よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

そういえば・・・

2010-12-20 | 


去年だったか、北極圏の海氷が急激に融けて大変なことになる・・・
と騒いでいたのがウソだったとかで、これまた大事になっていたけど、
本とのところは、どうなのか、ますますもって分からない温暖化です。



湯気があがっている。 ってことは

2010-12-17 | 


昨日、路行く車のなかに雪を乗せているものがいました。
雪混ざりの雨が降る寒い日でしたが、ふと思いたち海へ・・・(アホである)
すると、防波堤にあたり砕けた波の先から湯気が濛々とあがっています。
気温と海水温の差が大きいのでしょう。

波の高さはたいしたこともないので、よく見ようと近づいたところ、
すっぽりと湯気に囲まれてみれば、なんとまぁ、暖かいではないですか。
まるでお風呂の中のようです。
で、はたと思いました。 平野部の積雪が減ったのは、昔ほど寒くなくなったのは、対馬暖流が元気だからかも・・と。 ところで北大西洋海流が行き着く欧州、ロンドンの緯度は北緯51度にて1月の気温は5~9℃ですが、それより低い緯度43度の札幌の1月平均気温が氷点下です。 と思うと、海流が地域の気候に大きく影響しているということに驚かされるのです。 で、その対馬海流ですが、気象庁のHPを参考にすれば、対馬海流の流量は冬季から春季にかけて小さく、流路は不連続で複雑な形状を呈するとのことです。 ということは、本来の流量より増えたのか、あるいは流路が変わって北陸沿岸部により接近して流れるようになったのかもしれません。 その原因が何か分かりませんが、安直に考えれば地球温暖化・・・? その影響が日本海という狭い海域に増幅して現れた・・・なんてことはないでしょうか。
さて、その暖かな湯気に触れ、海って温かいんだなぁ・・・と眺めていたら、高い波が来て 「〇×△※〇□x!!」



加佐の岬

2010-12-16 | 風景


とくに記事はありません。 先日撮った加佐の岬の風景など・・・



それにしても吹き飛ばされそうな風で、合羽を着ていても寒さで鼻水が垂れてきます。
でも、波や雲の面白そうな様子を撮ろうとすると、こういう時期か、台風でも来ないとダメなんですね。
厳し~い条件のときほど面白いというのは、なかなか難しいもんです。

フラグメント

2010-12-15 | 


「フラグメント(超進化生物の島)」
何億年も隔絶された孤島で独自の進化を遂げた生物とのファーストコンタクト的SFです。
先の「進化の運命」が収斂を根拠に知的生命は人間のような姿形になるだろうというものとは反対にS・J・グールドが提唱する話を基に異なる形態で表れます。はてさて時計を巻き戻し、もう一度進化を繰り返したときには、本当のところどうなるんでしょうか。 それはさておき、この本はまるで映画を見ているようなもので、 「遊星からの物体X」 「「バイオハザード」 「エイリアン」 などなど、そうした物語に出てくる怪物にグロテスクさでは引けを取らない者たちが闊歩する世界で、展開は目まぐるしく、あれよあれよと話が進んでいき、なんとも都合のいいお話しだなぁと思いつつも、楽しめるものでした。 でも映画化したとすると、豪華B級映画になるんだろうなぁ・・・といった感じです。 ところで、話の中で生物の寿命について語るところがあるのですが、曰く「寿命は近親相姦を防ぐためのものである。世代間交代の間隔が長くなればその分寿命は延びる・・・すなわち世代間繁殖の可能性を排除することによって生物体の遺伝子の完全性を保ち続ける、というメカニズムを持っている・・・」のだそうです。 これが作者の小説上の単なる空想によるものなのか、どこかの学者の説を用いたものかわかりませんが、全くもってデタラメでもなさそうだなぁ~と思わせられるところが面白さの一面にもなっているように思います。


外野の視点

2010-12-13 | 


今まで読んだ生物を扱った本には、宗教が絡んでいるものが多く、
方やキリスト教信者であったり、片や無宗教論者であったりする。
それぞれの信条にしたがって、進化に対する考え方を陳べているが、
お互いの主張が気に入らないのか、まるで口喧嘩のようである。
宗教的思想が希薄な自分には理解しづらいのだが、
サイモン・コンウェイ=モリス著『進化の運命』は
高度な文明を築いた人間のような存在は我々が唯一の存在である。
人間の進化は、神による創造という概念と矛盾しない・・・のだと・・・ 

それはさておき、論戦喧しいのも
欧米文化だからこそなんだろうなぁ・・・

不思議

2010-12-12 | 


「進化の運命」という本を借りてきた。
内容は進化の収斂現象を基に生命は知性に辿りつくというもの。 で、収斂の数多事例だけではなく、地球の誕生から銀河の果てまで話しがおよび、それはもう壮大なお話しでとっても面白い。なかでも感覚器官や知性についてのクダリでは、我々が視覚を主に使って外界を認識しているのに対し、可視光線が届かない世界に住む生き物たちは、聴覚・触覚・電気などでモノを見ているということや、蟻は群れ全体が一つの巨大な複眼として機能する集団的知性の持ち主などなど。思いもよらない不思議で奇妙で魅力的な世界に溢れているんですね。 ところで、その収斂というのは、外見だけじゃなくて例えば頭足類と我々の眼球が構造的に似通っているだけじゃなく組成的にも同じ蛋白質を用いているとのこと。そこから、ある機能を持たせようとすると手段は限られているので、飛躍するようだが宇宙人がいたとしても我々人間と似通ったものになるんじゃなかろうかと云っている。ただし宇宙人がいるかどうかは別として・・・
その一節を載せると・・・s・j・グールドが力説したのは、生命史のテープを再生すると、そこにはまったく異なった生物圏が現れるだろうということだ。人間に少しでも似た存在などかけらも見られない。だから、銀河を超えたはるかなかなたの別の生物圏は、地球上のどんなものとも似ても似つかないものだという考えが強化される。たそがれの干潟を横切ってズルズルと進むものはいたとしても、音楽や笑い声などは望むべくもないのだと。しかし、進化について私たちが知っていることは、まさにこれと正反対のことを示唆している。すなわち、収斂はあまねく見られ、生命に制約があるために、さまざまな生物学的な特質は、必然的にとは言わないまでも、かなりの確立で出現すると考えられるのだ。ホモ・サピエンスに相当するものは遠くの惑星には出現し得ないという議論は的をはずしている。問題となるのは、私たちが正確にどの道筋をたどって進化してきたのかではなく、進化のさまざまな可能性が積み重なることで私たちの人間性が結実したのではないかということだ・・・

運勢

2010-12-09 | 風景


東京神宮館開運歴によれば、2011年の運勢は・・・イマイチ。「・・・やる事なす事がちぐはぐで、忙しい思いをするわりには成果が期待できず・・・起業、開業、移転、建築、建墓、増改築等凶」だそうです・・・って信心深くもないので、気にすることはないと思いつつ・・・なんとなく引っかかるものです。 ちなみに今年は万事好調とのことだったので、気を良くしていたので、退職したって何とかなるさ、北海道行だって楽しかったし、その他諸々上手く行ったよな~と思っていましたが、毎年は続かないんですね。 来年はじっと我慢だな・・・それと方位的には東西が凶、南北(どちらも西より)が吉だそうです。 旅に行くなら中国地方、九州・・・出雲、熊曾・・・さきの歴史探訪といきたいところです。

そういえば

2010-12-08 | 風景


手塚治虫『火の鳥』の黎明偏は邪馬台国を舞台の一つにしたお話しでした。
先の出雲王朝は、それより先の話しらしいのですが、 今より未来、
SFにあるように文明が滅んだとき、あらゆる文献が失われてしまったとしたら、
今の世の中は、どんなふうに語り継がれていくんでしょう。

昔々

2010-12-06 | 風景


芸術新潮2009年10月号の大特集、「梅原猛が解き明かす 『古代出雲王朝』 」という記事をみました。
古事記や日本書紀があるということを教わったのかもしれませんが、全くもって理解の出来なかった歴史。 縄文・弥生時代ときて邪馬台国あたりから日本の歴史が始まるんだろうなぁという漠然としたイメージしかなかったのですが、その意味するところの面白さを少~し味わうことができました。
記事によれば、『古事記を素直に読む限り、アマテラスを開祖とするヤマト王朝の前に、スサノオを開祖とする出雲王朝があった』 とのことです。
古事記に記されている神話は作り話というのが歴史家の解釈だったそうですが、近年の発掘が単なるフィクションじゃないと裏付けているらしいです。
その神話というのが、ヤマタノオロチ退治 - 因幡の白兎 - 大国主の神話・・・と続く出雲神話です。 で、ヤマタノオロチ退治というのが只の物語ではないとすると、何かってのが面白いところで、出雲国風土記を参考にしながら、曰く『ヤマタノオロチとは越の国、すなわち北陸地方の越前・越中・越後などの豪族から出雲の民衆を守った話であり、それが出雲王朝の始まり・・・』だというのです。  さらに『因幡の素兎では、オオクニヌシが因幡の国のヤガミヒメを娶りにいった話・・・』となりまして、記事が面白いのでそのまま載せるると『・・・因幡は現在の鳥取市周辺で、出雲からは遠く、伯耆(ほうき)の国を通り越して行かねばならぬ。おそらく当時、すでに伯耆の国は出雲王朝の支配下にあったのであろう。とすれば、次に狙うのは因幡の国である。そのヤガミヒメと結婚することは、因幡の国を出雲王朝の支配下に置くことを意味し、ヤガミヒメを娶った王子は、王朝で優位な位置にたてるのである。それゆえ、八十神たちは躍起になって因幡参りをしたのであろう。ところがヤガミヒメを婿に選んだのは、その中で最も身分の低いオオナムヂ、すなわちオオクニヌシであった。・・・怒った八十神は、火で焼いた大岩を山から落としたり、大木で挟み潰したりして殺害するのだが、母に助けられて幾度となく蘇生する。 しかし更なる攻撃を恐れた母はオオクニヌシをスサノオの支配する黄泉の国へと送る・・・』 とまだまだ続く、まさに冒険活劇ファンタジーそのものです。 
出雲へは2、3回行ったことがありますが、というわけで、また行ってみたくなりました。