ある教団では「利口(りこう)になれ」と教えるそうですが、私は、いつもみなさんに「ばかになれ」と申し上げています。どちらも行きつくところは同じなのです。
世間一般でいう利口、いわゆる物知りとか、うまく立ち回るといったことをもって利口というので問題ですが……。
いわゆる、たくさん本を読んだり、いろいろな情報を仕入れた物知りならば、世間にはいくらでもいます。しかし、そういう人が増えると、どうしても理屈ばかりが多くなって、なにごとに対しても自分の主張ばかりして譲らず、かえって問題の解決が困難になってしまうのです。
私は、菩薩行とは自分を捨てないとできないものだと思っています。どっちが得か損かと計算する心や、小才があっては菩薩行はできません。このせちがらい世に自分のことは忘れて他を思うといった行為は、利口な人にはできないのです。ですから、利口になろうとする人よりも、黙々と人さまのために働く人のほうが、はるかに尊い存在だと思うのです。
自分の愚かさを知り、大愚(たいぐ)に徹することのできる人、それが真の智者です。
庭野日敬著『開祖随感』より
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