よろずよもやまよろずたび

地元の写真と日々の雑感、写真日記です.
最近は陶芸三昧の日々ですが・・・

御願神事 (竹割り祭り) 3

2012-02-14 | 

若い人たちの威勢のいい姿はいいものです。

御願神事始まりの頃の7世紀に戻り、そこから更に遡ること100年ばかり、古墳時代と呼ばれる頃のこと、朝鮮半島の一部に任那(みまな)という国があったとのことです。(いまだにwikipedia内をうろついています・・・(^^; 

任那は、『ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団による統治機関や、軍事的影響力および経済的利権の存在について認める様々な見解がある』 そうですが、何れにしても日本が影響を及ぼしていたと思われます。
当時の朝鮮には、加えて満州にまで及ぶ地域を治めていた高句麗と西側の百済及び東側に新羅が存在していました。 

高句麗は、韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』に続く『朱蒙(チュモン)』(韓国で50%を超える驚異の視聴率を記録した壮大なスケールの歴史エンターテインメントとのこと)が始祖の国だそうです。この基になっているのは1145年に完成した歴史書「三国史記」だそうですが、さらにその基になったという資料が存在しておらず、中国の資料に登場する3世紀以前の部分については疑わしい内容だそうです。
そもそも三国史記によれば「主人公の朱蒙が卵から生まれた」そうなので、ファンタジーそのものといっていいのでしょう。

また高句麗人は、民族的に言語体系などから満州にいた扶余と同じとされています。そうしたことから、「高句麗は古代中国にいた少数民族である夫余人の一部が興した政権」であり、「高句麗は中国の一部であり自国の地方政権で中国史の一部だ」と中国側が主張しています。それに対して韓国側も「当時の中国に一貫して中央政府と呼べる統一王朝が存立していない」などと反論し韓国史であるとしているそうです。(話が噛合っていないようですが・・・)

どちらの歴史だろうとかまいませんが、高句麗は唐と新羅によって滅ぼされているので、いまの韓国、そして李氏朝鮮、高麗の前身である新羅が朝鮮を統一した基であるなら、高句麗が朝鮮民族の歴史ではないとしても、何ら問題はないように思うのですが、そこに拘るのは、さすが韓国らしい・・・というかなんというか。

ともかく、高句麗が建てられたという紀元前1世紀頃は、中国が前漢時代であり、朝鮮半島が、原三国時代と呼ばれる時代であって、弁韓、馬韓、辰韓と呼ばれる地域があり、加えて中国の行政機関であった「楽浪郡」がありました。そして、弁韓は任那に、馬韓は百済に、辰韓は新羅へと、国としての体制を整えつつある時期だったということで、そこに高句麗が入り込める余地は無かったように思われます。

さて、中国の紀元前1世紀までの歴史を遡りながら見ていくと、唐→隋→南北朝時代→五胡十六国時代・東晋→西晋→三国時代→後漢→新→前漢・・・と目まぐるしく支配者が代わっています。
逆に時代を下れば北宋→南宋・金→元→明→清というように代わり、また領土もその時々によって大きくなったり小さくなったりして、支配する民族が入れ替わり立ち代りしているのです。しかし一貫しているのは中華思想です。直接統治するか、冊封体制に組入れて従属させるか、方法が違ったとしても地続きで影響を及ぼせる範囲は我がものであるというのが中国です。

というわけで、朝鮮は中国に文化も遺伝的な面でも大きな影響を受けていると言えそうです。 それでも韓国や北朝鮮では独自の民族であるとして檀君朝鮮というのが紀元前2333年からあったとするところなど、これまた朝鮮らしいのかもしれません・・・。紀元前2333年といえば、 考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝である殷(いん)よりも7世紀も前のことであり、いくらなんでも、それはないかな・・・と。

話が随分と逸れました。任那に話を戻すには長くなりましたので、次回に改めたいと思います。 それにしても・・・wikipediaの中をさまよいながら、日本、朝鮮、中国の歴史というものが、おぼろげに見えてきたような気がしているところです。