『「大欲は無欲に似たり」という言葉があります。お金がほしい、車がほしい、マイホームがほしいといった欲は、じつは小さな欲で、それに対して、人びとのために役立ちたい、人さまをお救いしたいという欲が大欲です。それは自分のための欲とは違って、言ってみれば無欲と同じことになります。
仏教では「欲を捨てる」大切さを説きますが、その教えのありがたさが分かってくると、社会のため、世界のため、人類のためというように、だんだん大きな欲が出てくるのです。
お釈迦さまのお弟子の阿那律尊者(あなりつそんじゃ)は、お釈迦さまの説法のさなかに眠ってしまったのを恥じて、自ら眠ることを禁じ、そのために視力を失ってしまいました。その阿那律が精舎で自分の衣のつくろいをするのに針に糸を通すことができず、「だれか、私のために糸を通して功徳を積む人はいないだろうか」と呼びかけると、「私に功徳を積ませてほしい」と申し出た人がありました。それがお釈迦さまだったのです。
そして、そのときお釈迦さまは「私ほど福を求める者は、ほかにいないだろう」とおっしゃられているのです。お釈迦さまは終生、より大きな幸福を求める修行に徹しられたのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より
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