雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月4日(金)の4 明日の平和集会の撮影構想を考えています

2015年09月04日 21時03分42秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金)の4 明日の平和集会の撮影構想を考えています

 ウソです。というより、現実が存在しない前から「撮影プラン」が立つわけありません。それでは、観念が現実を創造するという「観念論」「空想論」になってしまいます。

 もちろん、今日、O弁護士にお願いして「プログラム」は手に入れました。それは、集会がリアルタイムで進行する「時刻時刻」で、次の瞬間の撮影を「想像」「予測」するためで、その瞬間に、撮影者の感性が試されるんですね。

 撮影すべき瞬間の映像を見落とさず、撮影すべきでない映像を映さず、「瞬間を貫いて」生きて行くのがビデオ撮影者です。

 もちろん、ある程度、過去の経験、痛い失敗経験から、その瞬間、瞬間、撮影者は「そこにいなければならない」位置にいなくてはなりません。

 いるべき瞬間に、いるべき位置に自分がいる。
 
 もしかしたら、それって、撮影者でなくても、みんなが求められていることかもしれません。

 誰に求められる? もちろん、自分が自分に求めるんです。

 ぼくの場合、則子さんも、ときどき要求するので、ちょっときついことがあります。要求するのは当然なんだけど、家族に言われると、いらっとしますね。

  ☆

 今、則子さんと「撮影者」の立場と「平和運動家」の立場は違うという話をしました。平和運動家の立場では瞬間・瞬間、その場をよりよくしていくという立場です。ですから、その場で責任者に言ってもいい。言わないこともありますけど。

 でも「撮影者」は現状に介入せず、客観的に、リアルに現場の映像と音声を切り取り、画像に固定するのが任務です。

 いかに現状に不満でも、その一瞬、一瞬飛び去っていく「現実」「目の前の過去」を改編してはいけません。
 
 ほら、タイムマシンで「過去に戻って」も過去を改変してはいけないという規則がありますね。

 小松左京さんの傑作、過去改変SF「地には平和」がありますね。





雨宮日記 9月4日(金)の3 アル中の恐竜がいました

2015年09月04日 20時52分31秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金)の3 アル中の恐竜がいました

 中区和合町で「飲んべえの恐竜」「アル中のテラノザウルス」を発見しました。

 特注なのか、人間大です。

 共感して、気にいったので、撮影しておきました。
 
 則子さんなら「ほら、智彦くんのお仲間が増えたね。智彦くんの1億年くらい前のアル中よ」と言うでしょうね。

 恐竜は中生代の針葉樹の時代の生き物なので、果実のある新生代の広葉樹の時代のように、果実が発酵してお酒になることはないと思います。

 なお証明はしていませんが、お酒も平和の文化です。

 すこし研究してみたいと思います。

 

雨宮日記 9月4日(金)の2 夕食はチリメンドンブリ(ぼくだけ)と頂き物のおいしい桃

2015年09月04日 20時31分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金)の2 夕食はチリメンドンブリ(ぼくだけ)と頂き物のおいしい桃

 秋になって、セミはあまり聞かなくなりましたが、四ツ池公園の森でオーシンツクツクが1匹啼いてました。まだウスバキトンボがあちこちで飛んでいて、車を走らせてるとウインドウの前にひょいっと出て来ます。アゲハチョウも家で飛んでました。

 今日のぼくの夕食はチリメンドンブリと桃。何の炊事努力もない、かきこ屋で250円で買ってきた「ちりめん(小魚)」をたっぷり、ごはん少しの上に乗せて、しょうゆを思い切りぶっかけて、ごはんを醤油ご飯にして食べます。

 Sさんがくれた頂き物の桃を、妻の則子さんが切ってくれて食べました。

 「食事のことなんか、長々書くなよ」「夕食の写真なんか平和ボケ」という方、平和でこそ、おいしい食事が食べられるんですよ。戦争時代の食事は食べられればいいという悲惨なものです。

 太平洋戦争中の日本軍兵士の最大の死因は「戦闘死」ではなく「餓死」でした。ガダルカナル島を「餓島」言うくらいです。食糧や燃料、弾薬の補給、つまり「兵站」は日本軍が軽視・無視し、アメリカ軍は重視しました。

 兵站は戦争を成り立たせる重要な要素です。

 明日は浜松での1000人近い規模になるかな?第3回「ラブ&ピース ミュージック」です。午後5時、裁判所東の東ふれあい公園です。ぼくとKくん夫妻は、実行委員会の公式ビデオカメラマンで参加します。

 ぼくとKくん夫妻は、これを撮影し編集し、ビデオ作品を創造して配布することが、この歴史的瞬間の歴史に自覚的に参加する道だと。実行委員会に頼まれたのでは、ありません。編集したいけどいいですか、と実行委員会に自発的に申し出て、実行委員会の許可を得ました。

 ぼくも則子さんも、こういう風に、自主的に36年間、夫婦の時代を生きてきました。

 早く「青い地球とオレンジの花」を書き出したいと思っています。

雨宮日記 9月4日(金) 一転、青空。旬刊「平和新聞」の仕分けと配達でした

2015年09月04日 19時04分58秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(金) 一転、青空。旬刊「平和新聞」の仕分けと配達でした

 昨夜の大雨がうその様な青空。洗濯物、干せました。

 午前と午後、「平和新聞」の配達をしました。市内を70kmくらい、車で動き回りました。

 合間を縫って、「原爆と人間展」の感想文を活字に打ちました。乾燥は、きわめておもしろいです。疑問・反論の表明の方が、ぼくらには参考になります。浜北を打ったので、後は浜松市役所と新居図書館。