馬糞風リターンズ

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サミエル・ウルマンの詩「青春」

2012年02月14日 | 雑学
「50年目の文化祭」が思いのほか盛況裏に終了しました。
4組の同級生から応援と激励のメールを頂きました。そこに「青春」の詩が書かれたHPのアドレスが貼り付けてありました。


青春 原作 サミエル・ウルマン(邦訳 岡田義夫)
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
いわく「驚異への愛慕心」、「空にきらめく星辰」、「その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰」、「事に処する剛毅な挑戦」、「小児の如く求めてやまぬ探求心、人生への歓喜と興味」。

人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、 そして偉大の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え。悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて、神の憐れみを乞うるほかはなくなる。

サミエル・ウルマンの「青春」を久しぶりに目にしてフット思い出したことがあります。
自民党の派閥全盛期、中曽根後継でまたぞろ生臭い政治劇が繰り広げられた時のことです。
何度か総理総裁になるチャンスを自ら固辞した二階堂進が、田中派を割って出た竹下登と対立して総裁選に立候補しようとして50名の推薦人を集められず無念の撤退をしたことがあります。
 本来、二階堂が田中派の正当なボスであるはずですが、時流は派を離脱した竹下に流れ、二階堂率いる田中派は「二階堂グループ」と準派閥扱いと凋落してしまいました。

当時、竹下は60代前半、二階堂は70代で竹下は政界若返りを唱えニ階堂の高齢を批難しました。
その反論として二階堂が引用したのがサミエル・ウルマンの「青春」でした。

サミエル・ウルマンの「青春」はマッカーサー元帥が座右の銘としたことでも知られています。
太平洋戦争のヒーローは大統領を目指しましたが宿敵トルーマンにその夢を阻止され議会であの有名な「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」を行いました。

マッカーサーほど話題性もないしドラマ性もない話ですが変に僕の記憶に残っています。