木曜
セックスは文化的なものである。
今もセックスには固い殻がある。
その中身はのぞけない。
セックスは現象的には肉体的な結合だが、文化的にはそれ以上のものがある。
現象面をいくら見ても、セックスが何なのかは分からない。
セックスが何なのか、多くの人がそれを表現しようとしてきたが、実体はいまだ分からない。
多くの男が言う、『セックスそのものより、脱がせるまでが楽しい』という表現に、
セックスが何なのか、そのヒントが隠されている。
みんな感覚では分かっているのだが、それを言葉で言い表すことはできない。
セックスはタブーである。
そのタブーを打ち破ろうと多くの人が、セックスを表現してきた。
しかしタブーのないセックスに、人は魅力を感じるのだろうか。そうなったとき、セックスそのものが成立するのだろうか。
社会には多くのタブーがある。
セックスのタブーによって、家族が成り立ち、父親が成り立っている。それによって社会と家族がつながっている。
まず、それらが崩れる。
そういうセックスは動物のセックスと何が違うのだろうか。
人間のセックスは多くのものを抱えている。
だから中をのぞくととんでもないものが出てくる。
今多くの若者はそれらを恐れている。
昔、スサノオはクシナダ姫を手に入れるため、八岐大蛇(ヤマタマオロチ)と戦わねばならなかった。
この寓話は多くの意味を含んでいる。
日曜
グローバリズムが進み、ナショナリズムが衰えれば、やがて世界政府となる。
権力は必ず腐敗する。
世界政府が権力集中制にならないようにするためには、権力は分散させねばならない。
権力分散は、機能上の権力を分散させるか、地域的な権力を分散させるか、のどちらかである。
世界政府が実現すれば、それは共産主義国家と同じように、政治的にも経済的にも非常に統制色の強いものとなる。だから機能上の権力の分散は難しい。
残るは、地域的な権力の分散を図るしかない。
そのためには地域ごとの政府が必要である。
つまり、民主主義的な世界政府の実現とグローバリズムは矛盾する。
世界政府の実現には、逆にナショナリズムが必要になる。
日曜
日本にはもともと野生の馬はいなかったといわれる。
しかし古墳時代の5世紀になると、古墳から馬具が出土し、馬の存在が確認される。
馬はどうやって日本に渡ってきたのか。
戦後、江上波夫が日本の国家の起源として騎馬民族説を唱えた。
馬は自分で海を泳いで渡ってきたわけではなかろう。
人間が連れてきたに相違ない。
それらの馬、つまり明治以前の在来種は、モンゴル馬系だと言われる。
江上波夫の騎馬民族説を支持する人は少ないようだが、私はそれが支持されない明確な理由を聞いたことがない。
それは、もともと馬のいなかった日本に、なぜ5世紀には馬がいたのか、そのことの説明に出会ったことがないからである。
古墳時代中期の5世紀には、古墳の埋葬品に武具や馬具が増える。
だから当時、馬がいたことを否定する人はいない。
ではどうやって馬は日本に渡ってきたか。
馬が対馬海峡を渡るには、人間が意図して連れてくるしかない。
騎馬遊牧民が世界史に与えた影響は計り知れない。
西アジア、モスクワ、トルコなど、ユーラシア大陸の東から西まで移動した人々が、同じ東アジアに隣接する日本まで移動することが荒唐無稽だなどとどうして言えようか。
卑弥呼の時代以前から、日本と朝鮮半島との交流は続いていた。人々の行き来は確実に存在した。
民族同士が抗争する場合、起こるのは次の4つである。
1.逃げる
2.殺す。
3.奴隷にする。
4.税金を取る。
日本でこれらのことが起こっても不思議ではない。
日本のアマテラスは、北方シャーマニズム系の思想である。
木曜
性はもともと危険なものだ。
その危険を知らなければ、男女の仲など成立しない。
恋愛も、もともと危険なものだ。
それを知った上で世の男と女は恋愛関係に入っていく。
それで人間生活は営まれている。
だから人間の生活には危険がつきものである。
世の中にもともとある危険を封じてしまおうとするのは、頭隠して尻隠さず、に似ている。
いくら目を背けても危険はある。
いや、人生そのものが危険と隣り合わせである。
文明があるのも危険があったからである。
この逆説から目を背けてはならない。
男と女が人格を持っている以上、男女関係が成立するためには、どちらかがその人格を突き破らなければならない。
どんなに高潔な人格をもっている人でも、男女関係で行っていることは、驚くほど一様である。
その領域に入るためには、人格を突き破る作業が必要である。
通常その役割は男が引き受けてきた。
しかし最近はそれを引き受けたくない男性も増えている。
失敗することを極端に恐れているからだ。
振られたことのない男などありえない。
仮にいたとしても、そのことに何の意味があるだろうか。
社会的意味がない。
男がその役割を引き受けてきた、ということが社会的に大事なのだ。
男女関係で辛酸を舐めてきたフランスの大女優は、そのことをわかっている。
セクハラがいいとは言わない。
しかし世の中にはこの種の危険は常に存在する。
この種の危険は、人間の発生と同時に生まれたもので、こういう当たり前のことが社会問題になるときには、人間社会を成立させている大きな前提そのものが問題にされなければならないが、その危険にはまったく誰も触れようとしない。
セクハラ問題は、人間が触れてはならない領域まで突き進む可能性がある。
セクハラは、もともと非常に個人的な性の領域に、法の支配が及ぶことを意味している。
しかし男女のなれそめは、法の支配の枠外にある。
紳士淑女が裸になって、愛と快楽の世界に身をゆだねるということは、情念の世界である。
この情念こそ、人間の最も大切な部分であり、人に触れられたくないものではないか。
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ウィキペディア より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%B4
カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve, 1943年10月22日 - )はフランス・パリ出身の女優である。
本名はカトリーヌ・ファビエンヌ・ドルレアック(Catherine Fabienne Dorleac)、「ドヌーヴ」は母の旧姓。
父モーリス・ドルレアック、母ルネ・シモノ、夭折した姉フランソワーズ・ドルレアックは[1]皆俳優であり、子供のクリスチャン・ヴァディムとキアラ・マストロヤンニも俳優の道に進んでいる。
10代のころから映画に出始める。ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』のヒットで世界的スターの座をつかむ。
1992年の『インドシナ』で米国アカデミー賞主演女優賞にノミネート。1998年の『ヴァンドーム広場』でヴェネツィア国際映画祭 女優賞を受賞。
プライベートでは1961年から交際を始めた映画監督のロジェ・ヴァディムとの間に息子クリスチャン(1963年生まれ)を儲けたが、1965年にイギリスの写真家デビッド・ベイリーと結婚した。しかしベイリーとの結婚はヴァディムがジェーン・フォンダの元に走ったことにショックを受け、自暴自棄になり衝動的に行ったもので、ベイリーへの愛情は持っておらず、結局結婚生活を維持できなくなり1972年に離婚した。その後に俳優のマルチェロ・マストロヤンニとの間に、娘キアラを儲けている。ヴァディム、マストロヤンニと正式な婚姻関係になることは諸事情のためいずれもかなわなかった。しかし、マストロヤンニとは晩年までキアラ共々交流があり、1996年のマストロヤンニの臨終の時にもキアラと共に立会った[1]。
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180110-00000004-jij-eurp
ドヌーブさん「女性口説く権利ある」=過度なセクハラ告発非難
【パリAFP=時事】仏女優カトリーヌ・ドヌーブさんは9日、仏女性作家ら約100人と連名でルモンド紙に公開書簡を発表し、世界各地で相次ぐセクハラ告発について「口説く自由は認められるべきだ」と男性側を擁護した。
ドヌーブさんらは「性暴力は犯罪だが、誰かを口説こうとする行為はたとえしつこかったり不器用だったりしたとしても犯罪ではない」と主張。「誰かの膝に触ったり、一方的にキスをしようとしたりしただけで職を失い、即刻罰せられている」と指摘し、男性が不当に名誉を傷つけられていると擁護した。
米映画プロデューサーによる有名女優へのセクハラ騒動に端を発して世界中に広まった告発の動きを「魔女狩りだ」と非難。同調しない女性を裏切り者と見なす風潮が生まれたと指摘した。
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180110-00000083-sph-ent
美保純、ドヌーヴの「男には口説く権利ある」発言に賛同「誘われてこそ女優って感じする」
1/10(水) 18:06配信
女優の美保純(57)が10日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・後5時)に出演。映画「シェルブールの雨傘」などで知られるフランスの大女優カトリーヌ・ドヌーヴ(74)らが仏ル・モンド紙に「男性には女性に言い寄る権利がある」と共同の声明文を出し、セクハラ告発運動の過熱化に警鐘を鳴らしたことに賛同の意を示した。
ハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインシュタイン氏のセクハラ事件に端を発した一連の問題について、美保は「女優が強くなっちゃうイメージがある。誘われてこそ女優って感じがするんですよ」と独自の見解を示した上で、「もし(誘ってきた)プロデューサーがいい男でかっこいい人だったら、逆に来て欲しいってなるじゃないですか」と続けた。
同じくコメンテーターで出演のタレント・江原啓之(53)は「(誘惑されるように)仕込んでいる女優さんも知っていますよ。それで仕事とっている。そういう人もいるから厄介なんですよ」と“爆弾発言”していた。
成人の日 祝日
日本のムラの原型は、室町時代に誕生した。惣村というものである。
そこには産土神があり、祭礼を行う宮座があった。
このことによって日本のムラはそれまでの血縁結合を抜け出し、異姓集団による地縁結合が可能になった。
そのよりどころがムラの祭礼であった。
ムラに参加することは、この祭礼に参加することと同じことであった。
現在であれば、土地の取得さえできれば、どこにでも家を建てることができ、そこに住むことができる。これは近代的土地の所有権の産物である。
日本のムラはそういうものではない。土地の取得そのものより、ムラという集団に参加する資格そのものが問題になったのである。
そうでなければ、いくら土地を取得してもムラの一員となることはできなかった。
お披露目がなければ、正式にはムラの一員となることはできなかった。
それは助け合うことを目的とするムラに、それを目的としない構成員を抱えることは、ムラの不利益になったからである。
ムラのためにならないことを村人は排除していった。
この機能は特別なものではない。あらゆる集団に普遍的に見られる機能である。このことによってムラの閉鎖性などということはできない。
日本のあらゆる集団では今でも、転入者または転出者の紹介が行われている。歓迎会、送別会も日常茶飯事である。
今日は成人の日だが、成人式も日本の大人社会へのお披露目である。
金曜
男は現金を欲しがるが、女はその現金よりも、保険のほうが大事だと知っている。
現金はその場しのぎであるが、保険は将来に関わる。
現金を貯めるのは預金の発想であるが、そんな銀行預金よりも、
もともと保険の発想をするのが女性である。
世の中の金融商品はすべて保険である。
男が目の前の現金に目がくらむとき、女性はずっと先のことを見ていて、保険の発想をしている。
女が計算高いと言われる理由もここにあり、
男が刹那的だと言われる理由もここにある。
ただ女性の発想が及ぶのは死の手前までであり、男性の発想はいつも死後のことに結びついている。
男性の刹那的な発想と、死後への発想は、一見矛盾するように見えるが、男の中ではそれほど矛盾してはいない。
逆説的だが、男が刹那的なのは、絶えず死と隣り合わせているからである。
その点、女はそれほど死と隣り合わせてはいない。どこまでも生を考えている。
そして生に最も必要なものは富ではなく、保険だということを知っている。
投機は男性的だが、保険は女性的である。
投機は莫大な富と結びつくが、同時に死と隣り合わせである。
保険はそのような死が常にこの世には存在しているということを知っている。
結婚は、まだ幼少の時期に両親が将来の相手を取り決めたが、この幼い婚約が、未婚の若者の間で自由に行われる性交渉の障害になることはなかった。「処女」に当たる言葉はなかったし、庶出児の出産も喜んで受け入れた。
一夫多妻は、離婚と同じほどしごく当たり前であった。夫婦だけの排他的な性関係もなかった。同じ集団もしくはキャンプのメンバーでなく、また兄弟でもない第2、第3親等の従兄にあたる数人の男は、通常互いに相手の妻と性交渉のできる権利を持つ「妻の友人」であったという意味で、群婚が存在した。エスキモーと同じように、訪れた客人に対し、主人が妻の1人を彼といっしょに寝かせて、歓迎の意を表するという習慣もありふれていた。すべての原始社会で見られるように、これらの性的関係は習慣となっていて、平和な時あるいは戦争の時でも、相互援助の基盤と社会的団結をもたらすものであった。既存の規則に違反した人物を裁く部族の首長もいなければ、また権威の概念、集団責任もないような社会では、このような家族の紐帯がとても重要であった。認められた範囲内での性的自由は、放縦な乱交を意味していなかった。この点については、ヨーロッパの侵入者とキリスト教の偏見によってまたたく間に誤解を受け、しばしば非難の的となった。
(「シベリア先住民の歴史」 フォーシス 彩流社 p91)
一族の団結を強めるため、複数の女を複数の男で分け合う社会があった。
そうしたほうが社会集団としての機能が高まったから。
金曜
人が働くときに人と一緒に働く社会と、豊かになれる者から先に豊かになっていく社会とはどう違うか。
後者にはフロンティアが必要である。
未開の土地、未開の空間、手つかずの領域、そういう意味でのフロンティア。
しかもそのフロンティア開発は1人でできる領域であった。
そのことがそれまでのフロンティアと違う。
昔から人は一つのまとまった社会集団として未開の領域に乗り込んでいったが、近代以降のフロンティアは早い者勝ちのフロンティア開発となった。
近代以前の社会では、フロンティアに乗り込むのも社会全体の動きであったし、そこから得られる利益も社会全体のものであったが、それが近代以降は個人で乗り込み、個人の財産とすることが可能になった。
富は分け合うものであったが、富は独占するものになった。
フロンティアの開発に成功した者だけが、富を独占するようになった。
木曜
恋愛と資本主義が関係あることを最初に指摘したのはゾンバルトだが、
恋愛のその後の変化を見ると、恋愛のもう一つの功績は、資本主義の私有の観念と結びついていったことである。
恋愛によってその対象者は性的に「自分のもの」になった。互いに性を共有することは、互いに性を「私有」することであった。
16歳といえば、娘は完全に適齢期だし、14歳で子持ちの娘も少なくない。しかも未婚のままで。若者と娘たちにあてがわれる自由はたいへん大きなものである。ある古老が話してくれたところによると、昔は、富裕な父親は自分の未婚の娘たちに特別のユルタ(テント式の家)をあてがい、娘たちはその中で誰にも妨げられずに、気に入った誰とでもいっしょに過ごすことができるという習慣があった。……とにかく未婚のまま生まれた子供は、娘にとってぜんぜん不名誉でも何でもない。子供がいるということは、娘が妊娠できるということの証拠になるので、かえって娘に払うべき買い値を高めることになるのである。娘が子供の父親以外の男と結婚する場合、トゥバ(地域名)の習慣のせいで誰が父親であるかをはっきりさせることは難しいのだが、それがわかっていれば子供は祖父母のもとに置かれ、孫とみなされる。
(「トゥバ紀行」 ヘルフェン 岩波文庫 p138)
ある男がヘレアムゥで「女たちは浮気ばかりしている」と批判した。すると別の男が出てきてこう反論した。「男性器が男のものであるように、女性器は女のものだ」。つまり、旦那がいようと恋人がいようと、性関係を結ぶのは女の自由だと言うのである。確かに、150日の同居で見聞きした限り、ヤノマミの人々は性に大らかだった。いわゆる「不倫」は日常茶飯事で、身体だけの関係や遊びにしか思えない性交渉も多かった。一方で人類学の研究書に書かれているような性に関する禁忌は殆どなかった。だから、多くの家族で明らかに顔が違う子供が産まれたりした。ある母親がこう言った。「いろんな人と性行為した方が楽しいとみんなが言うから、隣村に行った時、男たちと性行為をした。5人の子供のうち、2人はその時の子供だ」
(「ヤノマミ」 国分拓 NHK出版 p69)
ローリの姉は子供を出産し、精霊のまま天に返した。……ローリーの姉が白蟻の巣を焼いた翌日、僕たちが小屋を訪ねると、別れたはずの夫がローリの姉といっしょに小屋にいた。ヨリを戻したので一緒に住むことにしたのだという。……ローリの姉は子供を精霊のまま天に送り、白蟻の巣を燃やす儀式も終えると、元夫を訪ね復縁を頼んだようだった。……他の誰かの子供を天に返した翌日、夫に復縁を迫る。そこには、僕らの想像を超えた強靱な何かがあるような気がした。
(「ヤノマミ」 国分拓 NHK出版 p214)
1ヶ月にも及ぶというラシャの祭りが始まった。祭りの期間中、歌や踊りが連日連夜続いた。……歌や踊りは深夜でも突然始まった。……そんなある夜、若い男たちが歌い、行進しながら踊り始めた。午前3時だった。……しばらくすると、男たちが消え、今度は女たちが歌い出した。……そして、最後に、男が出てきて女と一緒に歌った。若い男女がごちゃ混ぜになって、踊りながら歌った。……月明かりの下、男と女は抱き合うように踊り、歌った。女は男のパンツを引っ張り、男は女の肩に手を回し胸を揉みしだいた。みんな、汗塗れだった。歌と踊りは闇の中でいつまでも続き、朝日が昇る前に突然終わった。村に朝日が当たり始めてから、さっきまで踊っていた男女を探したが、彼らはどこにもいなかった。男と女はどこかへ消えていた。若い男女はどこに消えたのか。ずいぶん後になって少年が教えてくれた。そこはヤブ蚊が群れる茂みの中で、降り続く雨のために湿原のようになっていた。カエルの産卵場所だという。だが、夜になればカエルを食べる毒蛇も集まる。毒蛇に噛まれれば2時間で死ぬ。若い男と女は死と隣接する場所で交わっていた。湿地にはバナナの葉が何枚か敷かれていた。脱ぎ捨てられたままのパンツもあった。少年はバナナの葉を指して小屋だと言った。祭りの間、森にはこうした小屋がいくつもできるのだという。少年が言った。「隣村の連中が自分たちの村の女を攫(さら)おうとしたから、ここに連れてきた。バナナの葉を敷いて、ここで女と性行為した。自分が終わると、別の男も加わって性行為した」
(「ヤノマミ」 国分拓 NHK出版 p102)
このような原始的な世界から、人間は恋愛を生み出していった。
そのことと性の「私有」の観念はどうつながるのだろうか。
性に私有の観念が発生すると、恋愛は排他的になる。排他性は、私有の観念によって構成される。排他性が先にあるのではなく、私有の観念が先にある。
そこでの「不倫」は窃盗になる。他の者の持ち物を奪うのであるから。
しかし上の記事においてはそういう罪は発生しない。
その反面、男女関係は不安定である。
そのため出産直後の間引きも、当たり前に行われる。
このようなことは世界のどこか遠くで起こってたことではなく、日本にもこのような風習は戦前までは残っていた。
後家や嫁を合わせたら別だが、一つの村にはだいたい15人から20人くらいの若い娘がいた。後家も嫁も娘たちとも性交して一回りしてしまうと、若衆らは、おもしろうない、ということになってヨソの村に出かける。……女の方にも娘宿があって、年長の女が検査して、この子は毛が生えたからもうええわ、そんなら夜這いさせてやれ、ということになる。ついでに、年長者が、水揚げしてあげて、と初めに乗る若衆を指定するムラもあった。……結婚と夜這いは別のもので、僕は結婚は労働力の問題と関わり、夜這いは、宗教や信仰に頼りながら過酷な農作業を続けねばならぬムラの構造的機能、そういうものがなければ共同体としてのムラが存立していけなくなるような機能だと、一応考えるが、当時、今のような避妊具があったわけでなく、自然と子供が生まれることになる。子供ができたとしても、誰のタネのものかわからず、結婚していても同棲の男との間にできたものかどうか怪しかったが、生まれた子供はいつの間にかムラのどこかで、生んだ娘の家やタネ主かどうかわからぬ男のところで、育てられていた。大正初めには、東播磨あたりのムラでも、ヒザに子供を乗せたオヤジが、この子の顔を、俺にちっとも似とらんだろうと笑わせるものもいた。夜這いが自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えたりするバカはいない。……ざっと紹介したように、夜這いは、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みであったが、このような重要な民俗資料を、日本の民俗学者のほとんどは無視し続けてきた。……明治から大正、昭和初期にかけて生きた女性の大半は、マチなら幕末、ムラなら村落共同体の思考、感覚でしか生きていなかったということである。教育勅語によってそれほど汚染されていないということだ。尋常小学校もろくに出ていないような人間に家父長制とか一夫一婦制といった思考方法がなじまないのは当たり前で、夜這いについても淫風陋習などと感じておらず、互いに性の開放があって当然だと考えている。……田舎の村では地主、酒造はごく一部、小作、日雇いが大半の人口を占めていた。時代が古いほど村内婚が多く、これは明治以ムリヤリ入籍結婚させられてしまったが、それまでは夜這いの延長みたいなもので、同棲したからといって必ずしも双方が、相手を性的に独占したわけでも、できたわけでもなかった。別れるのも簡単で、女が家を出るといっても風呂敷包み一つですんだ場合が多かった。離婚のなんのと騒ぐこともなかったから、古い記録を見ると、三婚、四婚も珍しくない。記録にならない別れや出会いは実に沢山あっただろう。村内婚が普及し仲介人や仲介業者が一般に活動するようになったのは大正に入ってからのことで、三々九度の盃を上げてという小笠原式の婚姻が普及するようになったのはさらに後のことであった。
(「夜這いの民俗学」 赤松啓介 ちくま学芸文庫 P31)
木曜
シベリアは北緯50度以北、東経60度以東の広大な地域である。
一般にウラル山脈以東はシベリアだとされる。
今ここに住んでいるのはロシア人が大半であるが、500年前はまったく違っていた。
ここはもともとアジアである。
シベリアの南方は、800年前のモンゴル帝国の一部である。
この地域を駆け回ったはモンゴル人である。
モンゴル帝国の北方にいたのも、やはりモンゴロイドに属する人たちである。
彼らの多くは遊牧民や狩猟民であった。
モンゴル族、ツングース族、ヤクート族、ブリヤート族、タタール族、オイラート族、アルタイ族、トゥバ族、アリュート族、ギリヤーク族、さらにエスキモーやアイヌなど、今も多くの民族が住んでいる。
そこに乗り出してきたのがロシア人である。
ロシア人は15世紀以降、シベリア進出に乗り出してきた。
ロシア人は13世紀にモンゴル人によって席巻されたあと、その一族のキプチャク=ハン国の支配下に置かれた。彼らはそのことを「タタールのくびき」と呼んでいる。
そのモンゴル人が勢力を低下させると、今度は逆にロシア人が東へと征服を進めていく。
19世紀のヨーロッパ列強の植民地支配は、その後世界から批判され、現在では多くの地域が独立国家になっているが、ロシア人が征服したこのシベリアの地はいまだにロシアの支配下にある。
世界で最初の社会主義国家は旧ソ連であるが、2番目の国家はモンゴルである。
旧ソ連はモンゴルをも影響下においた。
そのモンゴルの北方がシベリアである。
そこに住む人たちも、その顔つきはモンゴル人と変わらない。我々日本人と同じモンゴロイドである。
そしてモンゴル人と同じ遊牧によって生計を立てている人たちが多い。
ただ遊牧といっても、馬は寒すぎて遊牧に適さない。馬に代わってそこではトナカイの遊牧が行われている。トナカイの遊牧はシベリアの東から西へと広大な地域で行われている。西端のトナカイ遊牧民はノルウェーのサーミ人である。
サンタクロースと同じように彼らはトナカイにソリを引かせて移動するが、その機動性という点では、トナカイは馬に及ばない。騎馬遊牧民に比べ、トナカイ遊牧民はおとなしくて温和な人たちである。
ロシア連邦は、連邦という名のとおり、国の集まりである。ロシア連邦内には多くの国がある。そのロシア連邦最大の共和国はシベリアの東の方に位置する「サハ共和国」である。朝鮮半島の北方にある。ソ連時代はヤクート共和国と呼ばれていた。首都はヤクーツク、そこに住む人たちはヤクート人である。北極よりも寒いと言われる極寒の地である。そこのオイミャコン村では零下マイナス71度という世界最低気温を観測した。その極寒の地に日本人と同じ顔をした約100万人のヤクート人が住んでいる。しかし面積は日本の約8倍である。しかしこれほど寒い地域に住んでいながら、彼らヤクート人の言葉は南方系である。チュルク系、つまりトルコ人の言葉と似ているという。彼らは他の戦闘的な民族に故地を奪われることにより、北へ北へと移動してきたのであろう。そしてその地でもトナカイの遊牧生活を営んでいる。
私が不思議に思うのは、なぜこんな極寒の地まで、人種的にも民族的にも違うロシア人が領土を拡大したのだろうか、ということである。一説には動物の毛皮を求めて、また一説には軍事上の不凍港を求めて、といわれているが、それにしてもこの地まで何百年もかけて、東へ東へと進んでくるそのエネルギーが何だったのか、ということである。
勢力拡大という点では、中国のほうが格段にロシアよりも近いのである。その中国も領土を拡大してきた国であるが、ロシア帝国と同時代の中国清朝では、今のモンゴル国の北辺までが清の勢力の及ぶ北限であり、それより北のシベリアには勢力を及ぼそうとしていない。
ロシアよりも距離的に近く、民族的にも同じモンゴロイドに属しながら、この地シベリアは中国には侵略されずに、遠い西方のロシアによって征服された。
それがなぜなのか。
なぜ彼らはロシア人に征服されるままになっていたのか。
なぜ彼らは国というものをつくらなかったのか。
モンゴル人とヤクート人、同じ遊牧民に属しながら、片方は世界最大の遊牧帝国を築いたのに対して、もう片方は帝国どころか国家さえつくらなかった。そして異民族が侵入してくることに無頓着であった。
国がなぜ必要なのか、いやここでは、国がなぜ必要でないのか、それを考えたほうが良いだろう。
水曜
歴史には人間の存在をかけた意味がある。
それが分からないから、今人は困っている。
大人は分かっていないが、子供はもっと分かっていない。
意味を探しあぐねている。
その意味は、どこかの国の首相のように「美しい国」であるような意味ではない。
歴史は美しくもあり、醜くもある。そしてそのどちらでもないこともある。
火曜
庶民の富を奪うには二つある。
1.一つは、ハイパーインフレを起こすこと。
2.もう一つは、バブルを起こして、株をつり上げ、そしてそれを崩壊させること。
そのからくりはこうである。
1.ハイパーインフレが起こると物価は上がるが、給料も上がる。だからそれは良い。
しかし上がらないものがある。それが預金である。
1923年のドイツでは、ハイパーインフレで、物価は1兆倍になった。
私の預金が100万円あったとして、仮に物価が1万倍になれば、私は預金全額を使っても買えるものはあんパン一個になる。(100円のあんパンが物価が1万倍になって100万円になるから)。
ここで何が起こったのか。私の100万円の財産が、あんパン一個になったのである。こうやって預金者は富を失う。
1兆倍というのはその1万倍である。
こうやって、1920年代のドイツでは中産階級が富を失い、没落した。
失望した彼らが、次に選んだ希望の星がヒトラーであった。
2.1929年のアメリカニューヨークのウォール街の株の大暴落はこうである。
1929年を境に、3年間で5倍につり上がったいた株が、1/10に暴落した。
1929年に100万円で買った株が、10万円になったのである。
私は全財産の100万円で株を買って、あっという間にそれを1/10に減らしたのである。
こうやって株に投資した多くの人の富が奪われた。そして多くの中産階級が株に投資していた。
つまりここでもアメリカの中産階級の富が奪われたのである。
このように1920年代は、ドイツとアメリカで2度の富の収奪が行われた。
世界が戦争に向かっていく背景には、このような中産階級の富の収奪がある。
ドイツで最も被害を受けた人は、貯蓄を蓄えていた人である。
アメリカで最も被害を受けたのは、株に投資した人である。
貯蓄も持たず、株に投資するお金もない人の被害は、それに比べると軽かった。
戦争に向かうときは中産階級が潰れる。
そして言論も封じられる。その余裕もなくなる。
インフレもバブルも、ともに増税の一種である。
その結果、世の中のお金がどこか一カ所に集まる。
そして国と国が総力戦を行い。国民はそれを批判する力を失っていく。
アベノミクスにもこれと似たところがあるのではないか。
月曜
人の存在は小さい。
だから少しでも神の存在に近づこうするのが祈りである。
自分は大きな存在であると思っている人間は逆に自由を求める。
自由とは神の存在から離れることである。
逆に、祈りは神の存在に近づこうとする。
神は大きな存在であって、自分は小さな存在にすぎない、そう思うことから祈りが始まる。
祈りは小さな存在にすぎない人間の希望である。
祈りを忘れた人間は横暴になるか自信過剰に陥る。
そして時として、自由の名の下に限りない欲望を追い求める。
平和に生きる人間は、神の存在に感謝することができる。
人はうちひしがれた時に救いを求めて祈る。
平和に生きている時には神に感謝をささげるのであって、それ以上求めようとはしない。
感謝の祈りは一神教のような絶対神に対する祈りとは違っている。
一神教の祈りは絶対である。神への絶対服従の祈りが一神教の祈りである。
その絶対的な神に服従する人間は、神の定めた絶対的な教えを身につけることによって神の救済をえようとする。
偉大な神の教えに少しでも近づこうとする祈りが一神教の祈りである。
多神教の祈りはその点違っていて、自分が生かされている世の中に対する感謝であって、そういう社会を存続させてくれている神々に対する感謝の祈りである。
しかし一神教の祈りは感謝の祈りではなく、救済への祈りである。
神に平和を求める祈りである。
そのような祈りは、人間社会のすべてのルールや人間生活のすべてのルールを、神のルールに求めようとする。
しかしその神のルールを誰が作るのかといえば、神に感じた人間によって作られるしかない。
そういう人間が預言者である。預言者とは神の言葉を預かった人間である。
だから一神教には、神に感じた人間つまり神に触れたと自覚した人間が、現れなければならない。
本当にその人間が神に触れたかどうか、それは証明することはできない。
ただ、その神に感じた人間が言った言葉つまり神の言葉として人間が語った言葉を、周囲の人間が信じるかどうかである。
しかし、一度それを信じる人間の集団が形成されれば、それはこの世を支配する絶対的な教えとなって、人間生活すべて、人間社会の生活すべてにおよぶ絶対的なルールとなる。
そしてそれはそれ以外の教えを否定することでもある。
月曜
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文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫) |
ジャレド・ダイアモンド | |
草思社 |
私は、ニューギニアのイヤウ族の女性たちが、自分の身の回りで起こった殺人について話すのを耳にしたことがある。……
彼女たちは夫の名前を尋ねられると、暴力によって殺された複数の夫の名前を誰もが次々と口にした。……
『私の最初の夫は、奇襲をかけてきたエロピ族の男たちによって殺されてしまった。
2番目の夫は、私を欲しがった男によって殺された。
そして3番目の夫になったその男も、仇を取りにきた2番目の夫の弟によって殺された。』
こうした事件は穏やかと思われていた部族社会で頻繁に起こっていた。
規模が大きくなるに従い、部族社会が集権化されるようになった一因もそこにあったと思われる。
(「銃・病原菌・鉄」 ジャレド・ダイヤモンド 下巻 124ページ)
食料生産は、人口の増加を可能にし、複雑な社会の形成を可能にする。……
我々の観察結果は、小規模血縁集団や部族社会といった集団が、数十万規模の人口の受け皿としては生き残れないこと、既存の大規模社会が複雑に集権化されていることを示している。……
理由の一つは、集団が大きくなるにつれ、他人同士の紛争が天文学的に増大することにある。
一対一の人間関係は、人口20人の集団では190通りしかない。しかし人口2000人の集団では、199万9000通りある。
こうした一対一の人間関係は、争いが時には殺人にまで発展しうる関係である。
そして小規模血縁集団や部族社会では、一つの殺人がそれに対する復讐をよび、その復讐に対する復讐がさらなる復讐をよぶというように、人々を社会不安に陥れる復讐殺人が次々に起こることがよくある。……
つまり大規模集団において、いざこざの解決を住民の手に直接ゆだねてしまうと、集団そのものが社会的に収まりのつかない状態になってしまう。
このことだけでも、権限を独占する権威が争いごとを解決するようにならなければ、人口数千人規模の社会が存続しないことがわかる。
(前掲書 142ページ)
水曜
貨幣は、危険物としてもっと慎重に扱わねばならない。
貨幣……これほど便利で、これほど邪悪なものはない。
そのルールの取り決めに、人間の未来がかかっているような気がする。
人間は古来から信用取引を行ってきたが(物々交換ではなく)、
貨幣は信用取引ができない人との取引を可能にした。
その貨幣が再び信用取引に利用されるところから、大きな矛盾が発生している。
この貨幣の暴走を、誰も今止めることができずにいる。
その結果、貨幣を操るものには莫大な利益が発生している。
貨幣を扱う者、貨幣を創造する者には莫大な利益が発生する。
IT技術と結びついたビットコインの意味とは何なのだろうか。
マスコミが警鐘を鳴らすほど急騰している。