たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

第四章OLという存在-②「OL」の誕生

2020年07月31日 09時49分21秒 | 卒業論文
 現代の女性労働者の一典型と言える「OL」。一般に制服を着た若い女性をイメージするこの和製英語の誕生の時期は、高度経済成長期の女性労働者の急増と呼応する。

 小笠原祐子によれば、「OL」は、1964年に週刊誌『女性自身』が働く若い女性に対する呼称として当時広く使われていたBG(ビジネスガール)などに代わる新しい呼び名を募集し、読者投票の結果、OL(オフィスレディ)に決まったと言う。ここで小笠原はladyという表現の問題点を紹介している。小笠原が述べているところによれば、ladyはwomanの婉曲な言い回しだが、どうしてそのような婉曲な表現が用いられるかと言えば、尊厳や気高さといったものとは無縁と考えられている概念に尊厳や気高さを付加することによって、丁寧な物言いとするためである。したがって、cleaning ladyとはいうが、lady doctorとは言わない。woman doctorと言う。社会的評価が低い仕事であればあるほど、ladyという表現が用いられるのである。事実、OLと聞いて一般的に私たちがイメージする女性像とBGと呼ばれた時代の女性像とは大差がないことを小笠原は指摘している。長くなるが、引き続き小笠原の記述を見ていきたい。

 小笠原が引用しているところの長州12・一番ヶ瀬康子両氏の『BG論』によれば1950年代後から60年代前半にかけての「BG」とは、「ビル、とくにオフィス内で単純反復的な事務作業に従事する、非管理的、非専門的な職種の婦人労働者」を指す。両氏が描く典型的なBGは、サラリーマンの親と同居する22歳の独身で高卒の女性。会社では書類の整理や転写、電話の取次ぎ、その他の雑用をこなし、「よく考えてみると不満だが、平正はあまり考えないという意味で、結構満足している」女性である。就職は、家計の責任を負うためであるより、結婚費用を得るため、もしくは小遣いを得るためであることが多く、小さいながらある程度自由に貯蓄と消費力をもつ。したがってBGには、労働の場を離れた「巨大で強烈な消費者集団」としての顔がある。ここに浮き彫りにされているBG像は、私たちが平正漠然と思い描いているOL像と多くの点でオーバーラップする事実に気づき、愕然とさせられる。

 この記事が書かれてから40年近くの歳月が流れ、均等法成立、育児休業法成立など労働力の女性化に伴い制度上の整備を進んでいるにもかかわらず、である。1998年時点で、名称こそBGからOLに変わったものの、その他の多くのことは、さほど変わっていないのではないか、と小笠原は述べている。もちろん、女性の教育機会の拡大に伴う高学歴化や、OA化に伴いOLが手作業で書類を転写する必要がなくなったことなど時代の変遷による変化もあるが、その他の面では「女の時代」の到来が声高に叫ばれるほどの進展はみられない。

 最も変化に乏しい点の一つが職場での生活であろう。BGの職場生活は、「きわめて単純な労働の繰り返し」であり、「少したてば、仕事を覚え、そしてあきてくる。しかし、責任をもった仕事には、ほとんどつけてもらえない。気がついてみると、同じ時期に入った高卒の男性とはどんどん差がついている。学校時代には、男女共学のもと、考えもつかなかった男・女の社会的差別が身にしみてくる。それは同時に賃金の差にもなっていくのである」。高卒に短大卒と大卒を付け加えると言う一点を除けば、ここで描写されていることがらは、今日の多くのOLの生活実感と大差ないのではないだろうか。 1)

 ここで、この論文で用いている「OL」について確認しておきたい。小笠原が指摘しているように、「OL」という言葉は日頃当たり前のように使っているが、よく考えてみるとその定義ははっきりしない。「OL」から一般にイメージするのは事務職従事者であることはすでに記した。サラリーマンの対句として、工場の中で働くブルーカラーの従業員ではなくオフィスの中で働くホワイトカラーの女性労働者を指すことが多い。職業、職種、階級、年齢、さらには多様な雇用形態。これらを考慮に入れ、小笠原は目安としてひとまず、「OL」とは正社員として、現在及び将来にわたって管理的責任を持たず、深い専門的もしくは技術的知識を必要としない一般事務的、もしくは補助的業務を行う女性とする、としている。 2) この中で雇用形態に関して、筆者自身が派遣社員であること、正社員の代替として筆者が派遣社員の活用、さらにはパートタイマーの活用が促進される状況を身近にみてきたことから、派遣社員、契約社員、パートタイマーも「OL」のカテゴリーに含めたいと考える。また、「OL」という言葉からは通常若い女性をイメージするが、この論文では、20代・三十代の女性を中心に考えて行きたいと思う。

引用文献

1) 小笠原祐子『OLたちのレジスタンス』2-5頁、中公新書、1998年。

2) 小笠原、前掲書、9頁。

キキちゃん「今、とても楽しい」

2020年07月30日 23時12分42秒 | 宝塚
忘れないうちに書きとめておきたい。

7月11日のマリソルオンライン記事に宙組のキキちゃんこと、芹香斗亜さんが登場。

https://marisol.hpplus.jp/article/56083/01/

「5つの質問の答えから見えてきたのは、男役13年目の余裕。積み重ねてきた経験により手に入れた、揺るぎない実力と自信。」

 マリソルさんのことばが嬉しいですね。

 キキちゃん、毎日が楽しいと。そして美のお手本は真風涼帆さん、「毎日何を使っているのか、どんなケアをしているのかチェックさせていただいている」と。

 抜群の安定感、長い手足をのびのびと伸ばして生き生きと舞台の上で生きる最強のワンツーコンビまかききにまどかちゃんのトライアングルが魅せてくれるであろう『FLYING SAPA―フライング サパ―』、8月1日に梅田芸術劇場で開幕。

 もともとTBS赤坂ACTシアター公演を梅田芸術劇場と日生劇場とにふりわけた劇団のすごさよ。ウエクミ先生×宙組が幻のまま終わってしまうのはあまりにも惜しかったので、なんとしても公演させてくれてほんとに嬉しいです。自分は申し込んだけどもしかしたらみることができないかも?だけどライブビューイングとライブ配信も。

 推しメンたちが元気にどこかで舞台に立っている、それだけで十分すぎるほどに尊い。

 千穐楽まで無事に公演が続いていくことを祈っています。

 明日は東京宝塚劇場でようやく新生星組公演が開幕。まさかのKAZUMIBOY先生のブログから紅さんとあーちゃんが東京宝塚劇場?の楽屋を訪ねていたことを知る。




『紅-ing』_梅田芸術劇場千穐楽思い出し日記

2020年07月30日 14時20分00秒 | ミュージカル・舞台・映画
『紅-ing』_進化し続ける姿
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1ebd8d4aae5bffc012b55d27979a0cfe

ひとかけらの希望を信じたい
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/7df0a00b826728486d0a0160e1d8471b


『紅-ing』_「わたしは私」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/1be22ec867467e2c3ac620968d743bce


『紅‐ing』_ひとかけらの勇気をもらえた
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d27c941b14a1502629f196c5d8bf85a9


『紅‐ing』_楽しいがあふれた時間でした
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/87bc0ed61e1ba687bf5f7132a5736648


『紅-ing』_わたしはわたし
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cdf3196b1967b589fb43fad0bfbcaa95


『紅-ing』_久しぶりに笑いました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/d076ee3a72759f34f90f8c34b0105f8b


 2月に下書き保存したままになっていた紅ゆずるさんの宝塚退団後初のコンサート、2月9日(日)梅田芸術劇場千穐楽公演、6カ月前のことになろうとしていますが、もっとはるか以前の、束の間の夢をみていたような気がします。わたし、日常生活の中ではほんとに笑うことがなかった、今もないし孤独ですが、もっと孤独だったし毎日緊張していました。劇場にいる間は、現実を忘れて楽しいひとときを過ごしました。振り返ってみれば、まだマスクの着用をお願いします、スタッフもマスクを着用しますという状況で、無事に上演できるタイミングだったのは幸いでした。

 盛りだくさんすぎてなかなか書き切れていなかった、備忘録を断片的にようやくまた整理。本来なら6月は新橋演舞場とファンミーティングのはずでした。また舞台でお会いできる日がくることを祈りつつ・・・。

 紅5のコーナーでグリーンの天寿光希さんからのメッセージが映像で流れました。グリーンのTシャツに宝塚化粧なのは現役生だから当然ですかね。舞台映像を使わせてくれた上にこうしてメッセージも流させてくれて宝塚歌劇団の全面バックアップ体制、すごいですね。

 2月7日に宝塚大劇場で新生星組の公演が始まったばかりのタイミングでした。公演期間がかぶってしまうから琴さんたちは『紅ing』を観ることができないんだなとさみしい気持ちになったものでした。メッセージのあと、紅さん「新生星組始まってますよ!」、客席に「観に行った?」と声かけると観劇された方がいらしたようで、「行った? よかったやろ? わたし観にいくときバスタオル持ってくから! いつも隣にあーちゃんおるねんけどあーちゃんのハンカチ奪って泣いてるからさ、 次は自分でバスタオルもってく!」と。せおっち(瀬央ゆりあさん)主演の『龍の宮物語』を一緒に観劇したとき、あーちゃん(綺咲愛里さん)のハンカチを借りて号泣されたのかな、この時はまた一緒に大劇場で観劇する予定があったのかもしれません、それとも東京公演の予定だったかな?

 紅5のコーナーの赤いTシャツにスターブーツをはいた紅さん、手足が長いので舞台に映えました。かっこよさがより引き立ちました。大阪公演はブラックの美弥るりかさんパネル出演。梅咲衣舞ちゃんと華鳥礼良ちゃん、娘役だったふたりがパンツ姿にヒールをはいて、曲に合わせながらグリーンとブラックのパネルを移動させる様子が3階席からだとよくみえたのも楽しかったです。パネル移動させながら、楽しそうにのりのりだったかな。

 関西は遠くなったので最初で最後だったのかもしれない梅田芸術劇場、駅がありすぎて迷子になる梅田界隈、不思議な場所という感覚でした。すぐ近くを走っていた電車は何線なのかな。遠くなった梅田に思いを馳せつつ、もう少しおぼえがき、書いていくと思います。

 わたしの人生の主役はわたし、

 「わたしは私 わたしは私 他の誰でもない私 今生きている私他の誰でもないこのわたし」

 歌声を思い出しながら、もう一度胸に刻みたい。

 「人は幸せになるために生まれてきたんだ、幸せになっていいんだよ」(もう一人のさゆみさんが演じたクリスの台詞)





夏のプリンス・エドワード島への旅-Anne of Green Gables PASSPORT

2020年07月29日 12時53分49秒 | プリンスエドワード島への旅
 『赤毛のアン』が出版されたのは1908年、わたしがはじめてプリンス・エドワード島を訪れた2009年も100周年のお祝いが続いていました。『赤毛のアン』とモンゴメリさんゆかりの地を訪れると、こんなパスポートにスタンプを押してもらえました。グリーン・ゲイブルズ、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡、銀の森屋敷、モンゴメリさんの生家、キャベンディッシュ郵便局。シャーロットタウンのコンフェデレーションセンターの」でミュージカル『赤毛のアン』を観劇しましたがパスポートを呈示するのわすれちゃったみたいです。

 2010年も続いていましたが、残念ながら持ち歩いてうちに、疲れ果ててうっかり落し物をした際失くしてしまったようです。2012年も続いていて、無事手元にあります。心の宝物。この世を旅立つとき、少なくともプリンス・エドワード島に行っておけばよかった、まだプリンス・エドワード島に行っていないよう、と後悔することはありません。体力、気力、その他諸々、片道24時間の一人旅ができる条件がそろっていた時に思い切って旅立ったことはかえすがえすもよかったと思います。いろいろと間抜けなこともありましたが、モンゴメリさんの息使いを感じることができた島での時間、どこまでも穏やかな景色、ただただ幸せでした。

 シャーロットタウンの可愛らしい国際空港からモントリオールの巨大な国際空港へと戻ったときすでに夢の中にいたような心持ちでした。



 この時はまだデジカメを持っていなかったので写真はすべて使い捨てカメラで撮ったものをスキャンしています。


2014年9月18日;夏のプリンス・エドワード島への旅_帰国(バンクーバー空港にて)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/573ff54ee11f21845d14ee0297b54191


2014年9月13日;夏のプリンス・エドワード島への旅_帰国(モントリオール空港にて)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/332ffe5096c62b53ce4ce78ded05859e


2014年9月5日;夏のプリンス・エドワード島への旅_五日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/988467709f6768c1d56b96734645973a

2014年9月2日;夏のプリンス・エドワード島への旅_四日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f0435725c260eae6a9f92c958ddfe2e5

2014年8月28日:夏のプリンス・エドワード島への旅_三日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0d19031c3211671e7453f3941335cc39

2014年8月22日;夏のプリンス・エドワード島への旅_出発&二日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8eaa487f3e91518f9eb7525d92545130


ミュージカル『るろうに剣心-京都編』-配役発表

2020年07月28日 22時47分20秒 | ミュージカル・舞台・映画
2020年7月16日:ミュージカル『るろうに剣心-京都編』_主要キャスト発表 
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ef312304418c3de3bc8b960de847383e

 7月18日に行われた『るろうに剣心-京都編』の配役発表、YouTubeにアーカイブがあります。音ズレしていたのが修正されたとのこと。

https://www.youtube.com/c/rurokenstage2020

 2018年帝国劇場『1789バスティーユの恋人たち』以来の小池徹平くん、元気そうで安心しました。宝塚退団後の初舞台となるあーちゃん(綺咲愛里さん)は、予想どおり剣心の恋人、薫役。小顔&可愛いコンビ、今から二人の並びが楽しみで仕方ないです。とにかくあーちゃん、可愛い、可愛くて強いヒロイン、剣心を守るために竹刀をふりかざす姿がたぶん似合いすぎる。男性陣がリモートでしたが初顔合わせのあーちゃんのあまりの可愛さにタジタジ、すでにメロメロな感じだったかな。可愛いという芸をきわめたあーちゃん、役のためなら眉毛そりおとすど根性の持ち主ですよ~。仙名彩世さんも登場、ごめんなさいね、こんなに綺麗だったかしらとびっくり。話し始めると仙名節がさく裂しそうな元気っぷり。安定した力をみせてくれることに期待しかありません。元お嫁さんたちの舞台、Wさゆみさんもご覧になるかな。配役発表には登場しませんでしたが、宝塚OGからはしろきみちゃん(城妃美玲さん)も。インスタによれば退団後長い舞台に立つことはもうないと思っていたので最初オファーを断るつもりだったとか。でも小池修一郎先生の挑戦状を受けてたつ決心したとのこと。しろきみちゃんがまた舞台に立つ姿、待ってましたよ。加藤清史郎くんは、当日朝からテレビ番組に登場していたのかな、ツィーターで子ども店長がイケメンになったと話題になっていました。わたしは、3年前帝国劇場の客席で偶然会えたし、舞台に立つ姿をみてきているので突然大きくなったという印象はないです。『レ・ミゼラブル』で歌のうまさと芝居力でミュージカルファンをうならせた清史郎くん。マリウスとルドルフまであと7㎝、がんばれ。自分はチケットなかったですが、コロナで『ニュージーズ』が中止になった時はほんとにつらかった。11月には無事会えるといいな。


 清史郎くんと一緒に『ニュージーズ』に出演予定だった鮫島拓馬さんのサイトに登録するとチケット情報など送られてくるそうです。客席が回転する劇場、体調整えないと。

https://twitter.com/takumakumama

 当選するはずないと思っていた8月の帝国劇場、東宝ナビの先行抽選で当選しました。行かないとこの世を旅立つとき後悔するよね、たぶん。東京宝塚劇場に続いて日比谷がわたしを呼んでくれました。日比谷がわたしを歓迎してくれていると勝手な思い込み。だからまた一歩、一歩、前に進めるんだよ、自分。あなたを待っている人たちがいる、6年前ボロボロに擦り減ったわたしの話を、ほんとは業務の範疇を超えていたのに聴いてくれた相談員さんのことばを信じて明日もまた一歩進むんだよ、自分・・・。

 ささやかなブログへの訪問ありがとうございます。楽しいことを共有したくて連投してしまいました。

夏のプリンス・エドワード島への旅-モンゴメリさんの生家

2020年07月28日 15時24分42秒 | プリンスエドワード島への旅
2014年8月22日;夏のプリンス・エドワード島への旅_出発&二日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/8eaa487f3e91518f9eb7525d92545130

2017年10月12日;春のプリンス・エドワード島への旅_2日目
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4264c1a73d954a5828439c37762fa29e

 今はニュー・ロンドンと呼ばれる所にある『赤毛のアン』の作者、モンゴメリさんが生まれた家のパンフレット。2009年7月12日(日)と2010年6月7日(月)に訪れました。農家のグリーン・ゲイブルズとは趣の異なる、商人らしい簡素でこじんまりとした家でした。今は駐車場になっている家の前に当時は何があったという現地ガイドさんの説明だったかな、残念ながらもう思い出すことができません。
 
 モンゴメリさんのウエディングドレスと靴のレプリカ、21㎝と小さい靴は手作りという説明だったかな、今のように左右対称にはなっていませんでした。モンゴメリさんが使った揺りかごも展示されていました。すでにこの世の人ではないモンゴメリさんの生まれた部屋が再現されていて、自分は今そこにたているというのはなんだか不思議な感覚だったことを思い出します。

 すぐ近くは海、グリーン・ゲイブルズのあるキャベンディッシュまで車で20分ぐらいだったかん、地図をみても近いように感じますが、当時は馬車で何時間もかけて移動したという説明でした。何時間だったかは忘れてしまいました。





 シャーロットタウンにあるお土産屋さん「Anne of Green Gables chocolates」のパンフレット。可愛いらしいフリルの帽子とエプロンをつけた女性たちが、プリンス・エドワード島らしい人なつっこい笑顔で迎えてくれました。

 この世にいる間に訪れることはもうできそうにないので、今でなければとの思いで旅に出たことは正解でした。旅の出会いもまた一期一会、思い出は心の引き出しの中にあります。だからこれからも生きていくことができます、たぶん・・・。





「1874年11月30日、キャベンディッシュから12キロほど離れたクリフトン(現在はニュー・ロンドン)にあるこの家で、モンゴメリはこの世に生を受けました。彼女がここに暮らしたのは、まだ23歳だった母親が亡くまるまでの、わずか2年ほど。束の間の日々でしたが、愛しい娘とともに過ごすヒュー&クレアラ・モンゴメリ夫妻の幸せがまだそこに息づいているかのように、こぢんまりとした家のなかはとても居心地のよい雰囲気です。

 1階の資料室には結婚式で着たウェディングドレスのレプリカや、モンゴメリが長年にわたり集めたファッション雑誌や新聞の記事のスクラップブック、写真、手紙などの貴重なゆかりの品々を展示。スクラップブックづくりは、19世紀の女性たちの間で流行ったものでした。ページをうめつくす切り抜きから、若かりし頃のモンゴメリの嗜好やセンスの良さがか垣間見えてくる興味深い内容になっています。」

(『プリンス・エドワード島&物語ガイド 赤毛のアンの島へ』より)


雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』(4)

2020年07月27日 23時27分34秒 | 宝塚
2020年6月8日;雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/4a88a8499229c11f0a75fd687c934d9f

2020年1月29日:雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/01feaadd79b67bfbc16ccdd52261beed

2020年1月29日:雪組『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9fa68918da7cacb1f6b3a1465017d1e4

 3月22日の東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングが幻となってから4カ月、すごく長い時間が流れたような気がします。無観客でも退団者がいる千穐楽の公演だけは守ろうとした歌劇団を、非難の嵐がおそったのをみるのはつらかったです。舞台は不要不急のイベントではなく、心の糧。これからの公演が一日、一日、無事に上演できますようにとの祈りを込めつつ・・・。

 綾凰華(あやおうか)さん演じるニックは作曲家で、真彩希帆ちゃん演じるデボラの仕事仲間。おもい物語の中でいつもピアノを弾きながらニコニコニコニコ、笑顔を絶やさない明るい存在だったのが印象的でした。。少し前にちらっと書いたような気がしますが、星組から組替えしてきたジェンヌさん、オンデマンド配信で星組生としては最後だった『阿弖流為』を視聴したとき、いい芝居役者だと思いました。2019年雪組『壬生義士伝』では彩風咲奈さん演じる大野次郎右衛門の息子、大野千秋を演じていて、出番は少ないながら存在感がありました。役者顔の表情がいいなと思います。

 オンデマンド配信で視聴したぽっぷあっぷタイムという番組で語ったニックを演じるにあたってのエピソード。稽古場の最終日に演出の小池修一郎先生から、「ニックは唯一このあとも平和でやさしい世界に生きていくのかもしれない」とぼろっと言われたと。「最終日に?」と思わず突っ込む組長の奏乃はるとさん。最終日だったそう。

 ニックは映画には登場しないキャラクターとのことで、小池先生の創作なのかな。唯一の明るいキャラで音楽の才能がなかったらどうなったのか、望海風斗さん演じるヌードルスたちの出身地;ローワー・イーストにいられたのか。ただ明るいだけでは話から脱線してしまうので、どうしてそうなったのかを考えながら演じているとの話。こうして、演じる役柄の唯一無二の、その人だけの人生史を創造しながら役を膨らませ、その人生を舞台の上で生きるのかと。真彩希帆ちゃんとは楽屋でもニックとして接していたとの話。自分で自分を守り、ハリウッドでスターになる夢をかなえるために必死に生き抜いたデボラはいつもどこか緊張感をみなぎらせていたように思いますが、ニックのそばにいるときだけは緊張感から解き放たれ、ほっとできる、ニックはそんな存在でした。客席も緊迫感のある物語の中で、ニックの存在にほっとできました。唯一無二の存在感に、役者としての技量が光っていたと思います。

 一回の観劇では、なかなかにストーリーがわかりづらいところもあったのですが映画を知らなくても楽しめるようになっていたところはさすがの小池先生。朝美絢さん演じるキャロルのことなどもぽつぽつかけるといいかな・・・。

2020年1月28日(火)の宝塚大劇場、人生に必要な時間でした。






























シアタークリエ『SHOW-ISMS』再開

2020年07月26日 22時18分27秒 | ミュージカル・舞台・映画
https://twitter.com/toho_oshirase/status/1287334350569140224

 東宝の公式ツィーターにシアタークリエ『SHOW-ISMS』、28日公演再開予定とのお知らせ。ひとまず安堵しました。体調不良を申し出た演者の方、勇気のいることだったと思います。むずかしい判断を迫られながら公演を続ける東宝の、大事をとって直前の中止決定。東宝も劇団四季もおそらく宝塚歌劇団もそれぞれ独自に検査をしているということですね。無事に公演が続けられるよう、祈っています。

 井上芳雄さんの出演回のライブ配信、結局見逃してしまいました。一期一会の出会い、その時にみておかないとこの世を旅立つときに後悔しますね。


星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(9) 

2020年07月26日 16時16分18秒 | 宝塚
2020年7月20日;星組『鎌足-夢のまほろば、大和し美しー』_思い出し日記(8) 
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/381ad173725a074adc5fb35c13a46777

 
 オンデマンド配信の視聴期限が近づいてきたので今のうちにかきとめておきたい、2019年5月星組公演『鎌足』。

 もがき苦しみ続けながら生きた鎌足、与志古をおいては死ねない、と這いつくばりながら生き続けた鎌足、そんな鎌足を信じ続け、弱さをさらけだした生き方を肯定し続けた与志古、終生信頼しあい互いを深く思いやり、人の弱さを尊さとして魅せてくれた星組トップコンビ。最後に「飢饉と苦役」の場面をかきとめておきたいかな。

 鎌足と中大兄皇子による蘇我入鹿討伐の場面、三韓の使者を迎える祝賀で俳優を演じた勝麻呂@桃堂純さん、、子麻呂@湊璃飛さん、網田@朱紫令真さん(少年の日、僧旻先生の学堂では鎌足をいじめる生徒の役でした)。お面をかぶった3人が、入鹿に、身振りで刀をおいていかないと通さないぞと演じて、入鹿を丸腰にするところに、ライブビューイング途中からで苦役を場面をみていなかったわたしはかなりどきりとしました。

 3人は飢饉と苦役の場面で、渇きに苦しみ、麻央侑希さん演じる巨勢徳太(こせのとこだ)に水をくれと嘆願するも、「働かぬものにやる水などない」ときびしく咎められ、倒れ込んだところを鎌足に助けられるという伏線がはられていました。鎌足は自分の水が入った筒を差し出すのでした。3人は入鹿に恨みをもち絶対に裏切らない部民たちとして鎌足から中大兄皇子に紹介されます。鎌足に受けた恩を忘れなかったんですね。「この御恩は必ず・・・」との言葉通り、入鹿を討伐しようとする鎌足に命を差し出しました。出世は約束されたも同然とはナウオンステージの紅ゆずるさんの話。


僧旻(そうみん)
「そして幼いころかたく結ばれたはずの志はもろくも崩れ去った。(皇極天皇の深い孤独に共鳴し)修羅と化した入鹿はかつてない規模の陵墓の造営を命じた。」

船史恵尺(ふねのふひとのえさか)「同じころ未曽有の飢饉が飛鳥の地をおそった」

僧旻「まるで入鹿の法政を戒めるかのように天からは一滴の雨も降りはしなかった」

恵尺「苦役と飢えに民は苦しみあえいでいた」


 最初に聴いたのがこの「飢饉と苦役」の場面の歌、まあ壮大な曲だなと思いました、とナウオンステージの紅ゆずるさん。
 
「どれだけ働けば許されるのか~♪

 どれだけ働けば終わるのか~♪

 かわいた大地にひび割れる~♪

 巻かれた種の芽は出ない~♪

 陽射しに焼かれ 目が焦げる~♪」

 何役も演じ分けなければならなかった下級生は早変わりも含めて大変だったと思いますが勉強になった舞台だと思います。コーラスが流れる場面も多くて、星組が歌を特に褒められることはないようですが、恵尺の影が鎌足に襲いかかっていく場面やこの苦役の場面など、コーラスの重厚感と物語感がより舞台を深いものにしていたと思います。プレ退団公演として、小さい箱での舞台は秀作でした。


キャトルレーヴで購入した舞台写真。
幼い日の猿岩の前のぷんすか鎌足と10歳の与志古ちゃん。

凛々しい鎌足、年代順に並べることができます、歳を重ねていくことがわかる演じ分け。




8月の星組東京宝塚劇場公演のチケット、友の会の先行抽選で当選しました。B席3,500円、
本来なら4月の第一週目に観劇できるはずでした。また東京宝塚劇場がわたしを呼んでくれました。
華形ひかるさんの退団公演を見届けることができます。
だから1日のライブ配信は我慢するつもりですが後悔するかな。

昨日東宝はライブ配信も予定されていたシアタークリエの公演を、出演者の中に体調不良を訴える人がいるとのことで急遽中止の決断。休演ではなく中止、ほんとうに明日のことがわからなくなりました。どなたかな、心配です。感染したら責め苦を負わなければならないなような風潮、一回一回、薄氷をふむような緊張感が続きますが、幕をあげなければチケット代は入ってこない。ごはんを食べることができない人がたくさんいます。無事に公演が続いていくことを祈るばかり。





紅ゆずるさん、綺咲愛里さんの退団公演中だった2019年9月14日(土)の東京宝塚劇場前、日比谷シャンテではステージ衣装展が行われていました。

わたしの心のふるさと、活力の源、日比谷。
また日常生活の時間のなかで訪れることができます。
だからエネルギーそがれることを乗り越えていける・・・はず・・・。

無事に観劇できますように・・・。














2008年『フェルメール展』‐フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」(2)

2020年07月25日 21時55分51秒 | 美術館めぐり
2020年7月24日;2008年『フェルメール展』‐フェルメール「ヴァージナルの前に座る若い女」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6440715143d67e6cd183f48ef0639025


「本屋と印刷屋を営んでいたヤーコブ・ディシウスは、21点のフェルメール作品を所有していた。おそらくフェルメールの主要なパトロンであった義父ピーテル・ファン・ライフェンから相続したのだろう。それら21点は1696年にアムステルダムで競売にかけられ、そのうちの競売番号37番、《クラヴシンベルの前に座る若い女》は42ギルダー10スタイフェンで売却された。この大雑把な記述だけに頼れば、これは音楽主題を描いたロンドンのフェルメール作品2点のうちのいずれかであると早合点する者もいよう。しかしこの2点はサイズがより大きく、かなり高い完成度を誇っている。オークションということを考えれば、これら2点には、37番に付けられた値段よりもはるかに高額が見込まれよう。それゆえ、この37番はまさに本作品のことであると信じるに足る理由があるのである。

 1814年にアムステルダムで開かれたウェッセル・レイエルスの競売目録で、37番は25.4㎝×20.32㎝の大きさと記されている。この小さなサイズもまた、37番を本作品と特定する証拠となる。20世紀初頭には、本作品は南アフリカのダイヤモンド王であるアルフレッド・ベイトが所有していた。この人物は《手紙を書く婦人と召使い》(本展覧会、特別出展作品)の持ち主でもあった。彼のコレクションの多くの作品と同様に、《手紙を書く婦人と召使い》は、彼と同名の孫によってアイルランド・ナショナルギ・ャラリーに寄贈された。しかし《ヴァージナルの前に座る若い女》は孫の若きアルフレッド卿により1960年に売却された。

 本作品は、従来から《レースを編む女》と構図及び様式の面で類似すると指摘されてきたが、他の細部もフェルメールの真作が呈する特徴に似ている。柔らかな光や大気の処理とハレーションを起こしたハイライトとの組み合わせは、ケンウッドにある《ギターを弾く女》の似たような細部を思い起こさせる。同作品は、はるかに大きいサイズだが、ほぼ同じ髪型の女性(モデルは同一人物だろうか?)を描き、しかも黄色を基調とした同じような色構成をとる。これら2点の絵画は、ロンドンにある音楽を主題とした2点の作品よりも若干前に描かれたものであろう。後者2点の仕上がりがより艶やかで、筆遣いも歯切れがいいからである。一方、これらの作品のモデル(たち)がフェルメールの娘であると推測する根拠はどこにもない。それは、レンブラントやステーンといった他のオランダ画家たちの批評的研究を何世代にもわたり妨げてきた事実無根の推測である。最後に、本作品には《牛乳を注ぐ女》から《絵画芸術》に至るまでのフェルメール芸術で繰り返し目にする特徴、つまり主たる焦点面として奥の壁を利用する手法が含まれていることも指摘しておきたい。その結果、石膏の小さな傷跡や不規則な塗りがすぐ前景の物体よりも詳細に観察されている。前景は焦点が甘く、描き方も大雑把である。こうした制作法こそが、フェルメールをデルフトの画家仲間たちのみならず、あらゆるオランダの画家たちとも異なる存在にしているのである。」

黄色を基調としたフェルメール作品と対話するひとときは、やさしく穏やかな光に包まれるような時間。



《手紙を書く婦人と召使い》(本展覧会、特別出展作品)
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