新型コロナウィルス騒動で気の滅入る日々が続きます。そんな中で昨晩(3月11日)BSテレビ東京で映画「幸せの黄色いハンカチ」を放映していました。前々から気になっていたのですが、原作ピート・ハミルと言うテロップが今回はやたらと気になりました。ピート・ハミルがどういう人物なのかは全く知りません。ですから「幸せの黄色いハンカチ」の原作と言っても、山田洋次監督がその原作をどのように脚色したのかも全く分かりません。例えば戯曲シラノ・ド・ベルジュラックを新国劇が上演するに際して「白野弁十郎」とし、舞台を幕末の京都に移し日本風に改竄しながらストーリーそのものは原作に忠実に作り上げたものなのか、或いは原作のモチーフだけを残して全く創作に近い脚色をしたものなのか興味のある所です。
早速ネットでピート・ハミルを検索してみました。このピート・ハミルを恥ずかしながら僕だけが知らないようで、結構有名な作家のようです。しかし、一番知りたい「幸せの黄色いハンカチ」の原作そのものの情報が見つかりません。次々とネットサーフィンでやっと原作に辿り着きました。それは「Going Home」と言うタイトルだそうです。大阪弁以外日本語も心もとないので、況して英語などとんと分かりませんので、身近に多少英語の分かる人間がいますので「チョッと、これ訳して」とお願いしました。彼女の返答は「アメリカ版幸せの黄色いハンカチ」とのことです。それは分かっているんですがねェ・・・・。
思ったよりも遥かに短編で、「梗概(あらすじ)か?」と彼女に聞くと、「これが原作と思う」とのことです。彼女は「これリーダーダイジェストで読んだことがある」と言います。その後で分かったことですが、山田洋次監督もリーダーダイジェストでこの一文を読み映画「幸せの黄色いハンカチ」を思いついたそうです。
日本で「幸せの黄色いハンカチ」が大ヒットしたので本場アメリカでも「The Yellow Handkerchief」としてリメークされたようです。また昨年、阿部寛で「幸福の黄色いハンカチ」と言うタイトルでリメークされたようですが、やはり山田洋次監督作品と比較すべくもありません。
河出文庫「ニューヨーク・スケッチブック」が正月早々に届きました。改訂版最終章に「幸せの黄色いハンカチ」として収録されていました。
「黄色いリボン」と言えばまず思い浮かぶ子供の頃の思い出があります。
子供の頃、まだ戦後の混乱や貧しさが身の回りに沢山残っていた頃、ラジオから「バッテンボー・・・・バッテンボー・・・」と軽快なアメリカの歌が流れていたの思い出します。「ボタンとリボン」という歌です。訳も分からずに「バッテンボー、・・バッテンボー・・」と真似ていたものです。その頃、同じようにラジオから流れていたアメリカの軽音楽があります。西部劇「黄色いリボン」の主題歌です。
アメリカには伝統的に「黄色いリボン」を身に着けたり飾ったりする風習があるので、ジョン・ウェイン扮する騎兵隊員も首に黄色いスカーフを巻いているのだと思っていました。しかし、ネットで調べてみると騎兵隊が黄色いスカーフを巻いているのはそういう風習からではないのだそうです。ネットでは「南北戦争時代(1861~1865年)には、兵士らのユニフォームの色づけの規則として、Infantry(歩兵)は青、Cavalry(騎馬兵)はYELLOW、そして砲兵(Artillery)はREDという決まりがあったようで、 このうちの「Cavalry(騎馬兵)=YELLOW」という配色の仕方が、後の「黄色いリボン」につながったのではないかと考えられるかと思います」だそうです。
アメリカ合衆国で黄色いハンカチ或いはリボンが「何か願いを叶える」シンボルとして用いられた歴史は新しいという説があります。同じくネットでは「ウォーターゲート事件において選挙運動本部長であったジェブ・スチュアート・マグルーダーが逮捕・投獄され、彼の妻がポーチに黄色いリボンを巻きつけて監獄からの夫の帰りを待つ姿がアメリカのイブニングニュースで報道される。(1975年)」だそうです。1977年、山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」が劇場公開される。ピート・ハミルの原作が発表されたのは1971年のことです。そして、一躍「黄色いハンカチ」が全米に広がったのは1979年に発生したテヘラン米大使館占拠・人質事件で、人質の無事帰還を願って全米で「黄色いハンカチやリボン」が飾り付けられました。
どうやら、1970年代頃からの風習のような記事が多いようです。しかし、ピート・ハミルの「Going Home」以前にも似たような物語や言い伝えは在ったようですが、当ブログの感心もそれ以上のものではありませんので深追いをするのは止めておきます。
僕の身近にいる多少アメリカ文化に興味のある御仁が仰るには「ジョン・ウェインの黄色いリボン」は「SHE WORE A YELLOW RIBBON」でピート・ハミルやイラン大使館人質事件の際の表現は「Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree」と「WEAR(WORE)」から「TIE」へと変化しているのだそうです。・・・・・????
早速ネットでピート・ハミルを検索してみました。このピート・ハミルを恥ずかしながら僕だけが知らないようで、結構有名な作家のようです。しかし、一番知りたい「幸せの黄色いハンカチ」の原作そのものの情報が見つかりません。次々とネットサーフィンでやっと原作に辿り着きました。それは「Going Home」と言うタイトルだそうです。大阪弁以外日本語も心もとないので、況して英語などとんと分かりませんので、身近に多少英語の分かる人間がいますので「チョッと、これ訳して」とお願いしました。彼女の返答は「アメリカ版幸せの黄色いハンカチ」とのことです。それは分かっているんですがねェ・・・・。
思ったよりも遥かに短編で、「梗概(あらすじ)か?」と彼女に聞くと、「これが原作と思う」とのことです。彼女は「これリーダーダイジェストで読んだことがある」と言います。その後で分かったことですが、山田洋次監督もリーダーダイジェストでこの一文を読み映画「幸せの黄色いハンカチ」を思いついたそうです。
日本で「幸せの黄色いハンカチ」が大ヒットしたので本場アメリカでも「The Yellow Handkerchief」としてリメークされたようです。また昨年、阿部寛で「幸福の黄色いハンカチ」と言うタイトルでリメークされたようですが、やはり山田洋次監督作品と比較すべくもありません。
河出文庫「ニューヨーク・スケッチブック」が正月早々に届きました。改訂版最終章に「幸せの黄色いハンカチ」として収録されていました。
「黄色いリボン」と言えばまず思い浮かぶ子供の頃の思い出があります。
子供の頃、まだ戦後の混乱や貧しさが身の回りに沢山残っていた頃、ラジオから「バッテンボー・・・・バッテンボー・・・」と軽快なアメリカの歌が流れていたの思い出します。「ボタンとリボン」という歌です。訳も分からずに「バッテンボー、・・バッテンボー・・」と真似ていたものです。その頃、同じようにラジオから流れていたアメリカの軽音楽があります。西部劇「黄色いリボン」の主題歌です。
アメリカには伝統的に「黄色いリボン」を身に着けたり飾ったりする風習があるので、ジョン・ウェイン扮する騎兵隊員も首に黄色いスカーフを巻いているのだと思っていました。しかし、ネットで調べてみると騎兵隊が黄色いスカーフを巻いているのはそういう風習からではないのだそうです。ネットでは「南北戦争時代(1861~1865年)には、兵士らのユニフォームの色づけの規則として、Infantry(歩兵)は青、Cavalry(騎馬兵)はYELLOW、そして砲兵(Artillery)はREDという決まりがあったようで、 このうちの「Cavalry(騎馬兵)=YELLOW」という配色の仕方が、後の「黄色いリボン」につながったのではないかと考えられるかと思います」だそうです。
アメリカ合衆国で黄色いハンカチ或いはリボンが「何か願いを叶える」シンボルとして用いられた歴史は新しいという説があります。同じくネットでは「ウォーターゲート事件において選挙運動本部長であったジェブ・スチュアート・マグルーダーが逮捕・投獄され、彼の妻がポーチに黄色いリボンを巻きつけて監獄からの夫の帰りを待つ姿がアメリカのイブニングニュースで報道される。(1975年)」だそうです。1977年、山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」が劇場公開される。ピート・ハミルの原作が発表されたのは1971年のことです。そして、一躍「黄色いハンカチ」が全米に広がったのは1979年に発生したテヘラン米大使館占拠・人質事件で、人質の無事帰還を願って全米で「黄色いハンカチやリボン」が飾り付けられました。
どうやら、1970年代頃からの風習のような記事が多いようです。しかし、ピート・ハミルの「Going Home」以前にも似たような物語や言い伝えは在ったようですが、当ブログの感心もそれ以上のものではありませんので深追いをするのは止めておきます。
僕の身近にいる多少アメリカ文化に興味のある御仁が仰るには「ジョン・ウェインの黄色いリボン」は「SHE WORE A YELLOW RIBBON」でピート・ハミルやイラン大使館人質事件の際の表現は「Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree」と「WEAR(WORE)」から「TIE」へと変化しているのだそうです。・・・・・????
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