たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

寒い一日でした

2015年01月31日 22時44分54秒 | 日記
冷たい北風が芯から体を冷やす一日でした。
昨日は足元の悪い中を荷物を背負いながら、駅から離れた所をあっちへこっちへと移動したので疲れてしまったのか、今日は朝寝坊しました。
平日は今だに落ち着かなくって睡眠はぼちぼち、働いていた頃よりは多めかなぐらい、土曜日になるとなんだか安心してゆっくり眠れて嬉しいです。
朝寝坊してから、寒い中ですが東銀座の方まで、緩和ケアをクリニックでされている先生のお話を聴きにいってきました。縁あって、終わってからの懇親会にも誘っていただき参加してきました。
帰りの電車の中で、母とのお別れとなった頃の手帳を読み返していました。
早いものでもうすぐ丸三年になろうとしています。
いろいろな思いがまたあふれてきていますが、今ここで整理しながら書くことはできません。また手帳を振り返りながらあらためて書きたいと思います。

妹の旅立ちはいのちを大切にしなかったことになるのか、私のような立場にとっては究極のテーマで結論の出せることではなく、今ここに私がなにか書けることでもありません。
ただ緩和ケアをお話を聴きながら、先日の研修内容をふっと思い出し、そんなことを考えたりもしていました。

自分の気持ちと向き合い、自分のことを説明し・・・という日が続いています。
なかなか疲れますが、やり直しの時、生活もあるので踏ん張るしかないです。
これから自分はどうして行きたいのか、どう生きていくのか
色々な思いがありながら、自己肯定感がひどく下がってしまっている今はまだ具体的に見えてきません。なんとなくぼんやりだけです。
もう少し気持ちが落ち着いてきたら、また歩きだしていけるのかな。

自分の気持ちにちゃんと気づくためにこの数カ月は必要な時間でした。
人に助けられたりしながら今のところどうにかこうにかやっている感じの毎日です。
断捨離も続けています。

旅日記がなかなか進まないですね・・・。


今日もつぶやき

2015年01月29日 22時19分07秒 | 日記
雪が降りそうですごく寒い夜になっています。

自分の正直な気持ちに気づいたので、今日の打ち合わせではそれを伝えました。
伝えながらまた涙を流してしまいました。
私にとってそんなにかんたんじゃあない、大切なこと。
人がどう言おうと、私自身がどう納得できるかがコアだったということに
今さらながら気づきました。

残念ながら現実はかなりきびしい見込み。
それでも私自身が納得できるのか、納得できればたぶん収束していくことができます。
本当に納得して飛び立っていくことができるのか、今は全く自信がありません。

たぶん私はもう十分に妹や母の分まで生きてきました。
笑われたり情けなかったり、いろいろと至らないところだらけだけれどもがんばってきました。
これからは正直ベースの私で、本当に自分のために生きていく、そういう節目にいるんだなあと思うとまた涙が出てしまいます。
生き直し、できるのかな、今はまだ先がみえない不安の方が大きくって、大丈夫、大丈夫と自分に言いきかせて、やれることをひとつひとつやっていくしかないです。

打ち合わせの前にコミュニティハウスに寄ってお昼を食べました。
おいしいお惣菜をつくってくださった方がいて、栄養満点、幸せな気分になりました。
デザートもおいしくいただきました。
去年の4月初めて会った時にはまだハイハイしていたちっちゃい子たちが、会うたびに大きくなっていて、立つようになり、歩くようになり、食べることができるようになり、言葉がどんどん増えていく姿は、人が生きようとする力ってすごいことを教えてくれます。
笑顔に救われています。
私の状況がまた変化していけば会えなくなってしまうことを考えるとさびしいです。
こういう時間を過ごすことができただけでも、無駄な時間ではなかったと思えます。

どんな人と出会うかによって人生は変わってくる。
これからどんな出会いがまたあるのか、おそれずに踏み出していかなければなりません。
もうちょっと、もうちょっと・・・。




つぶやき

2015年01月28日 22時40分22秒 | 日記
いよいよほんとうに収束へと向かいはじめているんだと思うと笑ってしまいますが
寂しいというのが正直な私の気持ちです。
それほど長きにわたり一生懸命やってきたし、いろんなことがあり過ぎました。
けじめをつけることができていないのが残念でなりません。
私の気持ちがそこから飛び立っていかなければならない時がきました。
飛び立って行けるまでにこれだけのプロセスが必要だったということでしょうか。
納得で終われるのか、気持ちと向き合う緊張の日々は続きます。


雨上がりの日

2015年01月27日 23時03分32秒 | 日記
今日の朝は雨上がりの陽射しがしっとりとまぶしくて美しかったですね。

混乱の収束を目指してまだ越えなければならない山もあるなかで、
あちらへこちらへと動いてみてはいます。
人になかなか理解されない、どこまで話せばいいのかわからないややこしい事情を、
わたしをわかってもらうために説明して、その上で情報やアドバイスをもらう。
一回一回きついです。
情報を見るだけで、聞くだけでお腹いっぱいになって疲れてしまって、
それ以上なにも考えられなくなってしまいます。
こんなことではどうなっていくのか・・・。

混乱の始まりの頃、最初に出向いた公的機関のおじさんに、
「大事なのはあなたがどうしたいかですよ」と言われました。
その意味がようやくわかってきました。
色んな人に言われます、自分がどうしていきたいか、大事なのは自分なんだ、
自分が決めたことなら人を責めることはできない、なにがあっても自分の責任なんだ、と。
きっと、何かを成し遂げられている方はひとつひとつ自分で選びとって、
決断して動いてこられているんですね。
わたしの中に、色々な思いがあります。
あんなこともしたい、こんなこともしたい、できないか・・・。
でもどこへどうやって踏み出して行けばいいのかがわからず、ウロウロ、ウロウロ、
現実をまだちゃんと受け入れることができないまま、思いだけが空回りし続けています。

自分の気持ちと向き合うのはきついですね。
認めたくない自分とも出会うことになりますが、そんな日々はまだまだ続いていくことになります。気持ちの整理は簡単ではないのだとあらためて気がつきました。
一生懸命やってしまった自分を責めてもしょうがない。
どこらへんでどう納得できるのか、最後の正念場はまだこれからです。


春のプリンス・エドワード島のコンフェデレーション・ブリッジの近くです。
青空と海と緑と赤土・・・幸せ感がよみがえってきます。




『木靴の樹』シナリオ(3)

2015年01月24日 22時39分03秒 | 映画『木靴の樹』
1990年公開映画パンフレット(フランス映画社発行)より引用します。


計量の日(朝)

 鐘の音。粒状のトウモロコシを袋詰めにするバティスティと、それを手伝うミネク。

バティステイ
「しっかりもて、ひろげてはしっこを持つんだよ」

 袋を荷馬車に積み、ミネクも荷台に乗せると、バティスティは馬に話しかけて出発し、石門を出る。アンセルモ爺さんとペピーノ、フィナールと次男が続き、朝もやの中、3台は地主の屋敷へ向かう。幼いベッティーナやトゥーニまで馬車に乗せてとせがむ、にぎやかな朝。


地主の屋敷・2階
 地主が新しい蓄音器をいじっている。そこに管理人が入って来る。

管理人
「 とうもろこしの計量日です」

地主
 「お前がやれ。あとで勘定する。(使用人のローザに)家内に来るように言ってくれ」



地主の屋敷の庭
 農夫達が荷馬車で続々と集まって来る。


村道
 道すがら、フィナール親子が重量を増やすために、荷馬車に石ころを積み込む。

フィナール
「(次男に)早く!早くしろ、みつかる!」



地主の屋敷の庭

管理人
「次の者!早く!(フィナールの馬車がくる。)12と少々・・・13キンタル。(フィナール、ほっとする)袋をそこへ並べろ。もう少し前へ・・・前に出て袋をおろすんだ。鷲鳥みたいに歩くな。袋に気をつけろ、破けるぞ!」
 突然、2階の窓から朗々たるオペラ、モーツアルトの<ドン・ジョバンニ>の歌声が流れてくる。


地主の屋敷・2階
 地主が得意気に、妻に蓄音機を聴かせている。

地主の屋敷の庭
 農夫1「おい、なんだ」
 農夫2「静かに」
  全員が驚いてつっ立ったまま2階の窓をみつめ、歌声に聴き入っている。

ほんとにようやく・・・

2015年01月23日 20時12分58秒 | 日記
ここに詳細を書くことはできませんが、ほんとにようやく山の九合目あたり、頂上が見えかかってきたというところでしょうか。
最終的な結果はあまり期待できそうにありません。
それでもいいのか、いやそれではちょっとなのか、私自身にもわかりません。


私自身の気持ちがどこでどう納得できるのか、大詰めで本当に問われることになります。
ほんとうにむずかしいことです。
私にはここまでのプロセスが必要だったということなんだと思います。
ずっと体中で緊張し続けてきたので、こうなったという現実をまだちゃんと受けとめることができずに、なんだか虚しさでいっぱいです。悲しいです。
これはこういうことにしかならなかったんだと思うしかないですが、心は傷ついたと思います。頭が疲れてしまいました。

いろいろと思いはあれど、どうやって自分にごはんを食べさせながら、ひとつひとつかたちにしていけるのか、これからどこでどうやって生きていけばいいのか、答えをみつけられないままおろおろし続けている私がいます。

もう十分すぎるぐらいがんばってきていますが、甘えは許されないですね。
手探りの時は続きます。

『エリザベート』の思い出(1)

2015年01月22日 08時27分13秒 | ミュージカル・舞台・映画
『モーツアルト』が梅田劇場で千秋楽を迎え、帝劇の『エリザベート』の全キャストが発表されました。そんなことを考えている場合ではないですが、こういう時間もないとやっていられないのでつらつらと考えています。

1996年の宝塚初演、一路真輝さん退団公演から繰り返し観てきた大好きな作品。
宝塚ではトートが主役、妹とのお別れからまだ日の浅い2年の時で、なんだかドキドキしながら観ていた記憶があります。すごく惹きこまれました。
この時の雪組公演の成功がなかったら、その後のシシィを主役にした
東宝版公演も、その後の宝塚での上演もなかったかもしれません。
歌の力も芝居の力も素晴らしい仕上がりでした。

この時と宝塚の宙組公演でシシィを演じた花總まりさんが満を持してまたシシィを演じられます。どんな衣装の着こなしと歌と芝居をみせてくれるのか。
東宝初演でルドルフを演じてミュージカルデビューされた井上芳雄さんが、これまた満を持して演じられる感のあるトート役。
これだけでもワクワクですが、シシィのお姑さんとなる皇太后ゾフィが剣幸さんと、宝塚初演ではルドルフを演じられた香寿たつきさんのWキャスト。
ルキーニに山崎育三郎さん、フランツに田代万里生さん、ルドルフに2012年に続いて古川雄太さんと、ちょっとかたよっていますが、こんなふうに楽しみになってしまうキャスティング。


その前に課題をクリアしなければ・・・。


エリザベート展では、会った人は好きにならずにはいられない魅力的な女性だったんだと感じました。まだまだつらつらと思うものがありますが今はここまで。

冬の雨の日に・・・

2015年01月21日 19時59分00秒 | 日記
乾燥した日が続いていたので久しぶりの潤いの雨ですが寒いですね。
月曜日は友人が働いている児童デイサービスの施設見学に行ってきました。
国家試験受験のために勉強していた時に、スクーリングで知り合った友人で、受験以来の再会なので8年ぶりになります。
お互いに変わったと言えば変わったし、変わっていないといえば変わっていないしと
私は思いましたが、友人は、以前の私はすごく弱々しい印象だったのに強い人になったと言ってくれました。たしかにそうかもしれません。その頃の私は二人分働いてストレスをためながらも職場では一切言うことなく勉強を続けていたのでかなり疲れていました。
その頃の私と比べればたしかに強くなっているのかもしれません。
施設では、私も個性豊かな子どもたちと一緒に公園に行って遊んだりしました。
さすがに鬼ごっこで走るのは体にこたえますが、青空の下ですがすがしいひとときでした。
こんな職場もあるんですね。子どもたちへの愛情がないとできないお仕事だと感じました。
以前から誘ってくれていたのが、私の気持ちが切り替えられてようやく実現しました。

今日は女性のための公的機関に行ってきました。
あまり期待していなかったのですが、ゆっくりと話をすることができて、私のいいところに気づいてくださり、アドバイスもいただけてよかったです。自己アピールが下手なんだなとあらためて思いました。私が事務仕事をする時の、丁寧に正確にできるだけ早く、いくつものことが重なる時は段取りをつねに頭の中で考えながらやっていく姿勢は、高校を卒業して就職した銀行員時代が原点にあるんだということにも気づくことができました。

商業高校を卒業してから7年4か月、地元の地方銀行で働きました。
新人研修で電話応対、お辞儀の仕方から、お札を数える方法まで学びました。
入行して二年目の秋、19歳の私は一つのセクションを任されて一年目の女の子に仕事を
教えながら過度に忙しい日々を送りました。
一か月ぐらいお昼を全く食べることなく、銀行なので机の上で飲み物が飲めるわけでもなく、飲まず食わずで何時間も過ごし、朝母が作ってくれたお弁当をそのまま持って帰る日が続いたら、気がついたときには体重が五キロぐらい落ちていました。それまでの私は今からは信じられないぐらいにぽっちゃりとしていたので、自分でもびっくりでした。制服のスカートがすかすかになりました。
今振り返ってみるとまだ19歳だった自分がよくやっていたなあと思います。
その頃おのずと自分の中にしみついた責任感が私の原点になっているんですね。
銀行員時代の自分はあまり好きではなく、その頃のことは思い出したくないとずっと思ってきましたが、最初の職場で仕事に対する姿勢は決まってくると言われて、なるほどと思いました。
自分ではあまり意識することなくずっときたことでした。
だから勉強していることを言い訳にせず、二人分の業務量もこなしてきたのでした。

気持ちの整理がついて納得できるまでにはここまでの時間と道のりが私には必要だったのだと思います。茨の道を選んでしまったことに気がついた時にはおそかったですが、十年以上の歳月をそんなにかんたんに納得することなんてできなかったのでした。
どう収束したら本当に納得できるのか自分でもわかりませんが、言うべきことは言いました。
やるべきとはやりました。
これ以上すりへってしまってはどうしようもないので、本当に自分の人生を生きるために
歩き出していこうと思います。
ちょっとひと休みしたいところをきついですが、ここはふんばるしかないです。
ずっと先の話ですが、遺族に限定しない、平日は働いている人のためのグループをやれたらなと漠然と考え始めています。ただ考えているだけ。自分の足元すらおぼつかないのに、何言っているんだっていう感じですが・・・。



晴れわたった日のプリンス・エドワード島の水辺は、どこもかしこも「輝く湖水」、
またいつか、故郷に帰るように訪ねたいです。





やっとこさ・・・

2015年01月20日 23時11分55秒 | 日記
日曜日にやっとこさ今年の手帳を購入しました。
「幸せの黄色いハンカチ」をイメージして、黄色い表紙のものを選びました。
毎年同じメーカーのもの。さっそく日記帳がわりに、1日からの出来事と自分の気持ちを書きいれました。毎日同じ時間に同じ場所に行って同じことをやっていた時とちがっていろいろです。自分で予定を決めていかなければならないという自由はある意味不自由で疲れます。
人が決めてくれたことをただやっているだけの方がずっと楽だっということですね。

今日は研修に参加してきました。
自分と同じような立場の方をフォローする人のための研修です。
お話を聴かせていただきながら、自分がくぐりぬけてきた、闇の中を手さぐりするような日々にあらためて思いを馳せます。
時間がたっているせいか、自分のことなのに、自分のことでないような、ただ夢を見ていただけのような気がしてしまうこともあります。自分がそういう立場になったということが今でも信じられないといえば信じられない。
一昨年お別れした母が数年前、「今だに信じられない」と言っていたことを思い出します。
本当に信じられないといえば信じられない。でも事実なんですね。

以前にも書いていると思いますが、妹とのお別れのあと、1カ月か2カ月ぐらいあとだったと思いますが、藁にもすがる思いでカウンセリングルームを訪ねました。「暮らしの中のカウンセリング」という本で読んで、その本自体の内容は覚えていませんが、本の最後の方に紹介されていたカウンセリングルームの中から選んで、電話で予約を入れて訪ねました。
扉を開けたとき、今もおつき合いのあるY先生が椅子に坐って、よくいらっしゃいましたね、と待っててくださったことを今でも覚えています。
それまで誰にも言えずに自分の中だけに閉じ込めてこらえてきた思いをやっと話せる、ここでは話していいんだという安心感がありました。
50分間の間泣き続けました。とめどなく涙を流し続けながら、妹のこと、母の病気のこと、家族のこと、話しました。沈黙の時間は、先生は待っててくださいました。
先生がわたしの生きる力を信じてくださったことがわたしを救ってくれました。
そう気がついたのは先生と初めてお会いした時から20年近くがたってからでした。
あの時他のカウンセラーの方だったら今どんな自分がいるのか、それはわかりません。
今日も同じ立場の方も何人かいらっしゃいましたが、本当にみなさん真面目に一生懸命生きていらっしゃってすごいなと思います。こんなことがなければ出会うことのなかった苦しみ、
一生懸命だから苦しむ。でも、こんなことがあって出会えたこともほんとうにたくさんある。
出会えたことを大切にしながら生きていくしかないんだとあらためて思います。

Y先生からいただいたものを社会に還元していけるようになるのか。
人生のやり直しの時に立ち止まったままで、どこに向かえばいいのかわからずに、
まだほんの小さな一歩しか踏み出すことのできていないわたしがいます。
答えを見つけられずにおろおろするばかりのわたしがいます。
混乱の終結をめざして、今はもうすぐやってくる緊張感を強いられる場面を乗り越えること。
そのためにふんばることがまず先。でもそうとばかりも言っていられないのが大変なところです。いくつかのことを同時に考えているので頭の中が疲れます。
ゆっくりゆっくり、勉強し直しながら行けるといいですがむずかしいですね。
生きていくことにこれが絶対に正解でこれは不正解というものはどこにもないので、
試行錯誤の連続でほんとうにむずかしいです。今はまだ自分に自信をなくしたままです。

気がついたら長くなってしまいました。

写真は、曇り空のフレンチ・リバーです。




冬の夜に静かな部屋で思う

2015年01月17日 20時59分40秒 | 祈り
今日で阪神淡路大震災から丸二十年が過ぎたのですね。早いものです。
私にとっては妹との突然のお別れの翌年になります。その頃は心だって病気になるんだということが社会的にまだ認められていない頃でした。当事者の分かち合いの場もありませんでした。ずっと自分の中に思いを閉じ込め続けてきました。時は流れたんだと、様々に思いはよぎります。

まもなくやって来る緊張感を強いられる場面への対応と、これからのこととの両輪で腰が落ち着かず、気持ちの緊張は続いています。断捨離もまだまだ続行中で、ひとり頭の中だけで忙しい感じになっています。ようやく本当に小さな一歩が出ました。これをやれただけでも十分だと今は自分に言いきかせます。

なにがおこったのか、どう流れていったのか、どんな人と出会うことになったのか、どんなことを知ったのか、そして何を感じたのか、なんでここまでこだわっているのか・・・。ややこしくてむずかしい物語をもう少し先になると思いますが、あらためて別のかたちでお伝えしたいと思っています。こういう立場の私がここまできているということが私の中では大切です。

自分がここまでこうして生きてきたことが正解だったのか、不正解だったのかを追いかけても仕方ないので追いません。以前の自分と比べてしまうとつらくなるので比べません。
結果が伴うまで苦しい日々が続いていくと思いますが、やれることを少しずつと思います。
まだ今年の手帳を買うことができないでいますが、そろそろ限界かもしれません。

また、久しぶりに妹とのお別れの翌年の自分に立ち返ってみたいと思います。

「1995年10月22日(日)Fine

やっと秋らしく、涼しく、寒くなってきた今日この頃。
5日から短期の仕事をしている。今のところ際立って忙しいこともなく、のんびりと過ぎている。
が、働けばそれなりにストレスがあるのは当然のことで、またいつものジレンマ。
会話が下手だなあ、と自意識過剰になっているわたし。どこまで自分をおさえて、どこまで自分を出していいのか・・・全くコミュニケーションがないのも困るし、かといって、強く自分を主張する場でもないし、両極端に走りがちになる自分がわかっているからこわい。
今さら自分の性格で悩んだって仕方ないんだけど、変に気真面目だし、話題を見つけるのが下手だし、なんてつい考え込みすぎてしまうのだ。
自然にしていればいいのにね。
休らぎの場をもっていれば、考え込むことなんかないようなことなのにね。
今のままの生活パターンでは、結婚なんて有り得ないよな、って思いつつ、どうしていいかわからないし、なにをするということもなく、今までしてきたことを続けている。もっと人に会うことを求めなくちゃいけないのかな、って思いつつ、ほんとは寂しがり屋なのに、ひとりならひとりで平気さ、っていうところがあるから、ひとりでいる。消滅してしまった人間関係もあるし、友達なんて限られているからほんとにひとりでいることが多い。気軽にはつきあえない。がんばっているんだ、って自負しているわたしがいる。どっかに無理があるんだろうな。認めざるを得ない。かといって、少しぐらい無理がなければ前には進まないし。
自分がもどかしいといえばもどかしい。求め過ぎる気持ちが強いのかもしれない。
一生懸命になりすぎるところがあるのかもしれない。
どこかで変わりたいと思っているわたしがいる。
いいじゃないか、こんなわたしで何が悪い。
毎日は決して無味乾燥なものではなく、ほんの少しずつでも前に進んでいると思う。
あきらめないでサ、希望を捨てないでサ、
前だけ向いていこうよ。
ひとりでいると、いろんな思いが頭の中でぐるぐると回ってしまう。
書いたら少し楽になった。ヨカッタ・・・。」

闇の中から光を見つけながら必死に歩いていた過去の自分からエネルギーもらっている感じがします。ぎりぎりのところですが、希望があることを信じていければいいと思います。