雨宮日記 10月23日(木)の2 判断・決定は科学・資料・認識に基づいて情理で判断
浜岡原発パンフを書いていて思ったのは、判断・決定する主体性は、科学や試料や認識に基づいて、主体が感性や感覚にもとづいて、それぞれ決める、ということです。
つまり「安全」か「危険」か科学で決めることはできないのです。せいぜい、参考資料です。
基準は科学ではありません。基準は人間ひとり1人です。
「なにかおかしい」「なにか変だ」という感覚・情理をひとり一人が、注意深く、心の中で探らないと、理論・論理・科学だけでは未来を失ってしまうということです。
科学だけでなく、感性・芸術・文化も含めた全人格的判断が求められるように感じます。