『人の苦しみの大部分は、この先どうなるか分からない、という不安感がつくりだすものといっていいでしょう。
たとえば子どもが四〇度もの熱を出してひきつけたりすると、「もしものことがあったらどうしよう」と動転して悪いほう悪いほうへと考えてしまいます。「いや、心配ありませんよ」とお医者さんが診断してくれると、とたんに苦しみは半減します。
個人のことだけではありません。いま社会全体が大きな変動期に直面して、さまざまな不安が次々と起こり、お先真っ暗の思いでいる人が、たくさんいます。
お釈迦さまは、「教えを聞いた者と聞かない者との違いはどこにあるのですか」と問われて、「苦受の第一の矢を受けた上に、嘆き悲しみ混乱して第二の矢を受けてしまうか、一の矢は受けても第二の矢を受けることがないかの違いである」と教えられています。
第二の矢は、自分の不安がつくりだすのです。どんな事態に対しても、その苦をまっすぐに見すえて心を大きく揺るがせることがなければ、かりに第一の矢を受けても、傷はごく浅くて済みます。受けた矢を逆に飛躍の契機にしていくことができるようになるのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より