馬糞風リターンズ

世ノ中ハ何ノヘチマトオモヘドモタダブラリト下ツテモオラレズ

美作・津山に行ってきました。

2015年09月12日 | ドライブ・旅行
9月11日(金)北関東や東北では大変な災害に見舞われていますが、西日本では久し振りの好天となりました。何かと気忙しい毎日でゆっくりと物思うことが無かったので日帰りのドライブに出かけました。岡山県津山市に向かいました。津山市は好きなところで年に何度か訪れます。
そのため、当ブログには何度か取り上げています。多くは「男はつらいよ」のロケ地めぐりの話題が多いと思います。
津山城は室町時代に守護大名・山名氏が鶴山城を築いたのが始まりですが、その後山名氏が衰亡すると城も取り壊されました。そして1603年(慶長8年)森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。、城地の名を「鶴山」から「津山」に改め新たに築城、それに伴い城下町を整備しました。森氏は四代続きましたが跡継ぎが途絶えたため1697年(元禄10年)森家は断絶します。以後、津山藩は越前から松平家が入封し明治まで九代続きました。しかし、津山の人たちは松平より初代藩主森忠政に親しみを感じているようで、城址内には森忠政を顕彰して像が建てられています。因みに森忠政は織田信長の小姓森蘭丸の異母弟です。

 今日は夏の名残の日差しと蜩の鳴き声、しかし空はめっきり秋めいて赤とんぼも飛び交っています。場内には彼岸花もちらほら、また萩も咲き始めています。


  
津山城の南麓にある津山基督教図書館(南面)。現在は森本慶三記念館として利用されています。内村鑑三の弟子森本慶三が、キリスト教文書伝道を目的として、大正15年(1926)に設立した我が国唯一の基督教図書館です。


 当ブログの亡き母親は熱心な内村鑑三の信奉者でした。15年前母が亡くなった時、内村鑑三関連の蔵書、研究資料を当館に寄贈する予定になっていました。所が書籍類の多くは既に収蔵されているものが多くありました。図書館側としては重複する書籍は研究者に貸出用として寄贈するように要望されましたが、在庫していない書籍数百冊と研究資料全部を寄贈しました。特に聖書の研究や無教会主義など展示物の中に見覚えのある小紙がありました。又展示品の中に内村鑑三が各地で開いた聖書研究会の記念の集合写真があります。その中に大阪で撮られた集合写真に当ブログの母親の父、即ち当ブログの祖父が写っている物があります。戦災で家財を消失して父親の写真を失くした母は何度かこの写真を見るために当館を訪れていたようです。
 因みに母の蔵書の残りは、太田夫妻のご尽力で地元の教会に収めることが出来ました。
当館に展示されている内村鑑三直筆の色紙

東京・多磨霊園  内村鑑三の墓

 また、太田夫妻から「聖書を読んだサムライたち」-もう一つの幕末維新史ー 守部喜雅;著 を貸してもらいました。意外な人が当時禁教とされたキリスト教の聖書を読んでいました。幕末維新史の隠れた秘史です。勿論、内村鑑三も取り上げられています。この本を読んで触発されて津山に行きたくなったのかもしれません。


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