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のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

ショーが終わるまでいつものように

2014-03-14 | KA
 友人のご家族の動きが分からず、ホテルもレンタカーも手配出来ません。「彼らはいつでも時間があるし、貸す車もあるようだし、あなたは何も心配しないで行ったらいいわよ。」とは言われていましたが、どこまでお世話になれるものか全く分からずにいました。空港まで迎えにいらして下さることは分かりました。到着の日に車の必要がないなら、ホテルは会場の近くにと思い、会場から歩ける範囲にホテルがあることを確認することぐらいは出来ました。車が運転出来るようになってから、旅の準備が少し安易になりました。いざとなれば車中泊出来ます。目的はショーを観ること。なんとかなることでしょう。
 三連休の前日だからでしょう、トレーニングルームはとても静かでした。私はいつものように準備して、でも、ショーが終わった後はバタバタと急いで支度をしました。さあ、出発です。

マリサ、ソロデビュー

2014-03-13 | KA
 ショーの前にいろいろと出来ない私です。どうしようかと悩みましたが、今日出来ることは今日の内にと思い、出掛けました。それから、何となく道が混んでたり、信号のタイミングが悪かったり。そして、駐車場。通常停めてはいけない、枠のないところにはみ出して駐車している車が溢れている状態。暫く探し回りましたが、諦めて、待つことにしました。三時になれば、動きがあることでしょうと。
 お化粧をし始める時に、友人から電話がありました。確か、彼女はルイジアナの出身と思い、ルイジアナで行くべきところを尋ねていました。彼女のご家族に会うことになりそうです。
 マリサが、アーチャーズデンにソロデビュー。彼女が私に言いました。
「あなたは、ソロを毎日やっているのね。」
 アーチャーズデンの前に待機していると、彼女がやって来ました。どう見ても、緊張でカチカチになっています。そんな彼女を見ながら、彼女が言った言葉を思い出していたら涙が出てきました。
 私の一回目は良い調子、二回目は、少し疲労感。

お役に立てれば嬉しいです。お会い出来れば嬉しいです。

2014-03-12 | KA
 ルイジアナ州、バトンルージュへ行くことを決めました。航空券の値段は高くなっていましたが、私にしては珍しく、あまり躊躇することなく決めました。お会いすることになるバトントワラーの彼女が、とても良くして下さって、急でしたが決めて本当に良かったと思いました。
 いろいろと用事はあるのですが、全て上手く収まっていきます。仕事場でも予定が詰まっているので、早くからお化粧をしました。ピラティスでは、今日も内股に使うように言われ、さらに、バレエのアティチュードは一番良くないと言われ、少し戸惑いました。
 広報からは、良いお話を頂きました。広報担当の彼女ではなく、KAとしてでもなく、違うところで、私を使ったらもっとお客様を呼べるのではないかと考えて下さっているようです。お役に立てれば嬉しいです。もう一つは、テレビの話。オリンピック選手とお会い出来るかもしれません。会いたい人として、私を選んで下さったそうです。驚きました。
 オタワのための練習は、大掛かりに準備した割に何も進まない感じでした。チェロを演奏するシャナが来ましたが、彼女の舞台での位置も正確でないよう。出入りは、行ってみないと分からないということで、どう演技を足していったら良いのか考えることも出来ませんでした。でも、自分の練習にはなります。
 双子の男の子の代役をすることになるスウルーの影絵を見ました。なかなか良いのではないでしょうか。
 湿度は低いと放送されていましたが、そんな気もせず、湿度計を確認しました。三十九パーセント。
 広報に頂いたお話で、幸せいっぱいのようで、気持ち良く大きく動けました。膝に少し痛みがあるので、そこは気を付けました。
 ショーの後、自転車に乗っていると、隣のトレッドミル上のアルが話し始めました。たくさん話して、楽しかったです。仕草を発見したので、確認。遅くなってしまいましたが、それはしておきたいことでした。
 男性臭があるような気がします。元気なのは、男性に向かっているのかと思ったり。

カニ、ヒトデ、チコク

2014-03-11 | KA
 週頭のミーティングで、ビデオ撮影があり、カニとヒトデが遅刻してミーティングに来るという場面を撮りました。ウエルカム・ビデオのためと言っていました。
 アーチャーズデンで、舞台に立ちながら、曲が少し違うように感じました。そう言えば、今日はエリックとデリックで頑張って演奏すると言っていた気がします。
 客席から、「頑張って。」という声が聞こえ、今日チケットを買いに行った時に、日本人の四名がチケットを求めていたことを思い出しました。
 力が入らない感じで、緊張も出来ないのではと思っていましたが、やはり緊張しました。今日の自然な状態は、いつもより速いらしいと気付き、血が速く走っているのかと思いましたが、どうやら頭の回転が速いようです。クリフデッキが上がるのがゆっくりに感じたのは、そのためかもしれません。
 フルートは、手袋に連れていかれて、思うようにコントロール出来ません。
 日本人のお客様がいらして下さっているのは分かっていましたが、最後のお辞儀でお客様に近付くと、日の丸を振って下さる方や、優しく微笑みかけながら手を降って下さる方などいらして、最前列の半分以上が日本人のお客様でした。私の名前も聞こえてきました。
 二回目のショー、上品な感じの大人のお客様がお立ちになって、温かく拍手を送って下さり、涙が出そうになりました。ゲイルも目にしていたようで、私がtouchという単語を使って話すと、「その通りだわ。」と沁沁うなずいていました。バトルフィールドが映像になって以来、お客様の顔にしばしば疑問が見られます。その映像は、前の方では良く見えないようですから、私達が見ることの出来るお客様の顔は、尚更その表情になるのだと思います。今日のお客様は、事故のことも知っていて、乗り越えようとしている私達に、心から拍手を送って下さったのかもしれません。心に響きました。
 迷っていたルイジアナへの旅、お目当ての彼女からお返事を頂き、行くことに決めました。前回送ったEメールは届いていなかったようで、もう一度送ってみて良かったです。

クリフデッキ不気味な動き

2014-03-08 | KA
 三日ほど前でしたでしょうか、コンポストの土を混ぜていると、一センチぐらいのニョロニョロ虫がいました。どうしようかと思いましたが、きっと良い土にしてくれるだろうと、そのまま置きました。昨日も今日も見かけない気がしましたが、良く考えると、緑の虫でした。土の中に住む虫ではなかったのかしらと思います。
 今日のお昼も、食べても食べてもお腹が満たされませんでした。その後水を不味く感じたのは、食べ過ぎなのかしら。朝は、いつものようにたくさん水を飲めたと思います。
 最近にしては、少し湿度が低いので、フルートの状態が今までより少し扱い易い感じでした。昨日、気になっていた身体の調整もして頂いたので、動きやすい感じです。良い気持ちに流されて動いてしまわないように、気を付けることになりました。フルートの扱い難さを気にしないで舞いたいと長い間思っていたのですが、いざその日が訪れると、久しぶりなこともあり、戸惑いました。
 二回目のショーの始まり、クリフデッキが上がって行くのが遅れました。ようやく上がると、いつもと何かタイミングが違います。下に落ちるのではないかという、少しの恐怖も感じました。安全ネットはありますが、クリフデッキと自分は繋がっていないことを思い出しました。
 その後、クリフデッキの上で演技をしていたシェリーが、本当に怖かったと言って楽屋に戻って来ました。クリフデッキは、上がるタイミングが遅く、回り出したら急に斜めになるという動きをしたそうです。それで私も怖い思いをしたのだと分かりました。
 原因は、リフト5の安全装置が働いて、まずその舞台が止まり、それに伴いクリフデッキの始動を遅らせる必要があったようですが、その指示を出す時に、ミスがあったようです。

2004年2月6日から

2014-02-06 | KA
「二年で帰るから…。」
 そう言って出掛けたあの日…。

 二年間は日本に帰れないものと思い、覚悟して出発したあの日、たくさんの笑顔に見送って頂き、成田空港を発ちました。
 バトンを回すことが出来るのかさえ分からず、それでもその機会があることを信じ、バトンを握りしめてモントリオールに旅立ちました。何もかもが新しく、希望に満ちた日々を過ごしたことを思い出します。
 クリエイターのみなさんに気に入って頂き、育てて頂きました。素晴らしい仲間に囲まれショーを創り上げていく日々、助け合いながら新しい生活を始めていきました。それから九年、みなさんに応援して頂きながら、毎日ショーをする生活を送り、本日、勤続十周年を迎えました。
 早いものです。でも、いろいろなことを思い出していくと、お世話になったたくさんの方が思い出され、長く歩んで来たことを感じます。
 今まで歩んで来たように、これからも、亀の歩みは変わることはないでしょう。ゆっくりな分、道端の小さな花にも目を向けられることを幸せに思いながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。
 今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

2014年 元旦

2014-01-01 | KA
 あけましておめでとうございます
 今年もどうぞよろしくお願い致します

 様々なことがあった昨年、みなさまの支えをより感じた一年でした。ラスベガスまでいらして下さったみなさまはもちろん、Twirl i 発表会にもたくさんの方にいらして頂き、本当に感謝しております。
 発表会では、お世話になった先生方、応援して下さるみなさま、慕ってくれるバトントワラー達、そして家族、大切な人達に囲まれ、みなさまの温かい視線を受け、触れ合いながら舞台に立つことが出来たのは、とても貴重なことでした。『…こうしてたくさんの支えの中で歩いて来た…』正にその通りだと。
 一つのことに向かってみなが一生懸命だったあの充実した三日間、そして、みなさまの有り難みを改めて感じ、幸せに満ちたまま一年を締めくくることが出来ました。みなさまに頂いたこの幸せを、今度は私がKAの舞台からお客様にお分けしていきたいと思います。

 ラスベガスは、穏やかな元旦となりました。暖かい日差しの中、みなさまの一年も穏やかで幸せに満ちたものとなりますよう願っております。


     

足元にも及びませんが光栄です

2013-09-07 | KA
 二千二十年のオリンピック東京開催が決まり、何人かが祝福してくれました。七年後、私は何をしているのかと考えながら自分の歳を計算し、ここには居ないね、と笑いました。
 エピローグで、トランペットを吹くアーティストが二人居ませんでした。従者役の二人がすぐそこに入り、トランペットを吹き始めました。
 ジーナは、産休前最後の日でした。一回目のショーの後は、チーズケーキやカップケーキなどの甘いもの、二回目のショーの後は、そこにクラッカーやチーズが加わり、みなで楽屋に集まりました。彼女は二回目の出産になりますが、今回は仕事を休むことになるのがとても淋しいと言っていました。
 二回目のショーが始まる前に待機していると、デリックがいつものように「グッド・ショー!」と言いながら過ぎて行くのかと思いきや、立ち止まりました。
「『Jiro Dreams of Sushi』という映画、観たことある?」
 私は、あの人は凄いとか、あの寿司屋で食べたことはあるかとか、話が進むのかと思い、目をしっかり開いて彼の顔を見上げて、
「イエス。」
 と言いながらうなずくと、
「妻に勧められて何と無く見始めたのだけど、終始ノリコのことを思い出していたよ。」
 私はビックリしてから、大きな声で笑いました。私は、体調が悪い時にあの映画を観ました。萎えていきそうな時期でありましたが、鼓舞されたのを覚えています。
「執念というか、まだまだと言って首をなかなか縦に振らない彼を見ていたら、ショーの前にも後にも練習している君のことを思い出したよ。そういう人と仕事が出来ることは、本当に素晴らしいことだと思うよ。」
 私は少し涙目になり、彼とハグをしました。そして、良い緊張感を持ってショーをすることになりました。

採血七本!

2013-09-06 | KA
 まだ寝ている時に病院から電話が掛かり、キャンセルが出たので早く来て良いと。九時前のことでした。そのまま起きて早く行くことにしました。
 紹介して下さったお医者様に、
「そこはガンと血液と専門があるから。あなたは血液の方へ行くのだから心配しないで。」
 と言われていました。病院の様子を知らせて下さっていて良かったです。
 こちらのお医者様の苗字がObaraでしたので、アジア的な顔立ちを想像して行きましたが、違いました。
 診察の後、採血。採血菅を、片手で持ち切れずに居るのを目にしたので、思わず数えてしまいました。何と七本。さらに、菅がいっぱいになるまで採血していました。今日はショーに出ない予定でしたから、予約を入れたのですが、予定変更で出ることになっていました。こんなに採血をすると分かっていたら、病院へ行く日を変更したのですが。
 帰宅途中で、運転免許証と保険証を病院に置いてきてしまったことに気付き、戻りました。病院はそのことを分かっていました。電話ぐらいして下さってもいいのでは、と少し思いました。
 帰って少し寝ました。きっと大丈夫なのでしょうが、少々心配でしたし、少し早起きでしたので、身体を休ませることにしました。昼食は、珍しく少し重たいものを食べたかったので、野菜の盛り合わせの他に、ほうれん草のカレーを食べました。
 ピアスの穴の炎症を起こしていた人に、メラルーカを貸していました。彼女にも有効だったようで、すっかり綺麗になったと見せてくれました。
 お化粧を終え、身体を動かし始めると、疲れを感じました。寝不足なのか、採血をしたからなのか。マリレンにそのことを話すと、
「両方じゃない?」
 そして彼女は、チョコレートを持って来てくれました。私は、おまじないのようにそのチョコレートを口にして、ココナッツウォーターを飲みました。
 一回目は、だんだんと調子が良くなってきましたが、キャプティビティが終わると、少しめまい。
 二回目のショーの前にも、ココナッツウォーターを飲みました。何を食べても飲んでも、乾いた土に吸収されていく水のように、胃に留まらずに消えていくようでした。
 セレモニーと呼ばれる新しい場面をしている時に、幼い時に洋服をプレゼントして頂いたことを思い出しました。私は、兄のお下がりや、近所のお姉さんから頂いた服を着て過ごすことが多く、そのことに不満があった覚えはありません。でも、何かの時に、友人のお母様が洋服をプレゼントして下さり、とても嬉しかったのを覚えています。突然思い出したのは、その友人がもうすぐ訪ねてくれるからかもしれません。ブラウスとベストとスカートがセットになったその洋服を、いつも特別な時に着て、それを着る度にウキウキしていたのを思い出します。今日のように、ショーをするのが大変な時もありますが、大切な役を頂いてこうして舞台に立てること、そして、今は自分で洋服も買えることなど考えていたら、涙が出てきて止まらなくなってしまいました。
 最後のお辞儀でお客様に近づくと、一番前の中央で小さな男の子が立ち上がって跳ねていました。ショーが終わって、バンドリーダーのリチャードさんのお客様にお会いすると、「一番好きな場面だったと話していたところだよ。」と教えて下さいました。
 多量に採血をした大変な日でしたが、出演できたことは良かったと思いました。無事に終えられてほっとしました。