のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

9階で繰り広げられるショー

2008-05-21 | KA
 代役の日の今日、9階に誘われたので、行ってみることにしました。
 ショーが始まりもう舞台裏が暗い中、言われた螺旋階段を4階から一番上まで上がると、さらに真っ暗な世界が広がっていました。細い道の両脇にある、細い青の光を頼りに先に進むと、一番端に人が座っているようです。「あ、ノリコだ。」と声を掛けてくれて、ようやく自分の進んでいる方向があっていることが分かり安心しました。そこは本当に真っ暗で、舞台も網目から少し見えるだけでした。「ディープになったら向こうに行くから。そうしたら少しショーが見えるから。」
 双子の女の子と乳母が来ると、安全ベルト、ハーネスを確認して中央に向かいました。そこにはディープ用の穴が二つ開いていて、ハーネスにケーブルを着けた二人は、その穴にある梯子をつたわって下りて行きました。それにしてもよくこの暗さで作業ができます。
 私の踊っている舞台の位置を0とすると、そこから上は30メートル、下は15メートルの深さがあります。彼女達は、ほぼ一番上から一番下まで下りて行くので、梯子から離れ、“海の底に沈んで行く”と本当に小さく見えました。
 ケーブルはアーティストの両脇に2本着いています。上ではリガーがその2本のケーブルを両手に持ち、アーティストの動きを見ながら操っていました。
 二人が戻ってくると、ハーネスからケーブルを外し、それを触らせてくれました。「こんなに細いケーブルで吊られているんだよ。」直径5ミリぐらいの細いものでした。
 ディープのシーンの後は、15分から20分ぐらい何もないと言います。それまでどこかへ行って、また戻ってきてもいいと言われましたが、彼らが何をしてその時間を過ごしているのか見たかったので、一緒にそこへ居ることにしました。
 元の場所に戻ると、もう一度同じことを言われました。だから私は「みなさんがどういう気持ちで待っているのか体験したいので、ここに残ります。」と言いました。そして、その時間は本当に何もなく、暗い中黒い服を着た人々が、ただ座ってほとんどしゃべることもなく、時間が来るのを待つだけで、みなの様子を見ていると、おかしくて思わず笑ってしまいました。
 私は初めてここへ来たので、何もかもが面白いですし、ディープの為の穴から舞台を覗いていても、面白そうですが、毎日ここで何年も仕事をしている彼らには、そいうことももう面白くはないのでしょう。トレーニングルームへきてウエイトトレーニングをしている人もいたので「ここへ持ってきて、この時間にやったらどうですか。」と言うと、「前はそういうこともしていたのだけれど、禁止になってしまった。」と淋しげに言っていました。
 「ここの仕事は、アーティストにもほとんど会わないし、つまらないよ。会うのはさっきの二人とヨークだけ。」「ヨーク?」どうして黄色い服を着たカウンセラー役のヨークに会うのかと思うと、キャプティビティの最初の部分に降りて行くとのこと。確かに、そういうシーンがありました。
 何もできずに時間が過ぎるのをただ待っているだけというのは、ある意味根気がいることで、忍耐強く辛抱強くなくてはいけません。これもまた大変なことです。割り当てられる仕事は日によって違うようなので、ここに割り当てられた時は、この時間をじっと我慢して待つしかないようでした。
 次の彼らの出番は、山のシーンでした。6階か7階に吊り下げられているテントの上の9階は大きく穴が開いていて、そこへ移動して下を覗きました。キャットウォークからテントに移るアーティストの姿が見えました。そして、乳母が山の上に上がり、その後に山の人たちがロッククライミングをする時に着けている縄の先が、この9階にありました。一人がモニターを見ながらその縄を調節し、左右に分かれた二人がそれぞれ一本ずつの縄を引き始めます。他のケーブルは機械で動いていることでしょう。こんなにシンプルに人力で動かしている部分があるとは思っていなかったのでびっくりしました。
 ビックリしながらキョロキョロしていると、いつの間にかヨークは待機をしていました。そういえば、ヨークの乗っているものはいつも一階の下手に置いてありますが、あれはどうやってここへ運ばれてくるのでしょう。どうしてそこへ置いておかなければならないのでしょう。長時間吊り下げておくには重すぎるのでしょうか。
 それからは、先程のようにただ待っているということはなく、みなさんが細かな作業をしているようでした。
 バトルフィールドのベストはこの9階に用意されていて、ベストをケーブルの先にかっちりとはまるようにではなく、挟むようにして吊り下げていました。舞台にベストが下りて行き、アーティストがそのベストを取る時に簡単に外れるようにしているとのことですが、もしも、の時を考えると少し怖くなりました。
 バトルフィールドが始まると、頭上にある機械が動き始めました。アーティストが手にしているリモコンによりこの機械が動き、彼らは上下できるようになっています。モントリオールでリハーサルをしているときはこの機械がバトルフィールド用舞台の真後ろの床に置いてあり、とても高価なものであると聞いたことを思い出しました。
 上から見るとケーブルがたくさんあることが良く見えます。そのたくさんのケーブルが絡まらないように、ここでも二人のリガーが真下を見ながら操っていました。その姿は、まるでハープを弾くかのように見えました。
 エピローグが始まると、花火の時は危険だからと、出口まで案内して頂き、帰されました。「またいつでも来ていいよ。」今日は久しぶりにまた違ったショーを見ることができ、発見がたくさんある楽しいひとときでした。

ホテルに置いてきた?

2008-05-20 | KA
 休暇明け、みんなの顔は生き生きとしていました。それぞれに楽しい休暇を過ごしたようです。ただ中国人の皆さんは、この一週間は大変な一週間だったようです。全体のミーティングの時に中国人アーティスト全員が立ち上がり、バイグーが少し声を震わせながら地震のことを話しました。そして私達は寄付金を募ることにし、今日のショーは中国の方々に捧げようと決めました。
 バイグーとはその前にも話をしていました。彼はとても思いやりのある人なので、誰よりも心を痛めているようでした。私は彼と中国のみなさんのことを思いながら一回目のショーをしました。
 二回目のショーの準備をしていると、アーティスティックコーディネイターに会いました。そして本日訪れている元アーティスティックディレクターが、「ノリコはスカートを持ったり置いたり、また持ったり、忙しい過ぎる。」と指摘したことを話しました。
「どうするか考えるから。」 
 と言いながら彼女は立ち去ろうとすると、また立ち止って
「あ、すぐに出来ることがあるわ。影絵で下りて隠れている時にスカートを着けてみて。そうしたら手荷物が一つ減るでしょ。そしてキャプティビティの時はスカートを持たないで出てきてくれる。」
「スカートを持たないで出て行くのですか???」
「そう、スカートは…ホテルに置いてきてしまったことにしましょう。」
「????」
 その後のスレイヴケイジで、スカートを着けて出て行かなくてはならないことを考えて、ステイシィとどうしたらつながるのかあれほど悩んで出した答えが、いとも簡単に「ホテルに置いてきたことにしましょう。」と、片付けられてしまいました。父役のチーフアーチャーがいなくなっても、「あなたの役は、チーフアーチャーの娘役で変わりませんから。」と言われたことと同様、これもそれを聞かなければ分からないことでしょう。
 その後たまたまステイシィに会ったのでそのことを話すと、彼女も一瞬唖然として
「物語のことを考える人がいないから、一緒にあれほど考えたのにね…。まあ、しょうがないわね。やってみて。」
 と。
 影絵で下りた時にどうしてスカートを着けるのか、私はその意味を考え、座った姿勢でスカートを着ける練習をしました。あまり上手くはいきません。キャプティビティの時は双子の男の子とのタイミングが変わるので、男の子役の彼女に変更を伝えました。
 いつもショーの前に突然変更を伝えられるので、何度も練習してからでないと安心できない私は焦ります。持ち物が増えた時と同じように、「これでいいんだよね。」と何度も確認してから舞台に立ちました。

金魚くん達は住みやすく

2008-05-19 | 日記
 先日頂いた花は、少し大き目の花瓶に入っていたので、金魚くん達をそちらの花瓶に移し替えてあげました。広々とした中を泳ぐ金魚。そして、金魚くん達に食べられて小さくなってしまった水草は少しかわいそうに見えたので、今日は新しい水草を買って入れてあげました。今回は買ってきたものを全部入れてもまだ泳げるスペースがありました。水草の色も鮮やかで、金魚も映えます。

 今日はとても暑く、街にある温度計を見ると106度を示していました。摂氏41度。早々と40度を超えてしまいました。まだ5月というのに、この先どうなることでしょう。

 ガソリンの価格は外に出ているので、その値上がり方の様子は目の当たりにできます。ところが今日、お米を買おうと値段を見ると以前より7ドルも値上がりしていました。この先もっと値が上がるのかもしれませんが、今日は思わず買うのを止めてしまいました。明日から社員食堂も全てが有料になるので、お弁当を持って行くつもりです。暑さと共に少し厳しい時になりそうです。

2008年5月ドライテック

2008-05-18 | KA
 休暇明けの恒例、ドライテック。アーティスト抜きの通し練習に参加させて頂きました。
「朝飯前でしょ。」という言葉を思い出し、これからどうしていくのが良いのか考えながら、身体を動かしていました。答えはそう簡単に見つからないことは分かっています。でも、いろいろ考えながらできることはいいことです。
 久しぶりの緊張感。今日は思い切り良く、気持ち良く身体が動きました。次の休暇まで、また良い日々を過ごせそうです。

キャンモアから帰路へ

2008-05-17 | 旅日記
 ここのB&Bは、朝食が冷蔵庫に用意されていて、自分たちで好きなものを好きな時間に食べるようになっていました。洋ナシ、リンゴ、オレンジを皿に盛り付け、父と私はイングリッシュマフィンを、母はマフィンを、紅茶と共に頂きました。
 支度が早く済んだので、近くにあるグラッシー・レイクを眺めて帰ることに決め、上に住む家主にご挨拶に行きました。すると湖に行きたいのなら歩いて行けるところにもあると言います。10分も掛からないと言うので、そちらへ行ってみることにしました。
 歩き始めるとすぐに湖の様な池の様なものがありました。「もしかしたらこれかな、今は水がないけれど、夏になると水がたまって泳げるのかな。」などと言いながら、とりあえずもう少し、遠くに見える看板まで歩いてみることにしました。
 土手の一本道のようなこの道は、正面に雪のかぶった高い山がそびえ立ち、朝の空気はすがすがしく静かで、歩くにとても気持ちの良い道です。
 看板の近くへ行くと『Quarry Lake』と言う文字が見えました。
「やっぱりちゃんとあったね。」
 左へ、木々の間の細い道を通り抜けると視界はパッと開け、かわいらしい湖、凍っていない湖が現れました。周りは一周歩けるようになっています。みんなが泳ぎに来るというのが分かるような湖でした。
 小さな湖には山々が映っていて、静かな景色の中、犬が湖を泳ぐ音だけが鳴り響いていました。湖とそれを囲む山々を眺めながら帰路に着く前、最後のひとときを楽しみました。
 さて、いよいよ空港へ向けて出発です。カルガリー空港まで約一時間半、100km少しの道のりです。いつものように左右に山々と、所々に湖が現れる道をしばらく進むと、ついに雪のかぶった高い山とはお別れになりました。その先は、どこまでも真っ直ぐな道をひたすら西へ向かいました。
 手元には広域の地図しかなく、1号線から2号線へは、日本でいう高速道路のインターチェンジのようになっているのかと思っていると、1号線は突然のように街の中へ入り、工事中の箇所が多く、狭く走りにくい道を進みました。すると又、突然のように広い道になり、無事に2号線にのることができ、少し心許ない標識を頼りに進むと、何とか空港へ着きました。
 レンタカーの返却は簡単に済みました。全走行距離758km。
 カルガリー空港も、モントリオール空港と同じように、ここでアメリカへの入国の手続きをするようになっていました。少し長い列がありましたが、早目に着いたので焦ることもなく、入国審査も問題なく済みました。
 ゲートはすぐそこで、搭乗までたっぷり時間は残っていました。でも、シアトルでは駆け足で乗り換えです。昼食をとる時間がないだろうと、少しお腹に何かを入れることにしました。それでも時間は余っています。
 ゲートには、搭乗一時間前になっても飛行機は着いていませんでした。30分前近くになった時、遅延があるか確認に行きました。すると、35分遅れの標示。もともと、日本行きへの乗り換え時間は50分しかありませんでしたから、このままだと15分で乗り換えなければなりません。もし乗れなかったら、日本行きの飛行機は明日までないでしょうから、私もシアトルで泊まらなければならないことでしょう。カウンターに人が来るのを待って確認をし、あとはどうにもならないので、ゆっくりと、それ以上遅れないことを祈って待つしかありませんでした。
 飛行機は1時にゲートに到着しました。乗客を降ろして、乗客を乗せ、35分遅れで飛び立ちました。飛行所要時間は当初の予定より短いようなので、どうやら間に合いそうです。
 窓の外には、雄大なカナディアンロッキーの山々が広がっていました。この5日間、たくさんの山を通り抜けてきましたが、ここから見るとそれはまだまだほんの一部であったことが分かります。右にも左にも悠々とロッキー山脈は続いていました。
 シアトルに着くと、疲れているだろう両親に走ってもらい、次のゲートへ向かいました。すると、出発予定時刻が10分早まっていました。ゆっくりと別れを惜しむ間もなく、急いで搭乗しなければなりませんでした。もしかしたらこの方が良かったのかもしれません。二人は振り返りながら手を高く上げ、いつまでも手を振りながら機内に向かって入って行きました。
 私はそこに残り、無事に飛行機が飛ぶかを確認をしたかったのですが、自分の搭乗時間も迫っています。ギリギリまで残ってそこを後にし、全く反対側のゲートへ向かいました。するとそこは滑走路に入る飛行機、そして飛び立つ飛行機が見える位置でした。同じ航空会社の飛行機が続けて飛んでいないところを見ると、二人の乗った飛行機が飛び立つ瞬間が見られそうです。時計を確認しながら、自分の搭乗案内も気にしながらその時を待つと、丁度呼び出される前に、その瞬間を見ることができました。これで安心して飛行機に乗り込めます。
 ラスベガスまでの飛行機、後ろの席には日本人の親子が座っているようでした。お母さまは私の両親よりも年上で、身体も弱いようでした。息子さんは私よりも若いよう。それでも丁寧に優しく接しているのを耳にし、我が身を振り返えさせられました。
 レッドロック、我がアパートを見られるところから、飛行機はラスベガスの空港に無事到着しました。日本からは夜中の3時半過ぎに無事帰国の電話が入りました。元気そうな二人の声を聞いて安心しました。
 

 5月の休暇、どこからか帰ってくるといつもラスベガスは夏になっていることを、空港に着いて思い出しました。33度。夏はまだまだ始まったばかりです。

朝飯前

2008-05-10 | KA
 会社のピクニックがあったのですが、やらなければならないことがありすぎて、行くのをあきらめました。ロスアンジェルスからの友達に誘って頂いたランチも、思い切ってあきらめました。お蔭で仕事は少し捗りました。

 今日の身体は好きです。立っていて気持ちのいい身体。そこへきて、いつもお世話になっている友人がいらして下さいました。私が初めてラスベガスに来て、異国で生活を始めるのに助けて頂いたときのことから始まり、様々な思いが巡り、私は感慨深くなっていました。休暇前、いい身体でいい気持ちで無事に舞台を終えられました。
 ランチをお断りした分、ショーが終わってからお茶をしました。長いお付き合いで初めて私が“棒”を回しているのを“生”で観た彼女。
「あんなの朝飯前でしょ。」
 今日一番印象に残った言葉でした。

 明日から休暇です。コンピュータから離れた一週間を過ごします。

花と英語の長い手紙

2008-05-09 | 日記
 花が届きました。どなたかからかはわかりません。英語の長い手紙が添えてありました。今日は読む時間もなく、少し目を通すだけでしたが、どうもショーを観に来て下さった方のようです。花を見て元気を頂きながら舞台に立ちました。

ツアーガイド、ジュリ

2008-05-07 | KA
 大好きなジュリがラスベガスを訪れる今日、毎日のように出演日になることを願っていましたが、配役表が出ると代役の日…。代役の代役をすることになるといいな、と考えていると、それは誰かの具合が悪くなることを願っていることと同じことと気付き、そう考えないようにしました。でも、何か特別なことがあるかもしれない…。ひたすら待つしかありませんでした。
 英語のクラスを受けているとMGMから電話。電話を受けると「今日は人手が足りないのでショーに出て下さい。」私の中では、じっと待っての知らせ。こういう事って…と思いながら、心の中で「よし。」と言い、親指を上げました。
 ジュリのことを思っていると温かい気持ちになり、舞台の上では彼女が優しく「Beaute、ボテ。」という姿がひたすらに思い起こされました。
 私は3月ぶりの再会、みんなにとっては久しぶりの再会です。誰もが彼女の再訪を喜びました。
 もちろん、ショーの後は居酒屋へ。彼女はいつものように、梅酒と、エビのてんぷらと、お茶漬けを頼んでいました。
 彼女は今、ツアーガイドとしてアメリカの西海岸を回っています。ラスベガスも周遊都市に含まれていたので会うことができました。ウエイトレス、女優、写真家…いろいろな今までの経験が今の仕事にも活きていると。ツアーの中での面白い話をたくさん聞くことができました。
 ジュリのお蔭で、今日もみんなでたくさん笑いました。「今日は実は3時5分まで代役の日だったのだけどね…。」と話すとビックリして、それから手を取って喜んでくれました。彼女を午前3時にホテルへ送りました。翌朝は6時半に起きてみなさんの案内をするそうです。

KAとミスティアのアーティスティックコーディネイター

2008-05-06 | KA
 トレーニングをしていると、アーティスティックコーディネイターがいらして「あなたの映像をメールで送ってくれた人がいて、観たわよ!」とちょっと興奮気味。最近、彼女の中でバトントワリングのイメージが次々に変わってきていることと思います。

 練習時間が早かったので、その後コンピュータに向かい、休暇中の宿泊場所を吟味していました。最終的に残った二つ、悩んで悩んで「こっち!」と予約を完了したら、所在地が私の思っていたところとは車で40分ぐらい違いました。次の日に、と思っていた宿泊場所とは車で8分の距離。それなら連泊をしようと思うと金曜の夜の為満室でした。では、もう少し先に進んで違う町に泊まることにしましょう。

 こうなることと覚悟はしていました。でも一週間後の休暇まで待つと身体がおかしくなりそうなので、昨日行ったカイロプラクティック。このためだけではないと思いますが、やはり翌日は感覚が違います。それでも、客席から聞こえた子供たちの笑い声に支えられました。

 ミスティアの新しいアーティスティックコーディネイターの方に挨拶をしました。「あ、あなたフルートを回していた人よね。」と言ってからの感想とそのしぐさに「ダンスをされる方ですか。」と伺うとやはりそのよう。セリーヌディオンのショーで踊っていた方ということを後から聞きました。セリーヌディオンのショーへ行くと、私はいつもダンサー達を観ていたので、それを聞いて益々嬉しくなりました。

 KAは演劇的なので元女優の方をアーティスティックコーディネイターに招きました。ミスティアは元ダンサー。なるほど。