馬糞風リターンズ

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モルガンお雪

2013年01月25日 | 歴史
尾崎紅葉の「金色夜叉」では「ダイヤモンドに目がくらみ・・」恋人を捨てて資産家に嫁ぐ女性が描かれていました。1月20日は「玉の輿の日」だそうです。これは明治38(1905)年、アメリカの金融財閥モルガン商会の創立者の甥、ジョージ・モルガンが祇園の芸妓・お雪を見初め、結婚しました。お雪は「日本のシンデレラ」と呼ばれたことに因みます。
 日曜日(20日)朝、カーラジオから「今日は玉の輿の日だそうです」とパーソナリティーが喋っています。パーソナリティーは「恐らくお聞きの皆さん誰もご存じないと思いますが・・・」と「玉の輿の日」の言われ、そして「モルガンお雪」の話を得々と話しました。パーソナリティー氏は自分の番組で喋るため、様々な資料や情報を取捨選択して準備をするのでしょうが、1月20日が玉の輿の日を知っている人は恐らく「誰もご存じない」かも知れませんが「モルガンお雪」はむしろ可なり多くのリスナーは知っていたのではないでしょうか。僕の今高時代(昭和35年代)には越路吹雪主演のミュージカル「モルガンお雪」をはじめ舞台演劇では結構「モルガンお雪」が公演されていました。また、親の世代からや雑誌やマスコミなどでも話題になっていました。また、小説や講談、歌謡曲にもなっていて、パーソナリティー氏ご自身が「ご存じなかった」だけで「鬼の首を取った」ような「大発見」でもないと思うのですが。
 今でもネットで「モルガンお雪」と検索すると30万件以上がヒットします。
ユキと結婚当時の「ジョージ・デニソン・モルガン」と妹の「キャロライン」:ユキのよき理解者だったそうです。
パリでのユキ。犬が好きで2匹を飼っていたそうです。昭和13年、30年ぶりの帰国。靖国丸船上にて。
養女ナミ江と晩年京都でひっそりと暮らした。ユキ・妹スミ・母コトと

 「モルガンお雪」を題材にした小説は沢山あります。今でも入手できるものも少なくありませんが、多くはユキさんの追憶によると「殆どが作りモノ」演劇などは「まるでニワカやなァ」だそうです。世の中の人は「モルガンお雪」が莫大な財産目当てで恋人を捨てた…と言う悪女であってほしいのかもしれません。三好徹「妖婦の伝説」に収録されているように「毒婦」「悪女」「妖婦」と見立てた方が読み物としては面白いのかもしれません。戦後一躍ベストセラーになったのが長田幹彦の「モルガンお雪」、長谷川時雨・・・・などがあります。またはじめて報道した大阪朝日新聞(明治35年3月7日)の記事は「明治ニュース事典」(毎日コミュニケーションズ)全9のⅥで読むことができます。

 一番真実に近いものは小坂井澄「モルガンお雪 愛に生き信に死す」のようです。風評・伝聞に下司の勘ぐりの作り話ではなく、直接関係者に取材をし丁寧に事実を検証しています。

ユキは敬虔なクリスチャンで洗礼名を「デレジア」と言います。京都では衣笠教会や高野教会に通っていたそうです。実母コトを改宗させることを悔やんでいましたが、そんな母を思いやり「仏さんを大切に」と言い残したそうです。
 ユキの遺骨は「菩提寺同聚院」に収められていますが、女子カルメル会の修道院内の墓地に分骨埋葬されているそうです。これは修道女でもない者に対して異例の扱いだそうです。ユキの生前は絶対に秘密にされていたことで、ユキは教会に多額の献金をしており、衣笠教会の聖堂はその献金によって建てられたということです。また、死後残された莫大な遺産の多くは教会に寄付されたとのことです。
「降るアメリカに袖は濡らさじ」



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