佐鳴湖(さなるこ)は古くは「猿投」とも呼ばれ、遠州地方が銅鐸の宝庫であり、佐鳴湖の西・北・東の3方向で銅鐸が出土し、佐鳴湖の南の伊場遺跡からは銅鐸の破片が出土しています。
 
 まさに佐鳴湖は「銅鐸の湖」です。

 いずれにしろ銅鐸は今から約2000年前、弥生時代の最先進の。当時のハイテク技術による金属器です。
 銅鐸の解明なしに、浜松の弥生時代の解明はありません。
 いろいろと考えていきたいと思います。

 浜松の銅鐸は浜松市北区細江町の「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」や浜松市博物館などで見ることができます。

 浜松市博物館で遠州で出土した銅鐸の詳しいカラーガイドブック『浜松市の銅鐸』(A4版、45ページ、400円)が出ていますので博物館で買うことができます。
 
 同じく浜松市博物館で『発見!!滝峯才四郎谷銅鐸』というのもでています。これもおすすめです。A4版、25ページ、300円。

 さて、これを読んで「それがどうした?」「銅鐸のことがわかっても、私の暮らしに何の関係がある?」と思う人もいらっしゃると思います。

 これは雨宮の追求している楽しみのひとつです。

 2年前の11月7日に73才で亡くなった筑紫哲也さんは、死を自覚したときに「お墓には何も持って行けません。残る物は何かというと、どのくらい自分が人生を楽しんだか、それが最後の成績表だと思うんです」と思わったそうです。

 今日は妻のNこさんが今の職場をやめてしばらくフリーになる、最後の勤務(朝7時までの夜勤)の日です。
 N子さんといっしょに、あるいは1人で、あるいはみんなで、自分のために精一杯生き、他人のためにも精一杯生きたいと思います。



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