新元号が「令和」と発表されました。当ブログも書いてみましたが、親しみやすそうな感じがします。出典は「万葉集」からだそうです。1300年以上の日本の元号史で「漢籍」ではなく「国書」からの出典は今回が初めてだそうです。改元バブルで万葉集がバカ売れしているそうです。
新元号発表後、当ブログのアクセス数が急伸しました。アクセス解析で調べてみると2010年(平成22)7月10日にUPした「万葉集最大難解な歌 第1巻9(額田王の歌)」にアクセスしているようです。
今回、当時の記事を改編して再度UPします。
万葉集第1巻第9歌の題詞と本文
◎ 紀の温泉に幸しし時、額田王の作る歌 「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼五可新何本」
この歌は訓み方が定まっていない「万葉集中第一の難解歌」です。
訓み方が分からない事もあり、作者が古代史の超有名人「額田王」でありながらあまり取り上げられることがありません。「額田王」関連の出版物は沢山ありますが、この歌を省いたものが多いようです。
毎日新聞6月26日朝刊文化欄に「歴史迷宮解」と題して5段抜き写真入りの大きな記事がありました。(写真)
タイトル「神武天皇伝承と額田王」「謎かけ歌に浮かぶ常識・記紀の違い考える手掛かり」が目に飛び込んできましたので、取あえずPCに保存しておきました。記事を書いたのは佐々木泰造と云う方です。
佐々木泰造さんは「木国(きのくに)の負ふ名に爪付けわが背子(せこ)がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本」と読み下すことを提案されています。
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼五可新何本」の内、下の句「吾瀬子之 射立為兼五可新何本」は「わが背子がい立たせりけむいつ橿の本」と訓むことに大方の異論はないようです。
問題は上の句「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣」の訓みが全く解らないようです。
多くの先学が、知恵を絞って果敢にチャレンジしてきましたが、未だに万人が肯首する「定訓」と云うものがないようです。
新旧五〇種以上とも二〇〇種とも言われる「訓み方」が発表されています。
そのため、専門家でも解読を「放棄」する人や「解らないものは解らないでいい」と居直る人まで出てくる次第です。
この歌の訓・釈が如何に難解であるかは、その読み方だけでも50~200もあると云われているそうです。何か邪馬台国の所在地論争のようです。
以下にその読み方の例をいくつか紹介しておきます。
「莫囂圓隣之大相土見乍湯氣」=ゆふづきのやまみつつゆけ=夕月の山見つつ行け(豊田・新釈)
「莫器圓隣之大相土見乍湯氣」=みもろのやまみつつゆけ=みもろの山見つつ行け(茂吉・古義)
「莫囂圓隣之大相土旡靄氣」=かぐやまのくにみさやけみ=香具山の国見さやけみ(金子・評釈)
「莫囂圓隣之大相土見爪爪湯氣」=みよしののやまみつつゆけ=み吉野の山見つつ行け(尾山・国語と国文学)
「草囂圓隣之大相七兄爪湯氣」=さかとりのおほふなあさゆき=坂鳥の掩ふな朝雪(粂川・国語国文の研究)
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣=ふけひのうらにしつめにたつ=深日の浦西詰に立つ(宮嶋・雑記)
「莫囂圓隣之大相七里爪靄氣」=しづまりしかみななりそね=静まりし雷な鳴りそね(塩谷・万葉露のしづ枝)
「莫囂圓隣之大相士見乍湯氣」=まがりのたぶしみつつゆけ=まがりの田蘆見つつ行け(土屋・私注)
「莫囂図隣之大相士旡爪湯氣」=ゆふとりしはふりしづむる=木綿取りし祝鎮むる(谷馨・額田王)
「莫囂圓隣之大相七兄川湯氣」=まがたまのよそひななせのかはにゆららに=勾環の装ひ七瀬の川にゆららに(阪口・万葉林散策)
以下、何十種類以上の訓・釈があります。
義訓、誤字、脱字、誤音、衍字などなど苦心の跡が窺い知れるものばかりですが、どれとして万人が肯首するものが未だにありません。
新元号発表後、当ブログのアクセス数が急伸しました。アクセス解析で調べてみると2010年(平成22)7月10日にUPした「万葉集最大難解な歌 第1巻9(額田王の歌)」にアクセスしているようです。
今回、当時の記事を改編して再度UPします。
万葉集第1巻第9歌の題詞と本文
◎ 紀の温泉に幸しし時、額田王の作る歌 「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼五可新何本」
この歌は訓み方が定まっていない「万葉集中第一の難解歌」です。
訓み方が分からない事もあり、作者が古代史の超有名人「額田王」でありながらあまり取り上げられることがありません。「額田王」関連の出版物は沢山ありますが、この歌を省いたものが多いようです。
毎日新聞6月26日朝刊文化欄に「歴史迷宮解」と題して5段抜き写真入りの大きな記事がありました。(写真)
タイトル「神武天皇伝承と額田王」「謎かけ歌に浮かぶ常識・記紀の違い考える手掛かり」が目に飛び込んできましたので、取あえずPCに保存しておきました。記事を書いたのは佐々木泰造と云う方です。
佐々木泰造さんは「木国(きのくに)の負ふ名に爪付けわが背子(せこ)がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本」と読み下すことを提案されています。
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼五可新何本」の内、下の句「吾瀬子之 射立為兼五可新何本」は「わが背子がい立たせりけむいつ橿の本」と訓むことに大方の異論はないようです。
問題は上の句「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣」の訓みが全く解らないようです。
多くの先学が、知恵を絞って果敢にチャレンジしてきましたが、未だに万人が肯首する「定訓」と云うものがないようです。
新旧五〇種以上とも二〇〇種とも言われる「訓み方」が発表されています。
そのため、専門家でも解読を「放棄」する人や「解らないものは解らないでいい」と居直る人まで出てくる次第です。
この歌の訓・釈が如何に難解であるかは、その読み方だけでも50~200もあると云われているそうです。何か邪馬台国の所在地論争のようです。
以下にその読み方の例をいくつか紹介しておきます。
「莫囂圓隣之大相土見乍湯氣」=ゆふづきのやまみつつゆけ=夕月の山見つつ行け(豊田・新釈)
「莫器圓隣之大相土見乍湯氣」=みもろのやまみつつゆけ=みもろの山見つつ行け(茂吉・古義)
「莫囂圓隣之大相土旡靄氣」=かぐやまのくにみさやけみ=香具山の国見さやけみ(金子・評釈)
「莫囂圓隣之大相土見爪爪湯氣」=みよしののやまみつつゆけ=み吉野の山見つつ行け(尾山・国語と国文学)
「草囂圓隣之大相七兄爪湯氣」=さかとりのおほふなあさゆき=坂鳥の掩ふな朝雪(粂川・国語国文の研究)
「莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣=ふけひのうらにしつめにたつ=深日の浦西詰に立つ(宮嶋・雑記)
「莫囂圓隣之大相七里爪靄氣」=しづまりしかみななりそね=静まりし雷な鳴りそね(塩谷・万葉露のしづ枝)
「莫囂圓隣之大相士見乍湯氣」=まがりのたぶしみつつゆけ=まがりの田蘆見つつ行け(土屋・私注)
「莫囂図隣之大相士旡爪湯氣」=ゆふとりしはふりしづむる=木綿取りし祝鎮むる(谷馨・額田王)
「莫囂圓隣之大相七兄川湯氣」=まがたまのよそひななせのかはにゆららに=勾環の装ひ七瀬の川にゆららに(阪口・万葉林散策)
以下、何十種類以上の訓・釈があります。
義訓、誤字、脱字、誤音、衍字などなど苦心の跡が窺い知れるものばかりですが、どれとして万人が肯首するものが未だにありません。
ところが、少なくとも平安時代以前の日本では「本」という形の字は書かれていません。「富本銭」の例が有名ですが、もっぱら「大」の下に「十」と書く「夲」という形で書かれています。もちろん万葉集の古い写本もそうです。
佐々木記者は「大來目」がどうのと言う話もしていましたが、これも実際にはもっぱら「来」の形で書かれています。
文字の形を本に解読説を組み立てるのなら、せめて万葉集の写本ぐらい見ておけよということですが、活字本と漢和辞典だけの解釈では話にならないと言うことですね。
卓見、恐れ入ります。
100種以上の訓み方があると云う事は、どうにで訓めると云うことかもしれません。
管見ですが「額田王」の題詞と本文で「舞台設定」といいますか「シュツエーション」が目に浮かぶものばかりです。
そうすると、問題の9歌も恐らくその様な内容のものであったと思われます。
きっと、有間皇子の事件が背景にあってしかるべきでは・・・。
葛の葉さんのご意見を賜れば幸いです。
確かにそうですね。「茜さす」にしても「いささ群竹」にしても、情景と作者の視点が鮮やかです。佐々木記者の解読結果は、他の作品との落差がありすぎて、もしそれが本当なら、解読されない方が良かったぐらいのものです。
他の解読を読むと、まだそれなりの情感が感じられるのですが。
しかし、古代に実際にどのような形の字が書かれていたのか。正倉院展等々で文書を目にする機会があるにもかかわらず、内容だけに気を取られて、文字の形まであまり気をつけて見ていないことが多いのではないでしょうか。(私もそうでしたが)
「本」とか「來」とか、そんな字は古代に書いていないぞと言う常識が働けば、こういう説が出てくることはなかったでしょうね。
なお、この記事は全部で5回ぐらい掲載されていたもので、ご覧になった記事はその最後のもものなので、唐突な印象を受けられたかも知れません。「なぜそう読むか」の記事もかなり詳しく述べられていた気がします。
どうも失礼しました。
風に吹かれるのは群竹ではなく簾でした。
確かに家持のようです。気付きませんでした。
それより「ヘブライ語」の質問、お答えは頂けませんか?
昔「十戒」の映画で見た記号みたいなの、あれ以上の知識はないんですが、ただ、聖書のヘブライ語ならば、逐語訳で何となく分かったような気にしてくれるサイトは知っています。
ここは「今高15期3年4組応援ブログ」だったのですね。
意図せずに乱入してしまいましたが、私の上の兄が今高12期ですので、まんざら無関係というわけではありません。下の兄は今高ではありませんが、15期なのでamachan_001さんと同学年。共通点を分かち持つ二人の兄に免じて、お許し下さい。
また、北信太駅のご紹介ありがとうございます。葛の葉神社は駅の間近です。
知識人が窮地に追い込まれます。
万葉集だけでなく、古事記、ワカタケルの剣、木簡等も解読して正統な解読と確信しました。
額田王の詩と分類されて何時ものは史記ですとても高度な暗号で恋愛詩など有りません。
激動の影で朝廷を支えていたことが伺えます。
期日に漏刻の記載があり、製作詳細寸法説明
刻の知らせ方、、、、
これが公になれば学者の首が危なくなります。
寸法が記載されてて反論のしようが有りません。
額田王は3つの諡号があり、鏡女王(晩年、遺文用)、牽牛子(戒名=法名)
80才まで生きたようです。
700年又は701年
これが本になればと考えています。
今、話題の令和も解読してみました、前文は山之上憶良717年3月12日宴
3通りの解釈ができる詩
1 天武天皇をたたえる詩
2 スサノオウをたたえる詩
3 中国の伝説で老申死んでも死なない政争人のたとえ
偶然なのか?中西 進氏も理解していないと思います→兎道乃宮子能=兎道乃宮
解読しているようです。
本詩は文句の付けようがない詩です。
令和
春分の日には天武天皇の斎祭も終わり、都では薫風香る端午には元正天皇の大嘗祭は行われ玉珮を身にアララギを奉納うんぬん。