たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

これからどうしていくんだろうなあ

2017年03月30日 22時35分34秒 | 日記
 季節の変わり目、今日はあったかでしたがまた週末に向けて寒くなるようです。雨も降るのかな。明日は3月31日。4月になれば新しいスタートっていう感じに世間はなるんでしょうか。わたしの就労場所もそうなるんでしょうが、わたしは5月からどうしていくんだろうなあと思いながらなんにもしないまま時が過ぎているので、なにか新しく始まるっていう感じは全くないです。なにがどうといって収入=生活の基盤がなければどうしようもない。カイシャにないままポイ捨てにされて一番大きかったのは何の保証もないまま生活の基盤を失ったということでした。今日あらためて思いました。生活があるから、だからがんばったんじゃないですか。自分で食いぶちを稼がない者を非難する社会が、働かない者を非難する社会が、生活のためにがんばった者を、辞めなかったあなたが悪いんだっていってどうして非難するんですか。社会の仕組みは全部自己責任。そんなのあんまりじゃないですか。5月から雇用保険を受給しながら考えようかなと思いましたが連休あるし、資格喪失者証が雇用主から出てくるまでにすごく時間がかかり、そこから申請してさらに待期期間があるのでまた一か月分ぐらい持ち出しになりそうだと気づいて気持ちが落ち込みました。今の業務を続けたいのかと問われるとなんだか麻痺してきそうだしバッテリー持たないし大変ですが、かといってすぐにまた別の道をさがしてすぐにスタートできるだけのエネルギーは失っており、気持ちどっちつかず、何の手当もないのでいたいです。わたしの本当の居場所はどこなんでしょう。見つけられないままこの世の旅の終わりが訪れることにならなければいいですが、どうなんでしょうか。これ以上、どこでなにを、どんなふうに、どれだけがんばればいいのかわからないです。わたし、今日と同じプリンス・エドワード島のお写真と共に書いた2014年11月20日の記事で、闘いが収束していきそうなことを書いていますがとんでもなく甘かったです。

http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2af48074bb566d6065a295ae1fd3aa22

その筋の、筋金入りの弁護士が登場してきたサル芝居はわたしがそれまで知っていた現実よりもはるかにどす黒いものでまもとな考えが通じるような世界ではありませんでした。こうやって逃げ切ったカイシャ、よかったですね。万歳、ってか。このへんでやめておきましょう。

 今日も徒然日記でした。明日の夜は宝塚。無事に一日が終わりますように。無事にたどり着けますように・・・。

 
 
 

年度末、水曜日

2017年03月29日 22時29分01秒 | 日記
 朝から二回目の乗り換え駅で事故に遭遇し、しばらく足止め。運転再開を待ちましたが3回目に声をかけた駅員さんの、アナウンスよりもさらに時間かかると思います、バスに乗り換えていく方法もありますと教えてくれたのにしたがい、バスを使って移動。バスからバスに乗り換えるのに、降りてからまた別のバス停まで歩くこと10分余り。たまたま案内してくれる女子高校生がいたので助かりました。聡明な女の子、親切に一緒に歩いてくれました。荷物持ちましょうか、って言ってくれて少し話もしました。大丈夫ですよ、しばらく前にこの荷物持って訪問でここらへん来て迷ったばかりなんです、ってお礼言いました。結果的には電車の運転再開を待った方が早かったみたいですが駅員さんもこんな時すごく大変だし、せっかく教えてくれたことなのでそれはそれでよかったと思います。誰が悪いわけでもない出来事。わたし、最寄駅から最近いつも乗っている電車より一本遅くなってしまったんです。いつも通りだったらもっとリアルに遭遇していたかもしれません。幸いでした。年度末、水曜日、ターミナル駅、朝の人ごったがえし時間帯、どうしたんでしょうね。哀しすぎます。またわたしのように苦しむ人たちが生まれてしまったんでしょうか。朝から疲れました。朝から青空の広がる一日でした。

 就労場所は人事異動が出たようだし、そればかりでなく色々と動きがあってわさわさしています。4月はさらにわさわさ大変になるようなので、やることあるのかなって心配しなくても、電話応対、取次だけでてんやわんやのあっという間に時間が過ぎていくことになりそうです。3か月やってようやくちょっと慣れたかなあ、わかってきつつあるかなあ、っていう頃に終わりが来るの勿体ないなあっていう気持ちもちょっとあります。また一から新しいことを覚えてやりなおすのはきついので生かせる道があるといいかなあと思わないでもない。次はこういうのあるよって、教えてくれるかなあ。わたしがそれだけの信頼を得られていればいいですがどうでしょうか。これ以上持ち出しはきびしいので収入途絶えさせるわけにはいかないし、社会から孤立するのはつらいし、どうしましょうかね。

 明日は金曜日の訪問の準備して、金曜日は早めに訪問、夕方早退して宝塚。観劇する集中力は残っていないと思うのできついですが、再演なので展開はわかっているし楽しめるといいなあ。今週はこんな感じで週末へ。あと二日なり。明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますように・・・。

 今日も徒然日記でした。

夕方は突然の雨でした

2017年03月28日 22時39分26秒 | 日記
 火曜日、昼間は晴れていましたがお昼時、なんだか変な雲だなあと思いながら空を眺めていたら、夕方突然の雨でした。就労場所から最寄駅へ歩くまでの間、10分ぐらいですがけっこう降っていました。でも傘をどうしても買わなければ、というほどの土砂降りでもなかったのでマフラーを頭からかぶって駅まで歩きました。季節の変わり目、不安定な時期がやってきました。あと3日で年度末。3月31日がぴったり金曜日だというのも珍しいような気がします。2年間社会から孤立していたのでなんだか久しぶりの感覚です。といってもアルバイトのわたしは、職員さんたちが残業や休日出勤しているらしい様子を尻目に割り切っています。何の補償も手当もない分、大きな負担はないので毎日定時で退社。慣れないことをやっているので疲れます。あと一か月。慣れてきたなあと思ったら終わりな感じです。すぐバッテリー切れになっちゃってそんなにもたない。ポンコツになっちゃいました。カイシャで働き過ぎてしまいました。

 3年前の3月31日、3月は有給休暇を消化しきると、最後に出社することも誰かに挨拶することもなく、なんか悪いことをした人みたいにひっそりと契約終了となりました。書類上、わたしの雇用主だったハケンガイシャとのね、カイシャで働くっていう契約がです。そこからがわたしを弱らせつぶすために登場した、その筋の弁護士との本当の闘いの始まりでした。そして一年後、金で弁護士に守られたカイシャはなんの傷も受けることなく見事に逃げ切りました。全部働いてきたわたしの自己責任で終結しました。いやそんなことはない、無傷なようにみえてあなたが思っているよりもカイシャは傷を受けているはず、融資する銀行のリサーチを甘くみてはいけない、あなたはそれを知ることはできないだけ、と言ってくれる人がありました。本当にその方が言ってくれたとおりなのかどうかわたしは知る術がありません。ただカイシャは責任追及から逃れるためにどんだけの金を使ったんや、って思うばかり。資金力のない、こんなちっぽけな弱い立場の一個人が、カイシャの金で雇われた弁護士に太刀打ちできるはずなんてありません、冷静に振り返ればそもそも対等ではないのでね、最初から無理でしたね。でも3年前は気がついたら足を踏み入れてしまっており、途中でやめることはできませんでした。健康な心身のエネルギーを吸い上げられ消耗しました。ずたずたにすり減ったところからここまで立ち直ってきましたが、これ以上苦労するだけのエネルギーが残っていないなあと感じています。新年度が始まれば住民税の請求書がやってきます。少ないお給料からどっさり天引きされた上に、さらに支払いが求められます。入ってくる方はちょびちょびでゆっくりやってきますが、支払いの方は情け容赦なく迅速にどっさりやってきます。頻繁に劇場に通うことはできなくなりますがもう家に帰ろうかな。いや観劇三昧をあきらめることはできないからもう少しふんばるか。でもこれ以上なにをどうがんばれはいいのかわからないし、どうしましょうかね。なんとなく今週の流れの目途が立ったので気がつけばあっという間かな。4月はなにするんでしょうかね。次のことはわからないまま日々が過ぎていきます。明日も何とか無事に一日が終わりますように、生き延びられますように・・・。

 今日も徒然日記でした。


まだ月曜日ですが

2017年03月27日 22時28分17秒 | 日記
 今日も風の冷たい一日でした。寒さの底だったのかな。鼻がすっきりしないし、喉が涸れちゃって痛いです。外は寒いので着込んでいると中は暑いので体があったまって咳き込み始めると止まらなくなるという症状が最初に起きたのは、カイシャで無理に、無理に、さらに無理を重ねていた10年ぐらい前のこと。以来オフィスではマスクなしではいられなくなりました。ほんとにカイシャでエネルギーを消耗しすぎました。すぐバッテリー切れになっちゃってそんなにもたないです。もう少し早くスタートできているとよかったのかな。そんなことを思いながら午後はまた訪問。知らない場所はやはり迷いました。地図をみると簡単そうだったのに、ぱっと駅前に出ると、どっちにいけばいいやらさっぱりわからず、きけそうなところがあるようでなく、結果的に違う方向に行ってしまっていて、間違って行った方向に警察署があったので教えてもらい、30分以上歩きました。目的地は駅から思ったよりも遠くてまたわかりづらく、歩いていくんですか?って驚かれました。もし迷っても住宅街に入ってしまうと途中きけるところもなくなると教えてくれましたが、車代は出ないので歩くしかありません、行ってみますと答えました。知らない所はほんとにわからないですね、自分の住まいから遠い所ではないですが普段用事がないので全く行くことがありません。だから慣れてないんですね。こうやって一回一回、知らない場所を訪ね歩くのやっぱり大変です。スマホもつともう少し助かるのかしら。もうあと一か月で終わりなのでもういいかな。来月はどんな様子になっていくのやら、わたしは何をするのやら。その前に今週は長い気がします。先週が4日間だったのですごく長く感じると思います。金曜日、無事宝塚に行けるか、気になります。いろいろと落ち着きませんが一週間の海へと漕ぎ出しました。足が痛いです。次のことを全く決められないまま時間が過ぎていきます。これ以上の持ち出しはきびしいので収入の道が見つけられなかったらもう家に帰ろうかな。なにをどうがんばればいいのかもうわからないです。心理学とか心理療法とか以前はすごく関心があったけれど今はそれほどでもないし、母がいなくなった今、必死に精神医学を学ぼうとしていた自分のいたことが遠いことのように思えます。人生の時間には限りがあります。これからどこでどうやって生きていけばいいのかわかりません。今の居場所でアルバイトのわたしはものの数に入っていませんがものの数に入ると色々な意味ですごく大変そうなので数に入っていなくていいかな。これからほんとどうしましょうと思いながら時間切れとなってきました。明日も何とか無事一日が過ぎていきますように。

 今日も徒然日記でした。

『朝』

2017年03月26日 17時09分29秒 | 本あれこれ
 「カムチャッカの若者が
 きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は 
 朝もやの中でバスを待っている
 ニューヨークの少女が
 ほほえみながら寝返りをうつとき
 ローマの少年は
 柱頭(ちゅうとう)を染める朝陽にウインクする
 この地球では
 いつもどこかで朝がはじまっている」

 (谷川俊太郎詩・吉村和敏写真『朝』アリス館より)


 昨日の午後は渋谷で元タカラジェンヌのトークイベントに参加。駅近ですが造りが複雑すぎてわかりづらいのでやっぱり迷いました。(舞台のお仕事で)退団後はじめての仕事で周りに気を使い過ぎてしまっていた、~しなければならない、こうでなければならない、を自分の中で取りはらった時この役を演じることが楽しめるようになった、という内容の話を聴いていた時なんだか涙が流れてしまいました。終演後なんとか新宿へ移動して吉村さんの『MORNING RIGHT』の写真展へ。渋谷も新宿も人の多さが尋常ではなく疲れましたが行くことが出来ました。3.11のあと毎日都心へ出勤するのにいつも恐怖感と背中合わせになりました。東京は人が多すぎますね、ほんとに。

 さて写真展、カナダのロレンシャン高原の朝の光を浴びた緑、B&Bの朝食が並んだテーブル、カナディアンロッキーの雪をいただいた山並に朝陽が降りそそぐ光景などが特に印象に残れりました。わたしカナダに何回も行っているのにまだカナディアンロッキーに行っていないことを思い出しました。この世にいる間に一度は行きたいです。プリンス・エドワード島にもまた行きたいし、目標があるのでまだまだあきらめられないです。今の業務でわたしとほぼ同じ年齢で仕事もなくなにもなく、短命の家系だからいつ逝ってもいいよ、っていう方に会ったことありますがわたしはまだそんなこといいたくない、あきらめたくない、こうししたいって思うことがあるっていうことが大切なのかなと写真を拝見しながら思いめぐらしていました。自分が訪れたことのある、スイスのグリンデルワルド、いまにもハイジとペーターが飛び出してきそうなアイガーをいただく山肌に家が点在する光景、どこから撮影されたのかと気になりました。ペルーのマチュピチュ、イタリアのサン・ジミニアーノの教会に朝陽が降りそそぐ光景、アメリカのグランドキャニオン・・・、絶景と呼ばれる場所の写真が満載でした。トルコのカッパドキア、カンボジアのアンコールワット、ベトナムのハノイの花市場、台湾の台北の寺院、インドのガンジス川の朝の沐浴も。自力で全部行くことはできないので、しばし世界の朝を旅するような心持ちになることができました。これ全部渡航されたのかと思うと、すごいとしか言いようがありません。

 上記の詩は、手元にある『朝』から。3.11の後の連休、不安と恐怖におののきながら池袋の吉村さんの講演会に出向きサインいただきました。(ちょっと汚してしまいました。ごめんなさい。)

 わたし朝は苦手な方。カイシャで働いているときは気がついたら、2時に就寝して朝7時になんとか起きる生活になっていました。完全オーバーワークの7年間、その後突然ほされたようなかたちになってストレスで破裂しそうだった2年間、それからさらに1年間、己に鞭って鞭打って出勤していました。鞭打たないと出勤できませんでした。そんな辛くってどうしようもない朝、電車の中で開いていた一冊。プリンス・エドワード島の写真と谷川さんの詩に癒され元気をもらい、なんとかカイシャにたどり着いていたのでした。わたし、なんでがんばったんだろうなあ。今もがんばらなきゃよかったと後悔。すぐに辞めることを責める社会が、結果的にポイ捨てにされたのでモノ申したらこんどは辞めなかった自分が悪いんだと責める。どうすれば正解だったのかわかんないです。妹が旅立ってしまった時のわたしはほんとに愚かでどうしようもなく、人生をやり直したかった、もう逃げたくなかった。そんな想いで契約社員の仕事をみつけてカイシャで働き始めたはずでした。それが気がついたらボタンの掛け違いのようなハケンカイシャ移籍という違法行為によって10年間も働き続けることとなり、最終的にはカイシャからポイ捨て、全部働き続けたあなたがが悪いんですよ、という結果になりましたとさ。

 朝が早くなった分、今はもう夜更かしできなくなりました。週末には1時半近くに就寝することありますが、もう2時まで起きているなんて考えられません。カイシャで働いているときは40キロ切っていました。カイシャの弁護士との闘いになりずたずたにすり減ってしまった時は38キロを切りました。今は43キロぐらい。もう少し太ったかな。これからどうしていきましょうね。5月からのこと、なんにも考えられないまま、また一週間の海へ漕ぎ出していかなければなりません。31日の夕方、無事宝塚の地方公演の開演に間に合うかな、っていうことばかり気になっています。

 やり直しの時、ヘロヘロなってもまた朝になったらまた目が覚めてなんとか出勤できる自分になっている。この繰り返しで昨年の2月8日からやってきています。わたし、えらいね。またなんとか無事に一週間が過ぎていきますように・・・。

 「どんな闇夜もやがて朝がくる」(レミゼ)

 「All sorts of morning are interesting don,t you think?

You don,t know what,s going to happen through the day,

and there,s so much scope for imagination.」

  (Anne of Green Gables)

 

 


あさ/朝
谷川 俊太郎,吉村 和敏
アリス館

雪組『星逢一夜(ほしあいひとよ)』_ライブビューイング

2017年03月25日 23時12分25秒 | 宝塚
「時は江戸時代中期、徳川吉宗の治世。

 九州の緑深き里、山々に囲まれた三日月藩藩主の次男、天野紀之介(あまのきのすけ)は、夜ごと城を抜け出しては星の観測に夢中になる奔放な少年であった。ある夏の星逢(七夕)の夜、紀之介は、蛍村の少女、泉(せん)、その幼馴染の源太(げんた)と出会い、星観の櫓を一緒に組み上げる。その日以来、紀之介、泉、源太は、夜ごと星探しに夢中になり、身分を超えて友情を育んでゆく-。しかし、別れの時はあっけなく訪れる。江戸藩邸に住む紀之介の兄が急死し、紀之介が嫡子として江戸に行くことが決まったのである。互いへの淡い思いを告げられぬまま、紀之介は泉を残して旅立っていくのだった。

 江戸に到着した紀之介は、名を晴興(はるおき)と改め、三日月藩の正当な後継者となった。少年の才覚を鋭く見抜いた将軍吉宗は、晴興を自分付の御用取次に取り立てる。7年後の星逢の夜、帰藩した故郷で泉に再開する。激しく惹かれ合う二人・・・。だが、すでに泉は、幼い頃から彼女を見守ってきた源太のもとに嫁ぐことが決まっており、晴興にも、吉宗の姪、貴姫との縁談話が持ち上がっていた。泉の晴興への思いを知る源太は、自らの思いを封じ込め、晴興に貴姫との縁組みを断って泉をもらって欲しいと懇願するが、晴興にその道を選ぶことなど許されるはずもなかった・・・。

 幕府で政治手腕を発揮するようになった晴興は、享保の改革を進める吉宗の求めに応じ、財政難を解消し強い国を作るため、強硬な態度で政治に臨まざるを得なくなる。その改革は激しい年貢の徴収と民の暮らしの圧迫に繋がり、やがて各地で一揆が頻発し始める。反乱の気運が高まっていたのは、泉と源太の住む三日月藩も同じであった。凶作が続き、人々が命を落としていく現状に耐えかねた源太は、泉の反対を振り切り一揆の準備を進めていた・・・。一方、吉宗は、晴興に自らの手で三日月藩の反乱を平らげ民を裁くよう命じる。

 ついに三日月藩で一揆が起きる。

 逃れられぬ運命の中で、晴興が選んだ己の生きる道とはー。」


昨日アクセスランキング3位だった2015年12月13日の記事、「孤独の海をただよう」、自分でも読み返しました。書かずにはいられなくて、書くことしかできなくって、書く以外にはなくって書いたものでした。この時から1年と4か月。次のことは全くわかりませんが、自分、よくここまで立て直したくることができたと思います。こんな時があったのが遠いことのようにも思えます。
http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/52c48b98ec1b001dc1c30814c6c6a938?fm=entry_awp

 さて、宝塚。『星逢一夜』(作・演出:上田久美子)、中日劇場公演を2月26日にライブビューイングで観劇してから繰り返し制作発表会の映像をYoutubeでみています。

 天野晴興(紀之介):早霧(さぎり)せいな
 
 泉:咲妃(さきひ)みゆ

 源太:望海風斗(のぞみふうと)

 この三人の演技のぶつかりあいが凄まじくて、物語が進んでいくにつれてどんどんつらくなっていくのに、涙をあふれさせながらもどんな展開になっていくのか、かたずをのみながらみないではいられないような、役者にも観客にものすごい集中力を求めてくる作品。同じく上田久美子さんの作品『金色の砂漠』の東京千穐楽ライブビューイングで、花組の明日海りおさんが、最後の挨拶で、芝居とはなにかを根本から問いかけられた、毎日土俵入りする力士のような気持ちで舞台に立ってきたというような話をされていましたが、役者の根幹を揺さぶりとてつもないエネルギーを求める上田さんの作品を一日2公演、演じていくのは大変なことだったろうと思います。役を演じているというよりは、役柄そのままのキャラクターが舞台の上に立っているかのような感覚でした。

 舞台は三人が子ども時代に出合う場面からスタート。待ち受ける運命を知らずに、というような内容の語りが入ったのですが、全部終わってからそういう意味だったのかと納得。早霧せいなさん演じる晴興、和服が端正な顔立ちにほんとによくお似合いで美しい。江戸についたばかりの頃はなまりがひどくて笑われたのが、吉宗に才覚を見い出されてめきめきと手腕を発揮して三日月藩に帰ってきた時には凛々しい立ち姿。泉の気持ちを知っている源太が、自分の許婚でありながら晴興に惹かれていることを知っている泉を嫁にもらってほしいと懇願する場面、百姓を続ける源太の、自分の気持ちを抑えて泉の幸せを一番に思う姿がなんとも優しくて痛々しくて涙。晴興の立場で百姓の泉と結婚するなど許されるはずがありませんでした。

 さらに時は流れ、泉と源太は結婚して三人の子どもに恵まれ、つつましやかな生活を営んでいますが、きびしい年貢の取り立てに一揆の気運が高まる中、源太は一揆の頭となっていきます。三日月藩で起こった一揆を裁くために帰藩した晴興と源太の再会。晴興は頭であるお前なら一揆を止められるだろうとなんとか一揆をやめさせるよう説得にかかりますが、源太は、おれにはもう止められないと答えます。下手な憐みなどいらないというような台詞もあったかな。対立する立場となった晴興と源太。棒切れで始まった二人の対決は、晴興が真剣を源太に投げつけ、自らも真剣を抜いて、文字どおり真剣での対決となります。子どもの頃星逢の夜、運命に導かれるように出会った二人の真剣勝負は、源太が晴興に切られて幕を降ろします。女性が演じる男性同士の友情と憎しみが交錯する場面、最大の見せ場であり緊迫感が高まりました。源太を切ることで一揆を収束させ、源太一人の罪として他の農民たちにはなんのお咎めもなしとしようとする晴興の心を源太はわかっていたのでしょうか。源太が潔くて哀れで涙。結果晴興は幕府の任を解かれ陸奥へ行くことを命じられます。

 子どもの頃、三人で組み立て星を観測した櫓で再会した晴興と泉。夫である源太を殺めた晴興に、陸奥になど行かせはしない、逃げてほしいと泉は懇願しますが、三人の子どもが母の姿を探し求める声をきいて現実に戻ります。晴興と共に旅立っていきたい想いを心の奥にしまい込み、母として百姓としてつつましやかな日常へと戻っていきます。晴興も自分の気持ちを心にしまい込みます。この場面のふたりの演技のぶつかりあいもすさまじくて涙。

 わたしのまずしい言葉では全くこの作品がもつ力を語ることができていません。一人でも多くの方に観ていただきたい作品。宝塚ファンだけではもったいない。吉宗が国を盤石にしていくためには犠牲もやむを得ないというような場面だと今に通じるリアリティを感じました。物語の世界を成立させるために、史実とは異なる点もいくつかあるようですが、物語なのに実在したかのような錯覚を起こさせるだけの力を持つ作品。DVDが発売されているようなので買っちゃおうかな・・・。

 書き足りない感ありますが、『星逢一夜』はひとまずこれでおしまい。『ロミジュリ』、『フランケンシュタイン』、『金色の砂漠』、まだ書けていないので後日書きたいです。観劇していない方には、あまりわからない、つたない観劇日記でした。最後に、宝塚はすごい!

  




あっという間に一週間が終わりました

2017年03月24日 23時19分52秒 | 日記
 金曜日の夜、本当にあっという間に一週間が終わりました。4日間は体も楽で、5日間との違いは大きいと実感。もう毎週4日稼働で十分ですが生活あるからなあ、そんなわけにはいかずでなんの補償もない雇用形態になってしまうし辛いところです。今日はお昼を外で食べてから午後一番の時間帯で訪問。風が冷たい中、相変わらず、またもや道を間違えつつ行ってきました。駅から5分、バス停から5分とかって表記されていてもけっこうあるんですよね。方向間違えると歩きます。周囲は残業、土曜出勤しないと終わりません、っていう空気でピリピリ感が漂っています。そんな中アルバイトのわたしは手持ちの仕事が終わりつつあるので、来週必要でしたら訪問替わりにいけますよと帰り際に伝えてきました。来週の月曜日は予定ありますがそのあとはもうないんですよね。ピリピリ感漂って息詰まりそうな空気の中に坐ってじゃんじゃん鳴る電話とるよりも外に出た方が気持ち楽かなあというのもありで申し出ました。来週の金曜日の夜は宝塚全国ツアー観劇予定。就労場所からけっこう時間かかるので間にあるように調整できるのかなと心配ですが、そこまでの無理は強いられないはず。申し出れば1時間ほどの早退はできるはず。間に合ったとしても疲れちゃって楽しめるかなあと不安ですが、土日は残念ながらチケットがとれずにタイミングよくなんとかとれたチケット、たぶん10年ぶりぐらいの宝塚観劇。『仮面のロマネスク』再演されているのが嬉しいです。なんとか楽しめるようにがんばりたい。こういう楽しみの時間を大切にしたい。あと一週間で年度末終わりですか。こういう年度末だから忙しい!忙しい!っていう空気の中にいることが正解なのかどうかわかりませんが、社会から孤立していた2年を思うとまあよかったのかなと思います。今も社会から孤立していたらつらい。こうして日中の居場所があるのはありがたく、また失うことを考えるとぞっとするものがあります。心の底から穏やかな心持ちで休める時は訪れるのかなあ。永遠の眠りじゃなくてね。それはまだ早い、はず・・・。

 二連休。明日は土曜日ですがお出かけの予定を入れたのでなんとか午後都心に出向きます。吉村さんの写真展にも足伸ばせるかなあ。大混雑の新宿はつらすぎるのでくじけるかもしれません。なにはともあれ、なんとか無事に一週間が終わりました。お疲れさまでした、自分。

 写真はプリンス・エドワード島、ケープ・トライオン岬。青空と海と緑と赤土。わけもなく幸せ感に満たされます。

 今日も徒然日記でした。

木曜日の夜

2017年03月23日 22時36分06秒 | 日記
 明日は金曜日、なんだかほっとします。昨日訪問で歩いた疲れがきたのか、今朝は携帯アラームで目がさめてから二度も熟睡してしまいました。5分間隔で鳴るように設定しているので、起こされてはまた眠り、また起こされてはまた眠りを繰り返しました。なんかすっごい気持ちよく眠れたような気がします。それでも午後になってくるとバッテリー切れ。みなさんタフだなあ。よくもつなあと思いながら職員さんたちの慌ただしい様子をみています。わたしは13年間で20年分ぐらい働いてしまったのですっかりポンコツ。自分もかつてはあり得ないような激しさで働いていたことは出すことなく様子を見守っています。カイシャでの滞在時間、まとまった休暇を取る前なんか13時間とか14時間とか、終電に間に合えばいいやぐらいの気持ちで業務をこなしていました。普段も9時間、10時間とカイシャに滞在していました。帰宅するとき、また12時間後にはここに来るのか、なんて思いながら帰宅することもしばしばでした。12時間の間に電車で往復して、食事して、お風呂入って、部屋の片づけや洗濯物干したりしなければならないのだから睡眠不足になっていたの当然でした。今は朝部屋を出てから戻ってくるまでおよそ11時間。これで十分、これ以上はやれないやって思います。ほんとは週に4日で十分だし、とも思います。でもそんなこと言っていたら家賃ある身では生活できないのでね、こうしてフルタイムで働いています。次はどうするんでしょうね、わたし。ポイ捨てによる契約終了から去年の1月までけっこう持ち出したからこれ以上は無理だし、心から休める時間がほしいけどそんなことは言ってられない。どうしましょう。就労場所で誰にも話すことはできませんが、ポイ捨てにされ、カイシャの弁護士にずたずたにされ、気力が失せてどうしようもなくなったところからここまで、自分、よくやってきていると思います。ほんとえらいやって思います。一番困るのは、13年も働いていたのにどうして辞めたんですか?って聞かれること。答えようがなく、わたしにもわかりません。ハケンカイシャから、カイシャ都合だと聞かされました。カイシャ都合だと言われればそれまで。それ以上何もいうことはできないのでそれ以上のことはわかりません、と答えるしかありません。それ以上でもそれ以下でもなく、ただカイシャ都合だと。M部長殿が若い女の子とほいっとお取り替えしたかったのが真実だってわかっていますがまさかそんなことは言えないのでね。わたしを強制退去させた後のことは知りませんが、わたしが知る限りではお望みほど若い女の子は来なかったので残念でしたね、M部長殿。こんなセクハラもどきのくだらない話はこれぐらいにしましょう。なんだか笑っちゃうような話、全部事実ですけどね。あー、笑っちゃう。これでウン百万のお金が動いたのかと思うと、いやウン百万どころではすまなかったかもしれません、一個人ではとうてい賄いきれないお金が動きました。なおさら笑えます。大きなカイシャほど悪いことをするってわたしに話してくれた労働局の人はとってもいい人だったので、いい人はわたしのように契約終了になってしまいました。わたしの話を親身になってきいてくれたのが仇になってしまったのかなあと今も気になってしまいます。もしそうならM部長は、わたしばかりでなく労働局の職員の人生も踏みにじったことになります。これで自分はのうのうとエライ人になっていたら理不尽だよなあ。まあ世の中理不尽なことだらけですけどね、とまた止まらなくなってしまいました。ほんとにもうこれでやめておきます。わたし、まだまだ納得いっていませんね。

 平日はグチしか書けないブログへの訪問、ありがとうございます。
 
 今日も長々と徒然日記でした。明日は金曜日ぞい!また訪問なので休まねばです。なんとか無事に終わっていきますように。

明日は木曜日

2017年03月22日 22時33分45秒 | 日記
 青空が広がるあったかい一日でした。午後訪問に出た時はぽかぽか。花が開き始めていてお散歩日和。残念ながらそんな気分で行ける訪問先ではないのが残念でなりませんでした。明日は木曜日、明後日はもう金曜日なのだと思うと気持ちが少し楽です。一週間が4日か5日かの違いは大きいです。携帯アラームを6時20分にセットしていますが、今朝は6時5分過ぎぐらいにお手洗いに行きたくって目がさめてしまいました。こういうあともう少し眠れるはずだったのに、っていう中途半端がいちばんつらいです。どういうわけか激しく布団を蹴飛ばしたりしていたみたいで熟睡できた時間帯もあったみたいですが、基本出勤を控えている夜は緊張感から安心して眠ることができません。まあ昨年の2月から12月まで、キイキイと甲高い声でストレスのはけ口のように気分で怒られた日々を思えば今はかなりマシですが、人と会う仕事だし、慣れないことの連続なので緊張しています。だから安心してぐっすり眠るというのはむずかしいです。途中お手洗いで目がさめてしまった時も、頭の中は緊張感からはっきりしてしまっています。まだ永遠の眠りについてしまっても困りますがぐっすりと眠りたいです。

 3月後半、ピリピリとした空気に周囲はなっています。その中で教えてもらうのに気を遣いながら、自分のペースですごすのはけっこう大変。疲れますが、給料も手当をたくさんもらえるであろう方々と、アルバイトで有給休暇すらない、何の手当も補償もない自分とは立場が違うんだと割りきります。過重労働するエネルギーはカイシャでかなり使い果してしまいました。自分の体に鞭を打って無理を重ね続けさせるエネルギーがわたしにはあまり残っていないみたいです。エネルギー〇〇部っていう部署名でしたが、エネルギー消耗部でした。昨年の就労場所もほんとひどかったし、やっぱり自分涸れていると感じます。これからどうしましょうかね。

 去年の4月2日の記事、昨日のアクセスランキングから読み返しました。若松さんの言葉はほんとに、ほんとに、心に沁みます。嗚咽しながら悔し涙を流した日々が、気力が失せて打ちひしがれて両親と妹が眠るお墓の前で泣き崩れることしかできなかった日々が、希望へと変わっていく日がこの世にいる間に訪れるでしょうか。

 明日は木曜日。なんとか一日が無事に過ぎて、またこうしてブログを書くことができますように・・・。

 今日も徒然日記でした。

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若松英輔 ‏@yomutokaku · 4月1日

正しい事を求めるのはよい。だが、その正しさが、矛盾を包含していないとしたら、生きて行く上ではほとんど役に立たない。机の上ではつじつまが合うだろうが、人生はむしろ、矛盾に満ちているからだ。耐えがたい悲しみの経験が、いつしか希望に変わって行く。それが、生きることの秘義だと私は思う。


雨の一日でした

2017年03月21日 22時32分19秒 | 日記
 朝から雨、あったかいのか寒いのかよくわからない一日でした。外階段を使ってお手洗いに行き戻ってくるとき、ドアを開けた途端もわっとした空気の中に入る感じで中は暑かったです。でも外はそれなりに風が冷たかったので着込んでいたから少し汗ばんでしまいました。日中外はどうだったんでしょうね。花粉症の薬を飲む必要はなかったのに飲んでしまったので、なんだか無性にだるいです。インターネットラジオで桜の開化予想が発表されたって言っていました。季節は移ろいゆきますね。3月は稼働日数が多いので、このままカレンダー通り稼働できれば、来月入るお給料はまともな金額になりそうです。3.11以降、この季節になると余震が起こるたびに震えあがり、原発事故はどうなっていくのだろうかと極度の不安と緊張感の中で過ごし、連日被災された方々のニュースが流れ続ける中、こんな時にも季節は確かに流れていくんだと咲き始めた桜の花びらをみながら思ったことを思い出します。桜の花が切なくて哀しくて仕方ありませんでした。花粉が飛んでいたはずですが全くどうでもいいことでした。忘れていました。花粉のことを気にしていられるというのは穏やかでありがたいとうことでしょうか。

 今週は四日なのでいくぶん気持ちが楽です。明日の午後はまた訪問。こんどはまた普通の生活していたら足を踏み入れることはない場所へ行かなければなりません。大丈夫かなあと緊張します。お手洗いに行くことができないのでね、なおさら緊張感が高まります。三回目ですけどね、訪ねる相手が毎回違ってまた会ったことない人たちだし、普通の会話は成立しないのでね、緊張しますよ。これで自分の割り当ては最後になります。4月はわたし、なにするんだろう。まだ決まったなさそうな気配です。4月末で契約終了したあとはどうするんでしょう、わたし。雇用保険を受給する権利がまた発生するはずなので、時短のアルバイトと並行できるといいなあなんて都合のいいこと考えてますが、なんとなくそう思っているだけで具体的はことは全くなにもありません。慣れないことをやっている今が精一杯な感じです。今日もしみじみと思ってしまいました。前々職のカイシャの13年間で、20年分ぐらいの苦労したなって。苦労し尽くしました。派遣法改正案が可決成立したあと記者会見やったとき、大手通信社の記者さんから「苦労しましたね」って言われました。ほんとに、ほんとに苦労しましたよ。お仕事エネルギーを使い果してしまいました。過重労働するエネルギーがあまりわたしの中に残っていないのを感じます。くだらないカイシャの、くだらない仕事、あんなに一生懸命にやらなきゃよかったです。結末が若くて使いやすい女の子と取り替えたかったから、一円の補償もないまま、いとも簡単にポイ捨てか。まあたしかにそれで社会の仕組みとしてはあっていますけどね、1年や2年ではなく、13年という歳月を考えるとあんまりじゃありませんか、M部長殿。ご自分がわたしの立場だったらどうですか。その後エライ人になられましたかね。エライ人になっていくと自分の立場を守ることしか考えない、くさった人になっていきますね。そんな人たくさんみましたよ。人は勝手なもんだって学びました。あなたも、そこのあなたも、こっちのあなたもそういう人でしたか。みーんな、カイシャの金で弁護士に守られてよかったですね。どこにもみなさんがわたしに対してやってきたことの責任は現れませんでした。ポイ捨て=生活の糧を失うです。その後さらにさらにわたしが苦労を背負うことになってしまったことを考えるとあんまりじゃないですか。わたしの大切な人生の一部を返してください!ってまだまだグチってますねー。書き始めると止まらなくなりました。ここでやめておきます。

 明日もまた無事に一日が過ぎていきますように。こうしてまたブログが書けますように。

 長々と徒然日記でした。