よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

昔々

2010-12-06 | 風景


芸術新潮2009年10月号の大特集、「梅原猛が解き明かす 『古代出雲王朝』 」という記事をみました。
古事記や日本書紀があるということを教わったのかもしれませんが、全くもって理解の出来なかった歴史。 縄文・弥生時代ときて邪馬台国あたりから日本の歴史が始まるんだろうなぁという漠然としたイメージしかなかったのですが、その意味するところの面白さを少~し味わうことができました。
記事によれば、『古事記を素直に読む限り、アマテラスを開祖とするヤマト王朝の前に、スサノオを開祖とする出雲王朝があった』 とのことです。
古事記に記されている神話は作り話というのが歴史家の解釈だったそうですが、近年の発掘が単なるフィクションじゃないと裏付けているらしいです。
その神話というのが、ヤマタノオロチ退治 - 因幡の白兎 - 大国主の神話・・・と続く出雲神話です。 で、ヤマタノオロチ退治というのが只の物語ではないとすると、何かってのが面白いところで、出雲国風土記を参考にしながら、曰く『ヤマタノオロチとは越の国、すなわち北陸地方の越前・越中・越後などの豪族から出雲の民衆を守った話であり、それが出雲王朝の始まり・・・』だというのです。  さらに『因幡の素兎では、オオクニヌシが因幡の国のヤガミヒメを娶りにいった話・・・』となりまして、記事が面白いのでそのまま載せるると『・・・因幡は現在の鳥取市周辺で、出雲からは遠く、伯耆(ほうき)の国を通り越して行かねばならぬ。おそらく当時、すでに伯耆の国は出雲王朝の支配下にあったのであろう。とすれば、次に狙うのは因幡の国である。そのヤガミヒメと結婚することは、因幡の国を出雲王朝の支配下に置くことを意味し、ヤガミヒメを娶った王子は、王朝で優位な位置にたてるのである。それゆえ、八十神たちは躍起になって因幡参りをしたのであろう。ところがヤガミヒメを婿に選んだのは、その中で最も身分の低いオオナムヂ、すなわちオオクニヌシであった。・・・怒った八十神は、火で焼いた大岩を山から落としたり、大木で挟み潰したりして殺害するのだが、母に助けられて幾度となく蘇生する。 しかし更なる攻撃を恐れた母はオオクニヌシをスサノオの支配する黄泉の国へと送る・・・』 とまだまだ続く、まさに冒険活劇ファンタジーそのものです。 
出雲へは2、3回行ったことがありますが、というわけで、また行ってみたくなりました。