よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

オジサン世代のカメラ観

2012-02-08 | 風景

白峰、雪だるま祭りにて Olympus E-5+ZD12-60

 

以前、おじさんにとってのカメラは、
『 男は黙って巨漢大砲主義っすよ! がははははっ 』
ってな、おバカな記事を載せました。

すなわち、カメラ・レンズは、これみよがしに自慢できるものを持っていたいんじゃなかろうか・・・というものです。

そのオジサン、つまり団塊の世代の人たちが大量に退職し、暇とお金を持て余しているはずです。

その人たちがカメラを趣味にしようとしたとき、olympusが新たに出すOM-D・EM-5は、どう映るのでしょうか?

「昔のカタチで出ています・・・ってか」 ではなく

「これこそカメラのカタチだよね」 と言われればいいのですが・・・

ひょっとして 「ターゲットは若者世代っすよ、他社の中上級機に比べりゃ半値だし、カタチだって彼らにすりゃ新鮮だろ・・・」って具合なんでしょうか。

FTユーザーの自分としてはカメラ事業を継続してもらいたいので、大いに売れることを祈っているところです。


ところで、

2012-02-08 | 風景

白峰 『雪だるま祭り』にて、olympus E-5+ZD12-60

この雪だるま祭りへ行くと、かならず大きな「アンパンマン」と「バイキンマン」が出迎えてくれます。で、今年の出来栄えは、ご覧の通り『おみごと!』 でありました。 去年一昨年の作もどうぞ・・・

 

 

ところで、話は先日の続きですが・・・

李氏朝鮮が500年もの長きに渡り存続できたのは、日本が江戸時代に鎖国政策を執ったことや、欧州各国が覇権を競う時代にあって清の関心がそちらに向いていたことがあったからかもしれません。

そこで現在の北朝鮮の如く、支配層の安寧を第一に民衆が苦しもうがどうしようが、清におもねって、ひたすら平穏を祈り続けていた結果ではないでしょうか。

しかしそれは18世紀以降のことで、17世紀は清が建国するにあたり明との戦争があり、それに巻き込まれて散々な目に遭っている。その前には豊臣秀吉の日本軍に攻め込まれ明の助けを借りて何とか凌いでいるし、倭寇には常時荒らされ続けていたわけで、命までは獲られないように貢ぎ続け、内向きに生きていたのだと思います。

そういう李氏朝鮮ですが、設立当初は多少の気概もあったと思われて、倭寇の拠点となっていた対馬に侵攻した「応永の外冦(1419年)」を起こしています。ただし対馬の反撃により引き返しており、大した戦力ではなかったようですが・・・。

さて、この時期の日本は室町時代であり、戦国時代へと続き、日本のこの混乱に乗じて攻め入る隙があったと思うのですが、それが無かったのは朝鮮や明の国力を削ぐように活動した倭寇の存在が大きかったのかもしれません。

で、そこから勝手な想像をするに、日本の各地に諸大名が乱立している間も常に皇室が存在していたのであり、それが倭寇を利用していたのではないか・・・と。
そもそも倭寇は、明の前にあった元が李氏朝鮮の前身である高麗の進言により日本を攻めた元寇が原因で、その復讐としてゲリラ的に大陸・半島を襲ったのが始まりとのことです。 各地の武家が自分の領地拡大に勤しんでいるとき、日本が攻められたという記憶を持ち続ける皇室としては何らかの手を打たなきゃと思うのが自然というものではないでしょうか・・・。

というわけで、この時代、皇室について語られることは少ないようですが、戦国時代の別の一面として面白い物語を作れそうに思うけれど、どうでしょう?

くしくもヨーロッパの大航海時代だし「パイレーツ・オブ・○○○」とか・・・で、まぁお話としては、元寇の頃の鎌倉時代から始まり、対馬の守護代 宗家の武士を主人公として日本朝廷の密使や幕府の何某らが、元寇に捕らえられた宗家の姫君を助け出すべく、日本の海賊(倭寇)と手を組んで高麗へ潜入する・・・という戦国サスペンス・・・