雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の物 13 (写真保存)学校で作った皿(サソリ座)

2013年08月30日 21時07分11秒 | 雨宮家の物

雨宮家の物 13 (写真保存)学校で作った皿(サソリ座)

 中学校?高校?いつ作ったか、もう忘れましたが、その頃の美術の授業で作った物であることはたしかです。「天文マニア」であったぼくが、たぶん宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」からとった題材だろうと思います。

 「川の向う岸が俄(にわ)かに赤くなりました。楊(やなぎ)の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のように赤く光りました。

 まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗(ききょう)いろのつめたそうな天をも焦(こ)がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔(よ)ったようになってその火は燃えているのでした。

 「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云(い)いました。

 「蝎(さそり)の火だな。」カムパネルラが又(また)地図と首っ引きして答えました。(以下略)」

 なお宮沢賢治さんなど著作権(没後50年)の切れた著作は、「青空文庫」などで読むことができます。

  ☆

 「サソリ座」で思い出すのは、浜松の詩人・埋田昇二さんの作詞の合唱曲「ビキニの海は忘れない」ですが、そのなかで「サソリ座のアンタレスが赤く燃えていた」と歌われます。

 日本列島からは南に低くしか見えないサソリ座ですが、赤道近くのマーシャル群島ではサソリ座のアンタレスが真上に見えるんですね。

 埋田さんに聞いて見て、いま手に入りそうな本があったら「本と映像の森」で紹介します。

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 このお皿、色は付いていないのが残念です。だから「赤いアンタレス」じゃないです。

 一度、割れて、接着剤でくっつけました。写真保存にして、実物は「廃棄」にします。

 ボクが生きているあいだに、ボクが生きた証しの紙や物は、すべて「廃棄」して、この「雨宮ブログ」だけにしないといけないんです。それは、則子さんとぼくの「約束」ですし。それに自分が死んだ時に、自分の中に持っているものだけが、自分の財産なんですね。

 肩書きも、名誉も,お金も、物も、自分がいく世界へは持って行けません。持って行けないものだけが、自分がこの世界でなした成果なんですね。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 110 細江町中川の滝峯不動尊

2013年08月30日 19時26分17秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 110 細江町中川の滝峯不動尊

 北区細江町中川の「銅鐸の谷」の支谷の台地上近くで湧き出している湧き水信仰でしょうね。つまり水の信仰です。

 「根洗」信号から西へサークルKが南側にある最初の信号を北へ入っていくと、「銅鐸の谷」,現在は「テクノランド細江」です。

 そこを北へ曲がらずにまっすぐ南西へ、「ミニストップ」前を北へ(右へ)曲がって、道なりにすこし走ると北側に「滝峯地蔵尊」が見えてきます。小さい駐車スペースがありますから、車を降りて、石段を北へ深い森を下りていきます。

 1年中、三方原台地からの地下水が湧き水としてわき出ているようです。この日も、ずっと雨の降らない暑い夏でしたが、冷たい湧き水が湧き出していました。

 台地の上の「夏」とは別天地のようでした。

 「水の信仰」という点で「銅鐸」と共通していて、弥生時代の「銅鐸」信仰が現在まで受けつがえていると考えます。

 「銅鐸の谷」の支谷から銅鐸が1個づつ出土する例が多いです。

 奥でいうと、北側の支谷「コツサガヤ」のたぶん奥から1個、同じく北側の「穴ノ谷」の奥から1個、南へ回って南の一番奥の「滝峯才四郎谷」の入り口で1個、そして「滝峯不動尊」の谷を抜いて、すぐ西の「不動平」の谷の奥から1個。

 だから、「滝峯不動尊」の谷のどこかに、まだ1個の銅鐸が眠っているのではないでしょうか。