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ひょうきちの疑問

新聞・テレビ報道はおかしい

外国人労働者の受け入れは、何か大きなことを見落としている

2019-04-12 08:05:16 | 歴史
外国人労働者の受け入れ問題は、日本の労働力不足に起因する。
その労働力不足は、少子化に起因する。
その少子化は、30~40代の貧困化に起因する。
その30~40代の貧困化は、1990年代からの平成不況に起因する。
その1990年代からの平成不況は、1990年のバブル崩壊に起因する。
そのバブル崩壊は、1985年のプラザ合意に起因する。
その時の首相は中曽根康弘、蔵相は竹下登である。

その間、国は国民の生活安定を放棄し、「自己責任」を唱えはじめた。
「派遣労働」「非正規労働」が正当化された。
貧困の問題は何も解消されていない。

それどころか、この島国日本に、外国人労働者の受け入れが始まろうとしている。
これはまた新たな貧困化の始まりである。
国民の生活は決して豊かになりはしない。
賃金は抑えられ、事業者が豊かになる。
しかし単にそれだけでは済まないだろう。

この国は何か大きなことを見落としている。

平成とは、バブルのツケ

2019-03-31 07:52:13 | 歴史

明日で新元号が発表される。
平成とは何だったのか。
平成とは、バブルのツケ。
80年代に襲ったバブル、あれが決定打。
それ以降、日本は浮かび上がれない。
決して平成ではなかった平成。
日本はなぜこんな国になってしまったのか。
元号が変わるときに、そのことを考えねばならない。


悪魔の秘儀

2019-01-20 21:58:37 | 歴史

日曜日

悪魔に魂を売った者は、それを正しいと信じて心を売る。
だから彼らは涙を流さない。
なぜならそれを正しいと信じているから。

ヤクザだって涙を流すが、彼らは涙を流さない。たとえ何万人が死のうとも。
なぜならそれが正しいことだからだ。

彼らにとって、悪魔は神である。

人間が悪魔に心を奪われるとき、そこに何が起こっているのか。
悪魔が救世主となるとき、そこにどういうことが起こっているのか。
人が、自分だけが選ばれた人間だと考えるとき、そこに何が起こっているのか。
悪魔が救世主となり、選ばれた人間である自分だけを救ってくれる。
そんなことをして何が楽しいのだろうか。

地下組織、秘密結社、秘儀、密議、神秘主義、悪魔、カルト、カバラ思想。

そこには一種の快楽主義が横行している。
性の快楽が異常な形で発生している。
そこに異常な興奮がある。
そして精神の障害と常に闘っているはずだ。
狂気の集団の中で悪魔を信仰すると、効果は抜群である。

愛のなかには神が宿るが、権力と支配には悪魔が宿る。
そして国家はいつもこの悪魔と隣り合わせである。
愛が崇高なものだとしても、人間の邪悪な心は底知れない。
政治は常にこの邪悪な心と隣り合わせである。

人が底知れない悪魔を造り出すまでに、一体どういうことが起こったのか。
人間が善悪を考える能力を失い始めてから、この悪魔は急成長を始めた。

人を殺して、自分が幸せになる。
このような悪魔を神と崇める人たちの心に何が宿っているのか。
デカダンとニヒリズムの19世紀に、悪魔は急成長した。

資本の拡大は、悪魔の成長と結びついている。
人間の抽象力は、紙幣を発明し、資本を崇めるようになった。
資本の習性は、人のお金を吸い取って1カ所に集めることである。
このことを集団でやる人たちとは誰なのか。


お金の流通するところが国の領土である

2019-01-20 17:34:01 | 歴史

日曜日

お金の流通するところが国の領土である。

このことを利用すれば、国家を作るには、軍事的に領土を侵略するよりも、お金を支配すればいい。
われわれは国の領土というと、すぐ軍事征服による領土拡大を思い浮かべるが、18世紀以降の国家はそうではない。
軍事征服の前に、お金の支配権の問題がある。
通貨発行権さえ握れば、その通貨の流通する範囲が、半ば自動的に自分の支配下に収まる。
軍事侵略はその最後のツメに過ぎない。
逆にいえば、通貨の権限の及ぶ領域さえ拡大すれば、必ずしも領土の拡大は必要ではない。
ドルを持っていればどこの国とも取引できる。しかし日本の円ではそうはいかない。アメリカがドルの基軸通貨としての権限を決して手放さないのは、そのためである。

では誰が通貨発行権を握るか。それこそが近代史の大問題である。
通貨を発行するところは中央銀行であるが、それだけではない。ふつうの銀行も信用創造という形で通貨を発行している。そのことが忘れられている。その元締めが中央銀行である。

無尽蔵にお金の集まるところ、これが銀行である。
これは古来からある金貸し業ではない。自分の金を貸すのなら誰も文句は言わないが、人の金を貸すのが銀行である。
『人のフンドシで相撲を取る』、これが銀行である。
どうせ人の金だから、痛くも痒くもないのである。無いものを、有ることにだってできる。

しかも今の株式会社のルールは有限責任である。
儲かるときは自分のもの、損しそうになったら別会社にして潰せばいいだけだからだ。

そして戦争はお金のある者が必ず勝つ。

お金を独占するということは、権利を独占するということである。
通貨発行権を持つ者は、すべての権利を独占できる。
国の権利さえ、お金によって奪われる。


政治家とマスコミがどのようなお金によって動かされているか、それが今問われなければならない最大の問題である。
政治家は実行部隊(立案者ではない)、マスコミはそれを隠す煙幕である。
司令塔はこの二つを使って、何が起こっているかを伝えるふりをしながら、その実、何も伝えはしない。
さらにこれに、もっともらしい顔をした識者と呼ばれる大学関係者などがウソの解説をするから、注意が他の方向に向けられ、何が何だか分からなくなってしまうのだ。

そしてそこに、タレントやお笑い芸人たちが、ウソの突っ込みを入れて笑い飛ばす。
これで、一つの報道が完成する。


資本主義と共産主義は、搾取する側が企業から国家に変わるだけ

2019-01-13 21:46:34 | 歴史

日曜日

資本主義と共産主義は、搾取する側が企業から国家に変わるだけで、搾取される側にとっては何も変わらない。
社会主義は物によって搾取するが、資本主義は金融によって搾取する。

現在の世界的量的金融緩和や、日本のアベノミクスは、金融による国家支配の一環である。
現在のところまだ対処療法的であるが、国家によって経済がコントロールされているという意味では、すでに計画経済の域に入っている。
この計画経済の領域に素人が入ってはならない。素人はついて行くだけである。
この計画経済はもともと民主主義とは相性が悪い。


村の神事での会話

2018-12-09 20:27:42 | 歴史

日曜日

私の集落には、200年以上続いた村の神事がある。
神事は神事で行ったあとに、その後の酒席になると、妙に生々しい話になったりする。

その酒席で話していたら、仕事の話になって、
何か講演会があったときに、講演会を聞く前から、事前質問の受付があって、その質問意外には当日の質問を受け付けないことが広く行われていることが話題になった。

誰かが言った。
「講演会を聞いての質問なら分かるが、講演の話を聞く前から、質問を先に聞いて、当日の質問を受け付けないのはどういうことだ。話を聞かなければ何を質問して良いか分からないだろうに」

そうすると、誰かが、
「結局、質問させたくないんだ」と言った。

私は、なるほど、これは至る所で起こっていることなんだと思った。
私の周りもそうである。

事前質問以外は受け付けられない。
話を聞かなければ、質問も浮かばないはずなのに、話を聞く前から質問だけを出せと言われる。
その結果誰も質問しない。
お通夜のような講演会が続いている。

講演会の話を聞いて、その場で疑問が浮かんでも質問できない。

言いたいことを言いたいだけなのだ。
質問などしてもらったら困るのだ。

こういう講演会に何の意味があるのか。


人はもともと損得には興味がない

2018-12-08 00:28:25 | 歴史

土曜日

人はふつう損得で生きている。
しかし時に善悪で考える人間が出てくる。
また何が善で、何が悪か、そんなとほうもないことを考える人間が出てくる。

そして時として、損得よりも善悪が優先される時代が出現する。
それはもともと人間が損得を嫌う動物であるからだ。

「衣食足りて、礼節を知る」とはそういうことだ。
しかし今は衣食足りても、足りても、もっと衣食を求める時代である。
そんなことに、もともと人は興味がない。

人が衣食を求めるように見えるのは、方便である。


人間、この矛盾に満ちたもの

2018-12-08 00:01:51 | 歴史

土曜日

人間はもともと矛盾に満ちている。
それを解決する能力もない。
せいぜい、つぎはぎの努力ができるだけだ。
人間の歴史は、このつぎはぎの努力の産物である。
人間の脳も、この歴史を追いかけるように、つぎはぎの連続で進化してきた。
だから人間は普通は、目の前のことを考えるので精一杯である。

しかし時に、例外的な人間が出てきて、100年先、200年先のことを考えたりする。
それは目の前の現実としては無駄である。
しかし、こういう例外的な人間の存在無くしては、人間は生き延びることができなかったのではないか。

人間は果てしなく矛盾を作り出していく動物である。
しかし、時としてそれに警鐘を鳴らし、歴史の中に埋もれていく人間が散見される。

何の役に立つか分からない疑問に対してとことんつきあうこと、
そしてそれに人生の大半のエネルギーを費やすこと、
この能力が人と他の動物を分ける。

そして次には、歴史に埋もれながら100年先、200年先のことを考えた人間がいたことを発見する人間が出てくる。
古典を学び、歴史を学ぶとはそういうことではなかろうか。


人は無駄の中で生きている、喜びも悲しみも

2018-12-07 23:42:18 | 歴史

金曜日

お金にならない根源的な話こそが大事。
それは経済効率とは関係ない。
経済効率は無駄を省くことを求めるが、学問とはそもそも無駄なもの。
その無駄の中からいかに多くの真実をつかみ取ってきたか。
真実は無駄の中からしか生まれない。
疑問があればとことんまで。
それが何の役に立つかは関係ない。
それを見失えば、人間はいずれ人間ではなくなる。

歴史を作ってきたのは経済効率ではない。
経済効率とは別の真実がある。
むしろ人間は経済効率を嫌ってきた。
経済効率を求める経済学が、経済を予測できないのはそのためである。


西洋は貧しい

2018-10-03 10:51:42 | 歴史

水曜日

伝統的に東洋は豊かである。
それに比べ、西洋は貧しい。

東洋では供給が先にある。
しかし西洋では需要が先にある。

貧しい西洋では、政府は借金してでも戦争をする。
東洋では政府が借金をするなど考えられないことだ。

西洋では、借金により使えるお金の量を増やしていく。
しかし使ったお金は返済しなければならない。

東洋は、あるものを使うが、
西洋は、ないものを使う。人から借りてあることにする。

西洋は、借りてそろえる。返済はあとからだ。
東洋は、自前でそろえる。

西洋は、会社も人から借りた資金で作る。
東洋では、会社を始める人はもともとお金持ちだ。

この2つの会社は見かけは同じでも、その強迫観念が違う。
人から借りれば返済に追われる。
自前のものはあきらめればよい。

もともと自分のものでないものを、自分のもののように見せかけているから、
あとでそのつじつまを合わせるためにあくせくすることになる。

需要が大きければ、その需要を満たすために、借金をする。
東洋では、需要が大きくても、供給が少なければ、我慢をする。


国家がなくなれば、明るいグローバルな世界になるという幻想

2018-09-11 12:00:39 | 歴史

火曜

人間には様々なグループがある。グループの形は多様である。
国家もそのグループの一つに過ぎない。
もちろん国家は人為的なものであるが、今では国家というグループに属する人たちが圧倒的多数を占める。
今世界はこの国家の占める領域によって立錐の余地もない。
したがって、国家を持たない人たちにとっては、国家というグループは邪魔な存在である。
ここに国家はない方がよいという考えが生まれる。
危険なことは、国家を持っている人たちまでが、その考えに納得しつつあることである。
これがどういう世界をつくるか、明るいグローバルな世界でないことだけは確かである。

次に起こることは、国家を持たない人たちが信じる一神教への改宗である。
国家という地域グループを失えば、あとは宗教グループに属する道しか残らない。

世の中でもっとも悲惨な戦争は宗教戦争であることは確かである。


アメリカによる「主権国家の主権制限」、それを当然視する日本の教科書

2018-09-04 07:56:56 | 歴史

火曜日

高校の世界史を何気なく読んでいると、そこに「主権国家の主権制限」という言葉がさらりと書かれている。これには驚いた。世界がそういう方向に向かうことが、あたかも当然でもあるかのように書かれている。

しかし今世界で起こっていることをよく見ると、この言葉には「アメリカによる」という言葉を付け加えなければならないだろう。

21世紀になって、対等なはずの主権国家が対等ではなくなり、「アメリカによる主権国家の制限」が行われている。このことは事実である。
しかしそのことに異議を唱えるわけでもなく、憤るわけでもなく、そのことを当然視して、そういう価値観を高校生に植え付けようとする一国の歴史教科書とはいったい何なのだろう。


『この時期(戦後半世紀)には近代に拡大した植民地体制が精算されたり、近代に確立した主権国家の権限をある程度抑制する国際機関が登場するなど、現代への移行がいっそううながされた』(山川出版社 詳説世界史B P371)
(この文が何を言いたいのかは意味不明だが、そのことを当然視する姿勢は高校生に伝達される)


ヨーロッパの借り物文化

2018-04-15 00:29:12 | 歴史

日曜日

古代ローマ帝国は西から東に移動し、東ローマ帝国が中心となった。
それと同じように、古代中国の周王室も西から東に移動し、東周となった。
しかし春秋戦国時代には周王室は権威だけのものとなり、戦国の七雄の中から、最終的に秦の始皇帝が現れ、それによって中国は再統一され、周はその役割を終え滅んでいく。
生き残った東ローマ帝国も、新たに侵入したゲルマン人の国々に取り囲まれ、その中からフランク王国が発展していく中で、東ローマ帝国は滅んでいく。

中国が自分の力で儒教や道教を生み出したのに比べ、このフランク王国は自分の力では何も生み出していない。フランク王国はローマ教会の力を借りて神聖ローマ帝国となっていくが、フランク王国がキリスト教を生み出したわけではない。キリスト教はゲルマン人にとってはあくまでも異文化である。
さらに言えば、キリスト教はローマ帝国のローマ人に取ってさえ異文化であった。
キリスト教はローマ帝国で生み出されたものではない。ローマ人にとってはオリエントで発生した異教であった。
この異教を借りて力を蓄えたのが、近代ヨーロッパである。
キリスト教はヨーロッパ人にとっては借り物に過ぎなかった。
だからどうにでも変更できた。
キリスト教が時として怪物のような力を持つのは、ヨーロッパに本当の意味でのキリスト教文化が根付いていないからではないか。