よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

風景

2011-01-19 | 風景


昨日の一枚と同じところの写真です。
シャッタースピードを速くして斜めに降る雪を止めてみました。
雰囲気がガラリと変わり、これはこれで、いいかなと・・・
E-5+ZD12-60mm

ところで、新幹線の車内で全裸になった男性が逮捕されたというニュースをみました。
乗り間違えた自分に憤慨し、親からもらった衣服を脱ぎ捨てて裸一貫・・・一からやり直し自立したいと言っているそうです。
逮捕されたのは、公然猥褻罪の疑いがあるからでしょうが、露出癖があるわけでもないそうなので穏便に
そんで、ほんとうに一から頑張ってほしいもんです。 でも、人前で裸になるのは、相当に抵抗があると思います。衝動的であったとしても何かこの・・・普通ではないものを持ってる人なのかもしれませんね。良いものか悪いものかは別として・・・。世の中いろんな人がいるもんです。

裸体人類学

2011-01-18 | 


人類はアフリカで誕生したそうです。 アフリカといえば熱帯で、衣服をまとう必要もなく裸でいるのが普通。 衣服は寒さ対策なんだな~と単純に思っていました。しかし南米の南端近くで、毛皮を羽織っただけで手足をむき出し、裸同然のまま厳寒の地に生きていた原住民が、かつていたそうです。というわけで裸であるというのは、生活のし易さだけによるものではなさそうです。(寒さに耐えられたのは、火を熾し暖をとっていたからで、単に寒さに強いといだけではないとのことですが) ところで人間はサルの仲間から何万年もかけて体毛を無くしてきたのだそうですが、それをサル学者は「・・・、身体のすべてを性器化した」といっているのだそうです。すなわち直接皮膚が触れ合うことは、感じる部分のレパートリーを広げているのだそうで、羞恥心あるいは、より魅惑的に見せるために衣服で隠すようになったというのです。 ところが、暑さや湿度の厳しい地にあって衣類は邪魔だから裸でいるのですが、そうするうちに裸に飽きてしまいます。 そこで身体に直接彩色や刺青、身体変更、などなどを加え、性的な魅力を再構成したのが、未開の地で暮らしてきた原住民たちだ、とのことです。 世の中の様々なことって、最後に行き着く先は性的なことが多いものですね。 和田正平著『裸体人類学』

白樺もどき・・・?

2011-01-16 | 風景
「そりゃ、なんだね、白樺?」
PCで画像処理していたら母が後ろで眺めていた。
「あ、いや、これは、雪がついて白くなってんだ」
「ふ~ん、ぉ~いやだ、寒い寒い」



写真の反対側から眺めると黒い肌の木の林です。
向かい風では眼を開けていられないし、じっと立っていることも出来ないほどの強風が吹く日曜日の朝。だれもいない海岸、その近くの林で、時折り激しく吹きつける雪に震えながら写真を撮ると、いつも見る変哲のない景色がガラリと違って見えて面白いもんです。







いしかわ県民陶芸展

2011-01-15 | その他
いしかわ県民陶芸展を観てきました。いずれも力作揃いで、見ていて楽しく和めるものばかりです。
それが200点近く展示されていました。自分も兎の鉛筆立てを出品したのですが、周りの力作に埋もれていました。(残念・・・というには力不足でした)
会場は金沢のラブロ片町ですが、久しぶりに行った片町はかつての繁華さはどこへやら、人通りが少なく何とも寂しげな感じでした。 街の様子も時代と共に変わるもんですね。 年老いて新陳代謝が衰えていくかのようです。
カメラを忘れ撮ってこれなかったのが残念・・・







漂着物考

2011-01-15 | 


浜辺へ行くと、とにかく沢山のゴミが目に入ります。海が荒れたあとなど驚くほど大きなものが打ち上げられていたりして、写真の被写体としても面白いものが・・・ということで、ときどき渚をぶらぶらすることがあります。 そんな人が他にも沢山いるようで、なんと本まで出ていました。 それが 『漂着物考(浜辺のミュージアム)』 写真集のような装丁でページ数も少ないのですが、面白さがギュッと詰まった一冊です。 



面白いものがあれば写真に撮っておしまいでしたが、どこからやって来たのか? とか、どんなものが多いのか? とか、年代とか季節による違いなど等、毎日行って見続けると、その変化がとても面白いに違いありません。 ネット上を探れば 「漂着物学会」なるものがあり、まぁ世の中ひろいなぁと感心することしきり・・・。



スーパー・カンヌ

2011-01-13 | 


J・G・バラードのサスペンス小説 「スーパー・カンヌ 」
殺人事件を追って元パイロットの主人公が、欧州の管理されたビジネスパークを舞台に真相に迫っていくというもの・・・映画を観ているような感覚でとても面白い。 でも訳者あとがきにあるのですが 「著者の弁による本書の目的は 『資本主義がわれわれを幸福に保ちモノを買い続けさせるには、人間のなかに潜む暗い部分と結びつくしかない』 という警告を発すること」・・・とのことです。 また・・・狂気が生みだす暴力によってしか外面の正気を保てないというビジョンの説得力が不気味であるともいっています。 ということで、けっこう重い面もある話です。 
ところで、J・G・バラードといえば、30年ほど前に読んだ 「狂風世界」 「結晶世界」 などのSFで知ったのですが、これらの破滅に向かう世界を描いた作品と、どこか共通するものがあるような気がします・・・といっても いまでは読んだなぁという思い程度しか頭には残っていないのですが・・・ とにかく、久しぶりの小説に浸かり楽しかった。

氷点下

2011-01-12 | 自然
一昨日の天気予報では、最低気温が氷点下。夜中に空を見上げてみれば星が見えた。
ってことは、放射冷却で寒くなるぞ~ ってことで、昨日は水溜りがバリバリに凍っていた。

久しぶりの撮影でした。




とりとめもなく

2011-01-11 | その他


父が大聖寺弁で 「 おい、死んだといや 」
「はぁ?」
耳の遠い父は声も大きくて、「〇〇イ、〇〇イが!」 と叫ぶが、そんな名前の知人は知らない・・・、
「お前の先輩の〇〇イの親父やって!」
ははぁ~ん、そりゃ 「〇〇エや、〇〇エ!」
父の同級生にして、元勤め先の先輩の親である。 前にも何度か指摘したことがあるが、なぜか〇〇イという名前になる。 そもそも新聞を見て気付いたのだから、そこにある字を読み、なぜ エ が、イ になるのか分からない。この先も、名前が出る毎に〇〇イというに違いない・・・、 
で、その通夜、お坊さんの説教があり 曰く、「・・・故人は、次の世代、その次の世代が幸せになることを願って・・・云々」という言葉がありました。 それを聞きながら、確かに子や孫のことは可愛いし、幸せになって欲しいと思ってあたりまえだけど、世の中で問題になっているのが世代間格差とかいうやつ、その一つが言わずもがなの年金問題で、次第に収支バランスが悪化するというもの。 が、その前に、就職率が低下したり、派遣労働やアルバイトしか働き口がないという問題があります。 すると、年老いて金の使い道のない裕福層と、若くて遊びたいのに金のない層が同居することになります。 で、孫が不憫で祖父母が小遣いを渡せば、「 ラッキ~、仕事をしなくったって大丈夫 ♪」 と鼻歌謡い・・・って、これじゃアカンだろうと思うのですが、早期退職した我が身を振返れば、娘は無職だし、なんと2世代に渡りスネカジリ・・・と揶揄されても不思議じゃない我家・・・どうすりゃいいのか・・・というようなことを、先日行ったS氏宅で話していたなぁ・・・・


秘密基地?

2011-01-10 | その他


昨日、S氏宅へ遊びに行きました。
和室がある2階建てを増築しようとしたところ、途中で気が変わり
天井がなく梁がむき出しの、内張りもない、車庫と物置と遊び場が
混然となった空間が出来上がりました。
冬の休日には、その中二階に薪ストーブを置いて暖をとり、
上で御餅を焼いてを過ごしているのだそうです。
壁には昔のポスターやら何やら一貫性のないものが掛けられ
子供が置いていった机や記念の品々が並び、奇妙な雰囲気をだしています。
小学生の頃、芦の茂みを搔き分けてつくった秘密基地の中にいるような
居心地のいいところです。



そこで、2、3時間ばかり、とりとめのない話に終始しました。





奇想遺産

2011-01-07 | 


先の著者、リチャード・ドーキンス氏はオックスフォード大学の教授とのことです。そのオックスフォード大学の博物館の写真が 『奇想遺産(世界のふしぎ建築物語)』という本に載っていました。 で、中世のゴシック様式を再現したものだそうで、石と鉄骨の建物の中に恐竜の骨格などが展示されている写真があって、こういうところで思索を巡らせているのかと思いました。 さて、この奇想遺産ですが、複数の建築史家、建築家、新聞社編集者などの視点から「奇想」と思われる古今東西の建築物などを紹介したものです。 ぱらぱら頁を捲り写真を眺めていくと、日本の太陽の塔や通天閣、オーストラリアのオペラハウスなど既知のものもあり、それほど奇異に感じることもないのですが、建築にまつわる背景や設計者などについての記載があって、少ない写真(1件あたり2枚)を眺めながら想像を膨らませられるような内容になっています。 この続巻、「奇想遺産Ⅱ」では、見たことがないものばかりで、より面白いような感じです。 建築物は大きいので、とにかく目立つものが多いわけですが、美術館・図書館など芸術品を収め、展示する場所ですから、それなりに美的だし、 それら以外でもアートなものが多々見られると思うと、それらを写真に撮り歩くってのも面白いはずです。 と思ったのも、この2冊にある写真では枚数が限られていて、もっと見たいという欲求をかきたてられるからです。 腹八分に留めているところが編集の妙というものでしょうか。