『いくら努力しても、人は自分のことを正しく評価してくれないと不満をもらす人がいます。その不満で、やる気をなくしたりヤケを起こしたりしたら、自滅の道をたどることになってしまいます。
そこのところで、ちょっと見方を変えて「では私は、人のことをどれだけ認めてあげていただろうか」と考えてみてほしいのです。あらためて自分を振り返ると、自分も人のことをあまり認めてあげていないのですね。
人に認めてもらいたかったら、人を認められる自分になるほうが先です。
その心のゆとりが持てると、人の目を気にして一喜一憂することがなくなります。人に認められようが認められまいが、気にならない。自分のなすべきことに黙々と励み、喜んで人さまの下積みに徹していられるようになってきます。
いつも申し上げるように、信仰者の安らぎは仏さまがすべてご照覧だという安心感にあります。樹木の根は見えませんが、下に深く根を下ろせば下ろすほど幹や枝葉は上に伸びていきます。無理やり人の目を自分に引きつけようとするよりも、自分が大きく育っていけばいいのです。高くそびえる木は人の目を引かずにいないのですから。』
庭野日敬著『開祖随感』より
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