『以前、子どもさんを亡くした家にご供養に行ったとき、「観世音菩薩普門品」の「童男・童女の身を現じて為に法を説き」という一節で涙を抑えられなくなったことがありました。子どもの死は親に菩提心を発させるためであるという言葉が、このときほど身にしみたことはありません。観世音菩薩の観の字は、ものごとを判然と見分けることであり、世音とは世の人びとの声、つまり大衆の悩みや願いのことです。私たちも観世音菩薩のように、その人その人の悲しみを聞き取り、相手に応じて三十三身を現じて法を説かなくてはならないのです』
6月末に俳句仲間の男性が逝かれました。心筋梗塞、米寿でした。
奥様を先に失い秋田生まれのおだやかな紳士でマンションに一人暮らしでした。息子さんは3人おられたそうです。
翌7月句会では彼の席に、あるご婦人のお庭で摘んだクチナシやほうずき、桔梗などが花瓶にあふれ、心の籠る般若心経の写経がひろげられていました。
町内会長など奉仕され、彼のお陰で俳句に二人が出会って感謝されていました。
私はたびたび新米を頂戴しておりました。句会みんなで黙祷を捧げてお別れをいたしました。帰宅してお経をあげ、彼の句やエッセーを読み直しました。合掌
「花と写経永眠の席につゆ晴れ間」 駿
2023年も半分が過ぎました。戦争と疫病とを3年を越えて引きずり、混沌模糊とした暮らしでした。せめてわたしの俳句で憂さ晴らしをお願いします。
春隣追ひ抜いてゆくピンヒール
ひと掴み増やしてくるる和布売
うすら陽に散り侘助の六つ五つ
金屏風わたしに動く雛の目
高階の妻へ手を振る花の中
花ぐもり卓に『夫の後始末』
吹かれてはさざ波となる落花かな
帰り道つつじの坂は発火点
手びねりの碗の和えもの春惜しむ
予備校も塾もぶきつちよ四月くる
われに動く生簀の鯒(こち)の目玉かな
結露にのこるへのへのもへじあたたかし
私はロシアのプーチンの顔がテレビに映るたびに、憎しみがむらむらと沸き上がり、棍棒で頭をかち割りたい衝動に駆られます。
ブルゴジンなる戦争、殺人を仕事にする考えられない一団にもヘドが出ます。つまり、戦争を憎むがゆえに憎しみのとりこになるのです。「自分の正義の為には戦争をしかける人間」となるのです。
過日、立正佼成会の学習会でその心では又又戦争を繰り返す戦前の日本にする、またその憎しみこそがお釈迦さまの五戒の第一番目である「不殺生戒」を犯すもの、さらに戦後日本国の支柱である平和主義に反するものだと教えられました。ハッと気付かされました。
法華経の「常不軽菩薩品第二十」は、「あらゆる人間」の仏性を礼拝された釈尊を範としなければ、世界平和は来ないと教えております。
近代文明は高度に進んでも、戦争は相変わらず地球から絶えません。地球を壊しホモ・サピエンスも自業自得で抹殺する愚かな人間ではいけないのです。
この人は尊重するが、あの人はさげすみ抹殺するでは仏教徒ではないのです。
戦争を避けるにはまず自分が「平和な人間になる」ことが不可欠なのです。そうしなければ、「自分の正義のためには戦争を肯定する人間」になるでしょう。反省して努力せねばと思いました。
【日本文芸讃歌】
昭和28年ラ・サール高入学の福永耕二先輩は俳人・水原秋桜子の「馬酔木」編集長で俳人協会新人賞を得て大いに期待されました。が42歳で早世、お目にかかれませんでした。
氏は高校時代から俳句文芸に親炙されたそうで魅力の先輩でした。お目にかかれたら焼酎を一晩傾けてと残念です。
雲青嶺母あるかぎりわが故郷
陽炎につまづく母を残しけり
白南風や帰郷うながす文の嵩
新宿ははるかなる墓碑鳥渡る
私は保険会社勤めの50歳から、日本文芸、蕉門の俳句、俳文にのめり込んでおります。文学や音楽、宗教などは軟弱で役に立たぬと思い込んでいた未熟さを大いに後悔しております。
退職後、蕉門の句集や俳文、万葉集、枕草子、古今和歌集、和泉式部日記など大学や街の先生の講座で学び、住んでいる横浜金沢区(鎌倉文化圏で称名寺や国宝多数を擁する金沢文庫があり、兼好法師が住んでいました)の歴史を教えていただきボランテァガイドを十年いたしました。今年はNHKの「鎌倉殿の十三人」で脚光を浴びることでしょう。
今、「俳句の伝道師」と揶揄され、5つの句会(「あかざ俳句会」「若葉台カルチャー句会」等)で指導させて頂いております。
「病院より句会に行こう」を標榜、日本伝統の文学に気づき、句会や吟行等に参加、憂き世の錆を落とし心の開放をお勧めしております。
俳句は庶民の歌、誰でも芭蕉翁の遺伝子を持っています。死ぬまで学べる俳句をお勧めするわけは次の通り。
①大自然の四季とともに暮すよろこび。②日本の伝統に触れるよろこび。③感動を言い止めるよろこび。
④語彙が増えるよろこび。⑤ひとの共感を頂くよろこび。⑥友達がふえるよろこび。
追伸 「無からん無からん故人無からん」と王維の陽関の詩を吟じられた漢文の先生、ソルボンヌ大学出の先生からフランス語を初めて習ったこと。
人間は一本の管だよとスッタン山口先生、平山先生、ついて行けなかった微分解析の菊池先生。猶野先生、早坂先生、佐々木先生、ブラザー・アンドルー懐かしいです。 合掌。
『仏性開顕と簡単にいいますが、どうしたら仏性を開顕できるのかです。
まず、「私は仏の子だ」と自分に言い聞かせて、心からそう思い込んでしまうことです。すると、もう怠けてなんかいられません。腹が立ったなどと、ふくれているわけにもいきません。
心理学のある先生が、「善い結果を考えると善い結果が、悪い結果を考えると悪い結果がもたらされる。潜在意識が、心に思った結果につながるチャンスを捕らえるからだ」と言われています。
「外相整えば、内証おのずから熟す」という言葉があります。森田療法という、神経症の治療法の創始者である森田正馬さんが用いた言葉ですが、装いを整えて威儀を正すと、それだけで「みっともないことはできないぞ」という心になってくるものなのです。
「私は仏の子なのだ」という自覚を持つと、どんな無理なことを言う相手に対しても、笑顔で、「この人にも教えを分かってもらわなければ」という慈悲心で接することができるようになってくるのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より
京浜急行の終着駅、三浦半島の三崎口駅からバスで三崎魚港へ参りました。メジャーな鎌倉と違いマニアックな好みの地域です。
五月晴れの舟遊び、海の景色、城ヶ島灯台や新鮮なまぐろや大根、キャベツ、鎌倉時代の有力軍団・三浦一族の本拠地です。
金網の向こうでクレーンが船からなにか白い棒状のものを陸揚げしていました。ななんと冷凍マグロの上陸です。人間よりも太った鮪がごろごろ吊り下げられていました。
世界のどこの海を回遊していたのでしょうか。サメと同じ様に高速で泳がなければ死んでしまうらしいです。
横付けの冷凍トラックで運ばれてゆきます。どなたの口を喜ばすのでしょうか。鮪は冬の季語です。
「大まぐろの束の荷揚げや五月晴」駿
立正佼成会横浜教会の信仰仲間が3年ぶりにご本尊釈尊像のおん前に集まりました。まだ、コロナ防疫のため各支部10名の限定ですが、なつかしいお顔が次々に来られて感動しました。
マスク越しながらしあわせを確認しあう姿があちこちに、人の輪が生まれています。この3年を信心で乗り越えた悦楽の花が咲いていました。
奥さまをガンで亡くされたヤング壮年、妻を車椅子に押して参拝される方、よろける足弱の老婦人をささえて車から来られる方々、赤ちゃん連れのご一家、当選された議員、落選された方も。
コロナで苦しんだ友も復帰できコーラスを披露しました。
生活は悲喜こもごも千差万別ながらご本尊釈尊、教えを説かれた庭野日敬開祖への敬愛感謝は一緒です。
10階建ての横浜教会普門館(横浜駅西口)は名もなき多数の信仰者の浄財(布施)で建てられいます。おそらくはほとんど鬼籍にはいられている先達の血と涙の布教伝道のお陰さまです。
今日は私の母の月命日と妻からメールが参りました。ありがとう。
『商売でも、どうしたら売れるようになるかではなく、買ってくださる人の気持ちをいつも考えられるようになれば成功間違いなしだ、といわれます。
人と人の関係の極意も、そこにあるのですね。それが、初めはみんな逆なのです。自分の考えだけが正しいと相手に押しつけてしまう。自分の意のごとくならないと気が済まない。これを自分勝手というのです。それでいくら力んでも、まわりは自分の思いどおりにはなりません。
大船にある植物園に牡丹と芍薬とを鑑賞に参りました。終戦後の闇市から大きくなったという駅前市場を抜け、柏尾川沿いに徒歩20分、大船フラワーセンターへ。大船観音の山にはフジの花が垂れ下がっています。
柏尾川中央の小石に亀が甲羅干して春うららです。牡丹園へ直行します。
「花の王」の豪華絢爛なようすを楽しみました。原産は中国。
なお、桜はチベット近郊が原産地とか聞きました。西へ伝播した桜は実(チェリー)を楽しみ、東へ伝播の日本では花を愛でる国民的習慣に。
少し小型の芍薬は可憐な蕾が揺れて素敵です。蕾はにじむ液で濡れていて、蟻ん子が吸っています。濡れたところが光を放っていいですね。
牧野富太郎はかせの様に眼前にして観察して回りました。
なにせ「ぼたんの花と芍薬」とを思いのままにできて、「よくぞオトコに生まれけり」でした。藤のフサも風に揺れまさに春の本番。
戦争をしない日本のありがたさがジンときました。
東銀座の歌舞伎座の5階に空中庭園があり、誰でも一休みできます。一階正面の右側の裏側に下りエスカレーターがあり、地階へ。
歌舞伎にちなむ記念品や弁当、菓子をあきなう店、喫茶店、切符売り場でにぎやかです。
その奥に高層ビル用のエレベーターがあります。空中庭園は5階。上の階には医院群があり驚きました。
陽がさんさんと降る庭園にはシャガの花や青楓が。阿国(おくに)櫻はすでに散っておりました。前代の鬼瓦が2つ置かれ、鳳凰マークの由来が書かれています。
緋毛氈の縁台に坐り足を投げ出しました。銀座にこんな安らぎが隠れているなんて素敵です。銀座はすでに初夏の日差しでした。
3月27日皇居坂下門の行列に並びました。3回も持ち物検査等のチェクを受けました。風流人もテロを警戒する皇宮警察や公安の威圧に少々鼻白むものがありました。エトランゼも並んでいます。マスクの強制はありません。
二重橋広場はかって日米安保条約に反対するデモ隊と警視庁機動隊が激突した所。お上りさんの頃、はとバスで記念撮影したことを思い出します。案内してくれた早稲田角帽の従兄弟は惜しくも亡くなりました。
宮内庁ビルをかすめて乾門までお濠にそって満開のサクラ、芽柳、松の花、山吹の花が揺れて最高の気分です。新宮殿や道灌濠、石垣の上には松の廊下阯。さすがに皇居は広くて枝振りのよい松の木が多いです。
天皇さまに吹く風と同じ風が美しい芽柳を揺らしています。多くの人達が写真を撮りつつ歩きます。乾門をでて千鳥ヶ淵へ。真向かいにそれはステキな煉瓦の建物が。大学の校舎かなと思わせる瀟洒な建物です。昔の近衛師団司令部だそうです。
国会議事堂に近い千鳥ヶ淵のしだれ櫻がいいですね。異国の家族と糸桜の下のベンチに一休み。戦争だけは人智の力で阻止しなければ地球が滅びますよね。
『アメリカでの調査で、「日本製品は非常によい」と答えた人が73パーセントだったのに、「好きな国」となると、カナダの94パーセントに対して、日本は61パーセント、ヨーロッパ諸国に比べても極端に低いという結果が出たそうです。
日本製品への評価もさることながら、世界の人に好かれる日本人になる努力が、より大切なのではないでしょうか。
茅ヶ崎駅南口から雄三通りを海に向かって歩くこと15分、氷室つばき園があります。
財界で活躍された氷室さんの住まわれていた邸宅が庭園つきでそっくり市へ寄贈され、無料で庭が開放されております。湘南海岸が指呼の間で庭にサーフボードが置かれている家もありました。
高き松の木々や椿の花、土佐みづきやバラなど春の草木が癒してくれます。お住まいの家も歴史的文化財で、広い縁側やガラス戸、大きな岩のたたきなどレトロな雰囲気でした。
縁台にくつろげば、松風に囀り、ひょつとすれば潮騒も耳に快い気分です。明治生まれのわが父母と一緒にいるように感じました。
茶道家の好む侘助、散っているわびすけも眼前にできました。母親を車椅子に押す婦人も庭園を巡っていました。様々な自然の造形美を堪能、まるで美術館にいる一日でした。
「美術館に似るつばき園のひと日」駿
『「妻の前で、間違っても他の女性のことをほめないことにしているんです」と言う人がおられました。ご主人のお母さん、つまり奥さんにとってはお姑さんの料理をほめても、奥さんが自分へのあてつけのようにとって、ひがむというのです。