先週に続いて雪の週末。出かける予定がないので部屋で片付けなどしながら過ごす。
年明け早々の混乱はまだ終わらない。
1カ月以上、一方的に振り回されて何も納得できないまま契約終了の通知だけもらって、
正当な理由説明など大事なことは全部すり抜けられたままだ。
最終的に行くべき窓口に二度相談に行き、いろいろと教えてもらった。
幸いなことに窓口の人はいい人で、私を心配してくれている。
教えてもらったことの要点を材料としてつっこみどころを関係者に提示したら、ようやく動こうとしている。
なんのために、なにをしたかったのか、なにをしたのか、事実関係を知ることができるかもしれない状況にやっとなった。
今の日本の仕組みの中で労働者はきちんと守られていないので、残念ながらこうして自分で動くしかない。
もう吐き気がしそうだが、胃潰瘍になりそうだが、自分自身の尊厳を守るためにもう少しふんばるしかない。
10年以上という実績は、雇用形態に関係なく、そこの労働者として法的にはみなされるようだ。
法律はややこしい。ひとつひとつ勉強しながら進んでいる。
少しずつのタイミングが幸いしている。
来週何がでてくるのやら・・・、ぞっとする。
雇用は守れないかもしれない。
これからどうしていくのか、どうしていきたのか、まだ具体的にイメージできない。
乳幼児精神保健学会で学ぶようになってから、子供の笑顔がほんとうにいとおしく思える。
見知らぬ子供たちとすれ違うたびに、心の中で健やかであれと祈り続ける。
さりとて自分が職業として何をすべきか、何ができるかを考えても今はわからない。
歯を食いしばって生きてきた自分自身の過去からエネルギーをもらえます。
「1995年3月2日(木)
弥生3月、季節はめぐりいつしか春の気配。
雪が降りそうなほど寒いがなんだか嬉しい。
ほんとに春が訪れるようで嬉しい。
明日はひなまつり。
ちらしずしを作って、Mちゃんの前に供えてやろうと思う。お菓子とお花をこれからは欠かさないようにしよう。
今も涙は枯れることなくつらい。
夢をみる。ここ2度ほど続いている。
夢の中のMちゃんは、何もいわず、黙ってどこか手の届かない所へ消えて行きそうになる。
ひきとめようと、どれほど叫んでも、呼び戻そうとしてもふわりといってしまう。
姉として力になってやろうとしなかったという事実は今も胸をしめつける。時折、かなりつらくなる。十分に睡眠をとれなくてつらい。
眠いのにね、眠れなかったりする。
でも、この部屋に移って、ほんとに環境がガラリと変わったせいか、変化があったなあ、としみじみ思う。
いろいろとこの部屋のためにほしい物もあるし、
もっともっとここで過ごしたいな。なんだか学生みたいな気分だ。古くてちょっと不便なところがいい。
あらたな思いで・・・と意気込んでみたところですぐになにもかも上手くいくはずがない。
いくつかの方向から仕事をさがしているがまた短期で派遣をやるかもしれない。
福祉をと考えたりもしたが、いくつかの意味でなかなかに厳しい。
勉強にもスパートをかけたいが、なにはともあれ休養だ。
あせらないで、のんびりいこうよ。
長距離ランナーでしょ。
もうすぐMyBirthday-
それなりにいろんなことを学んだと思う。
31年生きてきたんだなあと思う。
これからは二人分ー
ひとりでしょってるみたいに思うとつらくなってしまうなあ。
風のように流れるままにフワフワと生きていけたらいいな。
ふわり、ふわり、ぽわあんとね。」
こうして読み返してみると、わたし本当につらかったですね。
つらくって、つらくって、でもどうにかこうにか生きてきている。
今も道に迷ったままでなさけないといえばなさけないですが、こうして自分の足でちゃんと立っている。それだけでもすごいことなんだと、自分をほめてあげようと思います。
そんな状況でよく仕事してますね、と言ってくれた人がいます。
ほんとうにそのとおりです。
今の状況が収束したら、もちろん仕事がまた見つかってからの話ですが、
ほんとうになにかできることないかなと思います。
なにかおかしいと感じているのは私だけではないはず・・・。
いつの間にかオリンピックが始まり、競技が次々と行われている。
メダル、メダルと新聞やテレビが勝手にプレッシャーかけているのは相変わらずだ。
そこにいくまでに、きっと血のにじむような努力を選手たちはしてきている。
残念な結果にいちばん悔しいのはきっと自分自身だ。
一生懸命な姿こそ、光輝いている。
テレビないのでラジオとネットからの情報だけですが、10代ががんばっているのは嬉しい。
日本まだ大丈夫かなと思える。ひとりひとりに拍手を送りたい。