現代の女性労働者の一典型と言える「OL」。一般に制服を着た若い女性をイメージするこの和製英語の誕生の時期は、高度経済成長期の女性労働者の急増と呼応する。
小笠原祐子によれば、「OL」は、1964年に週刊誌『女性自身』が働く若い女性に対する呼称として当時広く使われていたBG(ビジネスガール)などに代わる新しい呼び名を募集し、読者投票の結果、OL(オフィスレディ)に決まったと言う。ここで小笠原はladyという表現の問題点を紹介している。小笠原が述べているところによれば、ladyはwomanの婉曲な言い回しだが、どうしてそのような婉曲な表現が用いられるかと言えば、尊厳や気高さといったものとは無縁と考えられている概念に尊厳や気高さを付加することによって、丁寧な物言いとするためである。したがって、cleaning ladyとはいうが、lady doctorとは言わない。woman doctorと言う。社会的評価が低い仕事であればあるほど、ladyという表現が用いられるのである。事実、OLと聞いて一般的に私たちがイメージする女性像とBGと呼ばれた時代の女性像とは大差がないことを小笠原は指摘している。長くなるが、引き続き小笠原の記述を見ていきたい。
小笠原が引用しているところの長州12・一番ヶ瀬康子両氏の『BG論』によれば1950年代後から60年代前半にかけての「BG」とは、「ビル、とくにオフィス内で単純反復的な事務作業に従事する、非管理的、非専門的な職種の婦人労働者」を指す。両氏が描く典型的なBGは、サラリーマンの親と同居する22歳の独身で高卒の女性。会社では書類の整理や転写、電話の取次ぎ、その他の雑用をこなし、「よく考えてみると不満だが、平正はあまり考えないという意味で、結構満足している」女性である。就職は、家計の責任を負うためであるより、結婚費用を得るため、もしくは小遣いを得るためであることが多く、小さいながらある程度自由に貯蓄と消費力をもつ。したがってBGには、労働の場を離れた「巨大で強烈な消費者集団」としての顔がある。ここに浮き彫りにされているBG像は、私たちが平正漠然と思い描いているOL像と多くの点でオーバーラップする事実に気づき、愕然とさせられる。
この記事が書かれてから40年近くの歳月が流れ、均等法成立、育児休業法成立など労働力の女性化に伴い制度上の整備を進んでいるにもかかわらず、である。1998年時点で、名称こそBGからOLに変わったものの、その他の多くのことは、さほど変わっていないのではないか、と小笠原は述べている。もちろん、女性の教育機会の拡大に伴う高学歴化や、OA化に伴いOLが手作業で書類を転写する必要がなくなったことなど時代の変遷による変化もあるが、その他の面では「女の時代」の到来が声高に叫ばれるほどの進展はみられない。
最も変化に乏しい点の一つが職場での生活であろう。BGの職場生活は、「きわめて単純な労働の繰り返し」であり、「少したてば、仕事を覚え、そしてあきてくる。しかし、責任をもった仕事には、ほとんどつけてもらえない。気がついてみると、同じ時期に入った高卒の男性とはどんどん差がついている。学校時代には、男女共学のもと、考えもつかなかった男・女の社会的差別が身にしみてくる。それは同時に賃金の差にもなっていくのである」。高卒に短大卒と大卒を付け加えると言う一点を除けば、ここで描写されていることがらは、今日の多くのOLの生活実感と大差ないのではないだろうか。 1)
ここで、この論文で用いている「OL」について確認しておきたい。小笠原が指摘しているように、「OL」という言葉は日頃当たり前のように使っているが、よく考えてみるとその定義ははっきりしない。「OL」から一般にイメージするのは事務職従事者であることはすでに記した。サラリーマンの対句として、工場の中で働くブルーカラーの従業員ではなくオフィスの中で働くホワイトカラーの女性労働者を指すことが多い。職業、職種、階級、年齢、さらには多様な雇用形態。これらを考慮に入れ、小笠原は目安としてひとまず、「OL」とは正社員として、現在及び将来にわたって管理的責任を持たず、深い専門的もしくは技術的知識を必要としない一般事務的、もしくは補助的業務を行う女性とする、としている。 2) この中で雇用形態に関して、筆者自身が派遣社員であること、正社員の代替として筆者が派遣社員の活用、さらにはパートタイマーの活用が促進される状況を身近にみてきたことから、派遣社員、契約社員、パートタイマーも「OL」のカテゴリーに含めたいと考える。また、「OL」という言葉からは通常若い女性をイメージするが、この論文では、20代・三十代の女性を中心に考えて行きたいと思う。
引用文献
1) 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』2-5頁、中公新書、1998年。
2) 小笠原、前掲書、9頁。
小笠原祐子によれば、「OL」は、1964年に週刊誌『女性自身』が働く若い女性に対する呼称として当時広く使われていたBG(ビジネスガール)などに代わる新しい呼び名を募集し、読者投票の結果、OL(オフィスレディ)に決まったと言う。ここで小笠原はladyという表現の問題点を紹介している。小笠原が述べているところによれば、ladyはwomanの婉曲な言い回しだが、どうしてそのような婉曲な表現が用いられるかと言えば、尊厳や気高さといったものとは無縁と考えられている概念に尊厳や気高さを付加することによって、丁寧な物言いとするためである。したがって、cleaning ladyとはいうが、lady doctorとは言わない。woman doctorと言う。社会的評価が低い仕事であればあるほど、ladyという表現が用いられるのである。事実、OLと聞いて一般的に私たちがイメージする女性像とBGと呼ばれた時代の女性像とは大差がないことを小笠原は指摘している。長くなるが、引き続き小笠原の記述を見ていきたい。
小笠原が引用しているところの長州12・一番ヶ瀬康子両氏の『BG論』によれば1950年代後から60年代前半にかけての「BG」とは、「ビル、とくにオフィス内で単純反復的な事務作業に従事する、非管理的、非専門的な職種の婦人労働者」を指す。両氏が描く典型的なBGは、サラリーマンの親と同居する22歳の独身で高卒の女性。会社では書類の整理や転写、電話の取次ぎ、その他の雑用をこなし、「よく考えてみると不満だが、平正はあまり考えないという意味で、結構満足している」女性である。就職は、家計の責任を負うためであるより、結婚費用を得るため、もしくは小遣いを得るためであることが多く、小さいながらある程度自由に貯蓄と消費力をもつ。したがってBGには、労働の場を離れた「巨大で強烈な消費者集団」としての顔がある。ここに浮き彫りにされているBG像は、私たちが平正漠然と思い描いているOL像と多くの点でオーバーラップする事実に気づき、愕然とさせられる。
この記事が書かれてから40年近くの歳月が流れ、均等法成立、育児休業法成立など労働力の女性化に伴い制度上の整備を進んでいるにもかかわらず、である。1998年時点で、名称こそBGからOLに変わったものの、その他の多くのことは、さほど変わっていないのではないか、と小笠原は述べている。もちろん、女性の教育機会の拡大に伴う高学歴化や、OA化に伴いOLが手作業で書類を転写する必要がなくなったことなど時代の変遷による変化もあるが、その他の面では「女の時代」の到来が声高に叫ばれるほどの進展はみられない。
最も変化に乏しい点の一つが職場での生活であろう。BGの職場生活は、「きわめて単純な労働の繰り返し」であり、「少したてば、仕事を覚え、そしてあきてくる。しかし、責任をもった仕事には、ほとんどつけてもらえない。気がついてみると、同じ時期に入った高卒の男性とはどんどん差がついている。学校時代には、男女共学のもと、考えもつかなかった男・女の社会的差別が身にしみてくる。それは同時に賃金の差にもなっていくのである」。高卒に短大卒と大卒を付け加えると言う一点を除けば、ここで描写されていることがらは、今日の多くのOLの生活実感と大差ないのではないだろうか。 1)
ここで、この論文で用いている「OL」について確認しておきたい。小笠原が指摘しているように、「OL」という言葉は日頃当たり前のように使っているが、よく考えてみるとその定義ははっきりしない。「OL」から一般にイメージするのは事務職従事者であることはすでに記した。サラリーマンの対句として、工場の中で働くブルーカラーの従業員ではなくオフィスの中で働くホワイトカラーの女性労働者を指すことが多い。職業、職種、階級、年齢、さらには多様な雇用形態。これらを考慮に入れ、小笠原は目安としてひとまず、「OL」とは正社員として、現在及び将来にわたって管理的責任を持たず、深い専門的もしくは技術的知識を必要としない一般事務的、もしくは補助的業務を行う女性とする、としている。 2) この中で雇用形態に関して、筆者自身が派遣社員であること、正社員の代替として筆者が派遣社員の活用、さらにはパートタイマーの活用が促進される状況を身近にみてきたことから、派遣社員、契約社員、パートタイマーも「OL」のカテゴリーに含めたいと考える。また、「OL」という言葉からは通常若い女性をイメージするが、この論文では、20代・三十代の女性を中心に考えて行きたいと思う。
引用文献
1) 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』2-5頁、中公新書、1998年。
2) 小笠原、前掲書、9頁。