雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社・地名 128 浜松で第2位の円墳・入野古墳

2014年01月19日 18時52分46秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 128 浜松で第2位の円墳・入野古墳

 入野古墳は、直径44.0m、高さ5.9m(標高ではありません)で西遠地方では第2位、浜松市南部では最大の円墳です。

 位置は入野町のイオン(もうじき無くなるようですが)の北、ど高いマンション「パーク・ホームズ」のすぐ北に鬱蒼とした森があります。その森の頂上が入野古墳です。
 
 西北にセブン・イレブンがある信号を南から来たら左折、北から来たら右折します。最初の南に入る道路を入るのですが、駐車違反になるので、ぼくはそのまままっすぐ走って佐鳴湖に出るすぐ手前の北側に入る駐車場に止めて歩きます。

 自衛隊の払い下げ飛行機がいくつも置いてある喫茶店「飛行場」を過ぎて、「竜雲寺」を過ぎて信号の手前を南へ入ります。巨大マンションの手前に北へ上がっていく舗装道路を昇っていき、目の前の石段から古墳のある山へ入ります。

 まだ古墳ではありません。古墳の基礎になる標高20数mくらいの山です。
 
 石段を登ると、もう道はないので、昇りやすい斜面を適当に登ります。運動不足のぼくは息が切れました。

 頂上の手前に「説明板」が立っています。つまり、この説明板の立っている標高から上が古墳ということです。

 頂上は標高29.16mです。北と西は木がうっそうと茂っていますが、南と東はほとんどなく、とくに南方ははるか彼方まで見渡せます。
 
 この浜松南部地域の豪族の墓という説明はなっとくできますが、これ1基だけなのは何故でしょうか?もっとあったのに、あるいは別の場所にあったのに破壊されたのか?
 
 関係があるとしたら、弥生時代の伊場遺跡や、佐鳴湖の西岸、つまり対岸になる、古墳時代の大平遺跡ぐらいでしょうか。

 入野古墳は発掘調査で葺き石は出ましたが、埴輪はなく、古墳時代中期、5世紀前半と推定されています。

 入野古墳は未発掘です。盗掘はあったかも知れませんが。

 円墳としては直径44mで、西遠地方第2位なのですが、浜松市内の第1位は千人塚古墳群の7号墳で径49mです。

 千人塚5号墳は、発掘がおこなわれ大量の鉄器が出土、5世紀中頃と推定されています。千人塚5号墳の造成を指揮した被葬者のおそらく息子は、入野古墳が「44m」というのを知っていて、「あれより、少し大きく」と思い「49m」つまり、約1割増しの古墳を作ったという推理はどうでしょうか?

 お隣の磐田では、根山古墳(69m)・城之崎丸山古墳(60m)、秋葉山古墳(55m)、京見塚古墳(50m)、澄水山(ちょうすいざん)古墳(50m)と、浜松より大きな円墳があるのは、なぜでしょうか?

 やはり、磐田の誰かが50mクラスの円墳を作っちゃうと、みんなそれくらいの大きさを作らないと、という感覚でしょうか、

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 入野古墳のまとまった情報は、浜松市が2008年に発行した、浜松市生活文化部生涯学習課(文化財担当)編集『浜松市文化財ブックレット1 浜松の古墳めぐり』(A5版、63ページ)のp36~37にあります。このパンフレットの「中表紙」に入野古墳の上空からのカラー航空写真がのっています。

 周囲が住宅地に化したなかで、入野古墳と竜雲寺だけが緑を残しているのが印象的です。つまり、古墳や神社やお寺が、人間のおろかさによる、森の破壊の抵抗ポイントになっているということです。

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 写真は入野古墳の南の側から頂上を見ました。

 


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