よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

カブとカメラと片手に本と

2012-03-31 | 風景



二日前、それはそれはいいお天気でした。
出かけないわけにゃいくめぇ・・・というわけでカブに乗って一回りしてきました。
で、龍ヶ鼻ダムの上にて一枚。 写真はぐんにゃりと曲がっているように見えますが、実際は真っ直ぐです。
曲がっているのは、NEX-5 でパノラマ撮影したせいです。
パノラマ撮影にしては、横方向が寸足らずのように見えるかもしれません。
通常のパノラマ撮影は横方向に回転させて撮るわけですが、すると上下の幅が狭くなって手前を入れるには窮屈なときがあります。
そこで、縦方向のパノラマ撮影に設定し、カメラを横にして動かしたのが上の写真です。
三脚に乗せて撮れば上下の幅が狭すぎないように撮れるのかも知れませんが、面倒というものです。
というわけで、手持ちでササッと撮れるNEX-5、なかなかに優れものであります。



さて、カブで走り回って、写真を撮って、公園のベンチに腰掛けて居眠り・・・至福のひとときです。


パノラマ~

2012-03-25 | その他



旅にでたら・・・出てもいないけれど・・・
「 パノラマ写真を撮りたいというものだろう !」
などと理由をつけて、簡単に、きれいに、手っ取り早く、撮るにはコレがいる。

というわけで、買ってしまった・・・SONY α NEX-5

それに軽い小さいとくれば、ポケットの中にも入るというもので、いつでもどこでも持ち出せるというものです。
ただし、眼は遠視、メガネなしでは何にも見えないというのが問題で、やっぱりファインダーを覗きながらの方が撮りやすいです。
それと、付属のRAW現像ソフトが物足りません。カメラ自体には様々な画像処理があって面白いのですが、それを帰宅してからノンビリとやりたいと思っても出来ないのです。 このあたりOlympusの方がアートフィルターで遊べたりするので随分と楽しいものになっています。

カメラ自体は、ボタンの配置、機能の割り付けなどとても上手く出来ていて、説明書を見なくても分かりやすいものです。
さて、これを持って早く何処かへ出かけたい・・・



それにしても、今日は寒かった。 
風は強いし霙は降るし・・・そんな中をカブで走るにはきつかった・・・


紅梅白梅

2012-03-22 | 



3月後半、お彼岸もすぎれば、ポカポカとした春らしい日があってもよさそうなものですが、今年はず~っと肌寒いままですね。
ウグイスの鳴き声もホーといったり、ケキョといったり、本格的な春にはもう少し・・・。とりあえず撮った写真を眺めながら待つことに。

 


過剰な人

2012-03-21 | 

ドフトエフスキーの小説に登場する人物を紹介しながら人間の味わい方を説いた本です。
「罪と罰」 「白痴」 「カラマーゾフの兄弟」 などなど有名な小説ですが、恥ずかしながら一度も読んだことはありません。
それでも、なんとなく読んだような気にさせてしまうのですが、話の筋を紹介するというよりも、登場人物たちの灰汁の強さというか、皆々尋常ならざるエネルギーの持ち主たちの内面を語るので、まるで映画の予告編を観ているような感覚といえるのかもしれません。
まえがきにて 『現代日本で問題なのは人間のパワーが減ってきていることであり、それを回復するには人間の理解力が必要』 といいます。 そのためには 『つい一言多い人、加減を知らずに仕事をしすぎる人、厚かましくて鬱陶しい人 』 などなど、それら典型な登場人物たちが 『過剰な人』 であり、その博覧会が、ドフトエフスキーの小説なのだそうです。
そういえば、そういう人は、団塊の世代まで多くいたように思いますが、最近では草食系なんていわれて、どうも少なくなっているかもしれません。
でも、わたしのような目立たずに生きている 「不足な人」 もいれば 「過不足ない人」 そして 「過剰な人」 と、バランスの取れた社会構造がやっぱ平和なんでしょうね。やっぱバランスだな・・・などと思いつつ、過剰な人 の方が人生面白いでしょうね。 幸不幸は別として。


冬のライオン

2012-03-20 | 

ノンフィクションの短編集です。
アフガニスタンの従軍記、エボラウィルスと闘う医師たちなどなど、TVの報道などで聞きかじっていても、どこか遠い世界の出来事だと冷めた目で見てしまいがちですが、読んでみて分かる実情というか、生暖かい日本に住んでいては分からない厳しい現実というのが有るということを突きつけられる一冊であります。

ところで、この中に「死の迷路からの帰還」というのがあります。
森の中で迷ったときに人間はどうなるのかといった内容で、これが一番身近なものです。
数年前のことですが、まだ雪が残る標高1000mほどの山へ行ったときのこと、帰りは足跡を辿っていけばいいと思っていたのですが、なんと途中で見失ってしまいました。
そろそろ夕暮れが近づく頃で、早く帰らなきゃという思いが強かったせいか、大いに焦ったものです。 

ベテランのハイカーであっても初めての森で道に迷った場合、死の危険が大いにあるそうです。 道が整備され外れさえしなければ大丈夫というような山でも、何が起きるか分からないので、低い山でも気をつけたいものですね。


久しぶり

2012-03-17 | 



久しぶりに漫画・・・『 信長協奏曲 』

飄々とした性格で勉強嫌いな高校生が戦国時代にタイムスリップします。
タイムスリップしたその場所に居合わせたのが織田信長で、なんと二人は
瓜二つ・・・。

信長本人は病弱で、家督を継ぐには荷が重いと、代わってくれと頼んで去って行きます。
何が起きたのか分からない主人公は、周りの状況を少しずつ理解しながら
、おぼろげな歴史の記憶でもって 『天下をとらなきゃ』 と思いたち・・・。

歴史について疎い読者(私)にとって 主人公は、一緒に勉強しているような存在で、物語の中に身を置いているような感じというか、じつに感情移入しやすいのです。
そんでもって明るく気さくで行動的なんで、楽しくてしょうがありません。

というわけで、友人N氏に勧められ、借りた ①から⑥巻まで、楽しく読まさせてもらいました。

久しぶりに楽しいマンガです。 これお薦め!


ようやくというか ついにというか

2012-03-17 | バイク

今年になってカブpro110に乗るのが めっきり減って、昨年末から300kmほどしか走っていません。
だから、まだ大丈夫かな~と思っていたけれど、そろそろ乗る機会も増えそうだ・・・というわけでエンジンオイルを抜いてみれば、粉体が混ざったような茶色の油がドロドロドロ・・・
「も、もう少し早めに交換しておけば良かったかも・・・」と思えるほどの汚れ様です。
次にチェーンを見ると・・・ようやくというか、ついにというか、写真のように外プレートの周囲に茶色い粉状のものが付いていて、摩耗しだした様子です。そういうところが 4 ・ 5箇所ほどあります。
こちらも、もう少し早めに注油しておけばよかったかもしれません。 と反省しつつ

茶色の摩耗粉が出ているのは、写真のように外プレートの右側です。 他の箇所でも同じです。(写真は環になっている下側を写したもので、右が進行方向です)
 チェーンの磨耗は隣り合うリンクが屈曲するとき、ピンとブシュが擦れ合って起きるわけですが、その度合いは屈曲の角度と力の大きさが影響します。 で、それが一番大きいのはエンジン側スプロケットに引張られつつ噛合うときになります。 このとき外リンクの進行方向前側にあるピンとブシュが衝撃を伴った大きな力を受けつつ擦れ合うのですが、後ろ側が噛合うときには、内リンクが張力を受持つので、それほど大きな力を受けません。 逆に後輪側スプロケットから噛み外れるときは、後ろ側のピンに荷がかかるものの、衝撃は無く屈曲角度も小さいことから、前側が受ける負担よりも小さくなります。

というわけで、チェーンの摩耗伸びというのは、外リンク進行方向前側のピンとブシュになるわけですね。

それも油を切らさなきゃ、大きな摩耗にはならないわけで・・・
 
ものぐさは敵だ~

「センス・オブ・ワンダー」を探して「猫まみれ」

2012-03-12 | 

生物学者の福岡氏と阿川佐和子さんの対談です。

主に阿川氏が聞き手となって福岡氏が語る生命の不思議について記されていて、とてもワクワクする内容です。主に生物の動的平衡について説明されているのですが、それは川の水が絶え間なく入れ替わっていても全体として恒常性が保たれているように、生物も同じように分裂しない細胞(心臓や脳など)であっても摂った分子や原子と入れ替わってるのだそうです。そして、そういう動的平衡にあって様々なことが関連つけられているというのに、現代医学ではパーツに分けて機械論的に扱っているとして、疑問を呈しています。 ただし動的平衡は科学界では主流じゃないそうです。というのも「メカニズムとして身体を考えるから医学が成立し、薬が開発され・・・というのに対し動的平衡では、できることなら薬は飲まないほうがよいとしているので、それじゃ経済が回らないから資本主義の社会には馴染まないから・・・」 とのことです。

で、それやらこれやら話しがいろんな方面へと及ぶ福岡氏の博識と洞察には驚かされるばかりですが、そういったことの基になっているのが子供の頃に受けたセンス・オブ・ワンダーなんだと。

「センス・オブ・ワンダー」というのは、レイチェル・カーソンの本によれば「神秘さや不思議さに目を見張る感性」とのことで、後に知識や知恵の土壌になるというのです。 でも大方の子供は不思議に思うことがあったとしても、大人になれば 「まぁそんなもんだ」と忘れてしまうと思います。もし忘れずにいたとしても簡単に解けるものは少ないだろうから、いつしか諦めちゃうのですよね。 でもでも、こういう話が面白いと思えるのは、誰しも子供の頃に得た感性を残しているからかもしれません。 それと、その本によれば「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要じゃないのだとか・・・物覚えのワルイ自分としては何だかとっても助かる言葉です。 え、そりゃ子供の頃の話だって・・・ぅ~む。

・・・とかなんとか思いつつ、猫の絵や彫像を集めた本 「猫まみれ」 を炬燵に入って眺めています。

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