馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

道頓堀角座で漫才を・・・・。

2015年02月08日 | 大衆演芸
 協済組合から角座の入場券が届きました。以前あった角座は解体され、随分コンパクトになったライブハウスのような劇場になっていました。
出演者は漫才でトリを務めた海原はるか・かなた以外は知らない芸人でした。因みに漫才・シンデレラエキスプレス、マジック・ビックチツカサ、ギャグ連発・代走みつくに、漫才・ボルトボルズ、漫才・天然もろこし、漫才・ワイルドビッチの皆さんが出演しました。席数が120ほどの小ぢんまりとしているので芸人と観客の距離が近く、演者と客とのやり取りもあり和やかな会場の雰囲気でした。
トリを執った海原はるか・かなた

「トリをとる」という「トリ」は寄席の用語だそうです。興行収入を劇場側と芸人が按分して分け合っていて、芸人のギャラは最後に出る真打が全部受け取り、それを出演した芸人たちに分配をしていたことから、最後に出演した芸人がギャラをとることから「トリ」と言ったとか・・・・。
道頓堀戎橋南詰にある竹本座跡石碑
 道頓堀はその昔から芝居小屋や演芸場が沢山あった興行の街だったそうです。江戸時代には竹本義太夫が創立した人形浄瑠璃の竹本座もこの地にありました。竹本座はその後戎座、さらに浪花座に引き継がれていきます。
 嘗て道頓堀には道頓堀五座といわれる芝居小屋があったそうで、江戸三座と共に日本の大衆演劇のメッカだったそうです。
 当ブログが高校生の頃、昭和30年代中ごろは松竹系の興行が絶頂期で、特に角座の演芸は沸き立っていました。現在は劇場中継自体がなくなりましたが、当時は道頓堀アワーや松竹新喜劇などが週に何本も放映されていました。
 当ブログのような落ちこぼれの不登校学生には角座はまさに保健室のような避難所ででした。ダイマル・ラケット、砂川捨丸・中村春代はじめ当時の金看板の芸人が綺羅星の如く高座を務めていました。余りにも有名芸人が在籍したため、松竹系の若手は頭を抑えられて中々有望な若手が台頭しなかったとも言われています。その内、MANZAIブームが訪れると、破天荒ともいえる型破りの若手芸人が超売れっ子となり、吉本興業に天下を奪われてしまいます。そして、日本一の演芸場を誇った角座も吉本花月劇場チェーンにその牙城を奪われ1984年に閉鎖されることになりました。
 当ブログの記憶に間違いがなければ、高倉健主演の映画「夜叉」で、解体工事中の角座が登場したと思います。


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