たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宝塚歌劇in東京スカイツリー_展望回廊_輝きの奇跡展より(6)

2019年02月28日 23時04分38秒 | 宝塚
 早いもので昨年3月4日に東京スカイツリーを訪れてから一年が過ぎようとしています。やっと出かけた休日の大都会。わたし、この少しあとウィルス性胃腸炎で一週間ほど動けなくなり一番忙しい時に有給休暇の半分を使う羽目に・・・。心身共にこたえました、という話はおいといて、忙しいときには整理しきれていなかった残りの写真をようやくまた整理。今さらですが気分転換にアップ。ご興味があれば・・・。

2013年・2015年の台湾公演と2018年台湾公演の予告、

2018年の台湾公演をライブビューイングで夢中でみたあとなので懐かしいものになりました。






各組の紹介と現在のトップスターの紹介文。





あちらもこちらも輝いていました。






350階のカフェの窓からの夕暮れ、16時34分でした。



展望回廊の夕暮れ、17時57分でした。



一年が過ぎ、退団者一名、退団予定者二名。




350階に展示されていた江戸時代の東京の絵だったと思います。



この並びも今年の10月13日まで。一回一回、一期一会の出会い。





 自己満足に過ぎませんがためこんでいた写真をようやく整理できました。まだ去年の夏のKITTEの写真があるんですね~。いつも撮るだけ撮って整理できないまま日々は過ぎていきます。また忙しくならないと困っちゃいますが、忙しくなるとまたため込んでしまうことになるし、そもそもライブビューイングも大劇場日帰りツアーも厳しくなるかなあ。ジレンマ。利便性の高い所に住んでいる方を除けば、みなさん、遠くまで出向いて夜遅く帰ってきて翌朝早く出勤しているんですよね・・・。


日中の居場所

2019年02月28日 11時36分04秒 | 日記




「村の夕べ

羊をつれた羊飼いが、
静かな小路(こうじ)を通ってはいって行く、
家々は眠たげで、
もうたそがれ、居ねむりしている。

私はこの村の中で、
いまただひとりの異国人だ。
悲しむ痛む私の胸は
あこがれの杯を底まで飲みほす。

道がどこかに私を連れて行っても、
どこにでもなつかしいかまどの火が燃えていた。
ただ私だけはついぞ、自分のふるさと、
自分の国というものを感じたことがない。


 寝ようとして

一日のいとなみに疲れて、
私の切なる願いは
疲れた子どものように、
星月夜をしみじみと抱きしめる。

手よ、すべての仕事をやめよ、
ひたいよ、すべての考えを忘れよ、
私の五官はみな
まどろみの中に沈もうとする。

魂はのんびりと
自由な翼で浮かび、
夜の魔法の世界に
深く千変万化に生きようとする。

葉祥明 ヘッセの詩によせて 

受験を控え、やりたいこともやらず、
頭のどこかにいつもその事が
暗雲のように覆っていた少年時代に、
ヘッセの自伝的小説「車輪の下」を読みました。
当時の自分の境遇と
小説の主人公を重ね合わせ、
自分の暗い人生を思い
気分が重くなったことを憶えています。
人はこの世では職業人として生きることを
余儀なくされているけれど、
本当はもっとその人にふさわしい、
その人ならではの人生があっていい筈
という思いは今も強くあります。
どうやら少年時代だけではなく
大人になっても、人は車輪の下で
喘ぐことになっているようです。
だからこそ、野に出て、野に遊び、
野に生きていきたい!という
思いにあふれたヘッセの詩、ヘッセの詩心が
私の胸を打ちます。
そして詩人を天職と考えていたヘッセを
私が今とても身近に感じているのは、
同じ七月生まれだからでしょうか。

詩は「ヘッセ詩集」(新潮社)第十巻 高橋健二訳より引用しました。)」

 この文章は、昭和58年9月1日サンリオより発行された『月刊詩とメルヘン』より、「特集葉祥明画集野のしらべ」からの引用です。実家に戻り、断捨離をしている中で30年ほど本棚に眠っていたこの雑誌に再会しました。文学少女だった私は高校を卒業して地方銀行に就職してからも心の片すみではいつも物書きになりたいという思いがくすぶっており、『詩とメルヘン』『MOE』を愛読し、時々メルヘン?童話?らしきものを投稿してみては自分の名前がどこにもないのに落胆していました。銀行の仕事は忙しく、気がつけばお昼を食べない日々が2カ月ほど続くと体重が一気に5キロ以上落ちていました。以来デブと弟にからかわれていた私が太るということはもうないのですが、20才前だった私には自分がこのまま涸れていってしまうのではないかという危機感がありました。こことは違う本当の場所が自分にはあるはずだ、本当にやりたいことは他にあるのだという社会に対する反発心のようなものが若き日の私には強くありました。

何のために働くのか、働く意味はどこにあるのか、知りたいと思いました。それから30年余り、卒業論文を書くにあたり参考文献を何冊も読みましたが答えを見つけることはできませんでした。自分なりの考えをまとめようとしましたが尻切れトンボのままいい加減時間切れとなってきたので、分厚い卒業論文を提出しました。その後13年間ハケンとして働いた大会社から使い捨て同然の扱いを受け、社会に対する怒りと悔しさのマグマを沸々とさせながら2年近く社会から孤立し続けた日々の中で最大の気づきは、働く場所がある=日中の居場所がある、必要とされる場所がある、ということなのだということでした。こんな会社、って思いながらも毎日行く所があったということは日中の居場所があったということなのだとわかりました。日中の居場所を突然、しかも使い捨て同然というかたちでなくした辛さは言葉にたとえようがありませんでした。弁護士事務所、そしてユニオンにいったら労働紛争になりズタズタに疲弊した私が立ち直ってくるまでには、また新たな日中の居場所に出会い苦労する2年程の歳月が必要でした。資格を生かしたウルトラハードな業務は私の心身を消耗させましたが、おかげで大会社と労働紛争で受けた傷を忘れることができました。あまりにもハードだったので細かい成り行きはもう頭の中から抜けてしまい思い出すことはできません。残念ながら契約ベースの細切れは、なかなか安定には結びつかず、家賃を払い続けるのが厳しくなってきたので実家に戻ることにしました。
そして今また新たな居場所探し。居場所があるということが必ずしも職業人としているということだとは思いません。専業主婦になっていたら家以外の日中の居場所がなくても社会からの孤立感やうしろめたさから解放されているのでしょうか。わかりませんが子育てを卒業した同級生たちはまた外に働きに出ています。現実には茂木健一郎さんの言葉を借りれば、職業人としてではなく「本当はもっとその人にふさわしい」道を歩むことができるのは、ほんの一部のクリエーターたる人にだけ許されることではないかと思います。ごはんを食べさせてくれるスポンサーがいないかぎり、多くの人は職業人として社会の中で生きて行かざるを得ません。ウルトラハードな業務で普通に生きることの難しさ、尊さを深く感じたことにより、何のために働くのかという答えをどこかに求めたいという気持ちは消えました。そんな問いかけはもう自分に必要ないように思えてきました。ウルトラハードな業務をしている間このブログに何度もしたためましたが、普通に生きることが実は一番難しいのです。普通に暮らしているとわかりませんが普通に生きることが叶わない人たちが、普通の家に生まれてくることのできない子どもたちがいるのです。ウルトラハードな業務経験を生かしてまた新たな居場所を見つけようとしていることが、本当に私の人生にふさわしいことなのか、私の人生にとって正解なのかわかりません。書きたいという思いはこうしてブログをしたためることである程度叶えることができています。クリエーターとしてごはんを食べていけるだけの能力があるものでもなし、ほんの少しばかり人の役に立つことができて、観劇や旅にでるためのお金を稼ぎたいというシンプルなことを叶えたいに過ぎません。シンプルなことが一番難しいとわかったので、実は一番難しいことを叶えよとしています。若き日の自分が心を揺さぶられた文章を同じように読むことはできませんが、批判もしません。詩人たることが許されるのは、ほんの一部のクリエーターたることができる人だけ、それでごはんを食べていくことができる人だけだというのが私なりの着地点のようです。こうして居場所を探すことはかなりの辛抱が必要だし、エネルギーを削がれます。お祈り通知を繰り返し受け取ると人はおかしくなってしまいます。社会から孤立している感とうしろめたさ感にどうしても苛まれてしまい、気持ち追い詰められてくるとなにをしているのかわからなくなってきます。そういう意味ではやはり車輪の下で喘いでいるのかもしれません。
不合格通知のあと、力を貸していただきたいとの言葉をいただいた組織からさっそく電話がありました。ウルトラハードな業務経験を生かせる仕事。一年間この仕事をやっている方々と毎日御一緒していたので、これはこれでかなりきついとわかっている仕事。必要とされるならトライしてみようかという思い。最大の不安は通勤。信号のない道路をかなり大型の工事車両や運送会社の大型トラックが飛ばしています。自転車で走っているとほんとにおっかないです。家の近くが特に危ない。週五日フルタイム、毎朝毎夕無事に駅と家の間を往復できるのか、自転車に乗れない時は7時33分のバスしかない。これで始業時間にぎりぎり、これを逃したら代替手段はないので全てが終わる。田舎生活に適応できないでいる私が大丈夫だろうか、また壁の薄い部屋のために苦労して家賃払う生活に戻ったら、なんのために働くのかわかんないのでやっていくしかない。この不安に打ち勝ち続けるしかない、野に遊ぶ生活を可能にするのは現代社会では車という足があってのことですな・・・。

とりとめのない長い文章、失礼しました。


こんな記事も書いています。ご興味があれば・・・。

2015年11月3日:『就職・就社の構造』より_就職戦線は人の頭をおかしくする_杉本玲一(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/fea5335433a4238a4372690f313aea2c



ヘッセ詩集 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

2014年・2016年『ブラック メリー ポピンズ』_ 思い出し日記(2)

2019年02月27日 09時52分41秒 | ミュージカル・舞台・映画

「2012年、韓国ソウルの大学路(テハンノ)で誕生し、心理スリラーという新たなジャンルを打ち立てたミュージカル『ブラック メリー ポピンズ』。脚本・演出・音楽、ステージング、全てひとりの女性、ソ・ユンミによって生み出された。」

「ソ・ユンミ 脚本・作詞・音楽
『ブラックメリーポピンズ』が日本で初日を迎えたあの日の感動を、未だに忘れることができません。鳴りやまないスタンディングオベーション、韓国から来た原作者が紹介された時の温かい歓迎の拍手、ロビーで出会った、ある日本女性の感動でいっぱいの目。「私はあなたのお陰で癒された」と、彼女の言葉が通訳されて伝わった時、「この芝居を作って本当によかった」と思いました。

 身近な人以外は、私がとても“淋しがりや”であることを知りません。でも、告白します。この芝居は、淋しさの中で創られた“物語”です。淋しがりやの私は、思い出と心の傷をなんとか取り出し、世の中と人生への疑問とを混ぜて一つの“物語”とし、誰かと一緒に考えたかったのです。そして、ついにそれに共感してくださる方々に出会った時の幸せ・・・。

 『ブラックメリーポピンズ』は不幸についての“物語”です。でも、同時に幸せについての“物語”でもあります。私たちは人生の中で、不幸な瞬間に何度も直面しますが、それでも生きてゆくことが出来るのは、その不幸の中に共存する幸せがあるからではないでしょうか。『ブラックメリーポピンズ』は悲しい“物語”だけれど、悲しくない“物語”でもあります。何故ならば、“物語”の中には不幸と共存する愛の記憶があり、“物語”の外には計り知れないほど。深くて大きな愛をくださるお客様がいらっしゃるからです。

 この“物語”がこんなに多くの人々に愛されるとは思っていませんでした。共に笑い、心を抱きしめ、懐かしく思っていただけるとは想像もつかなかったのです。ましてや、韓国を超えて日本に繋がる事になろうとは・・・。

 (略)

 『ブラックメリーポピンズ』が癒しを与える芝居になることを、願っています。
 幸せになるために自ら進んで不幸と共に生きる勇気を持つことが出来る芝居になることを、願っています。
 日本の皆様に、深い深い感謝を込めて・・・。」
(2016年公演プログラムより)


「STORY

 1920年代初頭、ドイツの著名な心理学者、グランチェン・シュワルツ博士の館で火事が起こった。
博士は亡くなり、猛火は館もろともグランチェン博士の遺体さえも燃え尽くした。
燃えさかる炎の中、大火傷を負いながらも、博士の4人の養子たち
ハンス・ヘルマン・アンナ・ヨナスを劇的に救出した彼らの家庭教師 メリー・シュミット。

しかし、メリーは失踪。

残された子供たちは、その夜の事を何も憶えておらず、家事の原因は分からないまま闇に葬られた。

それから12年。

いつしか事件は忘れ去られ、違う家庭に引き取られた子供たちはそれぞれに新しい人生を送っていたが、心の奥底にひそむ得体の知れない暗闇は、彼らに変化を与えていた。
久々に集まった兄妹たちに、ハンスはグランチェン博士の手帳が存在したことを告げる。
その手帳は当時この事件を担当したバルタ刑事からハンスに送られてきたものだった。

手帳には、何が書かれているのか・・・。
あの夜、いったい何が起こったのか・・・。
封印されていた、パンドラの箱が開けられる。

あなたが取り出した子供たちの記憶、あなたが消しなさい。
この事実は誰にも知られてはならないのです。」


2014年             
アンナ 音月桂
ハンス 小西遼生
ヨナス 良知真次
ヘルマン 上山竜治
メリー 一路真輝

声の出演
バルタ刑事 山路和弘
警部 山西惇

2016年
アンナ 中川翔子
ハンス 小西遼生
ヨナス 良知真次
ヘルマン 上山竜治
メリー 一路真輝

声の出演
バルタ刑事 山路和弘
警部 山西惇


2014年7月5日(土)-7月20日(日) 世田谷パブリックシアター

2016年5月14日(金)‐5月29日(日) 世田谷パブリックシアター

「グランチェン邸の火事
 むかしむかしの ドイツのある村
 森の中の お屋敷で
 グランチェン博士 孤児たちを集め
 我が子のように 育ててた
 幸せな日々 四人の孤児は
 暖炉で 絵本を読み
 夢のような 時過ごした

 秋深まる ある水曜日
 幸せを奪う 突然の火事
 絵本 暖炉 思い出
 すべて燃やす 炎 まるで 悪魔

 火の海の中 博士は死んだ
 子供たち叫ぶ 「助けて」と
 どうか(早く)誰か 助け出して
 愛の女神 いるのならば

 するとその時 舞い降りた女神
 子供たち 抱いて 助け出した
 オーオーオー メリー・シュミット
 その女神は(その女神は)
 メリー・シュミット
 その女神の名は(女神の名は)
 メリー・シュミット」

 2017年9月の一路真輝さん35周年記念コンサートで歌われました。聴くはやすく、歌うのはものすごく難しい歌だというお話でした。


(写真は公式ツィッターと宝塚ジャーナルよりお借りしています。)

2014年



2016年








トップの写真は2016年5月29日の三軒茶屋駅、こうして電車に乗って1時間半とかで思い立てば観劇することはできなくなりました。淋しい。ライブビューイングさえ住まいの県ではない方々もいるんだからぜいたく言っちゃいかんですな・・・。

不合格通知

2019年02月26日 17時01分37秒 | 日記
 ポストに入っていました。緊張のあまり眠剤を飲み続けたら眠れなくなってしまった結果4時間弱の睡眠で受けた採用試験でした。わかってはいてもこういうものを受けとるの入って気持ちが落ちるものですね。デカい家ありがたい、集合住宅のように隣や近所の物音に神経質になる必要ありませんが、誰とも会うことなくずっといるのはよくないので、自転車でファミレスにきました。家で考えこんでしまうとベクトルはマイナス方向にしか向きません。人のざわめきの中で本を読んだり、パソコンをひろげたり。モノは際限なくあるので、断捨離をかぎりなくやってしまうし、弟への後ろめたさがありますが外で息抜き。一回一回心身をすり減らしながら働いてもつながらず、ゼロからではないですがまた一からやり直し。こういうことはきつい。あっちもこっちも車なのに適応できないし・・・。

 ここに弱音を書いたので、今日はもうこのことを考えるのはやめましょう。


2014年・2016年『ブラック メリー ポピンズ』_思い出し日記

2019年02月26日 15時06分03秒 | ミュージカル・舞台・映画

AllAboutより引用しています。

https://allabout.co.jp/gm/gc/444233/3/


「『ブラック メリー ポピンズ』脚本・作詞・音楽
ソ・ユンミさんインタビュー

――『ブラック メリーポピンズ』はとても独創的な作品ですが、どこからアイディアが生まれたのでしょうか。

「私は、世の中のどんな結果も、たった一つの原因から生まれることはないと思っています。様々な可能性の要素が絡み合い、ある結果を創り出すのではないでしょうか。それと同様、本作のアイディアは一か所からではなく、以下に挙げている様々な考え、人生の経験が絡み合って生まれてきました。

1 愛する母が突然亡くなり、“いなくなる”ことについて考えるようになったこと。
2 小さなころ、母が自分で結末を想像することを促しながら読んでくれた絵本と、オルゴールの遺品。
3 思いがけない不幸にみまわれ、記憶を消したいと思ったけれど、幸せな記憶が一つでもあるのなら消せないと思った経験。
4 催眠治療を試してみたが、医者を信頼できず、催眠状態に陥るまでに至らなかった経験。
5 ドキュメンタリー作家をしていた頃、犯罪者をインタビューし、誤った考えと異常な信念のために“罪”さえ“罪”であると認識できていない姿を見た経験。
6 入試の論述を教えながら西洋史授業をする中で感じた、時空間を乗り越える歴史の普遍性と、それが個人の人生に及ぼす影響。
7 普段から、失敗した実験にも価値があるという話を書いてみたかった。
8 私のいろいろな作品世界の主人公たちの自由意思。

その他……こんな全ての要素が入り交り、一つのストーリーが生まれました」

――本作には素敵な旋律の曲がたくさんありますが、ソ・ユンミさんは作曲はどのように学ばれたのですか?影響を受けた作曲家はいらっしゃいますか?

「5歳の時からピアノを弾いてきましたが、演奏の才能はないと思い、音楽は専門にしていませんでした。スコアを見て暗譜するのがうまくできず、自由気ままに作曲して弾きながら、レッスン時間を過ごしていました。

小さい頃に学んだクラシックの影響を受けていると思います。クラシックの作曲家ではとりわけラフマニノフが好きです。高校生のころには夜明けに『ペ・ユジョン(Bae Yoojung 韓国の有名なMC兼通訳)の映画音楽』というラジオ番組を聞きながら眠りましたが、その時に聴いた映画音楽、なかでもエンニオ・モリコーネ、久石譲、ダニー・エルフマンなどの音楽のメロディを覚え、翌日ピアノで弾いてみたりしていました」

――作品の鍵となる人物がメリーかと思いますが、韓国版では若い女優さんが演じていらっしゃるようですね。今回日本で上演されるにあたり、この役をどんな人物として演じて欲しいと思っていらっしゃいますか?

「メリーは今現在にはいない“記憶の存在”ですから、30代の中盤、後半の若い女優さんをキャスティングしてきましたが、あえて若い女優をキャスティングする必要はありません。

記憶は編集され、歪曲されるものなので、ある記憶は鮮明に、ある記憶は薄暗く残ったりします。鮮明だった時間の中の美しい姿を思いながら(メリー役の)キャスティングをしました。

子供たちの記憶の中に存在するメリーは、子供たちには一つの“世界”です。記憶の中のメリーはおおよそ“善”ですが、実は善か悪かは曖昧で、それは子供たち、そしてご覧になるお客様それぞれの人生の洞察力で見て判断すべき“世界”の象徴です。それは子供たちがメリーの世界を出ていって出会う別の世界の不確実性、不透明性と両面性とも接しています。幸福と不幸は決して別々に存在しているのではなく、共存しているのだと言うこの作品の、最後の台詞のように……。そして“疑問”を抱ける作品であることが最も重要だと思っています」」

2016年5月29日 今日は日曜日
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/aeb14bab112a5c0ee2db7e5259bdf594


2014年7月10日(木)と2016年5月29日(日)に世田谷パブリックシアターで観劇した韓国発の心理スリーミュージカル『ブラック メリー ポピンズ』。2016年は東京公演の千穐楽でした。一路真輝さんに「ついていきます」っていうカーテンコールでの中川翔子さんの言葉が印象的でした。ずっと書きたいと思っていた思い出し日記、田舎に引っ込んでしまったのでもう足を運ぶことはないであろう世田谷パブリックシアターへの惜別の思いも込めて、少しずつ書いてみようと思います。この作品東京公演のあと地方公演へと旅立ったので、地方公演があればまた観劇できますけどね・・・。

宙組博多座『黒い瞳』『VIVA! FESTA!』ライブビューイング(2)

2019年02月25日 17時28分26秒 | 宝塚
「ミュージカル・プレイ
『黒い瞳』-プーシキン作「大尉の娘」より-
脚本/柴田 侑宏
演出・振付/謝 珠栄

ロシアの文豪プーシキンの「大尉の娘」をモチーフとしたミュージカル。1998年に真琴つばさを中心とした月組で初演、2011年には音月桂を中心とした雪組により全国ツアーで再演され大好評を博しました。ロシア帝国の圧政に喘ぐコサック民族が起こしたプガチョフの反乱という歴史的事実を背景に、その動乱に巻き込まれた貴族出身の青年将校ニコライと大尉の娘マーシャとの身分を越えた純粋な恋、そしてコサックの首領プガチョフとの男同士の友情を描いた浪漫溢れる名作に、宙組博多座公演メンバーが挑みます。

スーパー・レビュー
『VIVA! FESTA! in HAKATA』
作・演出/中村 暁

祈り、感謝、願いなど、生きる為に大切な想いが集約され、人々が非日常の世界に集うFESTA(祭り)。リオのカーニバル、中欧・北欧に伝わるヴァルプルギスの夜や日本のYOSAKOIソーラン祭りなど、世界各地のFESTAをテーマにしたスーパー・レビュー。2017年宙組で上演されたパワー漲るショーを、博多座公演バージョンとして新場面を加えてお届け致します。真風涼帆を中心とした宙組の新たなFESTAに、ようこそ! 」(宝塚歌劇団公式HPより)


「フランス革命が起こる十数年前、ヨーロッパ各地でも支配権力に抵抗する動きが様々な形で起こる時代、ロシアの辺境にもコサックを中心に何度も反乱がつむじ風のように起こり緊張感を漲(みなぎ)らせていた。その中で地方貴族の一青年が、任官した土地で恋を得たと思う間もなく、つむじ風の一つに巻き込まれ、その核にいる首謀者と出会い、自分の人生と真剣に向き合い、若い生を存分に生きようとする。これは一つの青春讃歌の物語である。」(公演プログラムより 柴田先生の言葉)

「女帝エカテリーナの時代に起こったブカチョフの反乱という歴史的事実を背景に、その動乱に巻き込まれた、真風さん演じる貴族出身の青年将校ニコライと星風さんの大尉の娘マーシャの純愛を中心に、愛月さん演じるコサックの首領ブカチョフとニコライとの男同士の友愛など、様々な人間模様が繰り広げられていく。

 広大な土地をもつロシアの厳しい自然の中で、愛する者達を守るために、そして時代を変えるために勇気を持って戦い、人々が幸せな”心”を持てる様に祈る。この物語に久しぶりに接し、人間の本来の姿である”崇高な生命の本質”をひしひしと思い出した。そう、こんな時代だからこそ、素朴な生活や、人間の持つ”本当の心”の状態を蘇らせるべきではないか、と思うのである。」(公演プログラムより 謝先生の言葉)

 1998年の月組初演は1000Days劇場でしたね。記憶あやふやじゃないか、ってか。当日券があるか電話で問い合わせてから出向いたんだったかな。細かいことはもう思い出せずです。ショーは、三木先生の『ル・ボレロ・ルージュ』、懐かしいことこの上ない響き。なぜかプログラムを買わなかったのでネットで調べた月組キャストと今回のキャスト。初演キャスト、懐かしい名前がずらり。のちにトップスターになった方々も何人もいらっしゃいました。


ニコライ(地方貴族の少尉) 真琴つばさ  真風涼帆

マーシャ(ミロノフ大尉の娘) 風花舞   星風まどか

プガチョフ(反乱軍の将) 紫吹淳  愛月ひかる

シヴァーブリン少尉(貴族の少尉) 初風緑 桜木みなと

エカテリーナII世(ロシアの女帝) 千紘れいか 純矢ちとせ

サヴェーリィチ(ニコライの従僕) 未沙のえる 寿つかさ

ミロノフ大尉(ベロゴースク砦の連隊長) 立ともみ 松風輝

ヴァシリーサ(ミロノフ大尉の妻) 藤京子 美風舞良

マクシームィチ伍長(コサック出身の下士官) 
 
 樹里咲穂(宝塚)汐美真帆(東京) 蒼羽りく

ベロボロードフ(反乱軍の参謀) 真山葉瑠 澄輝さやと

トリオ(勇気) 嘉月絵理 秋音光

トリオ(愛)霧矢大夢 和希そら

トリオ(祈り)大和悠河 優希しおん

 
 それぞれの表情がしっかりと描かれ人間模様が交錯する層の厚い物語。無駄がどこにもありません。柴田作品で私が観ていて忘れてならないのはほかに『あかねさす紫の花』『激情-ホセとカルメン』『雪之丞変化』『ガラスの風景』『凱旋門』、観ていないですが再演が繰り返されていて観たいのが『紫子』『小さな花がひらいた』『川霧の橋』などなど、宝塚の財産となっている作品ぞろい。宝塚でしかみることのできない美しき世界。

 印象的だった場面を断片的にもう少し書いてみると、ニコライとブカチョフがマーシャを救うべく橇を走らせてベロゴールスクへ向かう場面、真風涼帆さんも愛月ひかるさんが背が高いので画面がせまく感じられました。二人の心が通い合う重要な場面。ブカチョフがニコライに「お前には本当の気持ちを話そう」みたいなことを言ったときは、ハッとしました。初演ではなかったかな?そんな気が。生々しかった場面も演出が変わっていてみせないようになっていたかな。断片的な記憶ですが・・・。ブカチョフがニコライを先生と呼び心を許す、二人にしかわからない関係性が築かれたところが、ブカチョフが追い詰められていると知った時最期を見届けたいと政府軍に参加する意思をマーシャに伝える場面へとつながっていきます。涙が出そうでした。脚本を読もうと思ったら「ル・サンク」ですね。

 シヴァーブリンと決闘して怪我を負い5日間眠り続けたニコライが目覚めた時、マーシャに「目がさめて最初に目に入ったのが君でよかった。一日の始まりが幸せ」みたいな台詞が美しくきこえるの、説得力がありました。真っすぐで純朴なニコライと清らかで可憐なマーシャ。ほほえましいかぎりで宝塚ならではの夢の世界。政府軍に参加することを告げられたマーシャがニコライに「これ以上戦いにいくあなたを見たくない」って涙をためながら言う場面も印象的でした。マーシャをコサックの娘という設定にしたのは柴田先生のオリジナルとのこと、物語に厚みが出ました。

 愛の精霊の和希そらさんのダンスとストーリーテラーの語りも心に沁みました。とくにマーシャがペテルブルクへと急ぐ場面の語りが沁みました。長身揃いの宙組の男役では小柄。ロシアの帽子と衣装がすごく似合っていてダンスの表現力も豊かで、勇気の精霊の秋音光さん、祈りの精霊の優希しおんさん、三人の背丈が少しずつ小さい方から大きい方へときれいに並んでいるのが、そのようにキャスティングしたのかもしれませんがなぜだかよくって、ペテルブルグへと急ぐマーシャを三人がリフトしていくダンス場面はとりわけ素敵でした。マーシャの心情をダンスで表現する、これも宝塚ならではの美しい場面。

(舞台写真はWEBRONZAというサイトよりお借りしています。)





 
 ショー、『VIVA! FESTA!』、博多座バージョン。YOSAKOIソーランの場面、真風さんが出ずっぱりだと思ったら、プログラムをみるとÅからEまでありさらにはReoriseまでありました。客席降りもこなし声量と肺活量に感嘆しました。ものすごいエネルギー。法被すがたのまどかちゃんを中心とした娘役群舞も印象的。あと真風さんもまどかちゃんも法被をびしっとしなおしたり、桜木みなとさんがはちまきをしめ直すところをライブビューイングのカメラがしっかりと捉えていましたね。「組全員で踊る総踊りの場面をいつも意識しています」とあり、批判もめにしますが『エストレージャス』で娘役群舞やチャンピオーネの場面をつくってくれた中村暁先生ならではのショーだと再認識。組ソングとして歌い継いでいけるものができたのは大きいですね。

こうして大劇場、ライブビューイングと全組観劇していたらきりがないんですけどね、人生の休日の今だけかもしれないし、これからも続けられるかもしれないし、先のことはわからないので可能なかぎりはできるだけ、全てあの世へ旅立つときの心のお土産です。
 



宙組博多座『黒い瞳』『VIVA! FESTA!』ライブビューイング

2019年02月24日 20時41分16秒 | 宝塚
 今日も現実逃避、連絡を待つ日々、束の間の人生の休日。連絡をもらえたとしても駅から遠くって場所悪すぎて公共交通機関頼みではどうにもならないの通い切れないんじゃないかと、家で誰とも話さずに過ごしながら考えていると気持ち追い詰められてくるし、いつなにがどうなるかわからないのでいけるときにいっておきたい、だってこの世にいる間だけだからと自分に言い訳しながらまたまた映画館へ。最寄りの田んぼの中の巨大ショッピングモールにある映画館は車がないとどうにもならないので、遠いけど駅からすぐ近の映画館へ。とってもいい二本立てでした。

『黒い瞳』、1988年の月組初演をみていますが、『神々の土地』を演じた宙組に今この作品をあててくださったことに感謝したい。キキちゃんのブカチョフを観たい気持ちもありましたが、『神々の土地』でラスプーチンを演じた愛月ひかるさんがブカチョフを演じられることに言葉にならない感慨深いものがあります。時代は違えと帝政ロシアで虐げられてきた最下層の人々の気持ちを代弁した役所というのが共通していて、どちらも実在の人物で情念を燃やす役所。期待どおりでした。

 初演を観たのは、お正月の東京宝塚劇場、当日券で観劇した記憶があります。怪我のため?休演した紫吹淳さんにかわって新人公演でブカチョフを演じた大空祐飛さんが真琴つばさんのニコライと対等にわたりあっていたのを鮮明におぼえていて、もう一度観たいと思っていた作品。敵対する立場にありながら友情をはぐくんだニコライとブカチョフ、ニコライがブカチョフの最期を見届けるという切ない展開も記憶にあります。

 真風涼帆さんのニコライ少尉は白い軍服がよく似合う精悍で麗しい若者ぶりでした。マーシャに出会って詩を詠む場面の可愛いこと。星風まどかちゃんのマーシャはあて書きと思えるほどぴったりでした。お下げ髪とピンク色のドレスと白いもふもふがこの上もなく似合う可憐な娘。同時に捕らえられたニコライが自分を守るため黙秘していることに気づき、ニコライを守るため命をかけてエカテリーナ女帝に会いにいく強い意志をもった娘。やっぱりこういう可愛いまどかちゃんに会えるの嬉しい、大人っぽい役も演じられるようになってきましたが、ここはまどかちゃんと呼びたい。エピローグの雪の精も清らかで可愛いくて天使でした。真風さんは声にすごく艶があって歌えば声量もあるし、生き生きと感情豊かにニコライを演じていました。お二人とも大劇場二作を経て脂がのった充実期にはいってきたと感じました。初々しさを残しつつ、堂々たるトップコンビぶり。

 月組初演は風花舞さんの退団公演でした。風花ちゃん、今も可愛らしいですが可憐さと強さをもった風花ちゃんにマーシャはすごく似合っていました。ダンスの表現力が素晴らしい風花ちゃん。細かいところまで全部記憶しているわけではありませんが、ニコライを救うためペテルブルグを目指すマーシャの姿をダンスで表現する場面。必死に必死に雪の中を走りぬけていく、愛と勇気と祈りの男役さん三人にリフトされる演出、素敵でした。こうだったこうだったと、まどかちゃんのマーシャを観ながら思い出していました。比較はできません。マーシャにニコライが惹かれていくだけの魅力がないと成立しない物語で風花ちゃんもまどかちゃんも素敵なマーシャ。

 そしてやはり柴田先生の脚本は素晴らしいなと思いました。先日オンデマンドで初代ヴァルモンの高嶺ふぶきさんが紅ゆずるさんとの対談で柴田先生の脚本がすごく好きだと話している映像をみました。退団作品で自由に楽しくやらせてもらえたことに感謝していると。今すぐに思い浮かぶところでは、杜けあきさんの退団作品『忠臣蔵』、高嶺ふぶきさんの退団作品『仮面のロマネスク』など、原作あるいは原案があるものを宝塚にあてて脚色し、どうにもならない人間のいとなみを描く力がすごい。(忠臣蔵の数あるエピソードをあますところなくもりこみながら二時間半のミュージカルとしてまとめあげた柴田先生、天才だと今も思っています。)

 『黒い瞳』は恋愛と同時に女性が演じる男同士の友情、親子、夫婦の情愛が描かれています。ブカチョフがニコライに温情を感じてマーシャを救うべく橇を走らせる場面、ブカチョフが処刑される結末を知っているので胸あつでした。ブカチョフのたどり着く先は破滅しかないと諭すニコライと自分のたどり着く先には死しかないとわかっていても立ちどまることはできなくなったブカチョフの友情。自分の部下にならないかと言われて女帝に忠誠を誓う身でそんなことはできないとニコライが語る場面、捕らえられたブカチョフの最期を見届けたいとニコライが語る場面、表情がアップでわかるのがライブビューイングのいいところ。感情を抑えた凛々しい表情でした。マーシャがエカテリーナ女帝にニコライの命ごいをする場面涙がでました。桜木みなとさんが『異人たちのルネサンス』に続いてまどかちゃんに片思いしてふられて嫉妬に狂う役どころ。金髪で反乱軍に寝返ったりマーシャを閉じ込めて結婚をせまったり、いやらしさ満点の見事なくず野郎ぶり。女帝エカテリーナはこの人しかいないという純矢ちとせさん。ニコライ従僕の寿つかささん、マーシャの育ての父のミロノフ大尉の松風輝さん、ミロノフ大尉の妻でマーシャの育ての母の美風舞良さん、コサックの士官蒼羽りくさん、コサック軍の参謀の澄輝さやとさん、表情もそれぞれアップで映し出されて印象的でした。ストーリーテラーの役割をする愛と勇気と祈りの三人のダンスと語りも素敵でした。カメラワーク、よかったですね。コザックのダンスシーン、演出・振付が謝珠栄先生なので難易度が高そうでしたが見事でした。40人ほどなのでプリンシバルキャスト以外は役かけもちで大変だったと思いますが宙組ならではの舞台。長身の男役がそろっているところが生かされていてよかったです。現実を忘れて心が清められたようなひとときでした。

『VIVA FESTA』はソーラン宙組が、まあ様のサヨナラショーでも歌われすっかり宙組の持ち歌になりました。真風さんの出番の長さと多さにトップスターさんの肺活量はどうなっているのかとあらためて感嘆しました。大階段ではなかったですが、長身の男役さんがそろった燕尾服のダンスシーン、いいですね。真風さんの額にはうっすらと汗。そこからさらにデュエットダンス、まどかちゃんのお団子キャップが凝っていたしピンク色のドレスがこれまた素敵。歌もダンスも上手くってオールマイティ。

 とってもいい二本立て。脚本に間違いがないとわかっているので安心して観劇できるのはいいですね、正直・・・。

 終演後そばをいただきながら取り急ぎ、忘れないうちにしたためてみました。明日の予定がないからこんなことしていられるんですけどね、居場所が決まるとそれはそれでほんとにきびしい・・・、と思う・・・。





宙組『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』_東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング(3)

2019年02月23日 23時07分24秒 | 宝塚
「ミュージカル・プレイ
『異人たちのルネサンス』—ダ・ヴィンチが描いた記憶—
作・演出/田渕 大輔

万能の天才と謳われながら、その生涯に多くの謎を残すレオナルド・ダ・ヴィンチ。彼の創作の源が、ある女性への愛であったと仮定し、ダ・ヴィンチと彼を取り巻く人々との愛憎を描く。
15世紀のイタリア・フィレンツェ。この街にルネサンス芸術を花開かせた時の統治者ロレンツォ・デ・メディチは、軍事、外交にも優れた手腕を発揮し、ローマ教皇との対立を深めつつあった。若きレオナルド・ダ・ヴィンチも彼の庇護を受ける芸術家の一人。ダ・ヴィンチは依頼された作品の完成も他所に、気ままな創作にかまけてはロレンツォを苛立たせていた。そんな折、彼はロレンツォの愛人カテリーナが幼馴染みである事を知る。同じ庶子という境遇からいつも寄り添い、寂しさを分かち合った二人…だが今、美しく成長した彼女の眼に浮かぶのは、心を閉ざすかのような謎めいた微笑だった。」(歌劇団公式HPより)



「レオナルド・ダ・ヴィンチ

 1452年、イタリアのフィレンツェ近郊のヴィンチ村に生まれました。レオナルド・ダ・ヴィンチとは「ヴィンチ村に生まれたレオナルド」という意味です。13歳頃からフィレンツェで修業をしてから、ミラノで活躍し、43歳の頃に《最後の晩餐》を描きはじめます。48歳でフィレンツェに戻って《モナ・リザ》を描いたのち、64歳の時にフランス国王フランソワ一世に招かれてフランスに行き、67歳で亡くなりました。

画家としてだけではなく、科学・建築・天文学など、さまざまな分野の研究をしました。

あらゆるものを科学的に観察してスケッチに残す、万能の手を持つ人でした。」

(2017年8月-10月そごう美術館レオナルド・ダ・ヴィンチ展ジュニアガイドより)

 プログラムを読むと、田渕先生は、万能ゆえの苦悩を抱えた、一人の人間としてのダ・ヴィンチ像と真風涼帆さんの、トップスターになった12年の歩みが常人には知り得ない苦悩に輝いている姿が重なったところからこの作品のダヴィンチをイメージしたとあります。これは感性ですね。一般的に知られているダヴィンチの自画像は60歳頃と言われているそうなので、若き日のダヴィンチに忘れることのできない女性との出会いがあったと想像する余地があるのは楽しいものです。(美少年だった説もあるような・・・)。ルーブル美術館の『モナ・リザ』との出会いは忘れることができないし、ダ・ヴィンチ展やボッティチェリ展などもみているので興味深く観劇しました。ボッティチェリもヴェロッキオもレオナルドの手稿をもとに創作されたハング・グライダーの模型も登場してふむ、ふむと。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(フィレンツェの若き芸術家) 真風涼帆

カテリーナ(レオナルドの幼馴染、ロレンツィオの愛人) 星風まどか

ロレンツィオ・デ・メディチ(メディチ家の当主) 芹香斗亜

ロザンナ(酒場の女将) 美風舞良

フランチェスコ・パッツィ(メディチ家の宿敵。金融業を営む一族の末裔)凛城きら

ジュリアーノ・デ・メディチ(ロレンツィオの弟)桜木みなと

ローマ教皇/ルドヴィコ・スフォルツァ公(ミラノ公) 寿つかさ

クラリーチェ(ロレンツィオの妻) 純矢ちとせ

グイド(フィレンツェ司教) 愛月ひかる

クレディ(ヴェロッキオ工房で働くレオナルドの仕事仲間) 和希そら

 真風さん、男役だけがもつ色気にあふれたレオナルドでした。カテリーナの星風まどかさん、等身大の役が続きましたがこの作品は想いを胸に秘める、儚い大人の女性。まどかさんの眉間にしわを寄せる感じが好きなのですが、幅がひろがり役を通してまた一歩も二歩も成長したかな。メディチ家の三代目の当主ロレンツィオを演じる芹香斗亜さんの冷徹さ、傲慢さ、強引さが素敵でした。カテリーナに迫り脅しにかかる場面とカテリーナが亡くなるとすぐにまた愛人をつくっている場面、表情にぞくっとしました。絵画のように美しく残酷な表情。キキちゃん、歌も演技もさらによくなってきていてすっかり宙組になじみ、生き生きと二番手でしかやれない嫌な奴をやっている姿が嬉しかったりさみしかったり・・・。グイドの愛月ひかるさんはラスプーチンを彷彿とさせる悪役でお似合いでした。夫に愛されていないことを知っているクラリーチェの純矢ちとせさん、レオナルドを慕うサライ少年の天彩峰里さんも印象的。酒場のベリーダンス、カーニバルのトルコダンサーとショー要素としての場面は楽しいものでした。フィナーレでは、真風さんが娘役さんたちをしたがえて踊る場面、キキちゃんを中心とした男役さんの群舞にトップコンビのデュエットダンスと短いながらも充実していました。こういうのをもっとみたかったかな。せっかくそろっている長身の男役さんたちがヴェロッキオ工房の仲間たちっていうのはもったいない。メディチ家を軸にしたストーリーも面白そう。田渕先生、まだまだ若いので今後のオリジナル作品に期待したいところです。

(舞台写真は宝塚ジャーナルよりお借りしています。)











真風さん、プログラムの表紙写真だけでもすごく色っぽくてきれい。ダ・ヴィンチだからペンを左手でもっているのがいいですね。ショー、芝居共になんどかみると味わいのある作品だったのかな。




ご興味があればこちらもお読みください。

2015年4月25日、ボッティチェリとルネサンス_フィレンツェの富と美https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/e76d4f1523efb10a905a57c3d771b4f2

2016年3月21日、ボッティチェリ展
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cd514ff569589ee9a48e45a2f0153908

宙組『白鷺の城』『異人たちのルネッサンス』_東京宝塚劇場千穐楽ライヴビューイング(2)

2019年02月22日 19時55分25秒 | 宝塚
2018年12月24日宙組『白鷺の城』『異人たちのルネサンス』_東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/d/20181224



 24日に博多座『黒い瞳』『VIVA FESA』のライブビューイングを控えているのでその前に12月の宙組公演のライブビューイングを少し振り返ればと思います。『黒い瞳』は真琴つばささんと風花舞さん、代役の大空祐飛さんで初演をみていてもう一度観たいなあと思っていた作品なのですごく楽しみにしています。おっとまだコンビニでチケットを引き換えてなかった。明日忘れずに・・・。


 ようやくカフェでプログラムをゆっくり読みました。カーテンコールで印象的だったのは、専科に異動する愛月ひかるさんの声がすごく可愛らしかったこと。退団者にならって、客席に「あれいいなと思って」「あいちゃんって呼んでほしい」と。客席から盛大な「あいちゃん」コール。素の声をはじめてきいたので、『神々の土地』で壮絶な死に様をみせたラスプーチンを演じていた方とは思えない素の笑顔にびっくりでした。『異人たちのルネッサンス』でも狂気じみた表情をみせる敵役を見事に演じきっていました。男役さんは特に役と素とのギャップが大きいですね。どこで役のスィッチが入るのか。ブカチョフも楽しみ。退団者の中では風馬翔さんが印象に残りました。ダンスのシーンで登場すると盛大な拍手が起きていました。退団挨拶をききながら、『神々の土地』の雪原のシーンで、まあ様演じるドミトリーにうちのようなあばらやでよかったら泊まっていってくださいと話しかけていた農民を演じていたのはこの方だったのだとわかりました。ほんの数秒だったと思いますがいい演技をする方だと印象に残りました。わずかな出番で印象を残すのだから実力の持ち主だということだと思います。なんだかもったいないなあという気がしましたが入団から10年を超えると納得のタイミングが訪れたのかな。退団者がいない千穐楽ってないんだなあとライブビューイングをみるようになってから知りました。輪廻転生が宝塚、こうして105年の歴史が紡がれてきています。


「-本朝妖綺譚-
『白鷺(しらさぎ)の城(しろ)』
作・演出/大野 拓史

<特別出演>・・・(専科)松本 悠里
絢爛たる平安の都で始まった、白皙の貴公子、陰陽師・安倍泰成と、艶やかに人心を惑わす妖狐・玉藻前の対決は、時を越え、場所を変え、豪壮たる名城「白鷺の城」で終に決着の日を迎える。千年に亘って転生を繰り返しながら、争い、そして魅かれ合う陰陽師と妖狐の宿縁を、時に雅やかに、時に妖しく描く、日本物レヴュー。」(宝塚歌劇団公式HPより)


 和物はとにかく幕開きのチョンパから衣装が鮮やかで舞台が華やか。45分のショーは短く感じました。プログラムを読むと、ショーと舞踊詩を掛け合わせたものということで内容は濃いものだったことがわかります。時代は江戸時代初期、平安時代後期、古代中国、戦国時代と移り変わり、陰陽師の安部清明、歌舞伎の舞台で観たことがあるような気がする玉藻前・葛の葉、どこかで聞いたことがあるような気がする古代中国の妲己に江戸の武将も登場。断片的な知識が自分の中で整理されていてこの舞台をみるともっと楽しめたんだろうなと思いました。

 どの場面も真風涼帆さんと星風まどかさんのトップコンビが軸になっていて、お二人はでずっぱり。これは大変だったろうなと思います。宙組で日本物は珍しいのでまどかちゃんは未経験なことが多かったかな。健闘していたと思います。願わくば時代があっちこっちするのではなく時系列で物語として続いて行くともっとわかりやすかったかな。どの場面も真風さんのいでたちは美しかったし、題材が豊富すぎるぐらい豊富で一時間半の芝居として成立しそうなぐらいの内容だったと思うのでいまひとつ残念感は残ってしまいました。ツボは葛の葉の松本悠里さんの声が録音で流れたことでしょうか。舞台化粧だとおいくつぐらいかわかりません。声も歳をとっていくので変に安心してしまいました。武将姿の芹香斗亜さんと愛月ひかるさんが並んで登場したのは嬉しかったです。宮本無三四の桜木みなとさん、八重の天彩峰里さんも印象に残りました。天彩さん、『異人たちのルネッサンス』ではダヴィンチを裏切るサライを演じていたので印象的。

(舞台写真は宝塚ジャーナルよりお借りしています)。
















花組『CASANOVA』、楽しかった

2019年02月21日 23時31分58秒 | 宝塚
 今朝の記事は予約投稿でした。無事にまた宝塚大劇場の日帰りバスツアーに行ってきました。歌劇の殿堂で、『BeautifulGarden』のシャンシャンもって写真撮ってもらったのはあの世へ旅立つときのお土産。終わってしまえば笑い話ですが『ファントム』のライブビューイングのあと論文、論文と緊張感が半端なくって眠剤を連続でのんでいたので疲れましたね。心のエネルギー補給。二階席の4列目でした。一人参加だと端っこの席なのありがたい。

オリジナルの一本立ては脚本次第なので、どうなのだろうと心配でしたが、盆とセリを駆使した飽きさせない歯切れのよい展開であっという間に終わりました。指揮は塩田先生。楽曲提供は、『1789バスティーユの恋人たち』を作曲したドーヴ・アチア氏。ロック調の耳に心地いいノリノリなリズム、さすがですね。わたしはみていませんが紫苑ゆうさんの退団公演『カサノバヴァ、夢のかたみ』がご自身の宝塚の原点という生田大和先生は小池イズムの継承者かな。コメディタッチで作品全体の雰囲気が冒険活劇『All for One』に似ていると感じました。主人公が世界の恋人というだけあって娘役さんが大活躍、お衣装がどれもこれも華やかでお花畑がひろがっているようでした。街並みをミニチュアで表現してカサノヴァが女性たちに追っかけられて逃げる様子をみせる演出、なかなかわかりやすくて楽しかったです。鳳月杏さんのコンデュメル夫人がインパクト大。なんと柚香光さんのアントーニオと夫婦役で結婚指輪もしてました。色気と毒気と脚長でボディラインも美しく、メイクの映え具合のすごいことすごいこと、エピローグのダンスシーンとフィナーレだけ男役として登場していました。花野じゅりあさんの美貌と笑顔は今日も際立っていました。桜咲彩花さん、何気に水美舞斗さんとラブラブになっているのが可愛かった。ベアトリーチェに使えるダニエラで桜咲さんらしい静かなほほえみ。花野さんも桜咲さんも今回で退団なんてもったいない。華優希さんは天使の微笑みでモーツァルトに毒をもたせる役。音くり寿さんの黒猫、舞空瞳さんのカサノヴァの愛人のひとり?も可愛くって、娘役さんが華と開いていました。城妃美鈴さんの男装の礼人もお似合いで素敵でした。娘役さんたちが赤いドレスでカサノヴァを囲んで歌い踊る場面はとりわけ鮮やかで圧巻。水美さんは神父なのに女性に手を出して投獄された役所でもじゃもじゃと呼ばれていました。カサノヴァと一緒の場面が多いので出番多かったし、メサイアといいどんどん演技力があがってきているのを感じます。頼もしい。モーツァルトの綺城ひか理さんがいい味だしていました。飛龍つかささんは歌うまとカッコよさが際立ってきました。若手男役が育ってきているのも頼もしい。カサノヴァとベアトリーチェが小舟にのっている場面は川の流れをおなじみになった映像で表現。素敵でした。祝祭喜歌劇と銘打っているだけあって、ちょっぴり人生哲学もありのあんまり頭を使わずにみることができる楽しい物語でした。もう一回みようかな。ライブビューイングの先行抽選、平日はいつなにがはいるかわからないし観劇してからにしようと思ったので申し込まなかった、一般予約でとれるかな。

 4月からのことがわからないので宙組と雪組をもうし込まないでいたらいつの間にか日曜日は満席になっていました。一応第一希望を日曜日のキャンセル待ちとして、催行決定した平日を第二希望としてエントリーしました。夏の星組公演は日程が決まり次第連絡をもらうことにしました。紅さんの退団公演は必ずみたい。4月以降は働かないと観劇代も出なくなりますが働くようになれば時間的にバスツアーもライブビューイングも夜遅くなるし駅から遠いことを考えるときびしくなりそうです。有給休暇は6カ月たたないとつかないみたいでそこはまたいちからやり直し。厳しい。ジレンマ。連絡あるといいですが仕事をすることになればまたきびしいことをやることになるわけで朝の通勤不安を考えると、今は家賃負担から解き放たれた束の間の人生の休日なのかもしれません。先のことを勝手に予測してあれこれ考えてもしかたありません。くれぐれも車に轢かれないように一日一日無事に生き延びて、楽しむ時は楽しむべし。

 花組のニュースはなんだかもやもやしすぎますが舞台の明日海りおさんはそんなものを吹き飛ばしてくれます。おしもおされぬトップスター。歌声がますます冴えわたってきているし、少年っぽさを残しつつ、こんなふうに可愛く色気のある役もやれるのかと驚嘆。どこまでいくのか、どこにいってしまうのか。星組とは全く雰囲気の違う花組公演。星組のさゆみさんと花組のさゆみさん、全く違う個性。どちらがどちらということではなくそれぞれの持ち味。エルベの余韻がじわじわとずっと残り続けているので、つくづくエルベは紅さんのカールだから今の時代に成立した物語なのだと再確認。星組トップコンビのショーでのラブラブぶりは星組だけのものですね。それも余韻引きずりすぎていて紅さんのクリアフォルダー、買ってしまいました。帰りのじゃんけん大会で珍しく運よく『CASNOVA』のクリアフォルダー当たったし、どんだけクリアフォルダーあるんだか・・・。

 お昼をくすのきで食べてまたぜいたくしてしまいました。幕間に公演デザートを食べようと劇場内で並んだら売り切れ、開演前に食べないとだめですね。それでも十分すぎるぐらいぜいたくしました。日比谷が遠くなった分、大劇場は近くなりました。もっと遠い方はたくさんいらっしゃると思うとこうして日帰りで楽しめたのはありがたいことです。