たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宝塚歌劇in東京スカイツリー_展望回廊_輝きの奇跡展より(6)

2019年02月28日 23時04分38秒 | 宝塚
 早いもので昨年3月4日に東京スカイツリーを訪れてから一年が過ぎようとしています。やっと出かけた休日の大都会。わたし、この少しあとウィルス性胃腸炎で一週間ほど動けなくなり一番忙しい時に有給休暇の半分を使う羽目に・・・。心身共にこたえました、という話はおいといて、忙しいときには整理しきれていなかった残りの写真をようやくまた整理。今さらですが気分転換にアップ。ご興味があれば・・・。

2013年・2015年の台湾公演と2018年台湾公演の予告、

2018年の台湾公演をライブビューイングで夢中でみたあとなので懐かしいものになりました。






各組の紹介と現在のトップスターの紹介文。





あちらもこちらも輝いていました。






350階のカフェの窓からの夕暮れ、16時34分でした。



展望回廊の夕暮れ、17時57分でした。



一年が過ぎ、退団者一名、退団予定者二名。




350階に展示されていた江戸時代の東京の絵だったと思います。



この並びも今年の10月13日まで。一回一回、一期一会の出会い。





 自己満足に過ぎませんがためこんでいた写真をようやく整理できました。まだ去年の夏のKITTEの写真があるんですね~。いつも撮るだけ撮って整理できないまま日々は過ぎていきます。また忙しくならないと困っちゃいますが、忙しくなるとまたため込んでしまうことになるし、そもそもライブビューイングも大劇場日帰りツアーも厳しくなるかなあ。ジレンマ。利便性の高い所に住んでいる方を除けば、みなさん、遠くまで出向いて夜遅く帰ってきて翌朝早く出勤しているんですよね・・・。


日中の居場所

2019年02月28日 11時36分04秒 | 日記




「村の夕べ

羊をつれた羊飼いが、
静かな小路(こうじ)を通ってはいって行く、
家々は眠たげで、
もうたそがれ、居ねむりしている。

私はこの村の中で、
いまただひとりの異国人だ。
悲しむ痛む私の胸は
あこがれの杯を底まで飲みほす。

道がどこかに私を連れて行っても、
どこにでもなつかしいかまどの火が燃えていた。
ただ私だけはついぞ、自分のふるさと、
自分の国というものを感じたことがない。


 寝ようとして

一日のいとなみに疲れて、
私の切なる願いは
疲れた子どものように、
星月夜をしみじみと抱きしめる。

手よ、すべての仕事をやめよ、
ひたいよ、すべての考えを忘れよ、
私の五官はみな
まどろみの中に沈もうとする。

魂はのんびりと
自由な翼で浮かび、
夜の魔法の世界に
深く千変万化に生きようとする。

葉祥明 ヘッセの詩によせて 

受験を控え、やりたいこともやらず、
頭のどこかにいつもその事が
暗雲のように覆っていた少年時代に、
ヘッセの自伝的小説「車輪の下」を読みました。
当時の自分の境遇と
小説の主人公を重ね合わせ、
自分の暗い人生を思い
気分が重くなったことを憶えています。
人はこの世では職業人として生きることを
余儀なくされているけれど、
本当はもっとその人にふさわしい、
その人ならではの人生があっていい筈
という思いは今も強くあります。
どうやら少年時代だけではなく
大人になっても、人は車輪の下で
喘ぐことになっているようです。
だからこそ、野に出て、野に遊び、
野に生きていきたい!という
思いにあふれたヘッセの詩、ヘッセの詩心が
私の胸を打ちます。
そして詩人を天職と考えていたヘッセを
私が今とても身近に感じているのは、
同じ七月生まれだからでしょうか。

詩は「ヘッセ詩集」(新潮社)第十巻 高橋健二訳より引用しました。)」

 この文章は、昭和58年9月1日サンリオより発行された『月刊詩とメルヘン』より、「特集葉祥明画集野のしらべ」からの引用です。実家に戻り、断捨離をしている中で30年ほど本棚に眠っていたこの雑誌に再会しました。文学少女だった私は高校を卒業して地方銀行に就職してからも心の片すみではいつも物書きになりたいという思いがくすぶっており、『詩とメルヘン』『MOE』を愛読し、時々メルヘン?童話?らしきものを投稿してみては自分の名前がどこにもないのに落胆していました。銀行の仕事は忙しく、気がつけばお昼を食べない日々が2カ月ほど続くと体重が一気に5キロ以上落ちていました。以来デブと弟にからかわれていた私が太るということはもうないのですが、20才前だった私には自分がこのまま涸れていってしまうのではないかという危機感がありました。こことは違う本当の場所が自分にはあるはずだ、本当にやりたいことは他にあるのだという社会に対する反発心のようなものが若き日の私には強くありました。

何のために働くのか、働く意味はどこにあるのか、知りたいと思いました。それから30年余り、卒業論文を書くにあたり参考文献を何冊も読みましたが答えを見つけることはできませんでした。自分なりの考えをまとめようとしましたが尻切れトンボのままいい加減時間切れとなってきたので、分厚い卒業論文を提出しました。その後13年間ハケンとして働いた大会社から使い捨て同然の扱いを受け、社会に対する怒りと悔しさのマグマを沸々とさせながら2年近く社会から孤立し続けた日々の中で最大の気づきは、働く場所がある=日中の居場所がある、必要とされる場所がある、ということなのだということでした。こんな会社、って思いながらも毎日行く所があったということは日中の居場所があったということなのだとわかりました。日中の居場所を突然、しかも使い捨て同然というかたちでなくした辛さは言葉にたとえようがありませんでした。弁護士事務所、そしてユニオンにいったら労働紛争になりズタズタに疲弊した私が立ち直ってくるまでには、また新たな日中の居場所に出会い苦労する2年程の歳月が必要でした。資格を生かしたウルトラハードな業務は私の心身を消耗させましたが、おかげで大会社と労働紛争で受けた傷を忘れることができました。あまりにもハードだったので細かい成り行きはもう頭の中から抜けてしまい思い出すことはできません。残念ながら契約ベースの細切れは、なかなか安定には結びつかず、家賃を払い続けるのが厳しくなってきたので実家に戻ることにしました。
そして今また新たな居場所探し。居場所があるということが必ずしも職業人としているということだとは思いません。専業主婦になっていたら家以外の日中の居場所がなくても社会からの孤立感やうしろめたさから解放されているのでしょうか。わかりませんが子育てを卒業した同級生たちはまた外に働きに出ています。現実には茂木健一郎さんの言葉を借りれば、職業人としてではなく「本当はもっとその人にふさわしい」道を歩むことができるのは、ほんの一部のクリエーターたる人にだけ許されることではないかと思います。ごはんを食べさせてくれるスポンサーがいないかぎり、多くの人は職業人として社会の中で生きて行かざるを得ません。ウルトラハードな業務で普通に生きることの難しさ、尊さを深く感じたことにより、何のために働くのかという答えをどこかに求めたいという気持ちは消えました。そんな問いかけはもう自分に必要ないように思えてきました。ウルトラハードな業務をしている間このブログに何度もしたためましたが、普通に生きることが実は一番難しいのです。普通に暮らしているとわかりませんが普通に生きることが叶わない人たちが、普通の家に生まれてくることのできない子どもたちがいるのです。ウルトラハードな業務経験を生かしてまた新たな居場所を見つけようとしていることが、本当に私の人生にふさわしいことなのか、私の人生にとって正解なのかわかりません。書きたいという思いはこうしてブログをしたためることである程度叶えることができています。クリエーターとしてごはんを食べていけるだけの能力があるものでもなし、ほんの少しばかり人の役に立つことができて、観劇や旅にでるためのお金を稼ぎたいというシンプルなことを叶えたいに過ぎません。シンプルなことが一番難しいとわかったので、実は一番難しいことを叶えよとしています。若き日の自分が心を揺さぶられた文章を同じように読むことはできませんが、批判もしません。詩人たることが許されるのは、ほんの一部のクリエーターたることができる人だけ、それでごはんを食べていくことができる人だけだというのが私なりの着地点のようです。こうして居場所を探すことはかなりの辛抱が必要だし、エネルギーを削がれます。お祈り通知を繰り返し受け取ると人はおかしくなってしまいます。社会から孤立している感とうしろめたさ感にどうしても苛まれてしまい、気持ち追い詰められてくるとなにをしているのかわからなくなってきます。そういう意味ではやはり車輪の下で喘いでいるのかもしれません。
不合格通知のあと、力を貸していただきたいとの言葉をいただいた組織からさっそく電話がありました。ウルトラハードな業務経験を生かせる仕事。一年間この仕事をやっている方々と毎日御一緒していたので、これはこれでかなりきついとわかっている仕事。必要とされるならトライしてみようかという思い。最大の不安は通勤。信号のない道路をかなり大型の工事車両や運送会社の大型トラックが飛ばしています。自転車で走っているとほんとにおっかないです。家の近くが特に危ない。週五日フルタイム、毎朝毎夕無事に駅と家の間を往復できるのか、自転車に乗れない時は7時33分のバスしかない。これで始業時間にぎりぎり、これを逃したら代替手段はないので全てが終わる。田舎生活に適応できないでいる私が大丈夫だろうか、また壁の薄い部屋のために苦労して家賃払う生活に戻ったら、なんのために働くのかわかんないのでやっていくしかない。この不安に打ち勝ち続けるしかない、野に遊ぶ生活を可能にするのは現代社会では車という足があってのことですな・・・。

とりとめのない長い文章、失礼しました。


こんな記事も書いています。ご興味があれば・・・。

2015年11月3日:『就職・就社の構造』より_就職戦線は人の頭をおかしくする_杉本玲一(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/fea5335433a4238a4372690f313aea2c



ヘッセ詩集 (新潮文庫)
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