「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
思いやりのある心の発達
子どもの心の中で起こる気付きや成長、そういったものは数限りなくありますが、もう2つほどお話します。思いやりのある心の発達という意味でこの「いもうとのにゅういん」です。
学校から帰った長女のあさえちゃんが家に帰ると、お母さんがいろいろと用意して高いお熱が出ている妹をつれて入院してしまう。残されたあさえちゃんは、1人で留守番をしなければいけない。お父さんは夜にならないと帰ってこない。どうしたら妹をなぐさめることができるだろうか、妹に笑顔を取り戻してあげられるだろうかと考えて、千羽鶴をおりますがどうも物足りない。そこで思いきって、自分が一番大切にしていた、ほっぺこちゃんというお人形を妹にあげよう。今までは妹もほっぺこちゃんが好きでときどき黙って抱っこしていたりするとお姉ちゃんに怒られる、よくある風景ですよね。兄弟げんかの元になってしまう。その大事にしていたほっぺこちゃんを思い切ってあげちゃおうと決断するんですね。そして翌日、お父さんに連れられて病院に行ってプレゼントすると妹がほんとに満面の笑みを浮かべて、「これくれるの?ほんと?」って大喜びするんです。そういう絵本です。
この絵本を読んだ荒川区の小学校2年生のまつざきゆいちゃんという子です。こんな風に書いてくれました。
やなぎだ先生はじめまして。わたしはいもうとのにゅういんをよみました。このお話にはあさえちゃんとあやちゃんがでてくるんだよ。あさえちゃんはあやちゃんのおねえちゃんでふたりはなかよしきょうだいなんだね。でもね、ある日いもうとのあやちゃんがびょうきでにゅういんしてしまうんだよ。わたしのいもうとも小さいころににゅういんしたことがあります。おかあさんはずっとびょういんにいるし、わたしはおいしゃさんにびょうしつにはいってはいけないといわれておみまいにもいけませんでした。いつもはわたしがべんきょうしているのにじゃましてくるいもうとがいやだなあとおもってはいましたけど、いもうとのにゅういんでいもうともおかあさんもいないおうちの中はとてもしずかにさびしくかんじました。いつもおかあさんといもうとと、夜いっしょにねるんですが、この日の夜はずっとひとりでねていました。とってもさびしかったです。あさえちゃん今度はえほんの話になりました。あさえちゃんはおみまいに行った時、自分が大切にしていたほっぺこちゃんをあげました。おねえさんらしくなったなあと思いました。わたしもあさえちゃんをみならいたいくらいです。かぞくってひとりでもかけるととてもさびしいです。わたしはこの本を読んでとても大切なそんざいだと思いました。これからもおとうさんおかあさんいもうととなかよく元気にすごしていくようにしたいです。
別れの悲しみと心の成長というので、とても感銘深い私自身の経験であります。
非常に素直で単純ですけれど、ちょうど小学校へ入ったころ妹はまだ保育園で手間がかかる。その辺りから姉と妹の衝突が起こりがちですよね。その中でこの絵本をかいして、妹に対する感じ方が変わって、他者に対する痛みの心を持てるようになる1つのきっかけになった。自分中心主義でなく他者の心の痛みやあるいは病気をする人に対する理解力が身についてきた。
時にはすごいことが起こるんです。これは6年生の女の子の話ですが、「なきすぎてはいけない」って内田麟太郎さんの書いた絵本があります。大好きなおじいちゃんが亡くなったあと、主人公の少年がさびしくてさびしくて、いつもおじいちゃんと一緒に散歩した田んぼ道とか、いろんなことを思い出してずっと泣いてばかりいた。6年生の鈴木みなみちゃんという子も、自分も大好きなおじいちゃんが亡くなった後泣いてばかりいたんです。でもこの「なきすぎてはいけない」という本を見た。内容はこの絵本の中の少年はあんまり1人で思いにふけっているうちに、どこからかおじいちゃんの「泣くということはすばらしいこと、そえは他人の辛さを理解する、素晴らしい心の持ち主だってことを示すことだ。しかし、泣きすぎてはいけない。なぜならわしはおまえが笑っている顔の方がずっと好きだからだ。泣くのは悪くないがそれより笑ってくれ」と天国からの声が聞こえてくる。そして少年が立ち直っていくという絵本なんです。そしてこれを読んだみなみちゃんがどういう手紙を書いてきたかというと、『自分はやがて恋をして結婚をし、子どもを育てるだろう。そして、年老いて自分もいつの日か旅立っていく、その時に自分は孫に泣いてほしくない。それより笑ってほしい。そう、願う』なんと、絵本を一冊読んで自分の結婚から老後のことまで考えちゃう。まあ、6年生くらいの女の子になるとすごいなあと思いました。」
乳幼児精神保健学会誌Vol.4より、
「子どもと家族に幸せな「子育て」とは-アリシア・リーバマン(カリフォルニア大学精神科教授)
はじめに
今日は皆様と一緒に幸せな育児にどのように取り組むかについて、考えたい。私たちが幸せに生きようとするそのベースは、家族関係であり、お母さんやお父さんと子どもがどのように良い関係で出会っていけるかについて考えたい。
人と人との関係においてはお互いのパートナーシップがあり、それぞれの状態と発達課題がある。育児においては赤ちゃんあるいは子どもの状態と共に、その子の発達課題や発達段階というものがあるし、一方で親には親自身の人生の成熟段階もある。そういうものがどのように組み合わさって良い関係になるかということを丁寧に考えていかなければならない。そこでアメリカの全国的な乳幼児精神保健のセンターでは0歳から3歳までの赤ちゃんの健康的な発達について、このように定義している。第一にその子が健やかに成長し生きること、そして自分が自分であることや相手を愛していくこと、このような力を育むことが大切である。第二に自分に刻々と湧いてくる感情を表現し、相手に届けたり相手とうまくいくように信頼関係をつくっていくこと、そしてうまくいかない時や葛藤がある時に、その葛藤を何とかして伝えたり折り合いをつけたり、話し合ったりしながら乗り越えていくこと、つまり自分自身の内的な日々の揺れを調節していくこと、この二つが大事である。そしてこの二つができた上でその子は落ち着いて外の世界を探検していくことができると定義されている。これらの営みは、その地域や家族や文化に規定されるので、その文化を尊重せずにそれを理解することはできないということである。
親の育児機能と親への支援
普通の育児ではわが子から危険を守り、日々刻々と展開する子どもの要求に応えていかなければならない。子どもを食べさせなければならなし、「ママ、これ何?」と言ってきた時に答えなければならない。洋服を着せたり寝る場所をきちんと作らなければならない。それに加えて育児とは、社会の文化の中で生きていける人を育てようとするので、やってはいけないことまで教えなければならない。この危険から身を守る、そして日々の果てしない子どもの育児の要求に応える、さらにそれらの日々の積み重ねによって子どもが、良い社会人になっていくようにしつけたり、社会的な様々な文化を教えなければならないという3つの機能を果たすことは、とてつもなく大変なことである。その時に親自身がどれほど周囲からの応援があるのか、それとも無いのか、そしてお母さん自身が自分のための一休みを確保できたり一息できたりする時間があるのか、無いのか。また、辛い気持ちを整理する時は、さきほど3つの機能を果たそうと思ってもできない状況になり得る。そこで私たちの役割は、親自身が子どもに対してこのような複雑な育児機能を果たしていけるよう、親をどう支えるかである。その支えとは、私たちが決めたあるべき姿に支えるのではなく、今この状況の親にとって一番役に立っている援助が何であるか、その親が何を目指しているのかをよく考えて、どうしてあげることが一番良いことなのかを考えた応援でなければならない。それぞれの文化における、今の夫婦の目指すものと家族状況をよく理解して、そして親が日々の目の前の子どもに対応できるようにしていかなければならない。
幸せな子育てとは、言うのは簡単が実際にはとても難しいことである。親の子どもを育てる気持ちの準備、子どもの生まれてくる時とが必ずしも一致しないという難しさがあるので、親が親として育児に取り組む姿勢ができていない状況があるんだということを踏まえて、タイミングなどの難しさを私たち援助者がよく理解していかなければならない。
皮肉なことに、赤ちゃんが生まれる時は、人生で最もいのちが危うい時であり、優れた育児を必要としている時である。ところが親は新米である。何人の子どもを育てた経験のある親でも、その子にとっては新米なわけである。赤ちゃんが一番傷つきやすくもろい時に、一番ベストな育児を必要としながら親は新米ということは、親子が共に学び合う、共に理解し合いながら作っていくという姿勢が必要なる。それを支援しようとする私たちが忘れてならないことは、親自身がどのように育てられたか、親自身が赤ちゃんという果てしなく強い要求をしてくる生き物を前にした時に、その人自身が何を感じどのように思っているかということである。そして親が親になろうとする時はやはり張り切るので、とても強そうに、そして前向きに見えるが、実際はどの親も心の中はびくびくしていて、赤ちゃん以上にてんてこまいしている、それをよく理解していく必要がある。
育児の問題を脳の発達から捉える
人生の最初の5年間は、脳が最も急速にそして急激に変化する時期であり、この時期の脳発達の一つの特徴は、いろんな状況の中で、脳の使い方によって脳が作られていくということである。例えば赤ちゃんは泣いて表現することを覚えるとその表現力は発達するし、思いやることを覚えていく。また、一緒に分かち合うことを覚えれば分かち合っていくし、という風に、実際に日々体験の中での脳の使い方自体がその子の脳を発達させていくのである。遺伝的な要素のどの部分がスイッチオンしたりスイッチオフするかということは、その周囲の環境が何を刺激するかによる。幸せに生きるということを刺激されれば脳は幸せに生きることを覚え、幸せに生きる脳を発達させていくけれど、我慢すること、苦しむことを練習していくと脳はそのようになっていく。環境との関係で遺伝的な素因が生きたり生きなかったりするので、遺伝子だけでは人間はつくられないとはっきり言われている。既に体内で脳は刻々と発達していくため、生まれおちた段階で赤ちゃん自身は、痛みや危険や快・不快の刺激をきちんと識別する力をもって生まれてくる。痛みや危険を感知する場所としては扁桃体が中心にある。赤ちゃんは体内で脳を発達させ、間主観性という能力を持って生まれてくる。人間の赤ちゃんは人に対してよりはっきりと心のアンテナを張り、相手が自分がどんな気持ちで見ているのか、その笑顔の奥にある気持ちやその眼差しの奥にある気持ちなどを非常に注意深くみることがある。例えば音にしても、お母さんの声などをよく覚えており、特に明るくリズムやメロディのある声によく反応する、3日目でお母さんの体やお乳の臭い、肌のぬくもりがついているものにはっきりと関心を示すようになる。特にお母さんを五感で理解していくというアンテナをもっている。赤ちゃんは生まれたおちた時から記憶がある。この記憶の鮮明さを私自身が実感したのは、生後6週目のNICU(新生児集中治療室室)の赤ちゃんによってだった。この赤ちゃんはNICUで色々な点滴やチューブを挿入され、大変な思いをしていた。しかし無事退院し、家に帰ったが、水曜日の8時になるとギャーとすさまじく叫び出していた。そこでよーく見てみると、水曜日の8時に来る清掃車の奏でる音がNICUの機械音とそっくりだった。よく小さな子どもたちが訳のわからないむずかり方や泣き方をするが、よーく考えて「あ、そうだんな。これは清掃車の音のピッチがちょうどNICUのピッチと似ている機械音だったからこの子はフラッシュバックのように思い出して怯えているんだ」とわかると、子どもの示す問題行動と片付られやすいものは、実はちゃんとした生きてきた経験の中で貯えられた記憶に基づいて子どもが反応し、助けを求めていると分かる。こういった理解を、物言わぬ赤ちゃんたちに対して丁寧に行っていくことが大事である。
赤ちゃんは記憶があると同時に、一人ひとり違うので、個人差が豊にある時にそのような赤ちゃんの性質をよく理解した出会い方をすれば良いのである。ところがお母さんたちは必ずしもそこまで理解しないで育児をしようとしているということがある。そこで私が今思い出すのは、赤ちゃんがどうしてもミルクを飲んでくれないというお母さんの家庭訪問をした時のことだ。そのお母さんはとてもエネルギッシュで快活で、元気に赤ちゃんをあやすのが大好きというスポーツウーマンの方だった。ところが赤ちゃん自身はおっとりゆったりタイプだったのだ。お母さんが一生懸命頑張ってあやしているのに、赤ちゃんは、緊張して固まってしまってミルクを飲まなくなっていたのである。そして、そういう子どもを見てお母さんは、自信をなくしていくという状況になっていた。そのことを家庭訪問で観察して、親子のずれやミスマッチを確認することができた。そこで私が行ったことは、ゆったりと座ってお母さんの気持ちを聞いた。お母さんの好きなこと、好きなもの、さらに赤ちゃんの好きなこと、好きなものを聞きながら、お母さんの本音を聞いていった。そうすると、「実はわたし、育児がつまらない。この子からは反応がないから」という本音が出てきたのだ。この時に「お母さん、本音が言えたわね。あなたは快活なのが好きなのね。でもそれに応えてくれない赤ちゃんだったらあなたが傷つくわよね」と、ありのままの人には言えないお母さんの本音を聞けた時に、お母さんは「実はそうなんです」と、自分の否定的な気持ちが出せたのだ。そして本音が出せた後、なんと、赤ちゃんの良いところを見つけようという気持ちになり、そのことから赤ちゃんもお母さんの働きかけに応じるようになり、二人が良い具合におさまっていったのである。家族関係は大変複雑である。お母さんと赤ちゃんが関係を作ろうとする中にも家族関係の影響はある。このお母さんの場合も「この赤ちゃんを見ていると誰を思い出すの?誰に似ているの?」と聞き、お母さんは「夫に似ています」と答えた。「へー、ご主人はどんな方なの?」と聞くと、「私の夫は私をよく守ってくれます。ちゃんと稼いでくれるので、専業主婦で育児をしています。私の夫はすごく良い人です。だけど、とってもスローでとっても静かで・・・」と言ったので、「んー、赤ちゃんと何か似ていますか?」と聞くと、「お父さんと赤ちゃんはとっても仲良しです。すごく馬が合っちゃって、阿吽の呼吸です。私は時々寂しくなります。私ははじき出されたような気持ちになります」と語られた。こんなふうに話しながら、どうしたらお互いにしっくりした関係が見つけていけるのかと探り合ったわけである。そしたら彼女は、「夜になったら私が授乳するように夫にも授乳してほしいです。そしたら私も一休みできますから」と言った。そうしてご主人、つまりお父さんがどんな時に入ってきたらお母さんにとって一番良いのか、またこの親子がそれぞれの自分の特徴を生かしながら、お互いに排除し合ったりせずにしっくりいくかということを家庭訪問の中の和やかな会話から解決していった。これは日々家庭内で行われる葛藤の事例である。お父さんもお母さんも人格障害や精神障害ではない普通の人だ。しかし育児をしていると日々刻々といろんな問題が出てくる。この問題をこうやって一つ一つ乗り越えあっていく、その一つの良い例である。
育児の問題を脳の発達の側面からまとめる。扁桃体は恐れを感じさせる所、辺縁系は危険等から自分を守る所である。扁桃体も辺縁系も旧脳に属するが、この発達は生まれてから1歳までに出来あがる。そこで自分を守るはずの父母が暴力的であると、子どもはふっと身を引き守りが無い状態から本能的に心を閉ざす。そうすると臨床的な知見で子どものIQは見事に下がる。少なくともIQは10くらい下がり、子どもは健やかな認知を発達させられない。このような家庭内の危険、恐れ等は治療が必要である。父母がゆったりと赤ちゃんを安心と守りの中で育児をし社会に子どもを出す機能を果たせる家族になると、またIQが戻る。つまり脳は環境の中の危険に多大なエネルギーの費やし消耗してしまい、その分健やかな発達が犠牲になる。人間の赤ちゃんは、生まれた時から危険や恐怖という自分自身に痛みを生じさせるものに過剰にアンテナを張り、身を守っている。そういう意味で育児に不安や危険、痛みを生じさせるものに過剰にアンテナを張り、身を守っている。そういう意味で育児に不安や危険、痛みがあるとき子どもは健やかな発達がしたくてもできないことを常に覚えていてほしい。
子どもの不安や恐れが果たす役割
生後一年目の発達の中で不安や恐れが果たす役割が大きいことについてお話したい。生後一年目の不安や恐れの一つは、痛みについての恐れだ。もう一つは分離である。痛みは、先ほどのNICUで大きくなった赤ちゃんの例が当てはまる。分離の恐れは、私の親友の生後2か月の赤ちゃんを例にお話しする。リリーちゃんはとても敏感であったため母親がいないとだめであった。リリーの母自身もリリーが離れるとリリーがとても辛がることが分かるだけに、母自身どうして良いか分からなかった。ある日母親は3時間どうしても会合に出なければならなくなった。リリーは絶対耐えられない、どうしたら良いかという時、私が「お引き受けするわ。私は乳幼児の専門家でリリーをどう受け止めるかは分かっているから」とお預かりした。預かった最初の30分間、普通の人では全くだめなリリーはとてもお利口さんだった。ところが30分後母が帰ってくるまでリリーはぎゃんぎゃん泣き通した。何をやってもだめだった。一般論として痛みや分離の不安があっても、子どもの資質や感性によりその度合いは全く違う。それはその子がわがままだ、母親が悪いという問題ではない。
リリーは、赤ちゃんは大人に良い母親、ひどい母親という感情を引き起こすことを教えてくれた。リリーと最初の30分間うまくいったはずの私は、その後泣きわめくリリーを抱き、「あんたはひどいお母さんだ」と言われたようだった。正直なところイライラで私はリリーをぐーっと揺さぶりたくなってしまった。その時私は自分の専門性や知識があっても、泣きわめく赤ちゃんがこのように悪いお母さん、悪い育児者に思わせられた体験の最中で、「あ、専門家でもない普通の母親がサポートなく一人ぼっちで赤ちゃんが泣きわめくと自分が否定されたと思い、思わずゆさぶってしまう。それが世間一般のいう虐待に繋がる」としみじみ感じた。そこで私は泣きわめく赤ちゃんの母親に赤ちゃんからの刺激をお母さんがどうシグナルとして受け取るか、拒否かまたは「助けて」というシグナルかを丁寧に聞き、母親の気持ちをたどることにした。生後2年~3年目の子どもの恐れの一つに、自分の体が傷つけられる恐れがある。これはその子に必死で、爪を切る、髪の毛を切られるとこの時期子どもは抵抗する。ある子どもはうんちは自分の体の一部分で、うんちが出て水洗便所の水で流されると自分の体ごと流されたと感じ不安になる。これはS.フライバーグ先生がおっしゃっていたことだ。子どもの体が傷つけられ、自分の体がどうなるか不安を乗り越える際、お母さんたちはちゃんと分かるよう話す必要がある。うんちは、「このうんちはいっぱい食べていらなくなった食べ物だから出て大丈夫。また新しいものを食べられるからね」と、子どもがうんちを出し流された時に感じる不安を乗り越えさせてあげると、子どもは母親の話を一生懸命聞き、体にそういうメカニズムがある、そうかと納得し安心してうんちができるようになる。あるいは「また生えてくるから大丈夫。お爪さん、いっぱい生えてね」とやっていくと良い。日本で「痛いの痛いの飛んで行けー」という言い方がある。別の文化では「痛いね」と言いながらキスをする。この時期のこどもの体に対するダメージに対し何とか包んでいこうとする仕方がそれぞれの文化の育児として発達している。この理解がとても大事である。
最初の1年間は分離不安があり、2年目になると体のダメージの不安があるが、もう一つの不安は、ちょうど1歳半から3歳にかけて親の愛情を失う不安がある。親に嫌われる不安である。子どもがはっきりと自分の自発的な好き嫌いが出てくる時期と、自分の大好きなお母さんとの好き嫌いが一致せず、また気に入られなくなり愛されなくなる不安が同時に進行するため、子どもはとても深刻な状況になる。S・フライバーグが書いた『マジックヤーズ(魔法の時間)』にあるように、親はしばしば「これやっちゃダメ」、「これ食べちゃダメ」とNO、NO、NOと子どもに言う。しかし大人がやっていることを子どもはやりたがる。むしろ大好きな親のようになりたくて、真似して自分からNO、NO、NOとやる。だから親はこんな反抗的で私のことなんて嫌っているはずと見える子どもも、実際は親のようになり親を取り入れたい、親に承認されたいと気持ちが旺盛なのだ。それと同時に親に承認されたい気持ちが旺盛なのだ。それと同時に親に承認されない、否定される、嫌いという不安が強まる。人は怒りの最中で相手に対する愛や信頼を覚えていることは難しい。2~4歳の子どもは、親が怒っている時お母さんは僕のことを嫌いと思いがちである。父母が子どもを叱るとき、「それはだめよ。だけどあなたのこと大好きだから、大好きなあなたが又こういうことしないように、ちゃんと言ってあげるからね」と愛に基づき叱ることを伝えられると、子どもは怒りの最中もその裏に消えず崩れない信頼関係、親があることを感じ取りとても安心する。怒りの最中実は赤ちゃんは親の愛を見失い親に嫌われたと思い込むものだ。特に2~4歳の子ども達にとって致命的な不安になるので、ここがうまくいかないとその子は一生不安に取りつかれ生きていくこともある。4~5歳児になると世間の期待、つまり良い子にならなければならない気持ちも出てくる。そうなるとその子は自分がいたずらをして悪い子であるので世間から見捨てられないかと心配する。またこの頃の子どもは「お母さん、お父さんは死んじゃうの?」と死の不安を口にする。これは実は1歳2歳頃の基本的な不安がさらに複雑になって現れる意味で発達の一つである。しかし子どもにはとても大変な事だ。例えば私が知っている3歳半のある子どもは、家の目の前でお母さんが泥棒に遭い、お母さんが泥棒にボカボカ殴られ、大事なものを取られた上逃げ込もうとした時泥棒も追いかけてきたのを目にした。その事件の直後その子どもは言葉を話せなくなった。治療に来て、私のプログラムに入った。その遊戯治療で子どもはたくさんのクッションで砦を作りその中でじーっと縮こまっていた。治療では私、母親、担当治療者が「出てきてね。あなたがいないと淋しいわ」と根気よく繰り返し言い、子どもはちょこっと出ては戻ることを繰り返し、4か月後くらいにその子は出てくることができた。出てきたとき母親は「あなたが悪くないの、良く出てきたね」と抱き締めた。抱きしめてすっかり良くなったときに初めてその子は「あの日あの時、私がドアを占めてママを守れなかったからママはひどい目にあった」と話した。そこでお母さんは「強盗はものすごい勢いで入ってきて、仕方なかったの、誰もドアなんて閉められっこなかったの」と応えた。父親が「俺の帰りが遅いからこうなった。ごめんね。これはお父さんの責任だよ」と言った。家族は子どもも親も、自分の大事な家族がひどい目に遭うと自分のせいにしてしまう。その思う気持ちは既に4、5歳児からある。大事なのは誰のせいでもないと話、自分のせいだとしょい込むんじゃないよと話し合いと克服によって乗り越えていく。
親が安定した愛着関係を作れるように
子どもは自分が不安な時この人だと一番安心する状況を子どもは自分で選ぶ。子どもは愛着を複数の人に示す。研究者マイケル・ラムは「例えば子どもはお腹が空いた。寒い、心細いときはママ。遊びたい時にはパパと。子どもは時と場合で取捨選択があり、複数の愛着がある。しかしどうしても辛い時この人でなければならない側面もある」と言う。愛着は、子どもの選択で「これはこの人に」となるが、両親間に嫉妬を引き起こす。「遊ぶ時はパパと言う。本当にどうしようもない時はママと言うのに」と母親が苛立ち、逆に父親は「僕がお風呂に入れたいのに、この子はママでないと嫌なんだ」となる。そういう時に、子どもの親に対する愛情にはこうでなければならないというのはないから、それぞれがその子にとって一番良いことをやれば良いという、現実的な折り合いがとても大事になる。では親子で愛着が出来ているかをどのようにして見るか。一つは愛着がある人から離れる時に嫌がる、もう一つは、エインズワースが言っているうに、愛着があると安心てその人から離れて探索行動ができる。安心している時は遠くに出ていくことができ、不安定だったり怯えていたり困っている時には帰ってくる。港のように行ったり来たりということが、愛着ができている人との間で起きる。愛着は、安定か不安定かに別れる。親が不在にし、その後戻ってきた時に、親に対し心からの喜びが溢れている場合は安定型愛着という。一方、嬉しいけれども遠慮がちで「また行かないでね」という戸惑いや、「よくも言ったな」という怒りが出て、嬉しいけれども喜びより遠慮や不安、怒りが勝つ場合は不安定型愛着と言う。ここでお断りしておかなければならないのは、子どもが不安を示すこと自体が親に良く分かってもらいたいというサインなので、不安型愛着は悪いということではない。また、不安定愛着かどうか、よく丁寧に何回も見る必要がある。くれぐれも、安定型と不安定型で、その親子に白黒つけるような扱いは絶対にやめていただきたい。なぜならば、子どもは今その時の自分の気持ちをしっかりと母親に分かってもらいたいから、不安定な時に不安だと言っているだけの話だからだ。しかし、親子でそこに行ける瞬間は多くはなく、上手くいく瞬間、上手くいかない瞬間が混在する。子ども自身が感じていることを表しているのだから、そこから変えていけば良い。育児の最初の1,2年は、赤ちゃんのサインをよく読み、その気持ちになってあげ、泣けば抱っこし、おむつだね、おっぱいだね、ときちんと対応してあげれば、赤ちゃんは心地よくなって安心して安定型愛着ができる。安定型愛着を作り上げると、思春期に非常に自信があって穏かで、協調性があって、何か物事をやろうと思ったら最後まで粘り強く達成できる子どもに育ちやすいことが、愛着研究で明らかになっている。親は言うことを聞く子どもを育てようとするが、実際には0、1、2歳の時に赤ちゃんのサインを大人がよく聞いてあげて、それに応じ、赤ちゃんが安心して心地よくできるようにすると、安定型愛着の形成によって、思春期に大人が言うことがよく分かり、協力しようとする子ども達が育っていく。私たちが、0、1、2歳の赤ちゃんをもつ親が、子どものサインをよく読み、安定した愛着関係が作れるように応援することが、とても大事で、私達の責任は重い。
自我の芽生えからセルフコントロールの獲得へ
生後0~1歳までの、親子の良い愛着関係形成が一番効率がよい。なぜならば、2、3歳になり、自我が目覚めると、子どもの健やかな発達として、「嫌だ」「嫌い」と自分の感情の好き嫌いを出す段階になる。その時期に不安定な愛着関係があると、育児がどんどんしにくくなる。例えば2歳児は、お母さんが大好きでも”嫌だ嫌だマン”になる。そうなると親も、「そんなに嫌だって言うなら私だって嫌よ!」となり、現実的にはキレやすくなる。そして、「警察呼ぶぞ」「出ていけ」「一生面倒は見ない」などと言って、本当に脅かし始める。子どもは一度親に言われるとそれを信じるから、親から好かれていないんだと四六時中心配しながら生きていく人生を送らなければならないし、それは消えない。その前の段階で、どんなに育てにくい赤ちゃんであっても安心して「良い子だね。分かるよ」とやっていくと悪循環に陥らなくて済む。
自我の芽生えの頃の子どもが、大人の叱る行動を、大人の立場にたって理解することは難しい。往々にして、親に嫌われた、見捨てられたと思いがちなので、育児では、あなたを守り、危ないからだよ、と普段からよく心をこめて本気で話す。そうすると、子どもは叱られても聞き入れやすい。例えば、大人が道路をぱっと渡ろうとすると、よちよち歩きの子どもは自分もやりたいから手を振り払って渡ろうとする。大好きな大人の真似をしたいのに、止められる。その瞬間に、普段から危ないことをよく伝える関係ができていると、子どもは受け入れやすい。しかし現実的には、例えば父親が飲んでいるウィスキーを子どもが飲もうとすると、丁寧には言えず、「あっちに行け、お前にはかんけいない」となりやすい。そうすると途端に子どもは、嫌われた、見捨てられた、否定された、侮辱された、だからお父さん大嫌い!となる。このように、2、3歳の頃の子どもは、大人とは違う観点から人生を見ているので、そこでぶつかり誤解が生じると、親子の信頼関係のひびになっていく。それを、こちら側がよく理解して、配慮の下で、子どもに「安全のために守っているからね」とよく伝えていくことが必要だ。
1、2、3歳児の癇癪は、育児の中で親子ともども一番苦しいと感じる。この癇癪を問題行動と捉えるのではなく、子どもが絶望や無力感をうまく言えなくて困っている状態だと理解できる、それが子どもにも伝わり、乗り越えやすい。癇癪は、旧脳で起きている原始的などうしようもない感情であり、それは言葉で整理できる脳の部分から隔絶している。しかし、癇癪は本当に辛いから、親の側の怒りを呼び、「ダメだ」と否定していき、親子関係において悪循環が起きやすい。それを防ぐためにも、癇癪というのは、どうしてもうまく言えないその子が「お母さん分って!」と言っていることが、という風に受け止める。その子が落ち着いて癇癪を乗り越えられるまで放っておく場合もあるし、しっかり抱きしめて、「決して見捨ててないよ、でも、これはだめだよ」と言わなきゃいけないこともある。要は癇癪には意味がある、訳があると理解することが大事だ。注意深く癇癪の直前の行動を見ていくと、必ず引き金がある。それすら理解できれば、癇癪を起こしても、あるいはその前に、その子の辛さ惨めさ絶望感を理解してあげられる。そして、うまく言えない子どもの思いがそこにはこもっているのだから、分からないにしても思いやりを持って包んで行こうと接することが、やがて自分自身の中のキレやすさを自ら包んでいける、調節能力の高い子になることに繋がる。
親が子どもの良い対象になれるような支援
もうお分かりいただけたと思うが、幼い子ども達の中には秘密の世界がある。親に嫌われているのではないかと思ったり、あの時に私がああしたからこんなことが起こったんじゃないかと思ったり、もし私が悪い子だったら私は死ぬのかしらと思ったり、たくさんの不安や恐れの中から派生するたくさんのびくびくした生活がある。こういうものを受け止める親の側も大変複雑な機能が必要とされる。「ここは譲るべきかな、それとも断固としてダメだと言うべきかな」、「ここは一貫性を示して、ここは柔軟になるかな」、「そうだそうだ。お前の言うとおりだ」など、いろいろ考え、試される。乳幼児の非常に豊かで奥行きのある秘密の世界と、親のどれといった答えがない時のとっさの判断とのせめぎ合いのなかで育児は展開していく。この複雑さを私達がよく理解し、尊重していくことが大事だ。
最後に、ワシントン大学グループのセーフティサークル(安全の一つの輪)に触れたい。そこには標語として「親はより大きく、より強く。より賢く、よりやさしく」というのがある。より大きくより強い親は、子どもからみて守られている感じがする。そして、より賢くより親切な親を見て、子どもは自分もそうなろうとする。子ども達は感化され、真似していくのだ。その良い対象になるよう、私達が親をサポートすることがとても大事なのだ。私達が、この時代の育児に伴う痛い実や日々の大変さを、親身になって思いやることにより、親がより大きく強く、そして賢く親切になれるようにしていくこと。それが、難しい育児の状況に対する一つの解決策だと思う。」
(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
自己否定から自己肯定へ
類似の話をもう1つ紹介します。私は東京の荒川区で6年前から家で子どもも大人も絵本を読もうという呼びかけをしています。区長さんがものすごく熱心な読書家で、久野教育委員会をあげて取り組みをしているんです。私の絵本の講演を聞いて感動してくれた区長さんが即座に判断して、「絵本を読んだら柳田さんに手紙を書こう。こんないい絵本があって、楽しい想いをしたとか感動したとかなんでもいいから手紙を書こう」という活動を始めました。毎年夏休みに呼びかけると、秋口までにたくさん手紙が寄せられます。事務局を苦の図書館において集めているのですが、最初の年は大人と子どもと合わせて400通近くきました。9割は子どもたちです。今年は何と1000通近くきました。図書館の司書の方が絞って送ってきたのを、これから月末にかけて読むことにしているのですが、子どもたちの感性の豊かさがズンズン伝わってくるものが多いので、すごく楽しいです。学校で書かされる感想文は肩をいからせて真面目に書くからあまり面白くないんです。私宛て手紙は非常にくだけた素直な形で書いてくるので、子どもの心模様がよく見えるんです。それを読むことによって今の子どもたちの状況がわかるので勉強になると楽しんでいます。
そこで私が読んで感動したり、いいなと思った手紙に柳田邦男絵本大賞という賞を差し上げて絵本を5刷プレゼントしています。優秀賞と佳作含めると10人くらいの子どもたちの文章を選んでいます。これは第1回の時の手紙で小学校3年生のたむらゆうりちゃんです。「わたしがわたしらしく」とタイトルをつけていますが、これはゆうりちゃんが1年生だった7歳の時の思い出です。当時はまだまだ言語表現がついていないので文章にできなかったけれど、3年生になって思い出して書いてくれました。内容は1年生になった時、体育が苦手でかけっこは遅いし、鉄棒もうまくできない。そこで、劣等感を抱いて体育の授業がある日は学校を休んだり、その時間だけ保健室に行ったり、おなかが痛いのなんのと理屈をつけてサボってしまうんですね。当然、学校の先生は何か問題があるとお母さんにも伝えています。この時にお母さんがどう対応したか。たむらゆうりちゃんの長い手紙に書いてあります。書き出しから読んでみますね。
柳田先生はじめまして、わたしは小学校3年生の女の子です。このお手紙で私のこころに残っている絵本を柳田先生に伝えたいと思いました。マックス・ルケードさんが書いた『たいせつなきみ』という絵本です。(これは翻訳絵本で、木作り人形の村の話です。自分がサボっていることをお母さんも知っていたんですね、でもしからなかった、ゆうりちゃんの文章を読んでみます。) 何回かお母さんに内職でずる休みしました。でも、お母さんは知っていました。怒らないで「どうして休んだりしたの」と聞いてくれたので私は「友達みたいに上手にできないから」と話しました。すると次の非、お母さんが私のためにこの絵本を買ってきてくれたのです。(そしてずっと絵本の内容を説明しています。この村では優秀な人は黄色の星印のマークをつける、つけてもらえる。でも、何事もできなかったり、失敗したり、のろまだったりすると、ダメ印をつけられちゃう。こっちはピカピカと光る保安官みたいな星のマーク。この中心にいるのがパンチネロという名前の主人公で何をやっても失敗なのでダメ印でいっぱいになり、自己嫌悪感に襲われます。) どうせ僕はだめな小人だからとつぶやいていました。私も同じだったのです。どうせ私は体育が苦手だからと思っていました。かけっこは走るのが遅いし、疲れるし好きじゃない。鉄棒は前回りしかできないから好きじゃない。鬼ごっこは鬼ばかりでつまらない。やっぱ苦手です。でも続きを読んでもらって違うんだって知りました。パンチネロは作ってくれた彫刻家のエリに会いにいきました。エリはパンチネロのダメ印を見て、そんなことは気にすることはない、みんなお前と同じ小人同士なんだ。問題はわたしがパンチネロをどう思っているかだよ。私はお前のこととても大事に思っているんだよと言ってもらえたんです。パンチネロはとても嬉しくてなって、どのシールも関係ないんだと思えるようになりました。実は私もお母さんにこう言ってもらえたんです。ゆうりはゆうりだよって。お父さんとお母さんの大切な子だよ。他の友達と違っていいんだから、体育が苦手だって、ゆうりは本と歌が大好きじゃないの。世界で1人しか『たむらゆうり』はいないんだよ。おかあさんはこういってくれたんです。こうして3年生になった今、体育もだんだん好きになっていきました。苦手でも頑張っていきたいと思います。柳田先生も苦手なことってありますか。その時はぜひこの絵本を読んでください。
これだからやめられないんです。ここで読み取れるのは1冊の本をお母さんが丁寧に読んで下さった。そそしてゆうりちゃんは幼いころからお母さんお父さんに絵本を読んでもらっていたので、文脈理解力、感性、それがとても発達して本好きになっていたんです。そういう背景があるから、お母さんは叱らないでこの絵本を読んだ時に何を問いかけられているのか自分で理解することができたわけです。エリがパンチネロに大してこういったけど自分もおなじだ、しかもおかあさんが「ゆうりはありのままのゆうりでいいんだよ」って、「本が好きで歌がうまいじゃない。それでいいじゃない。体育が苦手でいいじゃない」こうて言ってもらえたことがこの自己否定感を自己肯定に大きく変わる大事なきかっけになりました。今日小学生の3、4割は自己自尊感情、自己肯定感を持てないという調査結果がありますが、その中で子どもたちがそれぞれ個性を持ち、苦手なことがあっても好きなことがある。やりたいことがある。それでいいという自覚を持てるように転換するのはとても難しい。けれど、この幼いころから読み聞かせ、文脈理解力のついた子であれば、ふとどこかで絵本や物語の本を通じて感じ取ることができる。それが人生を開く大きな曲がり角になる。それを教えてくれると思うんです。」

(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
自分を見つめるもう一人の自分の芽生え
最初に紹介したいのは宮城県の都城という今人口が過疎化しつつある小さな町でのことです。知り合いのお坊さんが幼稚園を経営していまして、園長先生を奥様がやってらして、残念ながら3年前に人口の過疎化に伴い閉園してしまったんですが、その前に行った時に伺った、とても感銘深い話なんです。それは5歳の子でも、自分を見つめるもう一つの目を持つことができるということです。それはふりやななさんの絵が特に特徴的な「めっきらもっきらどおんどん」という福音館のこどものともの一冊で、私も大好きな絵本です。子どもはこういうファンタジーの世界が大好きですぐに入り込んでいきます。なぜこの絵本を取り上げたかというと、その幼稚園の裏の森に梅林があって祠がある、田舎のお寺の裏手によくある風景があり、それが「めっきらもっきらどおんどん」の最初の絵と重なり合うんですね。その幼稚園で4月新学期が始まりまして、まずは子どもたちに自然に親しみ、花の名前を教えてあげようと先生が幼稚園の裏の梅林に連れて行きました。まさにこの風景の通りなんです。祠があってその前でじーっと見ていて1人でブツブツ言っている。「ちんぷく まんぷく あっぺらこの きんぴらこ じょんから ぴこたこ めっきらもっきらどおんどん」なんてね。こういう意味のないオノマトペは子どもが大好きですよね。すぐ覚えます。そして「ほんどだ、ほんとだ:なにが本当かというと自分の幼稚園の裏に祠があって大きな木がある。「そっくりだ。ほんとだ」って。そこで先生は『「めっきらもっきらどおんどん」の絵本がみんな好きなんだ。きっとみんなお母さんに読んでもらったり、あるいは前の年に先生に読んでもらったりしているんだな。これを1つ教材にしよう』とひらめきが走ったんです。次の週、今度は先生が「めっきらもっきらどおんどん」をバックに入れて、子どもたちを連れてお花見に行っていろんな花を見た後、そーっとこの絵本を出した。そしたら男の子たちが、「あー」って。「めっきらもっきらどおんどん」だとすぐわかった。女の子たちよりも男の子の方がこの絵本好きみたいですね。それで読んだわけです。知らない人のために簡単に紹介しますと、主人公のかんた君が木の根っこの穴で声が聞こえるので覗いたら、スーッと穴の向こう側に引っ張り込まれて、どーんと落ちる。すると向こうから丸太のような飛行船に乗っておかしな3人組がやってくるんです。それは「しっかかもっか」ってマントをひるがえして、「ももんがー」って言うと空を飛べる。かんたんに飛ぶことを教わる。あるいは、おたからまんちんっていう千人みたいなおじいさんがガラス玉を持ってきて「覗いてごらん」と言うと、海底の美しい深海魚などが泳いでいるのが見える。やがて眠くなって昼寝をして目が覚めると急に寂しくなって、「お母さーん」と言うとハッと気がつくとさっきの木の根元に戻ったという話です。これを梅林で読んだ先生は子どもたちがみんな食いつくように目を皿のようにしてたどってくれるので、うーん、」これはいけると思ったんです。その次の週、今度はこんなことをやりました。階段1段のちょっとした低い足台をあん馬のようにして飛び越えたり、飛び降りたりする。5歳は4月生まれの子は大きく3月生まれの子は小さいので、できる子とできない子がいるんです。先生はできない女の子が3人くらいいたので勇気をつけてあげよう、遊びにすると絶対飛び降りられると思い、「さあ今日はめっきらもっきらどおんどんのしっかかもっかかももんがごっこをやろう」と言ったらワーッと歓声が上がって、みんなにハンカチ出して首に巻いて、「マントだよ。順番に階段の1段目から「モモンガー」と言って飛び降りるわけです。そうしたら、今まで臆病でできなかった早生まれの3人が気が付いたら一緒になって飛び降りているんです。ハンカチを首に巻いて、「モモンガー」って言ってぴょーんぴょーんって飛び降りて、何回も何回もやっているうちに、もう子どもたちも自信がついて、中には2段目からとびおりるやつも出てくる。まあこんな遊びをしたんですね。
次に先生は深慮遠謀してというのかな、おたからまんちんのビー玉も透明なビー玉も男の子女の子みんなに1つずつ配りました。「今日はおたからまんちんごっこをしよう」と言ってビー玉を覗いて、「なにが見えるかな」と話しかける。子どもたちはビー玉を見ているけど最初のうちはただキラキラしているだけでよく見えない。先生は1人ずつ観察していますから個性のあるいろんな問題を抱えている子に特に狙い撃ちするようにして話しかける。その男の子はいつもおねしょをして、お母さんに𠮟られて遅刻するんです。その子に「何が見える」っていうと首をかしげる。「おうちかな?おかあさんかな」と誘い水をかけると目がキラキラしてきて、しばらくして「あっおうちだ。お母さんお布団干している」実体験、実生活がそのまま出てくるようなこと言うわけです。今朝もおねしょしちゃった。それでお母さんがきっと干しているに違いないと頭のどこかにはある。それがビー玉の中で映像として出てきた。おもしろいのはその次につぶやいたことです。「今度から早起きしよう。早く起きてご飯たべてこよう」なんて1人でぶつぶついっている。それは今まで叱られたけれど、自分を見つめ直すこてゃなく、同じことの繰り返しだったのですが、ビー玉を通っして先生の誘い水もあって、自分がやったこと、あるいはそこにいる自分を天井から見えるように、空から見るようにして客観視している。客観視して、『あっおねしょしたはずかしいな。こんなことしないようにしなきゃいけないな』もちろん急におねしょがとまるわけありませんが。そしてそれを反省して『早く起きなきゃ』という自分自身の見つめ直しと反省が生まれています。同じことがもう1人の女の子に起こった。その子は4月生まれで体が大きく小さい子をいつもいじめるんです。いじめの対象になったのは、りさちゃんで大きな女の子はその日の朝も授業が始まる前に、りさちゃんを泣かせちゃった。先生はそのことをわかっているから、その子のところに行って、「何が見えているの?」やっぱりさっきの男の子と同じでなかなか見えんですよね。そこで誘い水をかける「お友達?それとも梅林?」いろいろ身近なところを言うとお友達っていう言葉にひっかかったんでしょう。じーっと目がすわるようにして見ていた女の子が次第に目に涙を浮かべて、「あーっ。りさちゃんがいる。りさちゃん泣いてる。かわいそう」と言ったんです。しばらくしたらビー玉を握ってりさちゃんのところに行って、「さっきはごめんね。ごめんね」って背中をなでて謝っている。これも自分を客観視する目が子どもの心の中に生れた、あるいはそういう経験をしたということではないかなと私は思います。その幼稚園の園長先生を通じて幼稚園の授業の中で起こったエピソードをいろいろと話してもらってとても感銘受けました。1冊の絵本の読みきかせ、そしてその子どもたちが食いついてきた絵本を1つの素材にして実体験的に「ごっこ」をやる。ももんがごっこ、あるいはおたからまんちんごっこ。そうすると子どもたちがその世界にイマジネーション豊かに入ってきて、気がつくと自分を見つめるもう1つの目が生まれてくる。これは大変なことです。5歳で自分を見るもう1つの目を経験するのは人生の中でとても大きな意味を持つと思うんです。そういうことをあまり繰りかえし過ぎてもいけないのでしょうが、経験することは今後その子がケンカをしたとか、悲しい出来事があったとか、そういう時に少しでも乗り越える目あるいは気付きを身に付ける第1歩、小さな窓を開ける第1歩かなと。
今日専門用語で「レジリエンス:という言葉が重視されるようになってきました。様々な困難な事態に直面したり、失敗をしたりしたときに、どう乗り越えて自分を整え直して生きていくのか。そういう力をとても必要とする時代、またそのレジリエンスのできない人、できる人、様々なタイプがあります。そのおおもとをさぐるとやはり乳幼児期の育てらあれ方や生活体験が関わっているのではないでしょうか。そういうことがこの絵本を介しての読み聞かせの中でも子どもたちがレジリエンスの能力を身につける小さな経験になるに違いないと思います。」

(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
絵本の役割
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
絵本の役割
これから少し日常的な中で絵本が果たす役割を紹介していきます。先ほど申しあげましたように子どもは言語化できなくてもいろんなことを感じ取っている。とりわけお母さんの感情の揺れ動きを鋭く感じています。これはW先生たちが日ごろから強調していることで、だからこそ乳幼児期の精神保健の取り組みはとても大事だというわけです。やはり乳幼児期に子どもにとって好ましくない様々な状況が周りにあると正常に成長曲線をたどるだけではなくて、抑圧された表情の乏しい、暗い顔の子になってしまう。子どもたちはいろんなことを体でわかっているけれど、また乳幼児期には言葉で表現できない。すると大人はわからないということで安心し、子どもを低く見たりする。これはとんでもない間違いです。文脈をきちんと整えた形で自分の体験や辛さを理解しているのではないけれど、全体としてそれが従来のものであるか、あるいは将来を左右しかねないことであるのかはわかってる。そこを大人は賢く感じてあげなければいけない。そういう問題だと思うんです。それは絵本の読み聞かせの実践の中でとてもよくわかってきます。」

(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
子どもと言葉
子どもにとって言葉はどういう意味を持ったり、あるいは成長過程の中でどういう言葉を獲得し、表現していくのか、そんなことを考える上で絵本の言葉の部分に焦点を当てます。
その前に、ちょっと今回の大震災の中で子ども達がどういう経験を死、そしてそれがどういう風に言語化されたのか、その一端をお話しします。東北各地の被災地で子どもたちが作文を書いています。日本の学校教育の中で作文がとても重視されていて、国語の時間に限らず、色々と文章を書かされます。体験した事を文章にし、津波や大地震の揺れの恐怖体験というものがトラウマとなって心の中に抑圧され、沈んでしまう前に表現することによって自分自身を見つめなおす、それがトラウマを乗り越える力にもなっていくことがとても大きな意味を持っていると思うんです。各学校でそういうことをやったり、あるいはカウンセリングの場ですすめたり、子どもたちが文章で自分の体験を語ることが盛んに行われています。
いろいろ振り返って子どもたちが、子どものころから本に親しむ、絵本に親しむ、しかも親が読み聞かせをする。それが編集され単行本になって市販されている。あるいは地域の自治体や教育委員会などが編集したり、学校独自で作ったということで、子どもたちの体験記を私もたくさん集めています。その文章の中から子どもたちがどんな言葉で自分の体験を表現しているかを調べてみました。今日はほんのその一端を紹介します。ごらんのようにこれは津波がおしよせてきた瞬間ですね。こちらが太平洋沿岸、これは仙台の南、仙台平野の一角。名取市。この辺りは名取市です。これは仙台空港があります。これは貞山掘といって江戸時代に作られた運河です。川ではありません。米などを運ぶ運河。津波はこれを乗り越えて、一面、家々を倒しながらおしよせてきました。第一波です。10メートル前後ありすさまじい勢いでした。
これは宮城県の三陸沿岸の最南端牡鹿半島に女川町というのがありまして、そこは太平洋と仙台湾と両方から津波に挟み撃ちされる形になって、すさまじい状況になりました。高さ10メートルを超えるビルがみるみる水没していく状況です。こんな中で生き残った子どもたちの表情と言葉を収集した本です。女川町の子どもたちの文章を集めた「まげねっちゃ」これは東北弁で負けないぞという意味です。そんな中でいくつかの文章の一部を読ませていただきます。これは小学校4年生10歳のじゅんなちゃんという子の文章の一部です。
いつもより星がたくさん光っていて、この地震でどのくらいの命が亡くなったのだろうと思いました。そして今思うことは、1つ1つの命がすごく大切だということです。これからも1つ1つの命を大切にしていきたいです。
これは、夜空をながめて星が光っている。星1つ1つを見上げ、それが亡くなった人たちが天国に行って夜の星になったのかという思いがあるんでしょう。数知れない星の輝きを見て、2万人近くがなくなったあの震災で犠牲になった人たちの命のことを思う。このこと自体がとても女の子らしい感性だなと思うんですね。10ぐらいで空の星を眺めて、被災地たちのことを思う。亡くなった命の数に重ね合わせて胸にしみわたるように感じる、そして言葉として1つ1つの命という表現をしている。これは最近、小中学校で命の教育がとても重視されていて、先生たちが悩んでいるテーマですね。デジタル文明の中で物事がデータ化されたり、記号化されたりしていく。その中でリアリティのある命の実感を子どもたちにどう持たせたらいいのか。小学生の3、4割は、人は死んでも生き返ると本当に思っている。アニメやゲームの中で殺されてもまた登場する、リセットすればまた生きられる、現実の命についてもそう思っている時代に、命を実感的にわかるようにするにはどうしたらいいか。非常に教育的には難しいんですね。そこで学校によっては、ヤギを育てて子が生まれるのを見て、命っていうものについて実感的に教えようとしていますが、なかなかそれが身につかない。だから子ども同士でもびっくりするような凶悪事件が起こったりする。そういう中で1つ1つの命の大切さっていうことを、やっぱり、津波という恐怖体験の中で身にしみて感じたんではなかろうかと思うんですね。特に私が驚いたのは、「生かされている命」という言葉が登場してくることなんですね。
これは中学校3年生のあべこうじ君って男の子ですけれど、少し長いけれど、それでも一部なんです。読んでみますね。
あの自身は私たちの町だけでなく私自身もかえてくれました。水も電気も食料もない世界で学んだことがたくさんありました。人間はとても弱いです。一人でなんか絶対生きていけません。支え支えられて生きているのです。あの自信を体験し、乗り越えようとしている私たちには自然に強い絆ができだと思います。助け合い協力して命を守りあった私たちはもう何にも負けないと思います。あの地震で私も成長することができました。初めて死を覚悟しました。それから生まれ変わったように過してきました。あの地震を乗り越えたことで自信がつきました。命のはかなさを知り、1日1日を一生懸命生きるようになりました。自分が生かされていることを知り、少しでも誰かの力になれるように努力し続けました。これからも生かされている命を大切に一生懸命生きて生きていきまくります。
こうも書いているんですね。
これからも生かされている命を大切に
自分が生かされていることを知り
この生かされている命っていう表現は普段の子どもたちの日常生活の中では登場しない言葉です。キリスト教や仏教など宗教のお説教の場ではしばしばでてきます。私たちの命は自分で作ったものではないし、あるいは自分で自分を生かしているわけでもない。天から与えられ、神様から与えられたもの、そういうものだということ。だから傲慢になってはいけない。謙虚に命を大事して生きましょうと宗教は教えてくれる。しかし日常の家庭生活や学校での生活の中でそういう言葉を使うどころか、意識さえ普段はありません。この子が避難生活中か家庭が信仰深い家庭なのかわかりません。けれどいずれにしても子どもの耳に行ってくる言語環境の中で知らず知らず「生かされている命」という言葉がこの中学校3年生の男の子の中に取り込まれたんですね。いかに子どもにとって言語環境が大事か、周りでどんな言葉を使っているのか、あるいはどういう状況の中でどういう言葉が出てくるのか、それが非常に大切なことなんです。大人の使う言葉が問われている。私は子どもたちの作文をたくさん読んで、その中に出てくる言葉をとらえて、感銘を受けたり、驚いたりしているわけですが、とりわけこの「生かされている」というのが出てきたのが、とても驚きであり感動的でした。
もうひとつだけ紹介させてもらいます。これは中学校1年生のやはり男の子です。
私は将来何になろうか決めていません。一応は医者になりたいと思っています。医者の中でも国境なき医師団に入りたいと思います。そんな中で心にぐさっと一番きたのは今を生きるという言葉でした。人の役に立つ仕事をしたいのです。人が苦しんでいるところを助けたりするなど人の思い出に残るような人になりたいです。人間は生きる希望をなくすると自殺する。私は希望を作りたいのです。生きているだけで幸せという希望を作りたいのです。
こんなことを書いています。子どもたちもたくさん津波にのまれた人の遺体を見たり、あるいは自分もかろうじて生きのびている。そういう体験の中からどういう言葉でそれを表現するのか、いわば限界状況の中で人は何を感じたり考えたりするのか、子どものレベルで表現したのがこういう言葉だと思うんですね。青年の主張コンクールに出るために書いたわけではないので、自分の体験したことから自分の体験したことから出てくる言葉を書いているんだと思うんです。
絵本を読むにあたって絵本の言葉はとっても大事で、絵も大事です。両方大事なんです。でも往々にして読み聞かせの中で親、あるいは保育士や先生は言葉をあまり重視しないでサッサッサーと読んでしまいがちです。絵と言葉は非常に深いところでコラボレートしている。そういうことを読み手の大人は理解しなければいけない。整理すると、非常につらい実体験がある。恐怖やあるいは悲しかったり、辛かったりする。そういう実体験があの状況の中で生まれた。そして、自分を取り巻く言葉、言語環境、そして、みんな大変な経験をして避難所や仮設等で生活している環境がある。その実体験と環境で使われる言葉。それが一体になって融合して、その子にとって命が本当にリアリティーのある形できざまれていく。単に漠然とした恐怖体験ではなくて、言語化することによって、その意味づけまで含めて、記憶に残る。そういうことが子どもにとっては恐怖体験を客観視し、そして乗り越えていく1つの大事なステップになるのではないかと思うんです。」

(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
マールとおばあちゃん
もう1冊紹介するのは、これもごく最近、今年翻訳されたベルギーの作家のモルティールさんが物語の言葉を書き、カーティーベルメールさんが絵を描いた絵本です。2人ともベルギーのフランドル地方に生まれ育った方のようです。非常にピンク系が強い絵です。絵が美しいんですが、単に美しいだけでなく、いろんな動物や小鳥や花や樹木、そしてその中に主人公のマールという少女がいて、絵の技法としては木版画、コラージュ、様々な技術を重ね合わせて非常に複雑で感性豊かな表現をしている。こういう絵の表現者なんですね、非常に現代的だと思うんですね。そして表紙に使う絵はシンボリックな意味を持っています。このマールという少女がすました表情をして木の枝に乗っています。このマールは非常に個性が強く、自我が強い、そういうことをシンボリックに表現しています。それは物語が冒頭からびっくりするような形で展開します。これは桜の木の下でお母さんが乳母車の赤ちゃんに手を差し伸べているところですが、生まれて間もないマールのことを描いています。(カールはすでに)乳母車じゃなくて立っている。その左側の方に、ここにマールがいて、これにマールがいて、これお母さんですけれどね、読んでみますね。
マールは桜の木の下で生まれました。おかあさんがそこで読書をしていたのです。
おかあさんが読んでいたのはとてもおもしろい本でした。
本当におもしろい本でしたのでおかあさんは没頭してしまい、
赤ちゃんが生れようとしていることに気がつきませんでした。
それは、ちょうどおしっこに行きたくなったときに、だいじょうぶもうすこし
がまんできると思うような感じでした。
とても愉快な書き出しですね。
でも、マールの辞書にがまんということばはないのです。ここから出して/今すぐ。
マールは押したり、たたいたり、けったりして、桜の木の下に自分ででてきたのでした。
こういう話はそんなことはないよって、みなさん思うかもしれませんが、あるんですよ。実は私の知り合いのお嬢さんが家で、出産はまだだろうと我慢していて、とうとう我慢できなくなってタクシー呼んだんです。タクシーに乗ったら、そこで自分でお産しちゃったんです。すごいお母さんだなと思いました。そういうことってあるんですよ。だから私はこういう作品を読んでも別に驚かないっていうか、あり得ることだなあと思うんですね。
それはさておき、この絵にも象徴的も示すように非常にカラフルなコラージュ、あるいは版画的な技法を駆使して、母とこの関係やマールという子の個性を表現しようとしています。次のページにマールがいかに自我の強い、個性的な女の子かというのがみごとに表現されています。
マールはとんてもなくはやく成長しました。生後6か月になるころには、もう庭をはねまわっていたのです。そんなことってあるのかなってね。ふつう1歳ぐらいになってようやくよちよち歩きをするんですけれどね。
桜の木から小さな柵まで行ったかと思うと、池のまわりを一周してもどってきます。
みて!あたしはやいでしょ!ねえ、みた?だれも追いつけないくらいはやかっ
たわ。
まあ6か月でこんなことを言ってるわけはないんですが、気持ちいいんでしょうね。
そして数か月後、最初の言葉を口にしました。それはママでもパパでもなくクッキー。マールはいつだっておなかをすかせているのでした。クッキー。マールはいつもそういいます。
このクッキーっていうのは実は伏線で、あとはおばあちゃんが大好きにいなって、おばあちゃんがこの子を可愛がって、おばあちゃんも甘いものが好き、マールと一緒に2人でクッキーの箱をいっぺんに全部あけちゃうぐらい食べる。それが何を象徴しているかというとおばあちゃんとマールが本当に仲良しの一体感があって、毎日の時間を過ごしているということなんです。でもそういう中でおばあちゃんが倒れて入院する。しかも言葉を発しなくってしまう。おそらく、脳内出血か何かで言語障害をおこしたんでしょうね、お父さんと今度はマールだけになるんですが、またお父さんが突然亡くなってしまう。そういう中でマールはどういう役割を果すのか。途中を飛ばして最後のころにいきますね。おじいちゃんが亡くなって、霊安室に安置されています。おばあちゃんは病院でもう言語障害で言葉を発しない、脳卒中の後遺症で病院にいます。そして医療スタッフは、どうせおばあちゃんはいろんなことわからないしおじいちゃんに言葉もかけられない。だから、おじいちゃんが亡くなってもお別れに連れて行く必要がない。医学医療の面から考えると、おばあちゃんはそのままでいいという考えなんです。ところがマールはおばあちゃんといつも一体となった生活していたから、おばあちゃんの表情や口ごもるような唇の動きら言葉を読み取ることができる。おばあちゃんの気持ちをマールがもっともよく知っているんです。マールはおばあちゃんにおじいちゃんのそばに行って最後のお別れをさせたい。でも、医療スタッフはそうさせてくれない。そこでマールは毅然としておばあちゃんを車いすに乗せます。そして、看護師の主任さんが制止するのも振り切って、おじいちゃんの安置されているところに連れていこうとします。そのときのこの絵を見てください。カラフルに描いてあるのはおばあちゃんとマールだけです。おばあちゃんの絵は少しグリーンのくすんだような花柄模様なので、あまり色はくっきりしませんけど、マールはピンク系の赤のワンピースを着ていきいきと描かれ、そして振り向いて制止しようとする看護師をにらんでいます。看護師の方は全部すりガラスの向こうにいるような、くすんだ白で描かれています。これは医療スタッフが医学的な見地からだけで患者に対応して、その中におけるヒューマニティーを失っている。そのことを表現しているのが、すりガラスの向こうにいるような描き方なのです。そして本当にヒューマニティー豊かにこの世に存在しているおばあちゃんとマールとの関係性、それをカラフルな色をあえて対照的に出すことによって表現している。
私は人間の命は人称性をもっていることをずいぶん前に気づいて、いろんなことを考えてきました。1人称の命、1人称の死は自分自身の命であり死です。命は、科学的医学的一般的に存在する死だけでなく、ひとそれぞれの個性を持った肉体と心を持っている。その中で医学的な意味での命と、人間一人ひとりが大切に抱えている命が異質なものがある。1人称の命は死に直面した時、自分はどういう最期を選ぶか、病院、ホスピス、在宅様々な場があるがどこが一番いいと思うか、痛み苦しみながら緩和ケアだけでいいのか、最後まで治療的な試みをしてもらって1分でも1秒でも長生きしようとするのか、これが1人称の死。特に1人称の死で大事なのは最期の残された時間をどう生きるか、思い残しのない人生の締めくくりをどうするのか。1人称の死にとってとても大事です。
これに対して2人称の死は愛する人の死、家族の死です。つまり2人称の立場に立つと死にゆく人が本当にその人らしく最期を迎えられるようにサポートする。介護やケアをする役割を果たす。しかし同時にもう1つの仕事が待っています。それは自分自身の心の中で失われる、愛する人と別れるということ。その愛する人亡き後、どう生きるかというグルーフワークが問われます。これは2人称の死の特性ですね。これに対して3人称の死は第3者の死ですから、友人、知人は悲しみや辛さを伴いますが、それは2人称などではない。子を亡くした母親や連れあいを亡くして残された伴侶、その辛さは3人称の死ではわからない、感じられない。ましてこれが第3者。遠い外国で起こった戦争やテロや様々なものは自分にとってはただのニュースでしかない。その日お笑い番組を見て笑うことができる。でも医療者にとって患者は3人称ではあるけれど、そういう赤の他人の3人称とは違うはずですね。やはり治療という局面を介して、その1人称2人称の死と密接な関わりを持って、今死に逝く人やあるいは残された人に、なんらかのシンパシーを感じたり、あるいはより良い形をつくるために協力する立場であったりするわけですが、現代の医学というのは往々にして冷たい3人称になりがちです。医学的に見て、これはもう治療不可能、これは治らないとなると興味を失ってしまうとか、あるいは痛み苦しみに対してあまり関心をむけない、そういった冷たい関係性が生まれがちです。医学が進めば進むほど、標準的治療法や、できることとできないことの区別がつくものですから、その中で割り切ってしまう。そのことをすりガラスの向こうのくすんだ白色の中で表現している。しかしマールは感性がとても豊かで、おじいちゃんと別れなければいけない2人称の死を迎えつつあるおばあちゃんに対して、やはり自分自身も大事なおじいちゃんが亡くなる2人称の立場で悲しみを共有している。共有する者ならではの理解力を持って、なんとしてもおばあちゃんに一生に一度しかない別れの場面を失わせてはいけないと少女なりに豊かな感性を持って決行しているのです。そして、おばあちゃんを亡骸のそばに連れて行きます。
おじいちゃんは、ひんやりした場所にいました。ほんとうにひんやりした場所でしたから、マールの口から、小さな白い組みたいなものがでました。おばあちゃんの口からもでます。きれいな雲ね。きれいでしずかで、いいひんやりね。マールは車椅子を押して棺に近づきました。おじいちゃんの口からは、白い雲はでてきません。両目をとじて、まだほほえんだままでした。
「ねえ」おばあちゃんは話しかけ、おじいちゃんの、くせのある髪を指ですきました。それからマールをみて、にっこりしていいました。「クッキー!」
こういう終わり方なんです。おばあちゃんは言語機能を失っていても、愛する夫が旅立つ、そのことを全身でわかっている訳です。マールもそのことをわかっている。おばあちゃんは言葉には出さないけれど、おじいちゃんの髪を撫ぜすいている。そして、ずーと一緒にクッキーを食べて歩んできたマールのその象徴的な言葉「クッキー」。ここでクッキーを食べたいという意味ではなくて、言語機能が障害を受けているがゆえに言葉が出てこないけれど、もっとも親しんだ、たくさん使った言葉「クッキー」だけがかろうじて声になって出てきたのでしょう。それはお菓子としてのクッキーではなく、本当に大事な豊かな時間、そして言葉にはできないけれどこみあげてくるものが思わず「クッキー」という言葉になったに違いない。そんな深い意味を持ったシーンなんですね。おばあちゃんがじっと見つめ、マールもほほ笑みをたたえて見つめている。素晴らしい画だなあと思います。こんな深いことを絵本は表現しています。私がこう申し上げたからといって、子どもに読み聞かせをする時にこう説明しなさいと言ってるつもりはないんです。でも幼い子はマールのように言語化できなくても感じることができるし、それが知らず知らずに心にしみいついて、そして子どもなりに、その感動や深い思いがその子のパーソナリティー形成にとても大きな意味を持ってくるということではないかなと思うのです。」

(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年10月より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
最初の質問
最初に、絵本というものについての考え方を少し柔軟にしていただきたいと思ってまずは、2つの絵本を紹介します。またこの夏に出版されたばかりの「最初の質問」。私の大好きな詩人の長田弘さんの詩に画家のいせひでこさんが絵をつけた作品です。どういう詩なのか、一部を読んでみます。
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
最初の質問
最初に、絵本というものについての考え方を少し柔軟にしていただきたいと思ってまずは、2つの絵本を紹介します。またこの夏に出版されたばかりの「最初の質問」。私の大好きな詩人の長田弘さんの詩に画家のいせひでこさんが絵をつけた作品です。どういう詩なのか、一部を読んでみます。
今日あなたは空を見上げましたか。
空は遠かったですか 近かったですか。
雲はどんなかたちをしていましたか。
風はどんな匂いがしましたか。
あなたにとっていい一日とはどんな一日ですか。
「ありがとう」という言葉を、今日、あなたは口にしましたか。
窓の向こう、道の向こうに、何が見えますか。
雨の雫をいっぱい溜めたクモの巣を見たことがありますか。
樫の木の下で、あるいは欅の木の下で、立ち止まったことがありますか。
街路樹の木の名前を知っていますか。
樹木を友人だと考えたことがありますか。
このまえ、川を見つめたのはいつでしたか。
砂のうえに坐ったのは、草のうえに座ったのはいつでしたか。
「うつくしい」とあなたがためらわずに言えるものは何ですか。
こうして、ずーと続きます。最後のところだけ読んでみます。
あなたにとって、あるいはあなたの知らない人びと、
あなたを知らない人びとにとって 幸福ってなんだとおもいますか。
時代は言葉をないがしろにしている-あなたは言葉を信じていますか。
とても哲学的で人生論的で詩作に富んだ深い深い意味のある詩だと思います。
長田弘さんは非常に知性派の詩人で、東西文化様々な本を紹介する上で長田さんの本に関するエッセイは素晴らしいものがたくさんあります。皆さん、今読んだ詩を聞きながら自分の心に問いかけたでしょうか。例えば、「あなたにとっていい1日とはどんな1日ですか」というこの2行の文章。あるいは「ありがとうという言葉を今日あなたは口にしましたか」という文章。そう問われた時にみなさんが自分の心に問いかけ、その都度どこまで追いきれたか、考えきれたかを振り返ってみると、とても難しい詩だな、深い詩だなと思いませんか。この詩は小学校の教科書にも出ていますが、これを絵本にしないかという編集者の企画があり、画家が協力して2年半ぐらいかけてひとつひとつの言葉にどんな絵を添えたらいいのか、というとても苦しい問いかけを受け、悩んで悩んで作ったのがこの絵本なんです。全部を紹介すると時間がかかるので、ほんの一部紹介します。
「今日あなたは空をみあげましたか 空は遠かったですか 近かったですか」こういう冒頭の言葉があります。どんな絵をつけるのか。単に空を描くだけでいいのか、遠い空、近い空を描けばいいのか、それではせっかくの言葉の詩情、詩のフィーリングを即物的にしすぎてしまう、どうしたらいいのだろうか、これは最初の問いかけです。朝起きて窓を開ける、あるいはドアを開けて外へ出る。その時にあなたは何をみるのか。ああ、今日は晴れて青空がきれいだとみるのか、それとも頭の中は今日の仕事でいっぱいなのか、問いかけを考えるにあたって、絵描きはこんな絵を考えました。すがすがしい燕の飛ぶ姿、かすかに見える様々な鐘、どんな音楽をならしているのか、譜面の載っていない譜面台を描いている。絵は、しいて解説など加えない方が良いと思っていますが、今日の講演の必要上説明しますと、この譜面台に譜面が載っていないということは、まだ始まってない、今これから譜面台を用意して、演奏する人がここに譜面を載せて始まるという、その始まりの前のいわば象徴的な図柄として出したのではないかなと。朝起きて空を見上げるかどうか。まして、原発事故がおきた福島だと外に出ること、それが放射能汚染の濃い地域など怖いわけです。空が自分にとって守ってくれる大きな世界ではなくなってしまった。でも今日という1日を始めなければいけない。その中でどんな絵を描くのか、これは空が遠いか近いか、どんな空かということ。雲が出ているか出てないか。すべての始まりの時間。そんな意味で朝の祈りを知らせ鐘が鳴る。そして、小鳥たちがすがすがしくはばたく、譜面台がまだ演奏される前のかたちである。そんな意味を込めて絵描きは表現しているんだろうなと思うんですね。そして、雲はどんな形をしていましたか。風はどんなにおいがしましたか。この言葉にこういう絵を添えています。
私は子どもの感性はものすごく鋭くてすばらしいと思っています。胎児期からの心の成長や抑圧や様々な問題を考えるときに、なぜ子どもは胎児の段階から心が成長したり抑圧されたり、あるいは出産直後生れてすぐこの世に出て、温かく抱きしめられる環境と冷たい家庭環境、あるいは暴力を振るわれる環境によって赤ちゃんの心の発達が左右されるのか、裏返していえば赤ちゃんはすでに生きる上で大事なことをしっかりと感じとる力を持っていると思うんですね。子どもの頃、水たまりの中に足をじゃぶじゃぶして遊んだりすると、きれいずきなお母さんは「汚れるからだめじゃない」と𠮟るけれど、子どもにとってそれはファンタジーの世界に近いんですね。水たまりの中に入って覗いたそこに木が映っていたり、あるいは雲が映っていたりする。それは無限のファンタジーの世界、イマジネーションの世界につながっていきます。実際この絵描きに聞きますと、5歳児の水たまりの中で見つけた積乱雲・入道雲のすごく発達した姿、それは水の中で見ると地面の中に無限に深く深く入って行く世界でもあるわけです。その記憶は忘れがたく焼き付いているというんですね。それを描いているんです。雲はどんな形をしていましたか 風はどんな匂いがしましたか。
これは人が家を出て戸外に出たときにまず感じること、その世界です。子どもにとって外に出て歩くということは無限に世界がひろがっていく第一歩でその世界には水たまりもあるでしょう、池もあるでしょう、川もあるでしょう、あるいは森や公園もあるでしょう。そういう中でひとつひとつ子どもは素晴らしい世界をファンタスティックに描いている、7、8歳くらいまでは子どもにとっては想像の世界、ファンタジーやイマジネーションの世界とリアリティーのある世界との境界がなく、それが一体となって、あるいは行ったり来たりするような形で融合されて世界が形成されていくわけです。その中で水たまりをのぞいた時に発見したこの世界、これはもう感動というか大人でいえば感動でしょうけど、子どもでいえばもうファンタジーの世界そのものであると思うんですね。
雲はどんな形をしていましたか、風はどんな匂いがしましたかっていうのは外に出て空を眺めると同時に飛び込んでくる環境全体のことを表現しているわけで、それをどれくらいみずみずしく感じ取っているのか、あなたたち大人たちを忘れていませんか。どういうみずみずしい感覚を忘れていませんか。そんなことを問いかけていると思うんですね。そして少し先ですけれど、大きな木の下に少年が立っています。
樫の木の下で、あるいは欅の木の木の下で、立ちどまったことがありますか。
街路樹の木の名を知っていますか。
樹木を友人だと考えたことがありますか。
なぜかこの少年は泣いていますね。よく見ると右手で目を覆って、涙をぬぐっている。何があったんでしょう。その前には樫の木か欅の木か、大きな木がある。よく言われるように木は人類とともに古くから人間を育てたり、支えたり、そして人間が生きていく環境を守ったりするとても大切な存在であり、そういう木の存在が大きく描かれています。この少年に何か辛いこと、悲しいことがあったんでしょう。でも、少年を守ってくれる何か大きなものがある、樹木を友人だと考えたことがありますかという言葉で象徴的に人間と植物あるいは環境との関係を描いているのです。
学問の中に植物学という単に植物の研究をしているだけではなくて植物人類学、エスニックポタニズムという分野があります。これは人類が歴史のなかで植物とどういう関係をもってきたのか。人間が植林したり、あるいは工業生産や農業生産の効率をあげるために森を伐採したり、さまざまなことを人間は営んできた。その中に人類と植物の関係性の歴史がいろいろと見えてくる。あるいはその世界の主な都市を見ても東京、ニューヨーク、パリ、カナダのトロンなど町の風景が違います。そしてその中における植物や花やその存在も違っています。それはやはりその国の人柄、その国の国民性というものによって、植物との関係性を大事にする民族だったり、あるいは違ったりすることを象徴的に示していると思うのです。いずれにしましても私は田舎で育ちましたから、田んぼや山や林が自分の少年時代の心の形成発達にとても大きな意味をもったと思っているのです。そういう思いでこの絵を見ると本当に深いことを表現しているなと感じます。
もう一画面、紹介しましょう。これは雪が降る中、小鳥が止まっていますね。あれはヤマセミといって、山の方にいる仲間ですね。ここを読んでみます。
いまあなたがいる場所で、耳を澄ますと、何が聞こえますか。
沈黙はどんな音がしますか。
じっと目をつぶると。すると何が見えてきますか。
詩人だなあと思うんですね。問いかけをしている。人間それぞれ個性があって、視覚障害の方もしれば聴覚障害の方もいる。あるいは身体の障害をもっている方がいる。様々な障害をもっている方々がいらっしゃいますけれど、健常人といわれる人たちは往々にして障害をもっている人たちを非常に不便で、あるいは不幸で気の毒だと思いがちです。これは健常者の思い上りだと思うのです。例えば、「見えなくても大丈夫?」という絵本があります。主人公のマチアスは目が見えないけれど、不自由なく夜でもトイレに行けるし、あるいは街にも行ける。市場に行って果物を買う時に手で触れてリンゴは熟れているかどうかをすぐに察知することができる。街を歩いていて、喫茶店から流れる音楽に耳を済ませ、ああモーツァルトだなと感じることができる。ところが、目が不自由なくて見えていると、世の中全て見えているという思い込みしかなくて、街に流れる音楽も耳に入ってこなければ、リンゴを見ても熟れているか食べてみないとわからない、夜は電気をつけないとトイレに行けないなど目が見える人の方が不自由なところがあるわけです。そういう絵本です。それを読んだ小学生がお便りをくれて、「いったい目の不自由な人の生活ってどうなんだろう」と、タオルで目隠ししてしばらく家の中や外へ出てみて手探りで生活してみた。そうしたら主人公のマチアスのようにリンゴに触っても熟れているのかどうかわからない、トイレ行くのも手探りでものすごく大変った。なんて素晴らしい感性、感覚を発揮して生活しているんだろうとわかった、というお便りをくれたんです。素晴らしい気付きをする少年でした。見えているがゆえに何かわかった気になって思いこんでしまう。そういう世界からいっぺん離れてみて、目を閉じてみる。例えば街角で目をつぶってみると様々な音が聞こえてくる。ツバメの鳴き声、お店から流れる音楽、遠くを飛び飛行機の音、車のクラクション、遠くに走るパトカーのサイレン、いろいろな音が耳に入ってきて、それぞれを識別できる。ところが目を開けていると聞こえているけど聞いていない、こういうことを発見するわけです。私たちは、いかに思い込みの中で過ごしているかということを象徴的に示しているわけです。
こういう一編の詩に絵をつけた詩人と絵描きのアンサンブルによって、とても深い問いかけをする絵本ができています。この絵本を小学生に読み聞かせすると目を皿のようにして絵を見つめ、そして耳から読まれる詩の言葉をたどっていきます。絵本というのは、まだ言葉が発達していない子どもに絵を添えて、やさしくわかりやすく説明する本だと思いこんでいる方が大半ですが、実は違うんです。4、5才くらいから読める絵本。それは絵描きや文章を書く作家からするとものすごく時間をかけて考えて、選びに選びぬいた形で表現している。問題はそれを読む大人が感性を問われているんですね。そこからどれだけのものを読み取るか。子どもの頃からそんな深く読まなきゃいけないってことではないんです。人間は成長するにしたがって様々な経験をし、その経験を重ね合わせることによって言葉や絵の深い意味を味わったり、感じ取ったりすることができる。絵本はそういう素晴らしいメディアなんです。だから私は人生に3度読むべきことだとよく申し上げているんです。1回は自分が子どもの時、2回目は子育てをする時、そして3回目は自分自身のために人生の後半、忙しい毎日の中でふと足を止め、自分の感性や思考力を問い直す形で、絵本を読んでみるとそこから深い深い何かを読み取ることができる。その人ならではの人生経験の中で、絵本の語りかけを深く読み取ることができるようになる。」
(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
デジタル文明の中で
この話をしたのは、今の時代の状況と比べて環境が著しく大変だったけれど、心の成長のためにはむしろプラスだった。子どもたちが多いから子どもたち同士でいろんなことを学び合う。それから私自身の家庭環境も大変プラスに働いたと思います。いろいろ振り返って子どもたちが、子どものことから本に親しむ、絵本に親しむ、しかも親が読み聞かせをする。読み聞かせというのは一緒に並んだり、ベッドで添い寝をしながら読むことですから、スキンシップがある。親の感情をこめた肉声が耳からズンズン入ってくる。聴覚はとても心の発達に大事で、絵本を読み聞かせている時、子どもは絵のすみずみまで見ています。耳で言葉を聞いています。さらに母親なりお父さんなりの感情をこめて物語を辿っていく。その起伏。これが子どもにとって心の中の感情や感性、それが細やかに発達していく上でともて大きな意味を持っていると思うんです。そして、絵本であっても物語性を持っています。4歳5歳になるとその物語の文脈をたどる力がついてくる。これが非常に大きな意味を持っているんですね。物語の文脈をたどれるということは、人間関係や自分の生き方の文脈を考える上でとても大きな意味を持ちます。物語の文脈が1つのモデルやパターンとなって頭の中にたくさん入っているといっぱい引き出しをもった子どもができる、成長する、そういうことになるだろうと思うんですね。子どもは大好きな絵本、感動した絵本は10回でも20回でも注文します。これに答えるとその絵本の絵や言葉や物語が子どもの心の中や全身に染みわたります。頭の中だけではない、全身に染みわたることによってその子のパーソナリティ形成、人格形成に大きな役割を果たすわけです。
その全体的なコミュニケーションを今のデジタル文明は言葉に100%依存していて、相手の細やかな感情を読み取ったり、文脈を読み取ったりすることが本当に難しくなってきている。デジタルなコミュニケーションは言葉の世界だけでその言葉もだんだん断片的、省略的になってくる。年中メールでやりとりしていると、簡単な1行、3行ぐらいでぱぱっとやりとりしたりしている。そうするとその中における言葉で表情されない部分が伝わらないし、理解もできない。人間は言葉だけでコミュニケーションしているんじゃない。赤ちゃんが生まれたときになぜ抱っこが必要なのか、その原点にかえって考えてみるとわかります。赤ちゃんは言葉を理解できないけれど、自分は全面的に守られている、愛されているということは言葉がなくてもスキンシップや抱きしめることやしぐさによって感じって、その中で赤ちゃんの心がだんだん発達してくるわけですよね。しかも安定的に発達してくる。そこが今おかしくなりつつあるという認識なんです。
絵本の読み聞かせは、デジタルなコミュニケーションの中でもう一度人間らしいコミュニケーションを考えたり、感じたり、感性を豊かにしたりするメディアとしてあらためて見直す必要がある。今の時代、新しい意味を持って子育ての中で絵本を取り上げられなければいけないんじゃないかと思うんです。これは私が抽象的に一般論して言うだけでは、みなさんにとってなんのことがわからないと思うので、今日は具体的なエピソードを交えがからお話をしてみたいと思うんです。」
(乳幼児精神保健学会誌Vol.7 2014年より)
「絵本の力、生きる力~子どもと大人が共に育つこの世界へ~柳田邦男
子ども時代
私は栃木県の田舎町で6人兄弟の末っ子で育ち、遊ぶことに不自由することはなかった。(略)豊かではなかった貧しい時代、そして戦争もあり、空襲の恐怖体験もしています。昭和20年の夏の夜、終戦間近でしたけれど、アメリカのB29の大編 が、低く垂れこめた空の上をゴーゴーと音を響かせて通過しながら、私の街にあった軍事工場めがけて、無数の焼夷弾をまき散らしました。空が一面、大きな大輪の花火が100発ぐらい同時に破裂したような満天焼夷弾の炎で染まる感じでした。まして、雲が低かったので赤々と反射して、私は防空壕の中にいましたが怖いながらも見てみたくて、ちょっと顔を出したら恐怖に震えました。私の家もこれで終わりかと思ったら、放物線を描いて軍需工場の方に流れていったので直撃は避けられましたが、昼までグラマン戦闘機が機銃掃射をして、近所の家では直撃を受けた若い女性が亡くなるという恐ろしい経験もしました。そういう恐怖体験をしても、それが一生を左右するようなトラウマになりませんでした。子どもたちは時には喧嘩もしますが、仲良くスキンシップもあり、兄弟が多くて、兄弟も幸せなことに母親の影響でとても仲良く、ケンカなどしたことない兄弟でした。親子ゲンカもありませんでした。母親が非常に大きく包んでくれるような存在だったわけです。そういうアタッチメントの豊かな環境の中にいたがゆえに空襲や貧しさ、あるいは食糧難、そういったことがあっても、今まで生きてこられたなあということを感じるんですね。
こんにち、子どもを取り巻く環境が非常に危機的な中にあって、それを乗り越える道はないのか。克服する道はないのか。克服する道はないのか。(略) 私は作家として言葉を使って表現活動をする立場にあります。その中で自分が幼いころどんな経験をしたのか振り返ると、非常に温かい人間関係、スキンシップのある素晴らしい環境、自然の中でのびのびと遊べた。そしてもう1つ、田舎では本のある家は少なかったけれど、たまたま父親が学校の教師をしていたので、絵本や物語の本がありました。
(略)
戦争が終わって父が結核で亡くなりました。私が10歳の時でした。そのため家が貧しくなって、母親が手内職をする。手内職を手伝うと月に一冊本を買える小遣いをもらえました。その本を一冊買うということがとても嬉しくて楽しみでした。本を読むと、心の中にずんずんと入ってくるんです。いろんなものを読みました。シャーロックホームズ、ルパン三世、怪傑黒ずきん、さらには名作全集で1年生の頃に読んだような簡単なものではなくて、もっと全訳を読むとか。特にマロという人の家なき子は相当な長編で、それを4年生か5年生の時に読破した時の充実感っていうのは未だに忘れないですね。」