12日、一人の少年の脳死が認定された。
彼の臓器は、それぞれ、死と向き合いながら移植を待つ人達のところへ、大切に届けられた。
少年の両親は移植ネットを通じ、「身体の一部だけでも彼がどこかで生き続けていると考えると、彼を失ったつらさや悲しみから少し救われるような気がしています」という内容のコメントを発表した。
脳死を言い渡されても、その子の心臓は動いているし、胸は呼吸で上下している。
「ひょっとしたら、目を覚ますのでは」という気持ちをぬぐい去るのはむずかしい。
でも、数時間後、あるいは数日後、その心臓も止まる。
火葬すれば、骨以外燃えて灰になってしまう。
残されたのは、骨だけ。
娘の場合、亡くなる前に採取した腫瘍細胞”アカネ株”だけが生き続けている。
憎い腫瘍細胞だけど、それでも娘の一部分が生き続けていることが嬉しい。
脳死移植の場合、心臓・腎臓・肺などたくさんの「一部分」が生き続ける。
そして、その「一部分」の数だけの人が命を与えられる。
それでも、「その時」に判断を下すのは難しい。