四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

3か月ぶりの句会

2020-06-12 16:26:32 | 生かされて今日

 月例の句会は新型コロナのために3か月間開催できませんでした。昨日ようよう感染防止策を守ることを条件に、先生、句友とご対面となりました。

密集を避けるために、従来よりバカに広い部屋となり、会場費もアップです。

次の利用者のため換気するので15分前には会場を引き上げるようとのお達しです。

 旦那様の看病のため家を空けられない方、黒南風で足のわるい最高齢男子の二人は投句だけとなりました。おひとりの婦人が見学で来てくれました。

 珍しくちしろ先生が私の3句を取っていただいて嬉しいことでした。

 

〇つる薔薇の百が雪崩れて来たりけり  駿

〇桑の実や島の遊びをひとくさり    駿

〇待ってーと庭の花にら束に持つ    駿

〇そよ風は小さな祈りねむの花     ちしろ

〇道連れはかすかな狂気朴の花     ちしろ

〇脳だけが活きててる夜中あげ羽舞う  かづ

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闇にともしびを

2020-06-12 05:38:50 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『江戸時代の有名な儒者だった佐藤一斎に、「一灯を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一灯をたのめ」という言葉があります。

時代の流れが大きく変わるときは、真っ暗闇の夜と同じで、何か手がかりが欲しくなります。

 それで、あれこれ新しい情報を求めるのですが、結局、それに振り回されるだけに終わることが多いのです。目先の動きに目を奪われて、長期的な見方ができなくなってしまうからです。

変動がはげしいときほど、頼める一灯を持たなくてはならないのです。

 日蓮聖人は、「木の根が深ければ枝葉は枯れず、水源に水があれば流れはかれない。薪がなくなれば火は絶え、大地がなくては草木は生長することができない」と教えておられます。

 どっしりした基礎を持たなくては、いくら最新情報を集めてみても、何をどう変えればいいのかさえ分からなくなってしまいます。行く先ばかりを見定めようとあせらず、まず足元を定めなくてはなりません。』

                          庭野日敬著『開祖随感』より

 

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