先日、カタクリの花を撮りに行った勅使の法皇山には、横穴古墳群があって、いまから1400年前ころに盛んに埋葬されていた墓とのことです。
以前、日本の歴史を勉強しなおしました。 早くもほとんど忘れてしまいましたが・・・法皇山を訪ねて地元の歴史について何も分っちゃいないってことに気付きました。 そこで図書館から借りてきた 「加賀市の歴史」 をみると・・・
・・・勅使より下流域の分校には前山古墳、チハカ古墳があります。 こちらは「動橋川の水利権を持った、畿内王権と結びつきの強い豪族の墓と推定されているそうです。
さらには、二子塚町に国の指定史跡になっている 狐山古墳があります。 ↓↓
この古墳は、全長55mの前方後円墳で、江沼最大のものだそうです。
「直径25mの後円部にあった板石を組合わせた箱式石棺は、内部全体に朱を塗った見事なもので、安置された壮年男子の遺骸の周りには銅鏡をはじめ多くの副葬品が置かれていた・・・」
というわけで、日本の古墳時代中期から後期にかけて、当地でも多くの墳墓が造られたようです。それらは動橋川中流域に集中しているようで、この辺りが当時の加賀市(江沼の地)の中心地だったようです。
時代を遡り、弥生時代のものとしては、高床式倉庫の痕が発見された、猫橋の遺跡跡あるそうです。
さらに遡って、縄文時代(紀元前3000年ころ)の柴山水底貝塚なんてのが見つかっているとのこと・・・わが町大聖寺が表に出てくるのはずっと後になってからのことです。
それにしても、歴史の本って難解です。 自分のアタマが歴史向きじゃないってことが よーく分った 「加賀市の歴史」でした (トホホ)