たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

父が亡くなった翌年・東日本大震災があった年‐2011年11月

2024年10月10日 16時24分21秒 | 祈り

「2011年11月2日(水)

いのちの電話講座⑤

うつ病の話ということだったが境界性の話も多かった。」

 

「2011年11月3日(木)文化の日

なんとなく心がざわついて落ち着かず、あまり眠れない。エスプレッソ・アメリカーノでお茶をこぼした。アンの予習とスキャンが少し進んだ。

5階の公開セミナーを終えた。平日の夜というのは辛かった。疲れ果てて声も出ないのにがんばった。自分が何をすべきなのか、やっぱりわからないが今までにはない揺れ動きがあったと思う。自死遺族というはしごを私はおりることはできない、ということをあらためて知った。」

 

「2011年11月4日(金)

残業のあと、飲み会に参加した。仕事は疲れる。」

 

「2011年11月5日(土)

○○医院、日吉キャンパス公開講座⑤

そのあと飯田哲也さんのエネルギーシフトの話をきいた。

A井さんと杵屋で食事」

 

「2011年11月6日(日)

今日もおくれて川和グループに参加、行くまでは腰が重い。話したいことが全部言えたわけではない。

人は本当に色々だ。思いはあふれているがなかなか上手く表現できず人に伝えられてもいない。今はじっと辛抱だ。会社にいると爆発しそうになるがこらえるしかない。アンとPEIを心の逃げ場所として進んでいこう。「きつい時はがんばろうね。きっとみえてくるものがある。」Y住先生からのはげました。」

 

「2011年11月12日(土)

連日真面目に働き続けて残業した。でも色々気づいてしまう方が負けなんだね。そんなに一生懸命やっても誰もほめてくれないし、別に報われないんだね。人の気持ちは移ろいゆくし、小さなことですぐ変わってしまうし、私のような異端者には生きづらいね。あまり眠っていないままフォーウィンズの学会に出席。限られた人生の中で自分にはやるべきことがあるんじゃないかという思いだけが空回りしている。

無理矢理自分を変えようとする必要なんかないし、ネガティブと思われる感情もあって然るべき。自分の中にこういう感情もあるんだということをちゃんと認めていく。私はそれができるのに、できるがために企業社会の中では息苦しくてたまらない。気持ち悪い、気持ち悪い。おかしいもんはおかしい。それを顕わにし続けているのでもうこれ以上いられないだろうな。今自分は何をすべきなのか。どこに向かうべきなのかわからない。なんかこうやって人生終わっちゃうのかな。」

FOURWINDS一日目。」

 

「2011年11月13日(日)

FOURWINDS2日目。かなり疲れたが、がんばった。色んな思いがめぐった。

自分を心から好きになれるとき、ほめてあげられる時、神様から光がふりそそぐのかもしれない。今はまだその時じゃないんだ。じっと待ち続けるしかない。きつい時はがんばろうよ。自分を一生懸命否定することなんかない。これでいいんだよ。しょうがないじゃん・・・」

 

「2011年11月14日(月)

日吉キャンパスFOURWINDS デボラ先生講演会

内省スーパービジョンのお話だった。」

 

「2011年11月15日(火)~18日(金)

連日残業して真面目に働き続けた。私の感性が何か変だ!気持ち悪い!と言っている。それをどうコントロールすればいいのかわからない。コントロールすべきものなのか!息苦しくてたまらない。それでもまたいつかPEIに行くために働き続けなければならない。」

 

「2011年11月19日(土)

赤毛のアンを英語で楽しもう:第26章 16時~17時30分

京王プラザホテルでランチ会 14時~15時30分

ケータイの水没から一週間、2年ぐらい使っているし、また買い替えた。パソコンの小さいのが無料でついてきた。ただしプロバイダは別契約。2年間使えば購入料は発生しない。」

 

「2011年11月20日(日)

整骨院で30分コース ¥3,250」

 

「2011年11月22日(火)

こらえている。こらえている。誰にどう悪口を言われようとガマン。わたしにはその先に本当にやるべきことが待っている。でも、ずっとガマンは辛いな。でもあんまり人と深く関わるのも辛いかな。旅に出たいな。もう少しお金をためてからかな。今は吉村さんの写真をみながら心の旅の途中。」

 

「2011年11月23日(水)勤労感謝の日

暑いのか寒いのかよくわからないし、すごく不安で落ち着かなくて疲れる。私はどこに行くのだろう。この先どうなっていくのだろう。夜になると恐ろしくて落ち着かなくてあまり眠れない。早く断捨離したいのに、パソコンをみるのも限界があるし、なんだか疲れるなー。今度何もかも忘れて旅に出られるのはいつだろう。」

 

「2011年11月24日(木)~25日(金)

残業。こんなにマジメにやらなくてもいいのかと思いながら、すればマジメにやってしまう。ほんとはワーッと叫びだしたい。」

 

「2011年11月26日(土)

日吉キャンパス公開講座⑦ A井さんとイタトマで食事。」

 

「2011年11月30日(木)~12月2日(金)

ずーっとマジメに働き続けた。やればやるだけ自分が損させられているような気がする。なんでこんなイヤな思いをしないといけないんだ。わかんない。神様はごほう美をくれるかなあ。幸せだーって思える時がくるかなあ。幸せになりたい。笑顔でいたい。」

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災があった年‐2011年10月

2024年09月29日 01時25分26秒 | 祈り

「2011年10月1日(土)

アンセミナー 第20章16:00~17:30

そのあとお茶」

 

「2011年10月2日(日)

川和グループ あやちゃんに不快感をおぼえる。」

 

「2011年10月5日(水)

いのちの電話講座①心のケアと傾聴 18:50~20:50

平日の夜そこに行くこと自体大変だし、自殺という言葉を繰り返しきくのもきつい。やっぱり働きながらは無理だなあ。」

 

「2011年10月7日(金)

22時ぐらいまでがんばってしまった。」

 

「2011年10月8日(土)

〇〇医院で血液検査

日吉キャンパス公開講座②

A井さんとスタバでお茶

美容院でカット&カラー」

 

「2011年10月9日(日)

ふんばろう東日本のサイトで登米市の方に米10Kgを送る

注文を楽天でしてみた。」

 

「2011年10月10日(月)体育の日

スキャンが少し進んだが疲れた。」

 

「2011年10月11日(火)

いのちの電話講座②いのちの電話

きつかった。休み明けに早退。早くもへば蟻。自殺の話を疲れた状態できくのもきついし、気持ちはあっても時間的にとてもやれそうにない。自分の内側にある何か熱いものと現実とのギャップについていくことができない。現実はとてもへんちくりんで不快だ。」

 

「2011年10月12日(水)

一生懸命働いても仕方ないのかなあと思いながらやるなら生真面目にやってしまう。損しているなあ・・・。最後に笑うのはどっちだろう。」

 

「2011年10月14日(金)

朝方冷えて目がさめてしまった時、口の中に茶色いものがたまっていた。何だろう気になる。ほんとは肺とかどっか悪かったりするのかな。喉がかゆくて仕方ない。」

 

「2011年10月15日(土)

日吉キャンパス公開講座③

A井さんとドトールでお茶、気づいたら8時を回っていた。」

 

「2011年10月16日(日)

整骨院40分コース ¥5,250」

 

「2011年10月19日(水)

いのちの電話講座③自死遺族のケア

前半の終わり頃、苦しくなって動悸がしそうになってきた。でもがんばった。初めて当事者と一対一で話をした。私は自死遺族なんだ。その立場での心の立場は永遠に終わることがないんだと思う。」

 

「2011年10月20日(木)

木曜日にんると起き上がれなかった。きつい。ほんとは部屋を離れるのがすごく不安でこわい。デジタル化にはまだまだ時間がかかる。仕事をしている場合ではないのだが結局有給休暇もとらずにせっせと働いている。」

 

「2011年10月21日(金)

なんとなくいつも不安で落ち着かない。自分の居場所をどこに求めればいいのかわからない。今はNKで辛抱するしかない。でも私は上手く立ち回れるわけではなくネガティブな感情が顔に出る。素直に出る。こういう人間は生きづらいよな。」

 

「2011年10月22日(土)

○○医院、スポーツクラブでティラピス」

 

「2011年10月25日(火)

いのちの電話講座④なぜ自殺対策なのか

河西先生に声をかけた。」

 

「2011年10月26日(木)

きつかった。そこに行くことも自殺という言葉をきき続けることも。それでも終わると何か自分のやるべきことがあるのではないかという思いにとらわれる。きついけれど自分がこうして立ち続けるためには何かしないではいられない私がいる。重い荷物を背負い続けるためにはやらなければならない。講座のあと、なかなか眠るのは難しい。隣のオッサンのいびきがまたすごかったし。音楽を大きくするとか朝方洗濯機を回されるし全く・・・。

それになぜか最近5時前後に必ず一回目がさめてしまう。なんだか不安だしこわいなあ。神経症気味かな。トラブルにならないように気をつけよう。いない間に部屋が燃えてしまうのではないかと不安になる。あー早くスキャンしないと・・・。終わらない。平日は落ち着かなくて全くやれない・・・。」

 

「2011年10月28日(金)」

そんなにマジメにやらんでもと思いながらついがんばってしまう私がいる。道はみえるのか・・・。」

 

「2011年10月29日(土)

アンセミナー23章

ちょっと疲れがでてしまった。でも幸せな時間だったと思う。」

 

「2011年10月30日(日)

寒い。雨。アンの予習とJAPANTIMESとアンデルセンを久しぶりに読んだ。

心の底にずっと不安があって落ち着かない。地震と原発、自分がもっているものを全てあきらめなければならない時がくるのではないかと不安でたまらない。少しずつだが減らすようにしている。「いのちの電話」に行くこともイライラを加速させている。時間的にも体力的にもきついし内容はもちろんおもい。やっぱり私には無理なんdと思いながら最後までがんばろう。こうして普通の生き方が続いていることが不思議でさえある。来年のカレンダーはまだ買えない。無事に迎えられるといいな。」

 

 

 

 

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災があった年‐2011年9月

2024年09月22日 23時34分29秒 | 祈り

「2011年9月4日(日)

川和グループ、相変わらずの遅刻だがまあこんなもんだろう。」

 

「2011年9月10日(土)

○○医院、ボランティア交流会、美容院でカット」

 

「2011年9月11日(日)

整骨院でアロマリンパトリートメント」

 

「2011年9月16日(金)

有給休暇取得、暑さがこたえる、6時過ぎのぞみのグリーン車指定で帰省。」

 

「2011年9月17日(土)

父の一周忌、暑い。」

 

「2011年9月18日(日)

暑い、かなりへばっている、午後早いうちにのぞみの指定で戻る。

父の一周忌は終わった。疲労だけがどっと残って殆ど休みだったという気がいない。被災地ボランティアで感じた熱い思いも、自分だからできることが、やるべきことがあるんじゃないかという熱い思いもどこにも受け入れられず、空回りし続けている。何故なんだろう、そういう集まりに行っても結局誰とも共有できないまま帰ってくる。人の考え方や感じ方って本当にそれぞれなんだとあらためて思うこの頃だが、しっくりとくる場に出会うことがないのは何故なんだろう。それでもMちゃんが逝ってしまったあと、のたうち回るような思いでたどり着いた今をとめることはできない。どこにもたどり着けないかもしれないが、自分がいるべき場所をさがし続けるしかない。どうやって生きていくのか、これからどうあるべきなのか、命を一人一人が考えないと結局日本は変わらないと思う。」

 

「2011年9月19日(月)敬老の日

Y市自殺対策フォーラム、疲れていて辛かった、町永アナの話が心に残る。」

 

「2011年9月23日(金)秋分の日

へばって動けず。」

 

「2011年9月24日(土)

○○医院、がんばってスカイスパ、あかすりと溶岩浴」

 

「2011年9月25日(日)

戸倉サミット、東北の震災についてあらためて考えさせられた。夕刻整骨院30分コース」

 

「2011年9月26日(月)~30日(金)

連日残業をしていたようが気がする。」

 

 

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年‐2011年8月

2024年09月17日 13時09分12秒 | 祈り

「2011年8月1日(月)

夜半、静岡県沖で地震。いつでかいのがくるかと不安でたまらない。」

 

「2011年8月2日(火)~5日(金)

ムシムシする日が続く。夏らしくカッと晴れない。

真面目にやろうとすればするほど馬鹿をみて、自分の負荷も増えてイライラがつのるばかりでつまんない人生を送っているんだなと思う。なんかそんなに一生懸命やんなくてもいいんだな。バカみたい。」

 

「2011年8月6日(土)

県のPSW協会+Y市・F市自殺防止ネットワークの専門職研修会に参加。

14時~F市産業センター

思いばかりが強すぎるのかもしれない。私には重すぎる。いってよかったのかどうかよくわからない。夜になるとあまり眠れず。」

 

「2011年8月7日(日)

川和グループ、暑いしだるくって行きまでが遠くて辛かった。N島さんはきつい。おじさんのどこかエリートっぽい優越感みたいなものにも腹が立つ。」

 

「2011年8月8日(月)

太陽光チームの中期ご苦労様会に参加した。」

 

「2011年8月9日(火)

6日に行きそこねた○○医院へ行ってから出社、ものすごい暑さで辛かった。」

 

「2011年8月10日(水)

5時に退社してボランティアバスの説明会に参加、at県民センター。

仕事帰りはへばっているなあ、やっぱり。東京からは遠かった。」

 

「2011年8月11日(木)

久しぶりに有給休暇取得。ボランティア保険に加入。銀行の貸金庫利用。

なんか一生懸命働いても報われないんだなと思うこの頃。真面目にやるだけばかをみているような・・・。考え始めれば転がるように不安のかたまり。これからどこに向かっていけばいいのか、いっこうにわからない。」

 

「2011年8月13日(土)

美容院でカット&カラー、整骨院で全身マッサージ45分」

 

「2011年8月16日(火)

ボランティアバス¥4,000 迷った末振り込み。」

 

「2011年8月18日(木)

有給休暇取得、銀行で豪ドル建ての個人年金保険を申し込む。」

 

「2011年8月19日(金)

有給休暇取得、スカイスパで溶岩浴、夜21時ターミナル駅発宮城28便に乗車」

 

「2011年8月20日(土)

車中泊、石巻市でボラ活動、涼しくて助かった。午後陽がでて暑くなってきたが幸い作業中はまだ雲が隠してくれていた。はじめて目にする現実。3月11日は終わっていない。そこで時が止まったままだった。心が痛い。夜22時30分頃ターミナル駅着。」

 

「2011年8月21日(日)

涼しい。ぐっすりと7時間は眠った。整骨院で30分のマッサージ。足の痛みがまだ残っている。

自分のおかれている現実が実に内向きでばかげているのがもどかしい。また被災地のために何かしたいし、もっと荷物を減らしてふらっと旅に出たいなあ。」

 

「2011年8月22日(月)~26日(金)

足元から疲れがきてつらかったが、なんとか乗り切った。意味のわからないまま真面目にやろうとすると忙しくばかをみているだけのような。自分の内側にある思いと現実の愚かさとのギャップについていけず・・・。」

 

「2011年8月27日(土)

○○医院、蒸し暑い一日だった。」

 

「2011年8月28日(日)

昼間は暑かった。お月見の季節はまた辛い季節でもある。自分がこわれないよう時には忘れたい。それにしても感性で一生懸命わかってくれようとする援助職に今のところ会っていない。残念な現実だ。」

 

「2011年8月29日(月)

イビキだったり洗濯機の音だったり振動だったり、色々で平日はあまり眠れない。これが続くとこわれるなあと思いながら変えられそうにない。いつ大きな揺れがくるのかと不安で仕方ない。土日にちょっと出かけてしまうとスキャンと片付けが全く進まない。読みたい本がいくつかある。行きたい場所もある。生きてる間にやり遂げられるかなあ。NKにいる場合ではないのが仕方ない。仕事がなくてもみじめだ。」

 

震災ボランティア

 

この頃右足股関節の軟骨がどの程度摩耗して何センチ右足が短くなっていたのかわかりませんが、すでにかなり両方の足先とも反っていたと思われるし足腰、いや体全体がそうとう辛かったはず。振り返るとマッサージに頼らざるを得なかったし、右足が短いと言ってくれた施術師がいたけれど根本的に幼い日のギブスから治癒していないとわかっていなかったので病院に行くなど考えもしませんでした。そもそも平日に休みをとって病院に行くなど相当な自覚症状がなければいかないし紹介状がなければ相手にされないか。整形外科にいくことも考えたことありませんでした。

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年-2011年7月

2024年09月14日 10時13分23秒 | 祈り

「2011年7月1日(金)

22時まで会社。

意味のあることではない。

全く、全く、不愉快なことが多い。イライラする。」

 

「2011年7月2日(土)

ようやくマンション1階の整骨院 ¥2,500

待っている間に冷房で体が冷えてしまった。腰ガチガチ。」

 

「2011年7月3日(日)

川和グループ。Y住先生はまだつらそうだ。N島さん、話がきれてしまうのできつい。

節電のはずなのにけっこうあちこち寒い。外はもあっと暑いので差がこたえる。格好はダサイが脱いだり着たりだ。電車の中などけっこう寒い。いつ終わるかわからにリスクが起っているというのに原発はまた動くのだろうか。一人一人が考えて自分の意見をもつ。そういう社会になっていってほしい。」

 

「2011年7月7日(木)

少し涼し目。30度を下回る。」

 

「2011年7月8日(金)

暑さぶり返し。朝顔が大きくなってきている。」

「2011年7月9日(土)

○○医院、今日も受付時間内に行けなかった。

何もできないまま、本当に今ここにいることが正しいのかどうかわからないまま年をとっていく。今日も晴れて暑い。なんでだかハイテンションであまり気分の落ち込みはなく、つまんないけど可愛い服を買って気分はあがっている。でも3月11日よりあと、間違いなく世界は変わっているんだよね。自分は何をすべきなのか、どんな役割を与えられているのか。このまま50歳を過ぎて恋愛もなく私の人生は終わっていくのか。夏休みとして東北に旅行にいってみる。それだけでもいいではないか。」

 

「2011年7月13日(水)

ブロッコリーの芽を一部プランターに植えかえる。早帰り日、久しぶりに7時前に会社を出た。」

 

「2011年7月16日(土)

美容院でカット、15時~

夜スキャンと家計簿が少し進む」

 

「2011年7月17日(日)

母がお風呂に入らなくて困っているというメール有。気が重いなあ、生きている間縛られ続けるんだ。」

 

「2011年7月18日(月)海の日

清史郎君ザンマイで休日は終わっていく。可愛さにいやされる。ザールせいすいに母のことでTELした。」

 

「2011年7月19日(火)

台風がきたがたいしたことにはならなかった。」

 

「2011年7月20日(水)

涼しくなる。」

 

「2011年7月21日(木)

涼しくなる。母のことを考えるとうつにおそわれ、どんよりと気持ちは重くなる。」

 

「2011年7月22日(金)

母が昨日ようやくお風呂に入ったとのメール有。あくまでもYクンはやさしい。いい出会いがないものか。」

 

「2011年7月23日(土)

○○医院、何も予定がなかったので少し外で風にあたる余裕がもてた。

色々なことに苛立ちをおぼえるばかりで、自分がどこへ向かえばいいのかさっぱりわからない。今こうしてくだらない会社でも一生懸命働いていることはなにかにつながっていくのだろうか。50才になろうとしているのに先がみえないことに苛立つ。もう少し英語ができるようになって旅ができればいいのかな・・・」

 

「2011年7月24日(日)

整骨院¥5,250

ベスト電器で洗濯機購入。8/20以降搬入予定を決めて連絡すること。」

 

「2011年7月29日(金)

イライラストレスもマックスでそれでもいい加減なことはできなくてがんばってしまう私がいる。」

 

「2011年7月30日(土)

ボランティアバスにとうとう申し込んでしまった。大丈夫かな・・・。」

 

「2011年7月31日(日)

未明、福島県沖で地震。

ようやくスカイスパにいってあかすり。だるくておもくてたまらない。」

 

 

 

「2011年7月10日(日)

断捨離でようやくまたリユース。Aさんがくれた手作り人形も手離してしまった。」

 


父の亡くなった翌年・東日本大震災のあった年-2011年6月

2024年08月30日 18時54分28秒 | 祈り

「2011年6月1日(水)

有給休暇取得、じんましんが出たので〇〇医院を受診、

懇親会だとかうざったいので逃げた。銀行で通帳受け取り&貸金庫契約。」

 

「2011年6月4日(土)

〇〇医院でかゆみ止めの注射、ヘルスチェック・レディースで健康診断、

わかっちゃいるが疲れちゃった。体重は38.6Kg」

 

「2011年6月5日(日)

ALSOK工事、セキュリティ開始、停電と巨大地震がないかぎり安心度は高まった。がんばってグループにも顔をだした。私はどうしたらいいのか、自分で決めなければならない。あーあ逃げ出したい。我慢の代償を今どこに見出せばいのか・・・。」

 

「2011年6月7日(火)

有給休暇取得、『レ・ミゼラブル』18時15分~1階で観劇。すごい迫力で興奮してしまった。開演前に昼の部に出演していた島田歌穂さんを見かける。ほっそりとしていてきれいだった。」

 

「2011年6月10日(金)

苦渋の決断で契約更新を決める。私には合わないドライで変ちくりんなシステムへのストレスもあるが今はやむを得ない。足場を確保しながらできることをさがし続けよう。」

 

「2011年6月11日(土)

〇〇医院、13時~協生館で理工学部市民公開講座」

 

「2011年6月12日(日)

だるいし不安であまり眠れない。お昼寝でちょっと回復した。」

 

「2011年6月13日(月)~17日(金)

なんとなく元気がでないまま、相変わらず5時間あるかないかの睡眠時間でなんとかやっている。だるいし生理がきたがっているのにもうそれだけの力が体にはない。なんとなく不安で元気がでない。震災前と同じに戻ることなんかもうできないんだ。確実に現実は変わった。受けとめていかなければならない。」

 

「2011年6月18日(土)

美容院 15時~ カット&カラー おりものがあった。」

 

「2011年6月19日(日)

お昼寝で疲れを少し回復。でもだるい。なんだかうっとうしい。

フォーウィンズに3,000円振り込み。おりものがあった」

 

「2011年6月20日(月)

三田キャンパスでドキュメンタリー『幸せの経済学』

 localization

 ①経済を読みとく力 ②地産地消

 再生可能エネルギーへのシフト、石油への依存によってグローバライ

 ゼーションは成り立っている。経済ばかりでなく、政治・社会構造の

 あり方そのものが問われている。

その後、三田の家の懇親会に参加。」

 

「2011年6月21日(火)‐24日(金)

毎日おそくまで意味があるのかないのかわからないけれど仕事をしている。自分が納得できるように・・・。夜になると不安が押し寄せてきて落ち着かない。でも2時を回れば疲れているし、まあなんとか眠れる。荷物を減らしたい。でも休日にちょっと出かけたり本を読んだりすると全く進まない。減るまで落ち着かないだろうなあ。たくさん抱えているほどなくすことへの不安も大きくなる。でも本は買ってしまう。」

 

「2011年6月25日(土)

〇〇遺臣、おりものがあるので婦人科に行くよう言われたが行きたくない。左の胸だけがはっている。どっか悪いのかなあ。A井さんとハブでランチ、といってもやっぱり夕方まで話しこんでしまった。その後天一書房散策。

整骨院4,850円」

 

「2011年6月26日(日)

朝顔の栽培セットが届いた。なんとなく自分の中で脅迫観念にせまられているのは笑える。やっと原発の危険性を訴えた本を読む。落ち着かない。事態が収束して新しい方向性がみえてこその未来だ。今未来を真剣に考える気にはなれない。疲れるが今起きていることから目をそむけて生きていくこなどできないはずだ。どうしてケータイのゲームに夢中になっていられるのだろう。怒らないのだろう。ふしぎで仕方ない。」

「2011年6月27日(月)

梅雨寒、すごく体が冷えている。

有給休暇取得、三田キャンパスで復興を考えるシンポジウム。」

 

「2011年6月28日(火)-29日(水)

急に寒くなる。湿度も高くてきついなあ。早く原発落ち着かないかなあ。」

 

「2011年6月30日(木)

かなり蒸し暑くて朝からきつい。外はサウナ状態だ。夜フォーウィンズのセミナー、久しぶりに元気な、熱いW先生の声をきいた。はじめて被災地の生の声もきいた。きくだけで何もできていない私。時間は限られているのに本当にこれでいいんだろうか。そう思いながら何もできないまま時間は過ぎていく。」

 

 

 

 

 


母が亡くなった翌年-2013年11月

2024年08月27日 15時37分03秒 | 祈り

「2013年11月20日(水)

またみちゃった『レミゼ』みるたびに新しい発見があって、気づいていないことがあるのに気づかされる。

今よりもはるかに一日一日を生き抜いていく、命をつないでいくことに必死であった人々の物語。奥深い。こうして今生きてることが当たり前みたいな顔をしている私たちってほんとぜいたくだよなあ。

  一日が終わりゃ年をとる

  じっと朝を待つだけ

  冬がささやく 命をくれとー

  仕事なけりゃそれだけ

  働きどおしで一日が終わりなのさ

 ちゃんとききとれていないがヨーロッパの寒くこおりつくような冬の夜、どやって暖をとっていたんでしょうね。食うために働きづめに働いて仕事がなければパンを買うことはできないのでそれは死を意味する。それでも夢とか希望とか持ちながら生きてたのかな。どうだったんだろう。 

プログラムの香盤表をみると、マリウスとアンジョルラスが囚人の場面にいる。コゼットとエポニーヌはラブリィ・レディの場面に。そして4人とも一日の終りにのばあ面にも登場しているのです。全部を見つけるのは大変だなあ。それにしても何役もこなしてみなさん、すごい。色々と考えさせられ、心のエネルギーをチャージできる舞台です。この出会いは一期一会、二度と訪れることのない今。

ガブは弾をとったぞとこぶしを突き上げてからアンジョルラスの腕の中で息絶えるんだね。今更だがそういうことだったんだ。バリケードをかけ上がってとりでの向こう側へおりていく前にカバンを一瞬見つめて決心する。リアルに考えればかなり悲痛だ。子供が討たれて亡くなってしまうなんて。でもそこは舞台。美しい散り姿としてみせてくれている。ガブのこと、ジャベールとの関係、やっとブログに書けそうだ。」


父の亡くなった翌年・東日本大震災の年‐2011年5月

2024年08月27日 01時51分23秒 | 祈り

「2011年5月1日(日)

川和グループ、また15時ぐらいにしか顔を出せなかったが、怒りの話をした。Y住先生がお弁当のお礼にとビュオーラと石けんをくれた。」

 

「2011年5月2日(月)

有給休暇取得促進日だそうだが出社。10時間以上働いた。このままでは自分がこわれるかなと思いながら、なんとか気力でやっているlでもほんとはボロボロだ。」

 

「2011年5月3日(火)憲法記念日

疲れがでて辛い。カフェをはしごしてアンの予習。スキャン。メールもしたい。無駄にさがし物をしたり、HPをみたりする時間も多い。震災後の映像をみるのがもう限界にきているが、吉村さんのブログをのぞくだけでネットのニュースは入ってきてしまう。情報の洪水。でも何を信じていいのかわからない。」

 

「2011年5月4日(水)みどりの日

マンション1階の整骨院¥2,500

ドトールでお茶しながらアンを予習するが暗くて目がつらかった。」

 

「2011年5月5日(木)こどもの日

Y本さんにTEL。カドベヤのことを伝えた。

組織に依存しないで生きていける方法、生きる力が私にあるだろうか。」

 

「2011年5月6日(金)

10時間以上働いた。きついぜ!」

 

「2011年5月7日(土)

アンセミナー 第18章:アン、救援に行く

17時30分~19時 住友ビル3階

右眼のコンタクトがずれたままの受講となった。モンゴメリさんの凝った景色描写は長くて難しい。でも美しい。味わえるようになりたい。原文と翻訳。やっぱり違う。」

 

「2011年5月8日(日)

震災後初のスカイスパ、あかすりですっきりした。」

 

「2011年5月9日(月)~13日(金)

連日9時ぐらいまで働かざるを得ない。なんだかおかしいぞと思いつつ、飲まざるを得ない。あまり眠っていないしヘロヘロ。気力でもっているが、がんばった果てに自分がこわれる気がする。」

 

「2011年5月14日(土)

○○医院、疲れと睡眠不足で遅刻。

17時~帝国劇場で『レ・ミゼラブル』Y介君がとってくれた席で一緒に観劇。充実の舞台だった。」

 

「2011年5月15日(日)

ヘタヘタの一日、けっこうネットやメールをみていて時間が過ぎる。ゆっくりお茶できる所はあるようでない。」

 

「2011年5月16日(月)

21時30分過ぎまで残業。スマスマ見れなかった。」

 

「2011年5月17日(火)

22時ぐらいまで残業。怒り!! ちゃんと考えて決めろ! 上はわかってないよなあ。これで私がやりこなしてしまえば気づかないままなんだろうなあ。全くひどいもんだ。矛盾!怒り!どう表現するかが課題だ。もう吐きそう。具合悪くしたら誰が責任とってくれるんだ!社員がちゃんとできていないのに派遣ばっかりせっせと働いて全く社会のシステムがおかしい。もっと他にやるべきことがあるはずなのにという思いを抱きながらずっといる。部屋も心配。」

 

「2011年5月19日(木)

疲れすぎてて眠れず、朝起きられず、大変つらい。全く上はわかってないよなあ。ハケン会社も気持ち悪いだけだし、疲れちゃった。残業、連日がんばった、きつい。自然の中に行きたい。頭ばっかり使っちゃっておかしくなっちゃうよね。」

 

「2011年5月21日(土)

美容院でカット。

アンセミナー第29章、17時30分~19時、新宿住友ビル そのあと52階で懇親会。」

 

「2011年5月23日(月)

やっとヘンな仕事が終わった。ヘンだ、ヘンだと私の体が叫んでいる。組織ってなんだ。組織に依存しないで生きていくってできないかなあ。自分が今こうしているのは正しいのだろうかといくら考えてもわからないまま、旅の借金をうめてまた旅に出たいのでせっせと働いている。自然の中で呼吸したいな。」

 

「2011年5月24日(火)

有給休暇取得。銀行。〇〇医院、かゆみがでる、ウィルスが入ったらしい。」

 

「2011年5月28日(土)

派遣契約のことで県や都の相談センターにTELしてたら夕方。疲れちゃった。結論は希望もてないなあ、ということ。」

 

「2011年5月29日(日)

整骨院で全身トリートメント45分」


2014年5月を振り返る

2024年08月16日 15時19分25秒 | 祈り

「2014年5月15日(木)

TユニオンでT井さん、S口さんと打ち合わせ、ハケンの立場の弱さを思い知らされる。経団連は登録派遣は何年働いても直接雇用しなくていいと言ってしまっているそうだ。だからハケン会社も〇Kも強気なはずだ。裁判を起こしたってこちらが負けるとわかっているから平気。事業主に都合のいいこの社会の仕組みはなんだ。お勤めすることに今は希望を見出すことができない。これらかどう生きていけばいいのかわからない。」

 

「2014年5月16日(金)

自死遺族の会に出席。大変なことを背負いながら必死に生きている人たちがいる。疲れた時は休めばいい。

生きていくのは大変。こうすることが絶対に正解というものはどこにもない。自分で選びとっていくしかない。

どんな思いで逝ったんだろうなあ。時々ふと思う。

いのち、生きる、考えはじめると命題として大きくなり過ぎてしまい、終わらなくなってしまう。でもそういうことを考える役割を私は与えられている。

海の近くの空と緑がまぶしい中でこれを書いている。手紙がきたりTELがあったり自分を責め始めれば今もきりがないやめよう、私が生きる、それだけだ。仏さんになった妹と対面した時、自分を責めながら泣いて泣いて泣いてほんとに泣いて、こんなに涙がでるものかと思うぐらい泣いたことを今もやっぱり思い出す。それから21年、今こうして私が生きていることが大切なんだと思う。」

 

「2014年5月22日(金)

朝日新聞にTユニオンで生協のハケンの雇い止めとたたかった体験が掲載される。M野さんんが最初に教えてくれた。その後Dちゃんも。

〇Kで働きながら色々とがんばったし、いつの間にかあちらこちらに種をまいていたことに気づいた。これから少しずつ芽がでてくるのかな。色々と無駄じゃなかったんだ。」

 

「2014年5月29日(木)

10時~、 東京都労働委員会傍聴

正社員で辞めさせられようとパワハラにあっている56歳の男性。固定電話をとり上げられ、単純労働させられそれでも辞めることはできない。生き地獄だと思った。表情見ていて苦しくなってしまった。」

 

「2014年6月2日(月)

本当はたたかいを望んでいるわけではない。ユニオンだと会社は弁護士を立てて対立の構図になるしかないのかな。なんだかやっぱりわからない。会社として良心があるなら、13年間一生懸命働いてきたハケンに対して誠意ある姿勢をみせてほしい。弁護士事務所に何百万も払って言い訳をつくるようなみっともないことはやめてほしい。こういう流れになるもんなんだと理解するしかないのか。徒らな対立の構図を望んでいるわけではない。本当はたたかいとい言葉を使いたくはない。」


2014年4月を振り返る

2024年08月13日 19時22分23秒 | 祈り

「2014年4月2日(水)

昨日久しぶりにY住先生にお会いして色々と話した。

日本はダメだとあきらめている人は多い、マクドナルド化が進み過ぎ人がどんどんおかしくなっている。マクドナルドでは気が付いてなにかアクションすろいうことは不要だそうだ。マニュアル通りに早くやることが求められる。時間を測られるそうだ。

渋谷駅が地下になって殺伐としたものを先生も感じているそうだ。ガードマン立っていても心を込めて仕事していないし、働く人が誇りを持てない、労働ということがこんなふうに肝心の”人”を置き去りしている状況では、日本はもうすぐ崩壊するのではないだろうか。このままではダメだ。荷物を捨てたらどこに住もう。ほしい物は特にない。仕事をしつつDVD観たり、本を読んだり、勉強したりする時間もほしい。これからどうやって生きていこう・・・。

今回の流れをまとめたものを読んでいただいた。要するにM氏が私を辞めさせたかっただけ。ぐるになったそれぞれが少しずつ責任逃れをしている。こうして握りつぶす、見事なもんね。

理由を無理矢理つくって長く貢献してきた人を、本当の理由はわからないが辞めさせる。こんなおかしな話が通ってしまう社会の仕組み、どこにもひっかからない、実にうまくスルーできるようにつくられている。長く同じ所にいるものではなかったが、生活があるので辞められなかった。震災のと、不安神経症とたたかいながら3年がんばった、よくがんばった。組織に疲れてしまったので今はどこへ進めばいいのかわからない。

アメリカに追いつけ、アメリカにを追いこせの高度経済成長期は間違っていたと思う。そこに気づいている人たちのつながりはこれから生まれてくるのか。

すごく眠いのに眠れなかったりすることがある。昼も夜もかんたんな物を用意して食べるようになったら外でヘンな物を食べると拒絶反応がおきる。おなかいっぱい夜はごはんを食べないと眠れない。高いばかりのパスタランチに夕方のおやつと飲み物、帰りはおそうざいを駆け込み購入、毎朝リポDも飲んでたなあ。きつかった頃なんという不摂生をしていたのだろうかとあらためて思う。」

 

「2014年4月3日雨

自分の立ち位置がわからないフワフワした感じで毎日が過ぎていく。平日は全く心が休まらなくて疲れる。早く決着して週に1日か2日ボランティアをやりたい。あるいは仕事に結びついていくような何か・・・。

どんどん荷物整理が進んだ先になにかみえてくるものがあるのかな。まだまだ書類も本もあるのでいつ終わるのか、目途は全く立たない。

急に仕事という柱がなくなって疲れる。しかも不自然な成り行きさ。M氏が私を辞めさせたかっただけで関係者がぐるになって話を作りあげている。こんなことが通ってしまうなんて信じられない。目立ったトラブルがあったわけではない。大きなミスをしたわけでもない。文句言いながらもかなりの業務をこなしてきた。なのに代りを実は物色していた。単に長いからもういいや要らないっていう単純な出発点だと思う。長いからそんなにかんたんじゃないっていうことをハケン会社がおしえたんだと思う。こんなことじゃ日本はダメだなあ。組織が恐ろしくって次をどこに求めればいいのかわからない。」

 

「2014年4月5日

長くいるとこういう終わり方しかなかったのかなあというストレスがやっぱりふきだまっている。」

 

「2014年4月8日(火)

フワフワした感じで自分が何をしているのかわからない。ひたすら断捨離。やっていないと不安で落ち着かない。かなりきつい。もう叫び出しそうだ。」

 

「2014年4月9日(水)

明日のための下見終了、疲れた。コンセントもってなくて結局使わないままのPCをもって歩いているのでなおさら疲れる。

今日は12時に布団に入ろう。薬で眠れる。目もあっためよう。ここまできたんだ。きっと大丈夫。

それにしてもこんな話が通ってしまう日本の仕組みっておかしすぎる。こんなんじゃ日本ダメ、絶望感と無力感におそわれている。自分ひとり食わせていくために一生懸命履歴書を書いて自分をアピールしてどこかに勤めるしかないのだがどこに希望を求めればいいのかわからない。

ほんとに日本ダメだよ・・・。

大震災があって原発事故の終わりはみえないのに、東京オリンピックでいいのだろうか。なにか根本的に間違っている。上に立つ者たちは本当のことがみえていない。」

 

「2014年4月10日(木)

ハケン会社のオフィスにユニオンと乗り込む。これ以上ハケン会社と話をしていても何も出て来ない、どうしようもないんだと感じたらなんともやり切れない怒りがまた湧いてきてしまってどうしようもなかった。こんな作られた話が本当にとおっていってしまうなんてやっぱり信じられなくて自分の中におさまりきらない。違法ハケンを認識していたかどうかハケン会社からの回答待ちだが認めることはないだろう。

離職票が会社都合で出てくるかもわからない。1円でもいいから稼ぐ手段をそろそろ考えたいが、あるいはボランティアで必要とされる場所を見つけたいが終わらないのでどこにも行けない。どこに行けばいいのかわからない。だれにも必要とされていない孤独な日々。自分なにしているかわからない。ふわふわふわふわしている。どこにも行けなくてすごく苦しい。もう限界を超えているのにまだふんばらなければならない。苦しいなあ・・・。」

 

「2014年4月13日(日)

卒論の資料をスキャンして捨て始めている。OLの項を読むと怒りとやりきれなさがよみがえってくる。まざまざとよみがえってきてつらい。それをブログを書いたら訪問者が100人を超えた。特定の名称は出していないので私を知らない人にはわからないはずだがちょっと心配。ほんとうは社名出したいけれどそれはさすがにできない。年明けから3カ月が過ぎたがまだ終わらない。どこかでケリがつかないかぎり次に動くことはできない。もう限界を超えている。あまり人と喋っていないし、どうにかなりそうだがもう少し、もう少し・・・、平日は辛い。私だって仕事できるのに、そういう力あるのに悔しい。昨夜は就寝が久しぶりに1時を過ぎた。もうきついね、毎晩2時頃布団に入って5時間あるかないかの睡眠で連日のハードワーク、よくやってました。

いわさきちひろさんの本を読み返す、整理するのはかんたんではない。私の体にしみ込んでいる。芝の家に絵本は数冊寄贈しようと思う。今あらためて手にとってみると若い時にはわからなかったなにかを感じる。55歳で亡くなられたんだ。若過ぎる。」

 

「2014年4月17日(木)

ラブネバ、昼の部を観劇。しばし辛さを忘れたひととき。

実質強制的に職場から排除されて1ヶ月と10日が過ぎた。まだケリがつかないので身動きとれない。生活のリズムが定まらず平日の昼間はすごく苦しい。自分何しているんだろう、わけがわからない。失業したという実感がまだないので保険の手続きなんかもぼんやりしていた。税金の請求もくる。

週に1日か2日のボランティアから始めたいが今はわからない。苦しくてどこにも行けない。これ以上どうにかなりそうだがこらえるしかない。めげちゃダメよ-Y住先生のことばだ。これでもかこれでもかと試練が訪れる。神様は乗り越えられる人にしかその試練を与えないそうだ。もうヤダーと叫び出しそうになりながらも立ち向かうしかない。大丈夫きっと守ってくれている。そう信じ続けるしかないではないか。緊張は続く。ガンバレわたし。どこにも行けず、どこに行けばいいのかもわからない苦しい日々は続く。今日は木曜日なんだね、わけわからなくなる。」

 

「2014年4月18日(金)

自分の部屋にいないと断捨離は進まないしPC使えないしネットをみることもできないのだがお隣に音丸聞こえなのでいられない。大きな音を出さないように気をつけているつもりだがつい油断してしまう。疲れるなあ。これ以上もたない。ストレスたまるばっかりでおかしくなりそうだ。どこにいればいい、どこにいけばいい。苦労を背負うようにできているのかなあ、つらいっすよ。」

 

「2014年4月20日(日)

また平日がはじまる。お隣やら下やら不定期にいるのでけっこうきつい。これからどうやって生活のリズムをつくっていけばいいのか、どういう格好で出かければいいのかわからない。終わらないので気持ちの切り替えができず、次へ向かうエネルギーも湧いてこず、かなり苦しい。断捨離にはまだまだ時間がかかる。一度に全部というわけにはいかないので仕方ない。少しずつだ。ほんとにたくさんある。これだけのことをやってきたんだ。卒論の資料、捨て始めると早く全部捨ててしまいたい。雨が激しく降らないかな。色んな音がかき消される。」

 

「2014年4月21日(月)

薬のおかげで7時間眠れた。依存になってしまいそうだ。8時起床はよくない。30分前倒しの生活に変えていかねば。自分の部屋にいることに、帰らなければならないことに緊張をおぼえて肩に力が入りまくり。かといって部屋にないと断捨離もブログの更新もできない。こんな生活を続けていてはおかしくなってしまう。どうしても不安になってしまう。3.11の不安と恐怖を体がおぼえているので部屋を離れることにどうしても不安をおぼえてしまう。

週に1日か2日ボランティアか時給1,000円でいいので動けないかなあ。PSWもってるし、失業保険の申請終わったら小さなことでいいので動き始めたい。東京に出るのは人が多過ぎるし、恐ろしい。毎日よく行ってたと思う。えらいあらい。

大丈夫、大丈夫、自分にいいきかせる。」

「2014年4月22日(火)

3日間、かなりがんばって卒論の資料をスキャン。頭の中がいっぱいで疲れた。

足元が定まらない生活はすごく疲れる。3日間殆ど人と話していない。ヤダーッ、明日のことを考えるとぞっとする。どこにも居場所がない。」

 

「2014年4月24日(木)

お隣は今日休みみたいなので朝から部屋を出た。〇〇医院でマッサージと図書館、卒論資料を読み返すのは疲れるがあらためてなるほどなと思う。

昨日は三田に行ってキャンパスでH浜先生とお会いし、芝の家で2時間ほど過ごしその後ユニオンの交流会へ。長い一日だった。

平日時間があることに慣れることが必要だねとおっしゃられた。先生は論文を家で書くので煮詰まった時きたない恰好で平日外に出るのが平気だそうだ。人から見ればヘンだろうが気にしない。大学はドロボーがいたってわからないのでオドオドしなければ平気だよとのアドバイスをいただいた。ボランティアと自習室に出会えればいいがどうだろう。部屋にずっとはいられないし、かといってあんまり出かければお金かかるし、孤独で疲れる。時間はあるけれど収入があればこそできたいくつかのことが今はできない。あー辛い。これから本当に私はどうしていくんだろう。恐ろしい。わからない。こんなかたちで世の中からはじき出されてどうすればいいのか考えることができない。辛い。」

 

「2014年4月25日(金)

ようやく金曜日、今日が何日なのかわからなくなってしまうのが辛い。今週もフワフワと過ぎた。ともいkの電話相談でA坂さんとお話した。5/2にケアプラザに遊びに行こうと思う。

つらい、つらい、かなり、つらい。

人の目や声がどうしても気になってしまう。カフェももう行き尽くしてしまった。大学の図書館、勇気をもって登録しようと思う。卒論の資料の整理と今回の流れを文章にすること、この2点を先ずやっていきたい。ようやく失業保険の申請。平日こうしているなんてどうしても自分をみじめに思ってしまう。生活のリズムができないし、どうしていけばいいのかわからない。つらいよー!!

もうエネルギーが尽き果ててしまった、疲れたよー!!気がついたら終わっていたので実感がない。久しぶりに8時間眠った。電源を求めてPC持ち歩いているのでなおさら疲れてしまう。

失業保険の給付申請手続き。失業という言葉の響きに強いストレスを感じてしまってどうしようもない。あまりにも理不尽だ。ここで負けるわけにはいかないのだが自分なにしているのか、もうわけわからない。なんか生きているという実感がもてないしどこにも行けない。どこに行けばいいのかわからない。私はこれから何をすべきなのだろう。わからない。気力が尽き果ててしまった。」

 

「2014年4月28日(月)

平日の緊張感から解放されて少し心が休まった2日間だった。1時前後に布団に入って9時ぐらいまで眠ってしまう日が数日続いている。心が休まっていないし、疲れがきているのかなあ。本当にたぶんすごく疲れているんだと思う。かなり疲れてしまった。きっともう少し、がんばれ、ワタシ・・・。」

 

「2014年4月30日(水)

3日続けて8時間睡眠のあと2日連続で7時前に目がさめてしまった。お隣がいると悪口言われるんじゃないかと緊張してしまってPC持ちながらさまよい歩いているので疲れてしまった。ストレスもかなりきてしまっている。図書館で電波はきているのにインターネットつながらないし、卒論資料を整理しようとワードに入力していたら突然文字入力がおかしくなってしまった。うーん、PCも疲れてしまってもうダメだのかな。明日問い合わせてみよう。そんなわけでなんだかすごく疲れているしあまり進まなかった。ひとつひとつけっこう時間がかかるしなかなか大変だ。私これだけのことをしてきたんだ、すごいね。このモバイルPCは値段があってないようなものだし、もうダメかもしれないね。次はキーボード付タブレット端末かもっとスマートなモバイルPCかな、こんなトラブルごときで落ち込むな、ワタシ。明日の夕方はまた雇い止めの流れをまとめたいと思う。今日はこれからTOEICの講座があるし〇〇医院は混んでいたし、そんなにがんばれなかったんだよ。かなり心身症気味のわたし。辛いがここまできたら折れるわけにはいかない。このまま進んでいくしかない。大丈夫、大丈夫。収入が途切れている今は辛抱の時だ。

雇い止めの流れをまとめていると物語だなあと思う。私が振り回され戸惑った様子がよくわかる。組織はよく話をつくっていった。見事なもんだ。事実は小説よりも面白い。卒論の資料も全部捨てないと次には進めないし、なかなか大変だが少しずつ少しずつ・・・、がんばれ、ワタシ。」